俺(触手)と彼女(姫騎士)の恋愛事情
GEN-NARI
第1話
醜悪な触手が、ついに獲物の四肢を捕らえた。
「くっ……!」
そのまま宙吊りにされた獲物は、拘束から逃れようと力の限りもがくが、強靭な拘束がゆるむことはない。
「このっ……放せっ……! 化け物めっ……!」
抵抗の言葉を意に介さず、粘液にまみれた触手は聖なる加護を受けた鎧の下へと群がり、侵入していく。肌の上を這い回られるおぞましい感触に、獲物は思わず震え上がるも、なんとか悲鳴を噛み殺す。
バチッ! ジジジジジッ!
「ぐわあぁぁぁぁっ!」
青い火花が散った。
電撃だ。
不意に与えられる、身体が仰け反るほどの強烈な痛み。それを、防御不能な素肌に直に喰らわされたのだ。今度こそ悲鳴を抑えることはできない。
「くっ……、こんな辱しめを……! ――殺せっ!」
叫んだ瞬間である。一本の触手が蛇のように身をよじりながら、恐るべき速さで獲物の口内へと侵入した。
「んぐっ……! んんんんっ……!」
異物はそのまま喉の奥へ奥へと、強引に突き進んでいく。
身体を内側から侵されるという未知の感覚に、精一杯の虚勢はあっけなく剥がされ、我知らず目尻に涙が浮んだ。
触手の先端が、ついに獲物の胃の腑にたどり着いた。
邪悪な蛇はそこでひとつ身悶えすると、先端から勢いよく、大量のドロドロした粘液を吐き出し始めた。
ドプッ! ビュルルルルルルッ!
「~~~っ!?」
驚きと恐怖とで、獲物の瞳が大きく見開かれる。
それは、獲物を狂わせる淫惑の毒。効果のほどはすぐに身体に現れた。
そして、恥辱の宴がその幕を上げた。
転生したら、「触手」になっていた。
俺の名はカイル。職業は召還士。仲間とともに冒険の旅をしていたが、モンスターとの乱戦中、背中に鋭い痛みを感じ、突如視界が暗転。……で、気付いたら触手になっていた、と。
世の中には転生という現象があるとは聞いていたが、まさか我が身に降りかかるとは思わなかった。加えて、転生先が触手とは。
関係あるかはわからないが、俺は生前「触手専門」の召還士だった。
生家はさる王家に仕える由緒ある召還士の家柄だったが、なぜか俺だけ、触手以外の存在を呼び出すことができなかった。おかげで一族の者からは「出来損ない」と蔑まれ、周囲の者からは「不気味な奴」と気味悪がられた。
しかし、それでもよかった。彼女の、王家の息女にして俺の幼なじみである、「リリス」の側にいられたなら。彼女を守る盾となり、剣となれたなら、誰に何と言われようと一向に構わなかった。
……彼女はどうしただろう? 無事だろうか? 無事でいてほしい。
たとえ、二度と会えなくとも。
「リリ! 待ってよ、リリってば!」
「なによ、カイルもお父様の味方なの?」
謁見の間を飛び出した彼女に、王宮の中庭でようやく追い付いた。
あーあ、完全にヘソを曲げていらっしゃる。
「そうじゃないけど……。でも、一国の姫が騎士になるなんて話、僕も聞いたことがないっていうか……」
「やっぱり! カイルの裏切り者!」
う、裏切り者って……。
「だいたいリリは、なんでそんなに騎士になりたいのさ?」
リリは花壇の前にうずくまる。僕と彼女が水やりをしている花壇だ。白い花弁をつけた花々が咲き誇っている。
「このフォーレス王国が、小国だけど平和で豊かなのって、聖騎士団のおかげでしょう?」
我が国は神の加護を受けた精鋭の騎士団を擁し、それを各地に派遣して魔物の襲撃を防いで、周辺の同盟国から高い評価を得ている。そのことが外交や貿易で強い影響力を持つことに繋がっているわけだから、この国の繁栄は確かに「聖騎士団のおかげ」と言えよう。
「でも、私たち王族は、彼らにだけ苦しい戦いを任せていていいのかしら。安全な場所で、まつりごとだけしていれば、それでいいの?」
先日、殉職した聖騎士の国葬に立ち合った。泣き崩れる家族の姿は、まぶたの裏に焼き付いている。きっと、彼女もそうなのだろう。
