第15話 ガイヤの秘密

 瑠璃と航輝が高校生になって、初めての夏休みが始まった。弓道部1年生の念願が叶い、伊達先輩は、試験後も教え上手な先輩でいてくれた。


 弓道部の練習は、夏休みに入ってからは、早朝7時からか、夕方15時となっていた。


 その日の弓道部の練習は、午後からだった。瑠璃は、朝早く起きて、ランニングをする。40分ほど走って、少し小高い場所にある公園に到着した。この公園からは、天気のいい日には、富士山が見えるのだ。瑠璃の大好きな場所だ。


 今日も天気が良くて、富士山が見えた。瑠璃は、息を整えながら、富士山を眺める。遠くに、ぽちっと見える富士。

「今日も、よろしく」心の中でつぶやいた。


そして、公園の奥まった場所に移動した。ここは、木々が生い茂っていて、木陰が多い。木の葉の隙間から、夏の朝の綺麗な日差しが差し込んでいる。


瑠璃は、ベンチに腰掛けた。そして、すうっと息を吸い、静かに目を閉じた。座っているベンチの感触。足の裏の感覚。鳥の鳴き声が聞こえる。木の葉が薄い風に乗って、静かに揺れているのを感じる。


人の足音と、犬の爪が、土を蹴る小さな音。シャシャシャシャ……小刻みに音が響く。誰かが犬の散歩をしているのだろう。


 もう一度、大きく息を吸う。さらに耳を傾ける。街のざわめきを感じる。風に乗って、遠くの車のエンジン音が聞こえる。自転車の車輪が、風を切る。アスファルトを歩くいくつもの靴の音。


 公園の周りの家から漏れる人の気配、朝食の匂いがうっすらと流れている。


 瑠璃は、それらの感覚を、静かに全身で感じていた。


 どのくらい経っただろうか。


 ふわっと頬に何かを感じた。風じゃない――。ゆっくり瑠璃は目を開けた。


 目の前には、いつか見た白っぽい黄金の光が広がっていた。美しい色が流れるように輝く。今回は、柔らかい黄色が特別綺麗だ。


 そんなことを思って、ぼんやり眺めていた。


「航輝くん、こんなところで人間の身体、放棄しちゃだめじゃない。誰からに見られちゃうよ」

 

 返事がない。


 瑠璃は、また目を閉じて静かに周りの音に耳を澄ませた。


 いつの間にか、瑠璃は光の中にいた。この光の中は心地がいい。


 すると、瑠璃の身体の中に、柔らかい音が響いた。ハープのようなバイオリンのような余韻が膨らむ音だ。


「ここで会うのは、初めてだね」航輝の声が、優しいメロディーのように響く。

「うん、そうね。私のお気に入りの場所よ。時間があれば、ここでこうやって、静かに座るの」

「瞑想というやつかな?」

「瞑想とまではいかないかも。ただ、周りの音に耳を傾けているだけだもん。どっちかって言ったらマインドフルネスに近い感じじゃない?」

「そういえば、流鏑馬を見に行った時、糺の森で同じようなことをしていたね。どんな音が聞こえるんだい」


 瑠璃は、具体的に聞こえる音を伝えて、さらに、感じる音のことをイメージを使いながら航輝に説明した。

「音は、聴こえるだけじゃなく、感じる音もあるのかい?」

「なんともいえないんだけど、そう思っている」

 そして、子供の頃、両親としたスケッチのことを説明した。


 両親と旅に行ったり、どこかに公園などに遊びに出かけると、よくお絵かきをした。その時、周りから聴こえる音や感じるものをスケッチブックに描くのだ。


 鳥の声が聞こえたら、鳥を。飛行機が飛んでいく音が聞こえたら飛行機を。救急車のサイレンが聞こえたら、救急車を描いた。時折、お菓子を食べながら歩く子供のチョコレートの匂いもした。それも描いた。


 鳥の声は、いろいろ違って聴こえる。その違って聴こえる声を、描きわけているうちに、感じる音もあると思った。


「最初はね、どうしていいかわからなくて、両親に相談したの。そしたら、声をもっと想像してごらんって。その鳥の声からして、その鳥の体は大きい?小さい?声のトーンは、どんな感じかな?ギザギザに感じる?丸っぽく感じる?鳥の形にとらわれず、感じたことを描いてごらんって言われたの。それから、変わったみたい」

「そうか、人間はそうやって聞き分け、感じるのか」

 航輝がつぶやいた。それを聞いて瑠璃は、ちょっと首を傾げた。

「あのね、人間が全部そうだかはわからないの。実はね、秋になると日本では虫が鳴くのね。虫の音って綺麗なのよ。鈴虫って昆虫は、リーンリーンと鳴くの。でも、虫の音をリーンと聞こえるのは、日本人と、ポリネシア人だったかな?その2カ国の人間だけなんだって。他の国の人たちは、雑音にしか聞こえないらしいの」

