第七話 新生活

――この世界で生きるのは

         君のためなのかもしれない――


  *


 不死戦線にて二年の時が経った。

 北方を崖に面し、他三方を塀で囲ったフローの町は、ゾンビが入ってこられないようになっている。町には四十人ほどが生活し、助け合いながら生きていた。

 そんな不死戦線において、シュナウドはグループの参謀だと言っていたが、不死戦線にはリーダーという役職がなく、彼が実質的なリーダーだった。

 そんなシュナウドは、アネットたちを快く迎え入れてくれた。

 また、シュナウドにはリョウと生存協会の因縁を伝えた。シュナウド自身も生存協会には思うところがあるらしく、可能な限りの力添えをすると言ってもらった。とはいえ、生存協会と不死戦線は交易を行っており、最近では同盟を結ぶという話も出ているらしい。

 不死戦線に入った当初は、リョウは生存協会のことをよく話題に出していたのだが、不死戦線での生活において試行錯誤していいるうちに、その名前すら出さなくなっていた。

 不死戦線にて二人は仕事を担っていたが、リョウは調達の仕事に就いていた。

 とはいえ、調達とはいっても世界が終わって三年ほどが経ってしまった今となっては、探索していない建造物など存在せず、野生動物の捕獲やゾンビの掃討が主な仕事であった。

 アネットの仕事としては、不死戦線に入った当初は畑での野菜作りをメインで任されていたのだが、現在は紆余曲折の末に町はずれの墓地でサクラと墓守をしているのだった。また、併設された菜園の管理もしており、そこではハーブやスパイスを栽培していた。

 また、墓所の管理のため、アネットたちは町はずれの一軒家が与えられていた。


  *


 アネットが任されているアノールドの墓地は二種類に分かれており、一つは人間の墓である。

 病や栄養失調、抗争などで死んだ人間を葬るためのもので、死体は全て棺桶に入れて埋葬されたが、大きな棺桶は作れないため、死体はバラバラに解体して詰められた。その作業には、ゾンビとして復活することを完全に防ぎたいという意味も込められているらしい。

 死体の解体作業を行ったことで、人間の死体はゾンビとは違った香りがすることが分かった。ゾンビの肉をステーキだとすれば、人間の肉はさながら果物である。 

 また、アネットはその臭いを頼りに、運ばれてきた死体がゾンビなのか人間なのかを判別できるようになっていた。

 それによって、アネットはゾンビについて新たに気付いたことがあった。人間の死体として墓地に運ばれてきた血の滴る死体が、ゾンビの臭いを放っていることがあったのである。

 しかし、なぜゾンビの死体なのに血が流れているのかは、そのときは分からなかった。あとから分かったことだが、ゾンビになってすぐに殺された死体は、血が流れているのであった。

 逆に、ゾンビに噛まれたと勘違いして自害してしまう人間の死体がゾンビとして運ばれてくることもあったのである。

 アネットは運ばれてくる死体は全て自分で嗅ぎ分けることにし、ゾンビの死体のみを口にしていた。

 人間の味を知ってしまうことで、人間がアネットの中で食べ物の枠組みに入ってしまうのが怖かったからであった。


 もう一つの墓は、ゾンビを埋めるための墓である。

 活動を停止したゾンビはそのまま放置すると腐乱してしまうため、回収して墓地に葬るようにしていた。また、調達の際にゾンビに噛まれてしまった人間は、仲間によって手を下され、ゾンビ墓に葬られるのだった。

 ゾンビの死体であっても棺に入れて埋葬をするため、解体の必要があるのだが、アネットはその際に食料調達を行っているのだった。


  *


 墓守の仕事に就くまで、ゾンビ肉の調達は大変だった。

 リョウが調達に行く際はアネットも付き添い、ゾンビを見つければ仲間たちに

バレない様に、こっそりとその場で食べた。しかし、酷いときは一カ月ほどゾンビを食べられなかったこともあった。

 だが、そのおかげで新たな事実も発覚した。

 空腹の際に、アネットはウサギの生肉を食べてみたのだが、ほんのりとだが味が感じられたのだった。動物の肉であっても少しは栄養になってくれるようで、体調が少しだけ改善したのであった。