「それで、自分も騎士に――聖騎士になろうと?」
リリは小さくうなずくと、そのまま腕に顔を埋めてしまった。すすり泣きが聞こえる。
まったく、このおてんば姫は。優しいのはいいけれど、人が良すぎるのが玉に瑕だ。危なっかしくて、見てられないよ。
僕はため息をつくと、彼女の頭に手を置いた。
「わかったよ。僕もリリのこと、応援する」
「……いいの? お父様に怒られない?」
「そりゃ、王様にはお叱りを受けるだろうけど。でも、僕が今よりずっと強くなって、騎士になったリリを守れるようになるよ。今はまだ、このリチャードしか召還できないけどね」
服の下で、『キュイッ!』と小さな声が応える。
リリが、じっと僕の目を見てくる。
「……ずっと、一緒にいてくれる?」
「ああ、ずっと一緒だよ」
「……約束?」
「ああ、約束」
「ほんとにほんと?」
僕は花壇の白い花を一本手に取ると、リリに差し出す。リッカの花。別名『誓いの花』。
「この花に誓って。僕はずっと、君のとなりに――」
家臣として。友として。そして――。
「――ずっと」
そうつぶやくと、リリは静かにその花びらを胸に抱いた。
さて、ともかくも俺は触手になってしまったのだ。いつまでも人間だった頃のことを引きずらず、モンスターとして新たな人生を送らねばならないのだろう。
手始めにこの身体と、周囲の地理について把握を試みる。
前者については、なんといっても専門家として一日之長がある。
見たところ幼生の触手。レベル1。腕は十本、体長は人の頭ほどか。か弱い存在だ。
次に周囲を見渡す。明かりのない洞窟のようだが、全身が感覚器である今の俺には、特に問題はない。
(あれ……?)
あの岩の形。この道幅。見覚えがある。
(ここは……『始まりの洞窟』じゃないか!)
王都から程近い、駆け出し冒険者が初めに訪れるダンジョンだ。出現するモンスターも低級ばかりで、まさに初心者の修行場のようなところだ。
幼い触手である自分にとっては、まだしも生存のチャンスが高い場所かもしれない。
安堵とともに胸の内に生まれた、ある考え。
ここが、見知った世界であるならば。
『レベルアップしてリリ達の跡を追えば、いずれ彼女と再会できるんじゃないか?』
俺が微かな希望にうち震えていると、背後に気配を感じた。
そちらを見ると、冒険者にはお馴染みの存在がそこにいた。
スライムだ。
半透明のゲル状ボディに目と口が付いている。大きさは、今の俺と同程度か。
この辺りではよく見かけるモンスターで、駆け出し冒険者でも互角以上の戦いができる程度の強さしかない。要するに雑魚だ。
しかし、それは「人間」にとっての話。現在、俺はか弱い「触手の幼生」なのだ。正直、今、俺が感じているプレッシャーは、生前ヘルハウンドの群れに睨まれた時と同等か、それ以上だった。
ズル……ズル……
スライムがゆっくりと近づいてくる。
(そうだ、何も戦うと決まったわけじゃない。モンスター同士、友好な関係が築けるかもしれない。やあスライムさん、今日も素敵なゲルボディですね……)
ボヨンッ!
突如、スライムが空中にその身を踊らせた。不意のことに呆然と見上げていた俺の視界を、みるみるその巨体が覆い尽くす。
(危なっ!)
とっさに回避する。あのまま動かなければ確実に潰されていた。低級モンスターといえど野生動物。自然界の掟は弱肉強食か。
(このままおとなしく喰われてたまるか!)
俺は触腕を伸ばして、スライムに打撃を加える。イメージとしてはパンチに近い。なんといっても十本も腕があるのだから、連撃が可能だ。
(うおぉぉおりゃあぁぁ!)
俺の触腕百烈パンチが炸裂し、その結果、スライムは跡形もなくなって、
(……ない!? というか、無傷!?)
驚いたことに、相手はまったくダメージを受けた様子がない。それどころか、俺の触腕の一本に食いつくと勢いよく咀嚼し始めた。
(いたたたっ! やめろ、俺を喰うなっ!)