「聞いたことあるな、それ。多分、現時点の研究では、脳が認識する言語の影響だろうと言われている。ただ、外国で生まれても、母国語が日本語やポリネシア語なら、虫の音を雑音ではなく、音として聞くことができるらしい。逆もありで、日本で生まれても、母国語がその二つの言語以外なら、虫の音は雑音にしか聞こえない」

「さすが、知識の泉、航輝くん!そうだ、航輝くんは、虫の音はどう聞こえるの?鈴虫は、まだ鳴かないから……例えば、セミは?」

「ミーンミーンだろ」

「あれ?わかるの?」

 航輝が笑ったのか、光の中がサーモンピンクに変わった。

「バカにしているのかな、瑠璃くん?」

「そんなことはないけど、ずっと使い回している身体でしょ?脳も、いろんな言語が混ざっているのかと思ってね」

 瑠璃が、ちょっといたずらっぽく、笑いながら言った。すると、瑠璃と航輝の周りをサーモンピンクの光が粒になって飛び跳ねていた。


「風鈴の音は、もう聞いた?」

「なんだ、突然?」

「日本人はね、風鈴の音を聞いて、涼しいと感じるの。私の家族全員が好きなTV番組でやっていたのだけど、それは『脳の錯覚』と言っていたわ。虫の音は、脳の錯覚とは違うかもしれないけど、日本人は虫の音を楽しむ文化を持つの。まだまだ、航輝くんがびっくりすること多いかも」

「茶の湯かな?興味はあるな」

 それを聞いて瑠璃は、とても嬉しかった。すると、二人の周りの光の様子が、また変わった。静かに輝く薄いラベンダー色が泡がたくさん溢れ出てきた。


「そうだ、この前、意識を集中するのが難しいって言ってたでしょ。私がしている『瞑想もどき』オア『なんちゃってマインドフルネス』をやってみたら?」

「どう言うことだい?」

「航輝くんは、身体を使わなくても、そのものの本質を捉えて、感じることができると思うけど、人間には、五感があるわ。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。身体を通してしまうから、航輝くんが感じているものとは違うかもしれないけど、それはそれとして、人間の感覚を味わってみたらどうかな?――脳の錯覚だろうと言われそうだけど」

 瑠璃がちょっといじけ気味に伝えた。すると、瑠璃の周りで、小さなシャボン玉が、ポポンとたくさん弾ける感じがした。多分、航輝が笑っている。

「言わないよ、そんなこと。それに、人間の身体感覚は、脳だけが支配しているわけじゃないよ。脳の反応だけと判断するには、不可能な動作や反応を人間はすることがある。それは、もうその世界で常識だ」

「よかった。じゃ、少し感覚の使い方を試してみたら?私も一緒にやるし」

「じゃ、人間の身体に戻る」

 すると、光が徐々に弱まり、少し周りに硬さを瑠璃は感じた。そして、やはり足元からさらさらと何かが登ってくると、ベンチに座っている自分を認めた。


 横を見ると、私服姿の航輝が座っている。

「おはよう。ここで会うのは初めてね。よく来るの?」

「おはよう。ああ、ここは波動が良くてね。ここで生活を考えたのもこの場所があるからだ」

「私、子供の頃からここによく来るのよ。このベンチで、聞こえてくるものをスケッチしたりしてたわ」

「君の波動がこの場所を心地良くしているね」

「そうなの?考えたこともなかったわ。さあ、航輝くん、早速始めよ。目を閉じて、聞こえてくる音を捕まえて」

「わかった」瑠璃は、航輝が目を閉じたのを確認して、自分も目を閉じた。だが、すぐ目を開けた。

「あっ、そうだ。今、朝食の時間だからもしかして、嗅覚の方が早く働いちゃうかも。それなら、朝ごはんはなんだろうって考えてね」

「そうか」

「うん、香りの刺激が脳に届く速度って0.2秒くらいなの。だから、音より先にそっちが優先になるかもってこと」瑠璃は、こんなことは、航輝の方がよく知っているのを承知で伝えた。

「わかった――」そう答える航輝が、何か言いたげだ。

「何か、疑問ある?」理詰めで反撃されるのではないかと、恐る恐る瑠璃が聞いた。

「食べ物の香りが、わからん。だから、心配ないと思う」

それを聞いて瑠璃は苦笑した。

「OK、OK。とにかく、目を閉じて、夏の朝を感じましょ!」


 瑠璃は、航輝は今で身体の機能を使わずに生活してきたんだと考えた。実際、必要なかったのだろう。見たり、聞いたり、触ったりすることは、また、そうできることは自然なことだと思ってきた。でも、航輝と一緒にいると、そうではないことを知ることができる。一つ、一つの身体の機能を確認しなければならない。