 動物の肉はリョウの貴重な食糧だったが、空腹でどうしようもないときは少しだけもらうことになった。


 仲間の死体を墓地に埋める場合は、人間用の墓地でもゾンビ用の墓地でも簡素な墓碑が置かれるのだが、それがアネットが墓守を任されることになった経緯に関わっていた。

 というのも、アネットは畑仕事の際に知り合った住人と、墓碑作りの手伝いをするようになったのだった。作成した墓碑を墓地に納品する際に、アネットは先代の墓守と仲良くなり、埋葬の手伝いをするようになった。それからは、先代の目を盗んでは、少しづつゾンビの肉を食べていたのだった。

 しかし、先代が一年ほど前に体調を崩したため、現在はアネットが仕事引き継ぎ、住んでいた家も譲り受けたのだった。また、先代の体調不良の原因は、ゾンビの死体に触れすぎたことによるものであると診断された。


  *


 不死戦線は周囲を塀で囲っているのだが、墓地は不死戦線の北側に位置しており、そこだけは切り立った崖に面していた。そのため、崖の上からはごくたまに、野生動物や部外者、ゾンビなどが落ちてくることがあった。そういった場合は、落下音をサクラが聞きとって、アネットに知らせてくれていた。

 アネットが墓守を始めてから一年ほど経つのだが、ゾンビがこれまでに七体、人間が三人ほど落ちてきていた。落ちてきた人間のうち、一人の男は頭を打って即死したのだが、あと二人の男女は幸運にも骨折程度で一命を取り留めた。

 二人は怪我の治療の末に不死戦線の仲間となったが、意気投合した挙句に結婚し、半年ほど前に二人で不死戦線を出て行ってしまった。アネットは二人の命の恩人だったため、それなりに交友もあった。どこかで無事に生きているのなら、また会いたいとアネットは考えていた。

 落下してきたのがゾンビの場合、落下直後はしばらく動かないため、その間に処理をして食料とした。落下してからすぐに活動を始めるゾンビもたまにいたが、アネットには関係ないので、処理をして食料にしていた。

 しかし、墓参りに来ていた人間がアネットより先に落下してきたゾンビを見つけてしまうこともあり、そういった場合は町から応援を呼んで退治してもらっていた。

 アネットは、自分がゾンビに認識されないこと隠すべきだと考えていたのである。

 だが、町に応援を頼んだ際に、運悪くゾンビが立て続けに落ちてきたことがあった。討伐に来た男がゾンビを一体を倒して油断していたところに、もう一体がみついてしまった。

 アネットは男を噛んだゾンビの頭を、シャベルで粉砕したが、噛まれた男はゾンビとして処理されることとなった。

 ちなみに、ゾンビとなって間もない死体からは血が流れるというのは、その時に分かったことだった。臭いは紛れもなくゾンビなのに、血液が溢れてくるのである。

 アネットはその件以来、ゾンビが出た場合は墓参りに来ている人間がいようと、ゾンビを倒すことにしている。気配を消している風を装って、背後からシャベルを突き刺してゾンビを倒すのだった。

 その活躍は町で話題となり、アネットは気配を殺す達人だと思われることとなったのだった。


  *


「ワン!」

 アネットが家で一人小説を読んでいると、サクラが吠えた。リョウが帰って来た足音が聞こえたようだ。

 玄関の扉がゆっくりと開かれ、リョウの顔が見えた。

「おかえり、リョウ」

「うん、ただいまアネット」

 リョウはこの二年で成長していた。身長はアネットを超え、畑仕事や調達のおかげで筋肉もついていた。声も低くなり、今や立派な青年といった雰囲気である。

 顔立ちも精悍になっていたが、髪を切らずに伸ばしているため、キャシーの頃の面影が戻ってきたようにもアネットには感じられた。

 また、調達班のエースであるウルフ・ショウという人に一年間みっちりと鍛えられ、体力や持久力が上がるとともに、弓の技術が格段に上がっていた。野生動物を狩る際にもゾンビを倒す際にも、一発で急所を打ち抜く腕には、弓を教えたウルフもうなるほどである。

