8.大聖堂図書館

「そうですね。確率が低いとしても、何らかの記録があるかもしれませんので、カーメニの大聖堂図書館へ」


その場所を聞いて、「えっ」と小さく声をあげたのは、イネイだ。そこはイネイにとって故郷であり、アスコラクと共に自分の処刑記録を見に行った場所だ。良くも悪くも、イネイにとっては思い出の場所である。


「私、案内するわ!」


胸を張るイネイに、アスコラクは黙って顎を引いた。


「でも、どうしてカーメニだと思うの?」


今度はフィラソフの前に、イネイは静止した。フィラソフはイネイにも紳士的な笑みで答える。自分がイネイに対して不満を持っていることなど、おくびにも出さない。


「一度も戦火に見舞われなかったのがカーメニですし、西の図書館ではそこが一番巨大な図書館です。もしも西の闇が眠っているなら、そこの書庫と考えたのです」


アスコラクも鼻を鳴らしてうなずく。


「五百年から六百年前の資料くらいは、残っているだろう」


これにフィラソフも頷く。イネイはアスコラクとフィラソフは似ていると思った。一方は悪魔で、一方は鏡ふき。一方は肌は褐色で髪は黒く赤い服、一方は白い肌に青い瞳でゆったりとした古い服。しかし、その頭の中身は知識と教養であふれ、考え方も似ている。ただし、生前のフィラソフの所業は、けして許されるべきではない。鏡の術により、不老不死となっていたのだ。しかも、天使を自らの手で造ろうとして、自分を愛してくれた女性を犠牲にしている。この大罪によって、フィラソフはアスコラクに首を狩られたのだ。頭の良さも使いようだ。イネイは頭のいい二人に、どこか肩身が狭くなるのを感じたが、年代を特定したアスコラクに、さすがのフィラソフも思わずきき返していた。


「何故、その年代だと?」

「お前は老婆の曾祖父の話を聞いたといった。そして、曾祖父の時代にはもう昔話として伝わっていた。そしてこの辺りの人々は史料を、文字を持たない。この二点からの推測だ」


昔話が史実より劣るとは、アスコラクもイネイも考えていない。イネイは文字が読めないが、文字社会において不利になることが多いというだけの事だ。むしろ文字社会に生きていたフィラソフが、こうした思考に注意するべきだ。しかし、誰が何を「昔話」だと認識しているかは、とても重要だ。フィラソフは話していた老婆が、長老と呼ばれていたと言った。つまり、この社会において、より多くの「昔話」を知る立場にあると予想される人物だ。その人物の「語り」であるならば、その「昔話」を過去の記録ではなく記憶として、考えてもいいとアスコラクは踏んだのだ。しかも、ガレートには西の大国という文字社会に、かつて植民地化されていたという事実がある。


「行くぞ」


そういうや否や、アスコラクは刀を抜き放ち鎌に変えると、空間に一閃した。アスコラクとイネイ、最後にフィラソフがその空間の切れ目をくぐると、切れ目はなくなった。


◆ ◆ ◆


 三人が出たのは、大聖堂の脇にある小道だった。ずっと曇り空で湿潤な場所にいたため、太陽がまぶしく、また乾燥している空気が心地よかった。カーメニの小道は、さながら迷路だ。複雑に入り組み、外から来たものを圧倒し、引き付ける。フィラソフは大通りに出て、石畳の上を歩いた。東にはなかった西の繁栄ぶりに、フィラソフは、得も言われぬ高揚感と幸福を味わった。石畳で舗装された道や、大聖堂を中心に放射線状に広がる主要な道。整備された石の家々は、本当に箱庭のようだ。東はここを目指したのだ。フィラソフは感動していた。大聖堂の正面に来ると、大きくて荘厳なバラ窓が見えた。屋上に並んだ尖塔は複雑な文様が細部にまで施され、まるで今にも雲一つない青空に、徐々に吸い込まれて行ってしまいそうだった。

 イネイはアスコラクの耳の後ろに隠れて、先に大聖堂の中に入る。フィラソフもそれに続いた。バラ窓はステンドグラスになっており、その横や天井には宗教画もあった。フィラソフはその荘厳さに絶句した。暗いとばかり思われた聖堂の中には、様々な色の光が滝のように降り注ぎ、陰影を伴って、複雑な文様を床に投げかけていた。その光の中に一歩踏み出せば、そのまま天に召されるかと思うほどだ。これほど見事な建築は、東では見ることができない。

 アスコラクはイネイの指示に耳を傾けながら、珍しく辺りを見回すフィラソフを見ていた。


「こっちだ」


アスコラクは見かねてフィラソフを呼んだ。そのままにしておくと、フィラソフがその場から離れないことは目に見えていたからだ。フィラソフには悪いが、仕事でここにいるのであって、観光ではない。イネイの指示に従って、廊下を進む。やがて、宗教色一色だった大聖堂を抜け、事務的な廊下に出る。これにもフィラソフは驚いているようだった。宗教的な空間が、事務的で公的なものと文字通り繋がっているのだ。


「いきなり学校か病院のようですね」


楽しそうに目を輝かせるフィラソフは、好奇心旺盛な子供のようだった。イネイやアスコラクには既視感のある建物も、初めてくる人間には面食らうことも多いだろう。フィラソフはそれだけ、人間的なのだ。


 図書館のプレートを確認し、司書に目を向けた。フィラソフはその本の多さと、行き届いた管理に目を見張っているが、アスコラクは構わずに目に入った司書に声をかける。


「古い資料を探している。六百年ほど前の植民地の資料だ。ここで閲覧可能か?」


司書はアスコラクを前に緊張しながら、たどたどしく答える。


「はい。しかし、そんなに昔のものを何故?」


アスコラクはどう見ても、学生や研究者には見えない。ここで警戒されて、追い出されてはならない。もしくは司書に言い逃れさせてはならない。もしも西にとって見られたくないものならば、それは本当に必要な情報だ。書庫のドアさえ開閉させることができれば、イネイがその隙を見て書庫に侵入し、資料を持ち出すこともできるだろう。ここで、フィラソフの出番だ。フィラソフは元々が画家だ。そこから鏡ふきになり、研鑽を積んできた。東西の歴史にはフィラソフなら詳しく、見た目も若いため、学生と言っても通じるだろう。


「彼が、レカルストの歴史を論文にしたいっていうんだ」


アスコラクはフィラソフを司書の前に押し出し、自分はいかにも付き添いで来ているという雰囲気を作る。フィラソフも、すぐにその雰囲気を察し、自分の立場を理解した。


「すみません。古い資料も見てみたいんです。先生に聞いたらここが一番資料を持っていると言われて」


柔和で知的な笑みを浮かべ、大学の「先生」という公的で社会的権力のある立場からの紹介だということや、「一番」という言葉で、巧みに他人の心をフィラソフはくすぐった。さすがは口説き上手と言うべきか、他人の懐に入る術を自然と身につけている。その証拠に、対峙していた司書の男も、少し胸を張って咳払いをしてから頷いた。


「レカルストの古い資料ですか。分かりました。おそらくそのくらい古いと書庫ですね。今探してきますので、少々お待ちください」

「助かります」


司書はカウンターの机の抽斗から鍵を取り出し、席を立った。アスコラクは小さく「イネイ」と呼んで命じる。イネイは蝶の姿のまま司書の頭上を飛んで、司書より先に暗い書庫の中へ入って行った。


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