第3話

 それからまおらとは週二回ほどのペースで会うようになった。いつも俺の仕事終わりに待ち合わせをしてご飯を食べに行く。

 まおらの部屋には最初の一回しか泊まることはなかった。さすがにリスクがありすぎるとまおらも思ったのかあれ以来自分の部屋に呼ぶこともなく、もちろん俺からも部屋に泊まりたいなどとは言わなかった。

 食事したあと俺の家の近所まで送ってもらうこともあればそのままラブホで部屋を取ることもあった。俺は自分の部屋にまおらを呼ぶことはしなかった。

 なぜかというとやはりまおらのマンションと比べると俺の住んでるアパートはずいぶん見劣りがするし部屋も汚いのが恥ずかしかった。そしてやはり心のどこかでまだまおらを信用しきれていないところがあったのかもしれない。

 自分を部屋に呼ばず、アパートの場所も濁す俺のことをまおらはどう思っていたのだろう。それについて彼女は一言もなにも言わなかった。

 

─────────


 ある日のこと俺たちはリンガーハットでちゃんぽんを食べていた。

 まおらは野菜ちゃんぽんの麺二倍を頼み、そこに一味唐辛子をこれでもかとかけていた。俺は普通のちゃんぽんを普通に啜りながら食べる。その頃はもうまおらとの交流も二ヶ月ほどが過ぎ、まおらの大食いに俺が付き合うことはなくなっていた。

 まおらの大食いに付き合っていたら胃がぶっ壊れてしまう。それがはっきりと分かったのはすき家に食べに行ったときであった。

 そのときまおらはキングサイズを注文し、そして当然のように俺もキングサイズを食わされた。なんとか俺は脂汗をかきながら牛丼キングサイズを完食したもののそのままトイレへ直行となった。

 まおらは半分も食べないところで「あーこりゃダメだわー」と早々にギブアップして残した牛丼を持ち帰り用に包んでもらって俺の応援へと回った。

 俺もぜひともそうしたかったが「いけるよいけるよー」と俺がレンゲで飯をすくう度に声を出し、悲しいかな惚れた弱みでそう言われると俺も食い進めるしか仕方なかった。大食いをしてまおらの気を惹こうとはさすがに思わないが応援されると頑張ってしまう。男の愚かな性である。

 トイレに駆け込む瞬間、後ろからまおらのバカ笑いが聞こえてきたのを俺は絶対に忘れない。まおら曰くそのとき俺の顔は真っ青になっていたそうだ。

 それから俺はまおらの大食いに付き合うことはなくなった。

 その日もその日とて、女の子が食うにしては多すぎるちゃんぽんを啜っていたまおらだったがその顔色がどことなく悪い、明らかに疲れていれるようだった。

 「なんか疲れてるんじゃないか? 大丈夫か? 」とあまりまおらの仕事関連の話はしたくなかったが俺は思わず声をかける。

 「うーんそう見える? ごめんね。最近忙しくてさー」

 忙しい、そう聞くとやっぱり複雑な気持ちになってしまう。俺の表情の変化を読み取ったまおらが笑い「違う違う」と両手を振りながら言う。

 「ちょっと仕事以外で色々あってね、それに実は今ムーンの送迎ドライバーもやってるんだよね」

 「送迎ドライバー? まおらが? なんでまた……嬢が送迎ドライバーするなんて聞いたことないぞ」

 首を傾げる俺を見て、まおらは「まぁうちは特別だからね」と悲しそうに言った。

 そこで俺はもう一歩深く踏み込み事情を聞くべきだったのかもしれない。しかし俺はまおらも色々根掘り葉掘り聞かれるのも嫌だろうとそれ以上聞くのを遠慮した。ただ彼女がなにか特殊な状況にあるんだなとうっすらと思った程度であった。

 彼女は一味で真っ赤に染まったちゃんぽんを不健康そうな顔で啜っていた。


──────────


 それからしばらくまおらと会う機会がなかった。

 俺も年末となり忙しくなり、まおらはますますは体調を壊しているようでそれを「いやーあのときの野菜ちゃんぽんの野菜絶対悪くなってたよ」なんてリンガーハットに責任転嫁していた。だが、俺は絶対日々の暴飲暴食、そして一味の過剰摂取が体調を崩す理由であると思った。

 年が明けてしばらくして、仕事がようやく休みになった俺は久ぶりにまおらに連絡をして食事にでもいかないかと誘いをかけた。その返信は一時間後くらいにきて、まおらは今佐賀の実家に帰っていてこちらにはいない。残念だけどまた誘ってほしいという内容であった。

 それならどうしようもないな、と俺はやることをなくしごろりと部屋の万年床に寝転がり天井を見つめる。結局家に居ても時間を持て余すだけなので街に繰り出すことにした。

 すっかり辺りは暗く、夜になっていたが別になにをするわけでもなくぶらぶらと散歩しようと思った。中心部にあるアーケードはまだまだ正月気分が抜けておらず人通りも多かった。

 「よぉ! 」と肩を無遠慮に叩かれた。俺がそちらを振り向くとそこには中学時代の同級生が立っていた。

 「お前、大隈か? 」と俺が言うと偉そうに一つ頷き「その通り! 」と大声を出した。どうやら酔っているようだ。

 「お前一人か? 」そう聞くとまた大隈は「その通り! 」と叫び、周りの通行人の目を引いた。めんどくせぇなと思ったがちょうど暇していたところに旧友に会ったので「それじゃあな」と別れるのも惜しく、大隈の腕を引っ張りアーケードの外れの路地へと連れこむ。