 そして、リョウはアネットの生前の年齢をいまや少しだけ超えており、今ではどちらが年上なのか分からない。一緒に暮らしているうちに、話し方もフランクなものになっていた。

 外見がほとんど別人になったリョウは、生存協会の人間にリョウと気づかれることはないだろうと思われた。それはすなわち、不死戦線に留まる理由がなくなったことを意味していた。

 しかし、不死戦線での生活を気に入ってしまったアネットは、リョウにはそのことを気づかないで欲しいと考えていた。もし気づいたとしても、なにも言わずにずっと一緒に暮らしてくれたらと思っていた。

(私は、リョウが好きだ)

 アネットは、自分のそんな気持ちを肯定的にとらえていた。

「今日は何を食べる? 配給品はあった?」

 リョウの夕飯を作るため、アネットはそう問いかける。

 畑で育てられた野菜は定期的に配給されており、芋などは乾燥させて保存食にも活用されていた。配給品はアネットとリョウの二人分をもらっているのだが、食べるのはリョウとサクラなので蓄えは潤沢であった。また、飼っているニワトリからは卵が採れ、それに関してはアネットも時々食べていた。

「じゃがいもかな。アネットは何を食べるの? 僕もそれと似たものがいいな」

「私はミートボール。……じゃあ、ウサギ肉で作ったミートボールを野菜スープに入れようかな?」

「美味しそうだね。それで、お願いするよ」

 アネットはリョウに料理を振舞うようになっていた。料理を味見できないため、味の調整に最初は苦労したが、リョウから感想を聞きながら少しずつ調整し、今ではリョウ好みの味付けができるようになっていた。疲れている場合は味付けを濃くし、休みの日は少し薄めにしている。

 また、アネットはゾンビ肉の調理もしていた。そのまま食べれば十分なのだが、食事中に訪問者が現れることがあったため、カモフラージュのためにも、簡単な調理を始めたのだった。そんなきっかけで始めた加工だったが、それによって触感や風味にも変化があるので、アネットは楽しんで調理をしているのだった。

 ただ、ゾンビ肉の臭いはアネットにとっては良い臭いだが、リョウにとっては悪臭だった。そのため、ゾンビ料理は菜園で育てたハーブやスパイスを使って香り付けをしている。アネットにとっては無臭だが、リョウにとっては臭い消しとなるのである。

 調理をしている際に気づいたことだが、香りづけはアネットにとって影響はないのだが、塩などで味つけをすると味が薄まってしまうことが分かった。ゾンビになってすぐに食べたハムなどの加工肉から味を感じられなかったのは、味付けが原因だったのである。

 アネットはご飯を作りながら、リョウに話を振った。

「何か変わったことはあった?」

「最近、ゾンビが負傷していることが多いんだよね。調べてみたら、脚に傷があるゾンビが結構見つかったかな」

「ふーん。私みたいに、鹿用の罠に引っかかったんじゃない?」

 アネットは二年前のことを思い出しながらそう告げる。

「そんなこともあったね。でも、罠にゾンビの痕跡はなかったんだ。何が理由かは分からないし、町を出ることもないと思うけど、アネットも気を付けてね」

「ありがとう」

 気遣いが嬉しく、アネットはにやけてリョウを見る。

「……まぁ、心配ぐらいするよ」

 リョウは二年前と同じように、頬を赤くしてアネットへ笑顔を見せたのだった。

「……よし、完成」

 アネットが料理を皿に盛りつけた。衛生面を考えて、調理器具も食器も二人は別のものを使っていた。

「ワン!」

 もちろん、サクラにはサクラ用の料理と食器が用意されていた。


  *


 食事が終わり、ゆったりとした時間が流れていく。

 アネットは、町の簡易図書館で借りた本を読んで過ごすことが多かった。みんなで本を持ち寄って作った図書館である。アネットの『アルジャーノンに花束を』も、図書館へ寄贈されていた。また、リョウが本を拾ってくると、一度二人で読んでから寄贈しており、少し前に拾ってきた『青い鳥』は、今は不死戦線の仲間の誰かが読んでいるのだった。

