「たい焼き」


「はあ……」



 市役所の昼休み、食堂に入ろうとした私の裾を少女が引っ張った。看板の矢印に倣って隣室に赴くと、出張販売のおばちゃんが元気のよい笑みを浮かべる。店頭には、なんだかやけに白いたい焼きが並んでいた。



「おいしい」


「はあ……」


「ありがとう」


「はあ……」



 便所の鏡には、今にも瞼が落ちそうなやつれた男が立っていた。



「ほんと、大丈夫?」



 公用車に乗った柏木さんが覗き込む。

 はい、とシートベルトを締めながら私は答えた。


 昨夜は死神女の監視のもと、夜更けまで短編ライトノベルを書き続けさせられていた。勇者が現代にやってくる話とか、冴えない男がけったいな女たちを侍らせる話とか、ネット上に転がる既存のライトノベル情報を参考にいくつもの作品を書き殴った。書きまくった。

 死神女はそのすべてを応募候補にあげつらった。


 嫌味か。


 だって、全部、本当につまらない。

 既存の物語のイミテーションだ。みだりな妄想だ。荒唐無稽にふざけた話だ。自分で書いていて嫌になる。これはただの刺激物だと。深みも味わいもない、ただ辛いだけの誰でも作れるバカ料理だ。誰でも書けるのだ。それを、私が書いたのだ。



『君には、直木賞とか、取れるほどの文才は――』



 くそ。

 くそ、くそ、くそ、くそ。



 時間はないが、頭を冷やしたくなって翌日は市役所に出勤した。



「さては、夜更かしだ。筆が乗ったな?」


「はは……」



 そんな感じです、と頭を下げる。

 柏木さんには話したことがあった。趣味で執筆活動を続けていると。それからというもの、早く君の書いた物語を読みたいとせっつかれるのだ。


 だって、君の話はいつも面白いからと。


バックミラー越しに映る、後部座席でちんまりと膝を抱えている少女を見やる。じっとりとした視線が返ってきたのですぐに目を側めた。どうやら、私以外の人間には見えていないらしかった。



「ここだね」



 柏木さんがブレーキに手をかけた。

 立派な新築家屋が並んでいる。そのうちの一軒が調査対象だった。



「市役所資産税課の柏木と申しまぁす。家屋調査と固定資産税の説明に参りましたぁ」



 はい、はい。今出ますから。


 出迎える家人に挨拶をした後、レーザー距離計で天井の高さを調べる。柏木さんは挨拶の通り、リビングで固定資産税の説明をしていた。その姿を尻目に外へ出て、メジャーで窓の長さを計る。



「そっち持ってて」


「市役所の臨時職員が異世界転生したら……」



 メジャーの片端を手にした死神女が、これ見よがしに独りごちた。


 却下だ。

 家屋調査員が異世界とやらに行ったところで何ができるのだ。臨時職員というのもダサすぎる。だって、これ、事実上のアルバイトではないか。誰でも……――どんな人間でもできる雑用を、任されているだけではないか。

 屋根の材質を書き留め、玄関扉を開けたときだった。



 やんぬるかな。

 さすがに疲れていたのか。



「眼玉が落ちている」



 眼玉が落ちていた。

 敷き詰められた、タイルの上に。


「なんだ、これ」


「危ないッ‼」



 ぐえ、と潰れた蛙のような声を漏らしたのは何であったか。よもや、私か。死神女に突撃されて、玄関扉から飛び出した私の喉から出た声とでも言うのか。


 視線を下げると、足首には人の腕が絡みついていた。


 唐突だ。


 突然だ。


 急激だ。



「一体、何が起きているっ」


「ごめんなさい」


「どういうことなのだっ」


「ごめんなさい。私は、ただ―――」


 それより先の言葉はなかった。

 死神を名乗る少女は黙しているだけだ。周囲の気配も、不気味がすぎるほどに静まりかえっていた。柏木さんの声もしない。小鳥のさえずりも、植物の息づかいもない。誰もいない。何もない。


 けれど、振り返るとそこには男がいた。

 腕が三本ある、せむしの男。


 その手に持つ巨大な鎌は、ギラリと音が鳴らんばかりの光沢を湛えている。今まさに、それは人の命を奪おうと舌なめずりしているかのようだった。


 ぽた。

 雫が落ちる。


 男が踏み出す。足跡に残された草花が枯れていくように見えたのは、錯覚であったろうか。それとも、男が発する真に恐ろしい邪気ゆえであったろうか。もうはや、どちらでも良かった。

 男は低く唸るような声でこう告げた。



「刑を執行するぴょん」

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