慌てて腕を引っ張るも引き剥がせない。アグアグと食べ進めてくる。
(ヤバイヤバイ! このままじゃ喰い尽くされる。なんとかしなくちゃ!)
大人なら素手でも倒せる程度の強さしかないスライムだ。それすら出来ていない以上、触腕一本一本には子供の腕力くらいしかないのだろう。一本一本なら……。
(そうだ!)
俺は触腕を三本くるくると絡めて、一本の太い触腕にすると、それで力の限りスライムを殴りつけた。
(こんのぉぉぉぉ!)
ドンッ!
先ほどまでとは明らかに異なる打撃の感触。スライムが、喰いついていた触腕を口から離して吹っ飛んだ。
一本で駄目なら三本で。間違いなく威力が上がった。あえて名付けるなら三倍拳だな。なら、次は五倍拳だ。
ビシッ!
(次は七倍!)
ガシッ!
(トドメだ! 全力、十倍拳っ!)
ドガァン!
ポヨヨーン、プチュンッ!
洞窟の岩壁で叩きつけられたスライムは、光の粒となって消滅した。
(た……倒した……?)
俺は辛くも、転生後初の勝利を得た。と同時に、身体に力がみなぎる感覚があり、触腕が一本増えた。スライムを倒したことで、レベルが上がったようだ。
(やった……、やったぞ!)
勝利の実感が遅れてやって来る。
俺はやれる。こうして地道にレベルアップを続け、『始まりの洞窟』を抜けて次のダンジョンへ。そしていつか、リリたちに追いつくのだ。
まずはレベル上げだ。手近なモンスターを倒して倒して倒しまくる。レベルが上がればやがてスキルと呼ばれる特殊能力も手に入る。触手というモンスターは、実はとても芸達者な奴だ。様々なスキルを習得できる。おまけに過酷な環境に対しても優れた適応能力を持つ。この世界で、触手が生存できない場所などないと言われるほどだ。
(俺はやれる、やってやるぞー!)
胸の中で気合いの雄叫びを上げていた俺の背後で、何かが動く気配がした。
「君たち、よければ俺らの仲間にならないか?」
彼らと初めて出会ったのは、あの中庭での誓いの日から五年後のこと。俺とリリが王の許しを得て、冒険者として旅に出た、その数日後のことだった。
場所は冒険者が集うとある酒場。大勢の荒くれ者たちが大声で騒ぎ、酒をあおっていた。
「こっちの頭の堅そうな奴が魔導師のデューク。こっちの天然っぽいのが僧侶のマリアだ」
「で、このバカが剣士のアイン。一応、このパーティーのリーダーだ」
デュークと呼ばれた男が、不機嫌そうな顔で陽気な青年を紹介した。
「私は聖騎士のリリス。彼は召還士のカイルだ。まだ冒険を始めたばかりの未熟者だが、それでもかまわないだろうか?」
リリがおずおずと尋ねる。王族という身分を隠して、他の冒険者と接する機会はこれが初めてだった。彼女の緊張が伝わってくる。
「もちろん! 俺たちもまだまだ初心者さ。それに、聖騎士に召還士なんて、なかなかお目にかかれないレアな職業じゃないか。君らさえよければ、ぜひ一緒に冒険させてくれよ!」
アインと呼ばれた青年は、底抜けに明るい笑顔を向けてくる。正直、苦手だな……。
「そうか、それはありがたい。よろしく頼むよ。な、カイル」
「……ああ、まあ」
まあ、リリがそう言うなら……。それに、仲間が多い方が彼女の安全にもつながるだろうし。王様からも、くれぐれもリリを頼むと、釘を刺されている。
「俺もマリアも魔法を使うが、召喚の魔法はまだ見たことがない。何を呼び出せるんだ?」
デュークが水を向けてくる。見た目に反して、けっこう話好きなのかもしれない。
俺は返答に詰まった。だって、ここ5年ずっと修行して、それでも呼び出せるものといったら……。
「彼は触手専門の召喚士なんだ!」
隣にいるリリが、なぜか得意げに宣言した。他の面々の表情が固まる。
「触手……専門……?」
マリアと呼ばれた少女が、「聞き間違えですか?」という顔で訊いてくる。
