最終話

 「この子だよ、この子!」

 そう言って大隈はスマートフォンを俺を見せてくる。俺もよく利用している風俗案内サイトであるシティヘヴンネットというサイトのムーンのページであった。そこには水着を着て手で顔を隠したまおらが映っていた。

 俺は角ハイボールの入った杯を傾け、一気に飲み干し。なにを動揺してるんだと自分に冷笑を投げかけ、俺だってそうじゃないかと、ともすれば激情が吹き荒れそうな心に言い聞かせる。

 俺だってそうだ。俺だってまおらを金で抱いていた一人だ。なにも変わらない。まおらは多少やりすぎてはいるが仕事をしているだけだ。大隈だってまおらと俺の関係はなにも知らない。ただ地元に帰ってきてデリヘルを呼んだら良い目に当たった。それを俺に教えてくれているだけだ。

 角ハイボールからアードベッグのストレートに代える。それを見ていた大隈は上機嫌に「いいな! 飲もう! 」と自分も角ハイボールの杯を空け、ラフロイグのストレートを注文した。

 目の前に置かれたグラスを手に取り、鼻に近づける。強い、独特な香りが鼻をくすぐる。少しだけ口に含み飲み込む。まるで線香花火の火を飲み込んだように熱いものが喉を通過し、食道を通過し、胃に落ちるのがはっきりと分かった。

 大隈も顔をしかめながらラフロイグを飲み「やっぱいいなこれ」などと言っている。

 「しかし今日はいい日だ。街でばったりお前に会えるしデリヘルは当たりだし、最高の一日だ」

 大隈は下卑た笑いを浮かべちびちびを舐めるように杯に唇をつける。

 「今日? 今日まおらを……まおらとかいうデリヘル嬢を呼んだのか? 」

 思わず知り合いのような言い方をしそうになったので俺は慌てて言い直し大隈に尋ねた。大隈はそんなことには気が付いてない様子で「そうだそうだ」と首を振った 。

 「ほら、見てみろよ」と再びスマートフォンを見せてくると写メ日記と題されたページが開いていた。

 それはシティヘヴンネットの機能の一つでデリヘル嬢が写メ付きの日記を書くことができるようになっており、主に自分の出勤前の服装や食べたもの等本当に日記のようにとりとめのないことを書いてある。

 そしてそこにお客さんにお礼を書くデリヘル嬢も多い。俺は普段そんなもの見やしないがやっぱりそういうことを書くとリピーターに繋がっていくものなんだろうか。とそんなことを思った。

 大隈が開いているのは当然まおらのページであり、そこには今日の日付で【エルミタージュの福岡からのお兄さん】と題されていた。エルミタージュとはそこそこ綺麗な、街中にあるラブホテルの名前である。

 内容は【福岡からのお兄さん、今日はありがとうございました。お兄さんの話とっても面白かったです。お兄さんはダイエットなんてしなくていいと思うな〜。まおらはしないとやばいけどっ。また今度こっちに来たら遊んでね! ダイエットしたらその成果も見たいしっ】というもので絵文字や顔文字がこれでもかと盛りだくさんに付けてあった。普段は絵文字も顔文字も使いやしないのに……。

 それに今日は俺には佐賀に行ってると言っていたのに出勤してるじゃないか、なんでそんなすぐバレる嘘をつく必要がある。アードベッグの香りが鼻から抜けて、先ほど覚めたと思った酔いが戻ってきた。

 「いい子だろう」と大隈が言う。確かにまおらはいいやつだがこの写メ日記書かれたくらいでいい子認定はさすがに甘すぎるだろうと思いつつも俺は答えずまたアードベッグに少し口をつける。

