2.全ては一から

 西の大国が、先住民であった彼らとその土地を、「ガレート」と呼んだのだ。一説には「ガレート」の「ガレ―」というのは、元々ガレート族の言葉における「人間」を指していたとされるが、文字を持たないガレート族にとって、確かな情報ではない。「ガレ―」の後についた「ト」は、西の大国の「場所」を表すとも言われている。しかしこれも、もう確かめようがない。しかし、西の都市や町には「サセート」や「ナチャート」のように、最後に「ト」と発音するため、「ガレート」もそうした一部であるという説は成り立ちそうだ。ここには西の植民地だった名残が、今でも根深く残っている。彼らはガレート族と呼ばれ、多数存在する諸民族から恐れられている。


 何故、ガレートが他から恐れられながらも、あっさり植民地となったのか。また、勇猛な戦士ぞろいのガレートの民が、何故抵抗なく西の植民地になったのか。それは、ガレート族に、身分制度における上下関係の概念がなかったためだと言われている。今も、ガレートには「国」という概念も、「王」という概念も存在しない。もちろん、政治的な言動を行い、他民族、他部族と交渉する「長」は存在するが、それ以外で「長」を持ち上げることはない。サマンも、儀礼や祭祀の時には集団の中心的人物となるが、それも限られた間だけの役職だ。では、何故ガレートには「国」や「王」が存在しないのか。それは彼らが、「悪いものは一から生じる」という観念に基づいて生活しているからだ。彼らにとって「国」も「王」も「一」である。だから彼らは、強大な指揮権と指揮系統によって組織された西の大国の軍に、あっという間に制圧されてしまったのだ。


 もちろん、ガレートの長い「歴史」の中で、カリスマ性を持った強靭な「長」が存在し、その「長」によって人々が一つにまとまり始めたことは、過去にもあったという。しかし、その時こそサマンの出番だった。ガレートが「一」になり始めた時には、サマンが人々を旅に誘うことになっている。そして人々の心が「一」から離れると、再び集落に戻ってきて、今まで通りの生活を行うのだ。西の大国の人々は、国と王を前提としていたため、ガレートのこの奇妙な信仰と行動を理解できなかっただろう。結果的には植民地化に成功したものの、複雑怪奇に見えるこの旅について、西の学者を悩ませることになった。しかし、学者もバカではない。学者たちは、自分たちが当然としている国や王は、普遍的な物ではない事に気が付いたのだ。つまり、今までの「村から国へ」とか、「長から王へ」とかという観念が、全く通用しないところもあるのだと気が付いたのだ。


 サマンが遠い過去に思いをはせた時、そこら中から小石を投げつけたような音が鳴り始めた。大粒の雨が、地面や鬱蒼と茂る木々の葉を叩き始めたのだ。地面を強く叩く雨粒が、世界の色を一段と濃く変えていく。様々な植生に富んだこの地は、西の植物学者たちはもはや「森」とは呼ばなかった。植物を専門にしている彼らであっても、分類できない動植物の宝庫であったこの森を、西の植物学者は畏怖の念を込めて「ジェルトバ」と呼んでいた。確か、犠牲がつきものだということを意味しているはずだ。


「花の戦争が、始まる」


天を見上げたサマンの顔を、次から次へと落ちてくる雨粒が濡らしていく。長いまつ毛に、端正な顔立ち。その顔は他の国で見ればさぞエキゾチシズムなものと映るに違いない。濡れるに任せたサマンは、雨粒に打たれながら、そっとその目を閉じた。その頬を、大きな雨粒が流れ落ちる。雨音に混じって猿や鳥が騒ぎ始めている。仲間を守ろうと、遅れているものに避難を促しているのだろう。


(動物は助け合う。でも、ここの人々は……)


サマンはゆっくりと目を開けると、民族文様が施されたポンチョを翻して村に戻った。丸く円を重ねたような文様は雨季の水を表わし、直線の文様は乾季の日差しを表すとされる。そして特殊な色素で染め上げられた深い緑の生地は、この森を表すとされる。もちろん、この色と文様の組み合わせは、染め上がる人や刺繍を施す人によって、個性が出る。また、この人物にはこの文様、この家ではこの文様、というように、人柄や家系によって見分けがつくということも、この民族衣装の特徴だった。パシャパシャと軽い音を立てながら、泥濘の中を走ってくるのは、プロトだろう。今しがた降り出した雨が、もう既にいくつもの大きな水たまりを作っていた。プロトも、雨季の森に留まることの危険性は知っている。何故ならこの森は、雨季になると水没してしまうからだ。そのため、村の家々は皆簡素なつくりの木造二階建てだ。一週間もあれば、家が一軒建ってしまうほどだ。一階部分は雨季に水没してしまうため、何も置いていない家が多い。家の窓から釣りをして魚を得るが、他の物は船を出して狩るしかない。そうは言っても、この辺り一帯の森は全て水没してしまうため、木の実は簡単に手に取れる位置に来る。逆に野生動物たちは、雨季の前に他の地に移動してしまうため、探し出すのは困難だ。よって、大きな動物は姿を消し、肉はリスなどの小動物か鳥のものが大半を占める。


 そしてガレートの人々は、雨季は森の女神と天の神との婚姻の時期だと信じている。だから雨季を終息させるには、森の女神と天の神を驚かせて、両者を引き離すしかないのだ。そのために行われるのが、ツベトクバイナーである。


 サマンは丸くて大きい浅い盆状の器に水を張り、先の尖った葉を一枚浮かべた。外ではまるで天から白い糸を無数に垂らしたかのように、激しい雨が降り続いている。風も音も遮った暗い部屋で、サマンは神経を集中させる。そしてサマンは葉の上に手をかざした。すると盆の中央に浮かんだ葉が、くるりくるりと回り始めた。しばらく回った葉は、先の尖った方を東に向けて静止した。サマンはこれを三回繰り返した。いずれも、葉は東を指して止まった。


「ここから東の村、ですか」


サマンはそうぽつりとこぼして、立ち上がった。閉じていた窓を開け放ち、首から下げていた笛を口にふくむ。そして、こんなことはもう無意味なのに、と思いつつ、笛に思いきり息を吹き込んだ。

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