 赤ちゃんもこんな感じなのかな?ふと瑠璃は思った。


 航輝くんの場合、知識がある分、難しそうだけど……。


 静かな時が流れる。木の葉が、夏の日差しに当てられて、夏の香りを醸し出す。かすかに聞こえる、子供の声。兄妹喧嘩かな?瑠璃は、この大切な時間を楽しんでいた。


 突然、全ての音が無くなった。


 胸が痛い。そして、深い深い藍色に包まれた。誰か、悲しんでる。それもすごく。瑠璃は、顔をしかめた。苦しい。


 ずっとずっと前に、とてもとても遠いところで、起こった出来事。それが、忘れられない。忘れたくない。


 瑠璃の頭の中に、響くその言葉は、美しいが絶望を表している。


「大丈夫か、瑠璃くん」

 航輝の声で、ハッと目を開けた。瑠璃の顔を覗き込む、航輝の顔がある。冷や汗をかいている。なんだったのだろう、あれは。

「うん、大丈夫。ちょっと不思議なことが起こって」

 航輝に、今起こったことを説明した。

「顔色が悪い。少し、身体を離れよう」


 その言葉を聞き、瑠璃は気を失った。


 目が醒めると、ふわふわした空間にいた。

「航輝くんの光の中だ。よかった」瑠璃は、ホッとした。

「目が覚めたね。よかった」

「ありがとう。ごめんね、体調悪くなかったんだけど、どうしたんだろう」

「いや、私が悪い。私の記憶の一部が君に伝わってしまったんだ。私たちの記憶とは、エネルギーなんだ。人間の身体には、強すぎるものでね、それを君が感じ取ってしまったらしい」

 瑠璃は、不思議に思った。すると、航輝が続けた。

「君の言う『瞑想もどき』を、私と一緒にしただろう。それで、空間を地球上で共有してしまったんだ。悪かった、もう少し私がコントロールすべきだった」

 瑠璃は、まだちょっとぼおっとしている。航輝の言っていることが、わかるようでわからない。

「じゃ、ここは、地球じゃないの?航輝くんと私、今一緒の空間にいるよね」

 航輝が瑠璃の言葉を聞いて、安心したのか、二人を囲む空間がパステルグリーンの変わった。

「ここは、単に空間だ。それがどこにあるかを聞かれると、なんとも答え難い。地球上であって、地球上ではないとでも言っておこうか」


 なんだそれは?


「でも、あの藍色のものが、エネルギーならすごい。あんなに強いエネルギーを航輝くんは、持っているのね。びっくりだわ」

 記憶の一部というからには、他にもたくさんあのエネルギーを持っているのだろう。どれほどのエネルギーの塊なのか、想像もつかない。瑠璃は、思った。


 航輝は、多分瑠璃の気持ちをわかっているが、なんの反応もない。


 説明のつかないことなのだろうと瑠璃は思った。本当はもっと聞きたいけど、その力が出ない。今は、何も考えず、このままゆっくりと漂っていたい。そう思って、また目を閉じた。


 次に目を開けた時には、身体がものすごく軽かった。っていうか、淡い黄色に包まれているから、航輝の光の中だろうということはわかった。


「今度こそ、大丈夫そうだね」ハープのような航輝の声が、響く。

「うん、大丈夫よ。あぁ〜、びっくりした」

「申し訳ない。今度は気をつけるよ」

「それは、そうと、聴覚を意識できた?そのための瞑想もどきだったのだけど」

「まぁまぁだろう。人間の機能を知るには、いい練習だ。面白いよ」

「よかった。そのうち、嗅覚や味覚も挑戦しようね」

「ありがとう、瑠璃くんには感謝するよ」

 航輝がそういうと、周りがゆっくりと流れた。まるでオーロラのようだ。

「なんか、周りの景色が、オーロラみたい。素敵」

「オーロラか。瑠璃くんは見たことあるのかい?」

「うん、アイスランドで見たわ。綺麗だった。何度でも見たいわ」

「じゃ、今日のお詫びに、今からオーロラを見に行こう」

「え?今から」

「大丈夫、いつも通りだ。同じ時間の同じ場所に戻ってくる」

 瑠璃は、戸惑った。航輝にはその戸惑いがわからない。そのまま、オーロラを見に、二人で空間を飛んだ。


「オーロラ綺麗」瑠璃が、呆然としながら言った。

「そうだね、私も美しいと思うよ。8月でも、アラスカならオーロラを見ることができる」

「それは、よくご存知で……」

 珍しく誇らしげな航輝を前に、瑠璃は、泣きそうだった。

「どうした、瑠璃くん?嬉しくはないのか?」

「嬉しいけど、寒いのよぉ〜」瑠璃は叫んだ。


 そりゃそうだ、夏の日本から、そのまま空間を飛び越えた。ランニング姿のままだ。


 航輝は、思い出した。瑠璃は、人間だ。

 すぐ、暖かいコートを空間から取り出した。

「死ぬかと思った……」

「ごめん、本当にごめん」

「ところで、航輝くん、人間のままだけどは寒くないの?」

「ああ、温熱感覚もあまりない」

「――その感覚も、訓練しましょう、日本に帰ったら、すぐによ。私、命がいくつあっても足らなくなっちゃう」


 瑠璃は、航輝の方も見ずに、有無を言わさぬ語調で言い切った。

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宇宙の夢、地球(ガイヤ)の恋 入江さな @novelsana

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