9.魚の歯

 イネイは書庫の中に入るのは初めてだったため、その広さと深さに面食らった。見たことはないが、物語で出てくるクジラという生き物の腹の中のようだ。もしくは、巨大な巻貝の如く、下まで階段が続いている。そして一つ一つのフロアが、膨大な数の本棚に占拠されている。元々書庫は閲覧目的ではなく、保存管理が目的だ。閲覧用の開架の本棚は人が二人すれ違えるほどの間隔があるが、書庫では大人一人がやっと通れるくらいの間隔しかない。さらに、照明も必要最低限といったところで、全体的に薄暗かった。とにかく詰め込めるだけ本を詰め込んだという印象で、これにはイネイも探すのに苦労しそうだ。司書は書籍のある場所の見当がついているのだろう。もう本棚から何冊かの本を選び取っていた。急がなくては、とイネイは焦った。司書と一緒に書庫を出なければ、ここに閉じ込められてしまう。


 フィラソフはイネイが史料を探している間、レカルストに関する書籍を選んで机の上に積んだ。レカルストの分布域についての調査書。レカルストの実の効用を記した医学書。レカルストの実を用いた薬膳料理の指南書。フィラソフが座った机の上には、あっという間に本が積み上げられた。そして、席に着いたフィラソフは軽く息を吐き出して、一冊の本を手に取った。そして、最初から最後までパラパラとめくった。この要領でフィラソフは、次から次へとあらゆるレカルストについての知識を得る。その速読術は、アスコラクでさえわずかに目を見開いたほどだ。


 司書は両手に抱えるようにして、書籍を持って書庫から出てきた。司書がフィラソフの机にそれらの書籍を運ぶまでのわずかな間に、人間の姿になったイネイが数冊の本を抱えて、図書館に走り出ると、そのまま本棚の間に隠れた。


「貸し出しは出来ませんので」


そうフィラソフに言ってから、司書は書庫の鍵を閉めた。司書がカウンターに戻ると、イネイは本棚の間から出てきて、フィラソフに史料を手渡した。イネイは蝶の姿に戻り、フィラソフの耳の後ろに隠れ、一緒に古い史料を読み始めた。書籍が古いため、先ほどのように雑にめくることができず、フィラソフは丁寧に一枚一枚ページをめくった。イネイは文字を読むことができなかったが、描かれた挿絵や図から、大まかな内容を知ることができた。フィラソフが初めに開いたのは、レカルストの原種が現在の種になるまでの経緯を詳しく書いた歴史書だった。その内容は衝撃的で、気味の悪いものだった。


「これは……」


イネイもフィラソフも、そのページに釘付けになり、青ざめた顔で言葉を失った。大地の中の骸骨から、可憐な花が咲いていた。宗教画としては、人間から生える樹木のモチーフは珍しくない。人間から樹木が生えている絵には、神や権力の正当性が描かれている。つまりは、樹系図をまさしく樹木として描いているのだ。しかし、これは宗教画ではなく、歴史書である。その上、鏡ふきの前は画家をしていたフィラソフでさえ、骸骨に花が咲く絵は見たことがなかった。


「これを西の植物学者・ピシャ=パスチェが西の大国に持ち帰って、品種改良して、今のレカルストの木があるというわけか。しかしこれも、首狩りには結びつかないな」


(いや、待て。もしかして、これは)


フィラソフの脳裡に、アスコラクとイネイの会話が思い出された。




『ここの魚の歯は、肉を食うために鋭くなっているわけではない。固い木の実を食べるためにこうなっているんだ』

『結果的に落ちてきた小動物を食べられるようになって、肉食魚になったんだから同じでしょ!』




「そういうことか。イネイ、アスコラク。至急ガレートに戻りたい」


フィラソフは椅子も引いたままにして立ち上がった。積み上げられた本もそのままに、三人は足早に大聖堂の脇の小道に入る。アスコラクは人間の姿をしている時には、人間の記憶に残らない。一方、悪魔の姿をしているときのアスコラクは、他人の記憶に残ってしまう。それはアスコラクの従者も同じだ。


 アスコラクはカーメニに来た時同様に鎌で空間に傷を作り、従者を引き連れてガレートに戻った。ガレートは夜だった。イネイはアスコラクの耳の裏に移動して、眠りこけていた。


「何か気づいたのか?」

「初めから、気になっていたことだったので」

「では、結論を聞こう」


フィラソフは、「レカルストの原種は、ここガレートにのみ自生していた固有種だ」と説明を始めた。アスコラクは黙ってそれを聞いていた。


 ガレートでレカルストの実が万能薬として発見され、西の大国は浮足立った。原種の実は、本当に万能薬として重宝されていたようだ。西の植物学者指導の下、ガレートに住む人々に、レカルストを育てさせ、実を収穫させ、運搬させた。ガレートはレカルストの一大産地となったが、植物学者はレカルストの原種を持ち出し禁止とした。


「待て」


アスコラクが片手をあげて制する。


「何故、持ち出し禁止にしたんだ? 自分たちの手の届く場所に育てた方が、都合がいいだろう。現に、今では世界中に見られる」


フィラソフは吐き気をもよおしたように、青ざめた顔に、片手をあてがった。そして、意を決したように、アスコラクに問う。


「冬虫夏草を知っていますか?」


アスコラクは軽く頷く。


「ああ。虫に寄生する菌で、薬としても用いられるあれだな?」




「はい。その通りです。レカルストの原種は、種を動物に寄生させて遠くまで運ばせ、発芽するんですよ」




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