 二人で家にいるときは、よくボードゲームをしていた。

 不死戦線での生活が始まってからリョウが見つけてきたもので、一つの箱でオセロ・チェス・チェッカー・バックギャモン・囲碁・将棋ができる優れものだった。

 アネットは、オセロとチェスのやり方は知っていて、チェッカーとバックギャモンはやり方を知らず、囲碁と将棋は区別すらついていなかった。木箱の上で駒を動かす日本のゲームということだけ、なんとなく知っていた。

 リョウはというと、囲碁と将棋とオセロは分かるが、チェスとチェッカーとバックギャモンはやり方を知らなかった。

 説明書を読みながらやり方を覚え、今ではどのゲームでもいい勝負ができるようになっていた。

 アネットはオセロとチェッカーと囲碁が得意で、リョウはチェスとバックギャモンと将棋が得意だった。感覚でどんどんと次の手を打つアネットに対し、リョウはしっかりと考えてから次の手を打った。

 この日はオセロと囲碁を三戦ずつ遊び、アネットはオセロで二勝、囲碁では一勝をおさめた。二人とも、相手が得意なゲームで勝てると嬉しく、対戦にやりがいを感じていた。

(こんな生活が、いつまでも続いたらいい)

 少しすると、リョウは疲れて寝てしまったが、アネットは相変わらず寝る必要がなかった。

 二人で寝られる大きさのベッドはあるのだが、アネットは一度もそのベッドを使ったことがない。

 リョウは不死戦線に来た当初、アネットが眠らないことを知らず、自分よりも遅く寝て早く起きているのだと思っていた。リョウにいつ寝ているのかと聞かれ、アネットは寝る必要がないことを伝えると、リョウは寂しそうな顔をしたのだった。

 ずっと起きているアネットに対しての哀れみだったのかもしれないし、アネットと一緒に寝たかったのかもしれない。寂しさを感じていたのだろうし、思春期的な意味合いもあったのかもしれなかった。

 アネットは一人で過ごす夜の時間に、自分が世界に一人なのではないかと、孤独が押し寄せてくることがあった。気を紛らわすために本を読むのだが、その気力すら湧かない時もあった。

 そんなときアネットは、ぐっすり眠っているリョウの寝顔を、朝になるまで眺めているのだった。


  *


 朝が来た。

 今日は調達班の会議があるのだが、薄く霧が立ち込めていた。

 アネットはニワトリにエサをやって卵を回収し、菜園に水を撒き、服を洗濯し、朝ごはんを仕込む。

 スープを温め直してスクランブルエッグを作っていると、リョウが目を覚ました。

「おはよう、アネット」

「おはようリョウ。今日は会議の日だね」

「あれ、そうだったっけ? じゃあ、菜園拡大の話をしないとだね」

 アネットが育てるハーブの出来がよく、配給品として分けられそうな目処が立ってきたため、菜園を広くしたいと考えていたのだった。だが、勝手に土地を使うわけにはいかないため、会議で相談する必要があった。

 そこで、調達での活躍に一目置かれているリョウの発言力を頼ることにしたのであった。

「よし出来たよ。食べよっか」

 サクラにもエサをあげ、リョウに朝食を出す。会議は昼からなので時間には十分に余裕があった。

「私は、昨日運ばれてきたゾンビを埋めてくるから、リョウは時間まで休んでて」

「手伝おうか?」

「ううん、大丈夫」

 アネットはサクラに声をかけ、墓地へと向かう。

 墓地でゾンビを解体していると、サクラが崖の方を気にかけているのが分かった。耳をすますと、何やら物音が聞えてくる。こんな朝早くに墓参りだろうか?

「サクラ、見に行こうか」

「ワン」

 墓地の奥へ向かうと、そこには一匹のパグがいた。

「野良犬かな?」

(きっと餌を探しているうちに、崖から落ちてしまったんだろう)

 アネットはパグが怪我をしていないか心配で近づこうとした。そのとき、サクラがパグに向かってうなり始めた。

「グルルルルル……」

「サクラ?」

 サクラの様子を見て、アネットはパグと距離を取る。すると、アネットが離れた分だけパグは距離を詰めてきた。

 少しの膠着状態ののち、サクラがパグへ襲い掛かった。

 パグは大きくうしろに飛んでサクラから距離を取ると、弧を描くようにしてアネットの元へ走ってきた。アネットは捕まえようと身構えたが、パグは手をかいくぐると、アネットの左ふくらはぎを噛みちぎった。