 「話してて面白いし、顔は可愛いし体はえっちだしデリヘル嬢じゃなかったら彼女にしたいんだがなー」と大隈はぐいっとラフロイグを飲み干し。締まりのない顔で笑った。

 あぁ同感だよ、と思いつつも大隈がまおらを誉めれば誉めるたび俺の気分は沈んでいく。大隈がラフロイグを飲み干したのを見て俺も残りのアードベッグを飲み干した。

 「行こうか」とカウンターから立ち上がる。 

 会計を済ませて店の外に出る。風が冷たく火照った顔を撫でていくのが気持ち良い。空気が澄んでおり息を吸い込むと清々しい気分になる。

 ポケットからタバコを出して火をつける。こんな清々しい空気を肺に入れた後でタバコの煙を摂取するのが一番うまいタバコの吸い方だと俺は知っていた。

 大隈にもタバコを勧めると「メンソールか」と苦い顔をしたものの一本取り、俺は火をつけてやった。

 「さっきの福岡の話もうちょっと考えてみてくれないか? 」と煙を出して大隈は俺の目を見る。そこに酔いの色は感じられない、今大隈は真剣に話している。

 「俺は……」という言葉を遮り大隈は続ける。

 「俺たち大人になったよな。上の連中からしてみりゃそりゃガキみたいなもんだろうけど俺は俺で大人になった。なっちまったって思うよ。なに言ってんだお前って思われるだろうけどさ、いろいろやってきてやっぱ一人じゃできねぇ仲間が要るって思ったね。」

 俺は大隈の話を黙って聞いている。雇われで適当に仕事をこなして金をもらって遊んでいる俺は子供だよと自嘲気味に思うが口には出さない。

 「そりゃ部下はいるけど仲間は居ねぇ。仲間がほしい、そんなときにお前に再会した。これは神の思し召しだ。俺はこういうのを大事にしていきたい」

 言い終わると大隈は名刺入れから名刺を出して「いつでも連絡してくれ」と俺に渡して「じゃあな」と言うと去っていった。

 俺は敗北感に打ちひしがれた。同級生の友達がすっかり一人の大人の男になっていると感じたからだ。俺はどうだと思う。俺は子供だよと自嘲した自分がひどく惨めったらしいものに感じた。名刺を大事に財布に収めると俺はタバコを捨て、家に帰ることにした。


──────────


 大隈と出会って一週間後。

 俺は駅前のファミレスに話があるとまおらを呼び出して彼女を待っていた。

 この一週間、俺は大隈の言葉を噛みしめるように考えていた。心が揺れ動いた。つまらないと感じているホテルバーのバーテンダーから中学時代の友人に協力して福岡でバーテンダーをやる。それは魅力的な提案だった。

 だが俺は地元から離れがたかった。なぜ離れがたいか、まおらが居るからだ。

 俺は俺が思っている以上にまおらにのめり込んでいたようだ。大隈からまおらの話を聞いたとき、確かにショックではあった。ショックではあったがそれは怒りや失望ではなかった。

 それ以上に一緒になりたいと思った。まおらに風俗から足を洗わせて二人で暮らしていきたいと衝動的に思った。それを考えると大隈の話は渡りに船であった、環境を変えてやっていくのは好条件だ。

 だから大隈には了承の意は伝えてある。まおらがついて来ようとついて来ぬまいと俺は福岡に行く。

 そこまで思って吹き出した。なにを一人で息巻いているんだと恥ずかしくなった。まおらにはなにも話してない。彼女がどんな反応をするのか予想がつかない。

 「お待たせー久しぶりだねー」

 気が付くと目の前にまおらが立っていてソファに座りかけていた。

 「あっあぁ、久しぶり」と吃ってしまう俺を見てまおらは笑う。

 「なに緊張してるの? そんなに話って重大なの? 怖くなってきたー」

 「まぁまぁまずは飯食おうぜ」

 メニューを勧める俺に訝しげな視線を向けながらもすぐにこれとこれとこれ食べると宣言をし始めた。俺はもう自分の注文はまおらが来る前に決めてあったので店員を呼び出すボタンを押しながら「相変わらずよく食う」と無意識に呟いていた。

