◇
「先生には、怪奇小説を書いてほしいぴょんねぇ」
公用車のバックミラー越しに、男は楽しげな声をあげた。隣には、拘束具でぐるぐる巻きにされている死神女が座っている。恨みがましそうなその視線から、私はまたも目を側めた。
男の話はこうだった。
「実は先生、死神界で大ブレイクしてるんだぴょん。こりゃもう素晴らしい大文豪だと絶賛の嵐ぴょんでね。ただ、死神の間で流行るものは現世では好まれがたいというのが定説ぴょんで……あいや、その……死神たちはナンセンスなものが好きだぴょんから……」
「はあ……」
言いたいことは山ほどあったが、脳が破裂するのでただ続きを促した。
「最近はストーカーまがいの輩も出てきたぴょんでね……これも、そのひとりだぴょんよ」男は、少女を一瞥する。「いいや、ストーカーよりもタチが悪いぴょんね。なにせこいつは……自分のために、先生を殺そうとしたんだぴょんから」
「えっ」
「アパートに火を放ったのはこいつぴょん。あっしも、そのときは火に入っていく先生を止めようとしたぴょんが……」
「つまり、こいつもストーカー」
少女が悪態をつく。
「ぴょんっ! 仕事中にたまさか先生を見かけたからお姿だけでも拝見しようと思っただけぴょんねぇ! お前みたいに無理やり死神の契約を結ばせたりしないぴょんっ!」
「じゃあ、さっきのは何」
「死神の契約は一度交わしてしまうと取り消せないぴょんからねぇっ、ああやって、お前のせいで切羽詰まった先生が、ファンタジックなインスピレーションを得られるように――」
雨すごいねえ。
そこで、柏木さんが帰ってきたのだったか。
車中の死神男が、節くれ立った人差し指を立てる。
「安心するぴょん。あっしは今日から手が空きますから、誤って交わされた契約のことはお任せするぴょんね。先生の執筆は、私が補助して差し上げるぴょんから」
「ダメ」
「お前は始末書だぴょんよ」
「やだ」
「聞き分けのない子は……――」
「ねえ、石田くん」
期せずふたりを遮るように、柏木さんが語りかける。
はい。どうされましたか。そう言って、彼女の顔を見ようとしたとき、はたと気が付いた。彼女の声は震えていた。目端に見える、ハンドルを握るその手もその足も。顔は青ざめているのだろう。直接見ずとも、感じ取ることができた。
「声がする」
何故だか、凄く恐ろしい声が。
死の間際、人は死神を視る。
彼女はそう言っていたか。そして、男は言ったか。仕事中にたまさか私を見かけたと。それはどういう意味だ。目をつけていたのか。近々死にそうな人間が、傍にいたとでも言うのか。ふざけるな。笑わせるな。おい、待ってくれ。
「しまった、もうそんな時間ぴょんね。姿を見られる前に始末しておくぴょんか」
「おい、何を言っているのだ。貴様っ」
出し抜けに身を乗り出した私に、柏木さんがびくりと体を震わせる。一瞬、公用車が大きく道を外れる。幸い、対向車線に車はなかった。それとも――まだその時ではないから来なかったのか。
「何って……お仕事ぴょんよ」
「私のときは会話する余裕があったではないか。なぜそれをしない。なぜ姿を見られる前になどと言って、そんな、恐ろしい、鎌を……手にしているのだ……」
「常世を乱さぬため、死神は姿を見られてはいけないぴょん。だから、人間の目についた場合、罰として契約を交わさなければならないぴょんね。でも、契約の経費も、延命措置の経費も、莫大な責任もこっち持ちぴょんから……正直、そうなってしまったら死神業やってられないぴょん。だから、みんな、こうして――――」
男は三本目の腕に持った小さな鎌で、ちょいと引っ掻くように柏木さんのうなじを撫でた。その瞬間、彼女は生気を失ったように項垂れる。ハンドルからも、手が離れていく。
ひっそりと、命を奪うのだ。
フザけた語尾は聞こえなかった。言ったのかもしれないけれど、まるで耳に入ってこなかった。何も、頭の中に入ってこなかった。
