4.花の戦争
月と篝火の光だけで、味方と敵を区別する。相手のリーダー格だけは赤い仮面を着けているが、他の戦士は黒かった。一方、ガレートのリーダー格の男の仮面は青く、それ以外は白かった。いずれも、リーダー格の仮面は大きく、赤い仮面は目や鼻、口や耳は、面に付けられた突起で表現されている。それに対して、青い面はやはり他の仮面よりも大きく、目や鼻や口や耳は、窪ませて表現されていた。赤い仮面にも青い仮面にも、それぞれの由来があり、それを知識として共有する長や時期長候補たちが、各村でこれらの仮面を継承している。
月明かりの下で、棍棒が相手の盾にぶつかる音が鈍く響き、粗野な刀が肉を切り裂き、血が迸る。男たちは獣のような声を発しながら、ぶつかり合う。プロトは後方に控える弓兵だ。吹き矢の名手たちと共に、リーダーに近づく敵を、プロトは何人も射殺した。この戦は、ガレート側のリーダー格が殺されるか、敵のリーダー格の首を取るかしないと、終わらない。首狩りの戦を行う部族は、この辺りでは珍しくない。しかし、その歴史を最も長く持ち続けていると言われるのが、ガレート族なのだ。だから周辺の民は、ガレート族を「首狩りの民」として恐れていた。そして、ツベトクバイナーが雨季に行われることから、周辺の民に緊張感をもたらす。
不意にプロトの足元に毒矢が立て続けに刺さり、耳元を毒の吹き矢が掠めていった。
「ああっ!」
プロトはこれに動揺し、二歩、三歩と後退した。情けない声と酸味のある腹の中の物が、同時に喉をせりあがってくる。いつの間にか、冷や汗が噴き出し、恐怖に震えていた。プロトは逃げ出したくなった。それは反射的であり、本能的だった。プロトは死が身近にあった分、戦を甘く見ていたのだ。
ガレートでは死者が出ると、全ての村人が喪主の家に集まり、死者と対面して花を手向ける。プロトも幼いころより、多くの死者に花を手向けてきた。老若男女。老衰、病気、事故、自殺。様々な人々が、様々な理由で死んでいった。プロトにとって死は、その人が過去になっていくことだった。しかし今、死にかかっているのは自分自身だ。自分が過去になることを、プロトは考えもしなかったのだ。そして成人したばかりのプロトには、人間を殺す覚悟が決定的に欠けていた。人を殺すということは、その人の全てを背負うことに他ならない。殺した相手の人生はもちろん、家族、恋人、友人の人生全てだ。そんな重大な責任を持つことを、プロトは考えもしなかった。自嘲で、プロトの顔は醜く歪んだ。自分がサマンに言われたことを、今になって思い知ったのだ。どれだけ自分が浅はかで、大口を叩いたのか。相手の弓兵たちも流石の手練れだった。狩猟では毒を木の樹液で固定して、矢じりを本体の棒状の木に糸で固定する。しかし、人間を相手にするときは毒を用いてはならない。特に、ツベトクバイナーでは、お互いが村を代表する戦士なのだから、毒矢を使うことは卑怯であり、自分の戦士としての面子に傷がつくとされていた。
そんなプロトの足元に、また矢が刺さった。今度こそプロトは立っていられず、尻餅をついた。次には空中で軽く乾いた音がして、何かが弾けた。見かねた味方が、今度こそプロトの胸を射抜こうとしていた矢を、払い落としてくれたのだ。もし、誰にもそんな余裕がなかったら、プロトは今頃死んでいた。プロトは息も絶え絶えだ。月明かりがあるとはいえ、こんな暗くて距離もあるのに、正確に相手の心臓を射抜く矢を射るとは、恐ろしい。自分にはとてもできないと、プロトは戦意を消失していた。
「立って弓を引け! それでも男か⁉」
そう叱咤され、プロトはよろよろと立ち上がり、震える手で弓を構えたが、膝がすでに笑っている。もちろん、弓をつがえることも、相手に焦点を合わせることもできない。そんな時、群衆の中から、一際大きな歓声が上がった。誰かが赤い面の首を掲げている。ガレートが勝利を収めたのだ。そして、やっと花の戦争は終わったのだ。プロトはあまりの安堵に、その場に崩れ、四つん這いになった。何もできなかったのに、玉のような汗をかいて、肩で息をしていたが、やがて気を失った。
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