 それを聞き咎めたまおらが「あのねぇ〜」と話し始める。

 「女の子は男が思ってる八倍は食べるのよ。二食べると思えば十六食べて三食べると思えば二十四食べるの!」

 いきなり力説し始めたまおらを目を丸くして見つめるがまおらはそんなことお構いなしに話を続ける。

 「だいたいー! わたくしはこれだけでとか、わたくしは少食ですのでとか、わたくし炭水化物はちょっと……。って言っている女こそ家に帰ったら炊飯器抱えてむさぼり食うようなそんな生活してるもんなんだから! ねっ! 店員さん」

 と、注文を取りに来た店員に話を振るが俺は気にしないでくださいと苦笑いし手早く注文を済ませる。変なお客さんが来たぞと思われなければいいが、いやそれは無理か。

 「あーお腹へったね。私お水もってきてあげる」とまおらが席を立つ、俺はその後ろ姿をじっと見ていた。

 食事が済み、俺はついに話を切り出した。

 「俺、来月福岡に行くことになった」俺がそう言い出すと「へっ? 」とまおらが声を上げて、「本当に?」と続けた。

 「中学時代の友達が福岡で新しくバーを出すんだ。それで俺に声がかかって、俺も良いチャンスだと思って了承した」

 まおらは目を忙しなく動かし、水を少し飲み「良かったじゃん、おめでとう」と棒読みのように言った。

 「そこでなんだけど……」言うぞ言うぞと思うと胴が震える。言うぞ言うぞと心を決める。

 「そこでなんだけど、俺と一緒に行かないか? 福岡」

 まおらはゆっくりとソファの背もたれに背中をつけてたっぷり十数秒沈黙した後「なんで? 」と低い声で言った。

 「好きなんだ」と俺は間髪入れずに言う。

 「まおらのことが好きなんだ。本気だ。デリヘル嬢やめて二人で福岡に行こう」

 ソファの背もたれに深く背中を預けるまおらにむかって俺は身を乗り出すように迫る。

 「なに一人で盛り上がってんの? キモいんだけど」まおらはいつの間にか目を固く閉じ、今まで聞いたことない、冷たい声を出した。それに怯むことなく俺は続ける。

 「友達が住む部屋も用意してくれている。二人じゃちょっと狭いけど充分暮らせる。俺は来月の一日から向こうに行くつもりだ」

 「だから、キモいって。私はね……私は……誰とでもヤる女なの、だからあんたともただ遊んでただけ。勘違いしないで」

 まおらは先程より目を固く閉じて腕を組んだ。

 「それでもいい、俺が一緒に居たいんだ」

 「私はね……私は……ムーンの社長の愛人もしてるの……だからドライバーに駆り出されたり良いように使われてるの、昼も夜もね。」

 目を固く閉じて、腕を組み、眉根を寄せてなにかに耐えるようにまおらは言葉を絞り出した。

 「それでもいい、関係ない」

 「……わ、わ……わたしは……わたしにはね。佐賀の実家に預けてる三歳になる息子がいるの……父親が誰かなんて分からない……そんな女なの」

 声が震え、唇を歪めながら。痛みを感じているかのようにまおらは言葉を吐き出す。

「それでもいい、できることすべて協力する」俺がそう言い切るとまおらは勢いよく立ち上がり「ふざけんなぁ!」と叫んだ。周りの客がびっくりしてこちらを見ている。だがそんなものはもう関係ない。

 まおらの見開いた目からとめどなく涙が溢れ、呼吸は浅く浅く、全身は震えていた。涙で濡れた瞳で俺を睨みつけている。 

 「好きなんだ。まおら、君のことが……」

 「わたしはまおらなんて名前じゃない! 」

 「じゃあ教えてくれよ、君の本当の名前!」

 俺の問いを無視するかのように「さよなら」と短く告げるとまおらは自分のバックを手に取り、去ろうとした。その去ろうとする腕を俺は取り、「待てよ」と言った。まおらの腕は恐ろしく冷えていてゾッとするほどだった。

 「私なんかに触らないで! 」俺の手を強く振りほどく、そして光の消えた瞳で「お願い」と次は蚊の鳴くような声で呟いた。「お願い、私なんか気遣わないで……」その声の含む哀しさはとても俺なんかでは計れないような、そんな気がした。