アクセルを踏みあげた公用車が、広い道路を不格好に疾走する。
「ああ、先生、ハンドルをとらないと危ないぴょんよ」
「……――か」
「どうしたぴょん?」
「柏木さんが生きていることによって、私が人間ふたり分の価値を持つ人間になれると証明できればいいのか。そうすれば、柏木さんを延命できるのか。彼女を、救えるのか」
「む、難しいぴょんね。あっし、彼女には見られてないし……」
「私はあなたを見た」
「げ」
「あなたも罰を受けるはずだ」
「げげ……」
でも、と男は言う。その顔は、酷く、言い苦しそうだった。
「先生は、その……死神界ではともかく、現世でウケる文体じゃあ……」
「ウケるからッ!」
え、と。
男はおろか、隣に佇んでいた少女も目を見開いていた。
「流行にも乗る! 最新のヒット作を参考にする! どんな内容だろうと、斜に構えず真摯に書いてみせる! 大衆を喜ばせる! 記号も使う! 奇抜な表現もする! 話題性を重視するッ! クエスチョンマークだって使うさ!? エクスクラメーションマークだってだッ!!!!!」
敬愛する掌編の巨匠、星新一氏が使わなかったとしてもだ。
いいや、わかっている。
記号とか、表現とか、そんな表向きの瑕疵ではないのだ。軽文学も、純文学も、面白いものは面白い。そして、私の書く話は面白くない。それだけなのだ。
それでも、心構えの問題として。心のどこかで見下していた。新たしく生まれるものを見下す人間達の目に怯え、彼らに寄り添おうとしていた。その気持ちに悪癖は根ざしているのだ。
君には、直木賞とか――そんな生活は辞めて――
ぽた。
雫が落ちる。
すごいぜ、石田くん――君の話はいつも面白いから――
黒く濡れる。
本当は、とうに書けなくなっていたのだ。言葉を綴るたびに心が壊れそうだったのだ。才能がないという罪に苛まれていたのだ。それでも、あなたが言ってくれたから。たったひとりが、私のための言葉をくれたから。だからこそ、書けた。だからこそ――書いたものを、あなたにだけは見せられなかった。
ふいに、死神の少女を見上げる。
そうか。
君は。
「ごめんなさい」
彼女はただ俯いていた。
君は、柏木さんの死期を知っていたのか。そして、柏木さんがいなくなったとき、私はきっと筆を折ってしまうから。いや、それどころか、きっと私は――。その前に伝えたかったのか。私のために言葉をくれる者が、ひとりではないことを。君がいることを。
きっとまだ未熟なのだろう。言葉少なだし、言いたいことを伝えるのも下手だ。今日だって市役所に行かせたくなったはずだ。それでも、君は。
全て読破しているくらいには、私の書く物語を好いてくれているのか。
フロントドアを開けると、びゅうびゅうと風が吹き荒んでいた。
「何してるぴょんっ!」
「死んでも死なない。そう言ったな」
少女は驚いたように顔を上げる。
「一ヶ月後は、大手出版社の長編小説募集締め切り日だ。そして、あの日――私は炎に焼かれ死んだのだったな。つまり、死亡時刻から幾ばくか時間を巻き戻すことが死神の延命契約。
ウサ耳死神と契約しよう。柏木さんの延命と引き換えに――そうだな、怪奇小説を書こう。死神共には全然ウケない……とびきり面白いやつを、だ。それじゃあ――」
「――――――――」
風が強くて、返答はよく聞き取れなかった。
アスファルトに体を強く打ち付ける。
メキとか。
バキとか。
聞き心地の悪い音がすぐ近くに何度も鳴り響く。
肉の弾ける感触がする。
円形の巨大なゴムが目前に迫る。
これに轢かれれば、摩訶不思議な世界にでも飛ばされるか。
あるいは――――
もし、私が生きていたら。
手始めにこの話をエッセイにしよう、そう思った。
ライトノベルなんて書きたくない! 合歓 眠 @nem_nem_nem_nem
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