「痛っ」

 アネットはその痛みに、傷口を押さえてうずくまる。

 パグは距離を取ると、アネットの肉を飲み込んだ。

 アネットは左脚を引きずりながらパグの元に駆け寄ろうとしたが、パグは霧の中に逃げていってしまった。

「サクラ、追いかけるよ」

「ワンッ」

 霧のせいで視界が悪く、探してもパグが見つかることはかった。その間に、パグに噛まれた傷は塞がっていた。

 しかし、どうしただろう? 

 アネットはゾンビになって初めて痛みを感じたのだった。それは、あのパグがゾンビだという可能性を示唆していた。しかし、それならばパグがアネットを認識できたことも不思議であった。

 アネットが考えていると、町の方から大きな笛の音が鳴り響いた。

 その音は、町全体に警戒を促すための笛だった。

 その音に、サクラは町へ走っていってしまう。

(私もはやく戻らないと)

 サクラを追いかけるように、アネットもその場を走り去った。


  *


 町へ戻ると、何人も怪我人が出ていた。洗濯をしていた女性や外で遊んでいた子供たちの足に、犬の噛み跡が残っている。

「野犬か?」

 そう呟いたのはシュナウドだった。そのとなりには、サクラがいた。

「墓地にはパグが出たんですが、サクラが追い払ってくれました。躾けられた犬なのかもしれません」

 アネットは、そこまで言ってから思い至る。

 パグがゾンビ犬かもしれないと考えたが、町を襲ったのもゾンビ犬かもしれない。そして、本当にゾンビ犬なんていうものが存在するのならば、生存協会によって仕向けられたものかもしれないことに。

(シュナウドさんに相談するべきだろうか?)

 アネットが考えていると、シュナウドが被害者たちに聞いた。

「みんなを噛んだ犬は、どんなやつだった? そして、どこへ行った?」

「あたしが噛まれたのは、チワワだったよ。どこに行ったのかは分からないね」

「モフモフのワンちゃんだった! 壁の方に走っていったよ!」

「ポメラニアンっていう犬種だったと思います。どこに行ったのかは分かりません」

 被害者は口々に自分を襲った犬について語った。

「犬種はバラバラなんだな。四匹くらいは町の中にいるんだろうか」

 小型犬の名前ばかりが挙げられたことに、機動力があって警戒を解かせやすい犬を使って、内側から不死戦線を崩壊させようとしているのではと考える。

(……やっぱり、ゾンビ犬という可能性を伝えるべきだ)

「シュナウドさん、ちょっと……」

 生存協会の名前は出さず、ゾンビ犬の可能性を伝えた。

「なに? ……でも、可能性は否定できないか」

「はい。警戒するのは無駄ではないかと」

 シュナウドは顎に手をあてて少し考えると、小さく頷いて呼びかけた。

「みんな聞いてくれ! 犬がどんな病気を持っているか分からないから気を付けて欲しい! 動けるものは討伐を頼む! また、感染症の恐れがあるから、噛まれた人間は全員治療のために集めてくれ!」

 町に伝令が走った。


  *


 数十分かけて、犬に噛まれた者は全員ゾンビになってしまった。

 広場には、変わり果てた妻や子供に泣きながらとどめを刺す男たちで溢れることとなった。被害者の数は全部で十二人にも及んだ。

 大量の死体の処理は大変だろうと予想されたが、妻子を自分の手で葬りたいという者も多く、アネットの仕事は予想よりも多くなかった。

 また、残された者たちが愛する者の命を終わらせている間、町人たちに手伝ってもらい、アネットは墓地に大きな穴を掘った。残りの解体処理と埋葬作業は明日行うことに決め、死体は墓地の片隅へ並べられた。

 町を襲った犬のうち、ポメラニアンとチワワを倒すことに成功したが、他の犬は見つかることがなかった。霧が晴れてから痕跡を探したところ、塀の下に穴が掘られているのが見つかり、そこから逃げたのだろうと推測された。町に入ってきたのも、穴を掘ってのことなのかもしれない。穴は塞がれ、塀の内側には警備が置かれることとなった。