 「いやーしかし、お前は変わらないなぁ」と酒臭い息を吐きながらまじまじと大隈は俺を見る。

 「お前も変わってないよ」と俺も返した。事実大隈は変わって居なかった。小柄な身長に反し横幅は広く、一重の糸のような目と顔の真ん中にでんと座り込り上を向いた鼻が特徴的であった。男前では決してないが愛嬌のある顔でそれは性格的にもそうであった。だから俺は大隈のことは決して嫌いではない。

 「飲みに行こう! 」大隈がまた大声をあげる。

 「あぁ飲みに行こう、飲みに行こう」いい暇つぶしができたと俺は喜び大隈に賛同する。

 「だが……」と大隈はそう申し訳なさそうに言葉を切る。

 「だが、女がいる所はダメだ! もう持ち合わせがあまりない」大隈は本当に見ているのか俺が疑問に抱かせるほど糸のような目をことさらに細め、情けない顔をつくる。

 その顔は中学時代の大隈そのもので俺はあんまりに懐かしくなり笑みを浮かべて彼の背中を叩き、「お前の懐になんて期待してねーよ! 」と言った。

 だけど持ち合わせにさほど余裕がないのも俺も同じことだったので俺たちはブラインドライムというショットバーへ繰り出すことにした。


──────────


 ブラインドライムは真っ暗な店だ。

 ほとんど目の前、自分のグラスまでしか見えないんじゃないというほど光源が絞られ隣に座っているはずの大隈のデカっ鼻さえよく目を凝らさないと見えなかった。

 大隈も俺も角ハイボールを注文し乾杯しようとして野郎二人で乾杯するのもな、と気持ち悪くなり、よした。

「お前今なにやってんだ? 」と大隈もよく俺のことが見えないのだろう。ことから酒臭い顔を寄せて尋ねてくる。

 「駅前のホテルのバーでバーテンダーやってる」

 「へーすごいじゃねぇか! 」

 嫌味でも皮肉でもなく本当に感心したような声を大隈はあげる。

 「別にすごくはないよ」とブラインドライムのマスターにこの話が聞こえないように声を落とし、大隈にも声を落とすようにジェスチャーする。

 だが、ブラインドライムの照明が暗すぎるのがアダになり大隈には俺のジェスチャーは見えずそのままの声量で話を続ける。

 「でも、いろいろと作れるんだろ? ほら、マティーニとかさ」となぜか興奮したように大隈は鼻息が荒い。「あぁ……そこらへんのスタンダードカクテルならもちろん作れるが」と俺と答えるとそうかそうかと頷き、「実は俺は今な、福岡で飲食店の経営者やってるんだ」と切り出した。

 「マジかよ、お前の方が断然すごいじゃないか! 」まさか大隈が社長とは純粋に驚き、そしてなぜか嬉しかった。他人のことで嬉しくなるなんて俺も年を取ったのかもしれない。

 「いや、それがすごくねぇんだ。困ってんだわ」と大隈が言うには今度福岡にバーを出す予定だがそのバーテンダーが決まらない、とかくバーテンダーというのはいい加減な男が多いので信用に足る人間がなかなか見つからなくて困っている、ということであった。

 「贅沢な悩みだな」と俺は笑う。

 福岡に複数店舗展開し、今度またバーを出すがそこのバーテンダーが決まらないのが目下の最大の悩みとは幸せなことじゃないかと思った。

 「お前、やらないか? 」

 「はぁ? 」

 「いや、同級生なら信用できるしホテルバーテンダーなら技術もあるんだろ? 俺と一緒に店出そう! 」

 いきなりボルテージを上げ、大隈は俺の肩を抱かんばかりの興奮を見せる。

 「たまたまばったり出会ったのはきっと神の導きだ」と言い募る。そういえばこいつクリスチャンだったなと思い出す。

 「いやいやいや、待て待て興奮しすぎだ」と俺は組み付いてくる酒臭いオヤジである大隈を腕で押し、席に戻す。

 「話はありがたいが俺はこの街から出るつもりもないし……」

 そこでふと、まおらの顔が浮かんだ。そうだ福岡に行ってしまえばまおらにはなかなか会えなくなるだろう。それは……困る

 「ないし……?」

 と大隈が俺の次の言葉を待っているがまさか女が居るから離れがたいと言うわけにもいかず「上司部下の関係になって俺たちの友情が壊れちゃ大きな損失だろ? 」とお茶を濁した。

 「いや、俺はお前となら絶対上手くやっていけると自信がある」となにを根拠にしているか分からないが大隈は俺をずいぶん買ってくれているようだ。

 「だが、俺たちの友情が大事なのはその通り!乾杯!」と大隈はグラスを掲げ、軽く酔ったせいかなんだか楽しくなってきた俺も「乾杯」と言い自分のグラスを大隈のグラスに軽くぶつけた。

 「そこで友であるお前に良い情報教えてやると」と大隈とにやにやし始める。店内は相変わらず暗かったが目が慣れてきたのか大隈の表情が見えるようになってきた。

 「なんだ? 」と俺が身を乗り出すと、「お前デリヘル使うか? 」と大隈は声を顰めながら言った。

 鼓動が少し早くなるが「まぁときどきな」と答えると「そうかそうか」と大隈は絶えずにやにやして頷く。

 「絶対に生本番できる娘教えてやるよ。顔も体も結構良いんだこれが」と大隈が言った。

 呼吸が浅く早くなるのを抑えるようにハイボールを口に流し込む。

 「えーと、店の名前がなんだっけなそうムーンで、そうだ、女の子の名前はまおらちゃんだ! 」

 俺は危うく逆流してきそうになるハイボールを気合いで喉の奥に押し込み飲み込んだ。酔いは覚めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る