 「さよなら」とまたまおらは告げ、去っていく。俺は追うことができなかった。ただそこに根が生えたように立ち竦むしかなかった。


────────── 


 俺は長崎駅のホームで一人、荷物を抱えて立っている。俺が働いていたホテルがこのホームの上からよく見える。

 「お前辞めるんだってな、総務から聞いたよ。普通俺にまず言うだろ」

 ホテルを見ていたら、ホテルバーのマスターとのやり取りをふと思い出した。

 「すいません」俺がそう言うと、ケッと息を吐き出しマスターは「せっかく少しは使えるようになってきたと思ったらこれだもんな。まったく今の若いやつはよ、また新人にあれこれ教えなきゃいけない俺の身にもなれってんだ」と言った。

 これに関しちゃ俺はもうマスターに「すいません」と言い続けるしかなかった。

 「福岡に行くんだってな?」誰から聞いたのかマスターは俺に尋ねてくる。

 俺が「はい」と返しどんな嫌味が飛び出してくるか身構えていたら一言「頑張れよ」とだけ言った。

 そのときのマスターの顔を思い出して俺は笑った。あれはもしかして照れてたんだろうか、顔を妙に歪ませて必死に言葉を練ってなんとか発した一言のように感じた。今思い出しても笑えるし暖かい気持ちになる。俺は

 ホテルを見ながら「お世話になりました」と呟いていた。

 電車が駅のホームに入ってくる。俺はスマートフォンを取り出す。あの日以来まおらとは連絡がつかない。ラインはブロックされるどころかまおらは自分のアカウントごと消した。

 電話番号も知らず、寮になっているマンションは分かるが行ったところでまおらは翻意させることはできないだろうという確信があった。そして客としてまおらに会いに行くということも考えたがそれはできなかった。正確にはそれだけはしたくなかった。振られた女を金で買う、どう考えても最低である。

 そうだ。俺は振られたのである。まおらにどんな事情があって本当はどんな気持ちなのかも分からない。ただ振られた。その事実だけがすべてであった。

 なんとなくシティヘヴンネットを開きムーンのページを開く。まおらのページに行くと本日出勤とピンクの文字が踊っていた。

 俺はなにをしてるんだとスマートフォンを閉じかけたがそこに見覚えのある文字を見つけた。

 それはまおらのお礼日記でありそこに【大浦町のお兄さん】とある。

 大浦町とは俺がいつもまおらに車でアパートまで送ってもらうときに降ろしてもらっていた町名である。

 心臓の鼓動が早くなる。おそるおそる俺はそのページを開いてみた。

 【大浦町のお兄さん! いつも本当にありがとう! 福岡に転勤しちゃうんだってね! お兄さんは優しいしカッコイイから絶対絶対上手くいくよ! 地元のことなんて忘れて新天地でいっぱい楽しんでね! 頑張ってね!】

 「あぁ……」と声にならない声が出た。涙が視界を滲ませていく。これをまおらはどんな気持ちで書いたのか、俺はそれを思うとやりきれない。

 届くかどうかも分からない手紙、伝わるかどうかも知れないメッセージ。この簡単な文にまおらのあの日の涙を思い出す

 周りの人がおずおずと俺を避けるが俺の涙は止まらない。今から荷物をすべて捨て、まおらに会いに行こうかと考える。まおらに会ってあの柔らかな体を抱きしめたいとそう思った。思ったがそれはできない、それをしたらまおらは俺を一生蔑むだろう。好きな女に軽蔑される。それは男して一番耐えられないものだった。

 俺は心の中であのメッセージに返事を書く。

 まおら、俺の方こそありがとう。福岡で頑張ってみるよ。さようなら。だけどお前のことは忘れない。またどこかで縁が繋がることもある。そう信じているよ。神の思し召しだ。

 涙を拭き腹に力を込めて電車に乗り込む。俺が乗り込むと同時に電車は走り出した。

 流れていく風景のどこかにまおらが居て笑っている。そんな気がした。

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まおら 熊五郎 @sybmrmy

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