 二匹の犬の死体はゾンビ墓へ埋められることとなった。解体してみたところ血が流れることはなく、やはりゾンビなのだろうと考えられた。

 アネットはゾンビ犬の味見をしたいと思ったが、ゾンビ犬の埋葬作業は町人たちの憎しみの目の中で進められたため、口にすることは出来なかった。

 ゾンビ犬の死体処理が終わり、シュナウドの家で会議が始まった。


  *


「定例会議を始める。……本当は、対外関係や子育てについて話す予定だったが、議題はゾンビ犬に変更だ。どんな意見でも遠慮なく発言してくれ」

 アネットはそんなシュナウドの宣言を聞きながら、周囲の様子を伺った。

 調達班の会議はゾンビ犬についての会議に変更された。本来ならアネットが参加する予定はなかったのだが、シュナウドにゾンビ犬のことを相談したこともあり、アネットも参加を頼まれていた。

 誰も言葉を発しないのを確認して、ウルフが口を開いた。

「犬に噛まれた人間はゾンビになり、犬からは血が出なかったからゾンビ犬だって考えるのは分かる。だが外見は、ゾンビって感じじゃなかったぞ?」

 その言葉に、アネットも墓地襲ってきたパグを思い出した。

「それについては、思い当たることがあります」

 リョウが口を開いた。

「人間のゾンビはその動きや表情、肌の色や服装で判別していますよね。でも、思い出してほしいんです。髪の毛が抜けているゾンビはいなかったはずです。犬は全身が体毛に覆われているから、見た目での判別が難しいんじゃないでしょうか?」

 リョウの言葉に、ウルフとシュナウドが頷いた。

「ってか、人間以外もゾンビになんのかよ。ゾンビに食われてる動物は見たが、動物がゾンビになって動くところなんて見たことねぇぞ!」

 妻を失った男は、怒りを含んだ声でそう言った。

 動物のゾンビが存在するのならば、今後捕まえた動物がゾンビでないかを確認する必要も出てくるだろう。


 それからもゾンビ犬に対する話し合いは続いたが、進展は見込めなかった。

 そのため議題は、対外関係についてに変わった。

 生存協会と不死戦線間で同盟案が出ているが、それをどんな条件にするのかが問題となっていた。

 現状では有事の際に食糧を提供し、ゾンビの群れが現れれば共闘して倒し、その際に手に入った資源を分け合うことになっていた。

 しかし、今回の襲撃にて不死戦線が受けたダメージは計り知れないものだった。直接的に戦力が損なわれたわけではないが、家族を失ったことは戦う理由を失ったことにも繋がるのだった。

「今後もこんな風に襲われるなら、助けは必要だ」

「いや、こんないきなり襲われたんじゃ、援軍なんか意味がない」

「でも、こんなことが続けば復興もできなくなって、全滅しちまうだろう」

 みなが思ったことを口々に話し合う中、リョウとウルフも話し込んでいた。

「不死戦線の状況を知られたら、同盟自体が破綻するかもしれねぇな」

「でも、生存協会には伝わらないんじゃないですか?」

「どうだかな。仲間を疑うわけじゃねぇが、情報は力なんだ」

「……では、ゾンビ犬の存在を知っているのも、力になるんでしょうか?」

「価値はあるだろうが、それと引き換えにこの犠牲じゃ、割に合わねぇな……」

「ゾンビ犬の情報、武器になりますかね?」

「被害があったことを伝えることにもなるだろうが、生存協会で被害が出る前に知らせれば、有益な情報を評価はされるだろうな」

 二人の話を聞いていたアネットは、場違いな意見かと思いながらも、自分の考えを話した。

「情報の価値とか戦力とかではなく、ゾンビの犠牲者を減らすためにも、ゾンビ犬のことは伝えるべきなんじゃないかと私は思います」

「まぁ、それはそうだが……」

 ウルフが答えた。そのやり取りをシュナウドは遠くから見守っていた。

 会議の停滞を見かねて、シュナウドが声を上げた。

「全員聞いてくれ! 一旦休憩とする」


  *


 休憩に入ると、ウルフは外の空気を吸いに行くと言って、アネットたちの元を離れていった。アネットとリョウがその場に残って話していると、シュナウドが近づいてきて二人を別室へと招いた。

「二人は冷静な判断ができると信じて、一つ話がある」

 シュナウドがアネットの顔を見てそう告げた。

「……なんでしょう?」

「みんなには黙っていることなんだが、これまで生存協会とは、人員交換を何度かしているんだ。送り出した人間もいれば、入ってきた人間もいる。アネットの助けた崖から落ちた夫婦も、今は生存協会にいるんだ。また、ゾンビ犬の話しはいずれ伝わるだろうし、下手に情報を止めようとすれば、生存協会と隠れてコンタクトを取ろうとする人間が出るかもしれなく、それは避けるべきだと思っている」

 シュナウドの言葉に、二人は驚きを隠せなかったが、アネットはそれと同時に夫婦が無事なことを喜んだ。

「そうだったんですね。でも、何故私たちにこんな話を?」

「君たちがウルフと話していたのを聞いていてね、アネットは情報共有に賛成のようだったから、話をその方向にまとめる手伝いをして欲しいんだ。それに……」

「生存協会から来た人間が分かっているなら、監視すればいいんじゃないですか?」

 リョウがシュナウドの話を遮ってそう告げた。

「……さっきも言ったように、人員交換のことは明かしていない。無駄な争いは避けるべきだからね。それに、元生存協会の人間は一人や二人じゃない。それにね、生存協会から来た人間はそんなに警戒はしていなくて、生存協会に移ろうと考えている人間が勝手に生存協会とコンタクトを取ることを防ぎたいんだよ」

「……なるほど、分かりました」

 リョウはそう言うとゆっくり頷いた。

 そのとき、会議を行っていた部屋から大きな音が聞こえてきた。

「助かるよ。……それで、リョウに遮られた話をしたいんだけれど、どうやらとなりが大変なことになってるみたいだね。会議を再開するから、また明日来てもらってもいいかな? よろしく頼むよ?」

 シュナウドは話を切り上げると、喧嘩を止めに向かった。

 リョウはシュナウドの話を遮ってしまったことに、バツが悪そうにしていた。

(生存協会のこととなると、やっぱり色々思うところがあるんだろう)


 会議は夜まで続き、なんとか着地点を作ることができた。

 ①ゾンビ犬の情報を共有すること。

 ②こちらの被害を伝えないこと。

 ③同盟は前向きに考えること。

 という結果となった。

 アネットは何とか話がまとまったことに安心したが、どんな結果であれ生存協会に有利な状況が生まれるのだと感じていた。

 生存協会がゾンビを作っている可能性は今まで誰にも話してこなかったが、明日シュナウドに会った時に話すことを決意した。


  *


 家に帰り食事を作っていると、サクラがパグに噛まれた足を舐めてきた。

「もうサクラ、だめっ!」

 アネットはそのくすぐったさに、笑顔でサクラを叱った。

(……あれ? サクラに舐められて、くすぐったい?)

 そんなはずはないと思ってサクラを見るが、サクラはいつもと変わらぬ様子である。アネットは恐る恐るサクラの頭を撫でた。

 ゾンビに触れれば健康を害してしまうのではないかと思い、基本的に他人と触れ合わないようにしてきたアネットは、初めてサクラに触れた。

 サクラの体毛が、アネットにはとても柔らかく感じられた。サクラは尻尾を振りながら、アネットを見上げている。

 ――サクラがゾンビになっている。

 アネットの焦りをよそに、サクラは尻尾を振り続けていた。

(サクラがゾンビ犬に噛まれた? いつもと変わらない様子に見えるけれど、サクラが人間を襲わないようにしないと)

 アネットはサクラを抱きかかえた。そのとき、家の外から住人の声が聞こえてきた。

「おーいアネット! 墓参りに来たんだが、ニワトリが逃げてるぞ! うわっ、痛ぇ! こいつ、突ついてきやがった! あー、血が出てやがる……」

 不死戦線の面々は見当違いをしていた。

 ゾンビ犬が噛んだのは、人間だけではなかったのだ。

  

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