「そうだ! 彼は様々な触手を呼び出す、触手専門の召喚士だ! いろんなスキルを持った奴がいて、かわいいし、頼もしいぞ!」
リリ、もうやめてくれ。みんな土偶みたいな顔になってるぞ。
「ぷっ……!」
不意に、アインが吹き出した。それをきっかけに三人とも弾けるように笑い出した。他のテーブルの客たちが、怪訝な顔でこちらを見ている。
「そいつはいいや! 触手専門の召喚士か! よろしくな、カイル。頼りにしてるぜ!」
あっけにとられた俺の手を、笑顔の三人が交互に握ってくる。リリもそれを嬉しそうな顔で眺めている。
初対面で俺のことを受け入れてくれた人間なんて、リリの他には初めてだった。
調子は狂うが……悪い奴らじゃなさそうだった。
現れたのは、真っ赤な目を光らせた巨大なネズミだった。
大ネズミだ。
この『始まりの洞窟』に巣くう、低級モンスターのうちの一種。しかし、動きは素早いし、なにより発達した前歯による嚙みつきは強力だ。スライムとは格が違うのは確かだ。
「ジュイイイィィィ!」
硬質な体毛に包まれたそいつは、甲高い声を洞窟内に響かせると、恐るべき速さでこちらに向かってきた。
(なっ――!?)
慌てて触腕で迎撃するも、あっさり突破され、強烈な体当たりを喰らってしまう。
(ぐはっ!)
吹っ飛ばされて、岩壁に激突する。ズルズルと力なく、地面にずり落ちる。
HPを大きく奪われたことを自覚しながらも、なんとか反撃を試みる。さきほどのように、触腕を絡めて、パンチを繰り出す。
(あ、当たらない!)
大ネズミは機敏な動きで巧みに攻撃をかわしてしまう。そして再び、強烈な体当たりが襲う。
(ぐああぁぁぁぁ!)
やばい、全身の激痛で、逃げることはおろか、動くことすらできない。
絶対的強者が、今、ゆっくりと近づいてくる。
リリ……。
生まれ変わったばかりの小さな命が、早くも潰えようとしていた、その時だった。
とある宿屋の一室。
月明かりだけの部屋には、少女がひとり。ベッドに腰をかけ、ぼんやりと木の床を見つめていた。
控えめに部屋の戸が叩かれ、男が顔を出す。
「リリス、食べないのか……?」
「アイン。ああ……食欲がないんだ」
部屋の外、扉のすぐ脇では、彼女のための食事が手つかずのまま冷え切っていた。
「カイルのことは本当にすまなかった。俺がもっとしっかりしていれば……」
「いや、お前のせいではないよ。私が不甲斐ないから、カイルは……」
少女の頬を、一筋の涙がつたう。
男は部屋の奥へ歩を進めると、彼女の隣に腰かけ、その肩を抱いた。
「カイル……うう」
少女の髪に留められた白い花飾りが、彼女の嗚咽に呼応して、暗い部屋の中で小さく震えていた。
それは巨大な触腕だった。
それが大ネズミを捕らえたかと思うと、そのまま締め付けた。
「ジュイイイィィィ!」
大ネズミは断末魔の悲鳴を上げて、光の粒となり消滅した。
すべてが一瞬のことだった。
『ふん、ネズ公風情が。おう、若けえの。怪我ぁなかったか?』
それは俺と同じ触手だった。ただし、俺よりはるかに大きく、触腕も太く、本数も多い。明らかに高レベルの触手だ。
しかし、俺が驚いたのはその触手に見覚えがあったからで。
『ひょっとして……、リチャードか?』
『……ああん?』
お互いしばし見つめ(?)あう。
『もしかして……カイルの兄貴ですかい?』
『そうだよ、こんな姿だけど、俺はカイルだ』
次の瞬間、巨大な触手が俺にまとわりついてくる。く、苦しい……!
『兄貴! 先日戦いで命を落とされたと聞きやした! お助けできなかったことを悔いていやしたが、こうしてまたお目にかかれるとは……』
リチャードは俺が子供の頃から一緒にいた触手だ。いつも『キュイッ!』としか鳴かないもんだから、こんな野太い声で、こんな暑苦しい話し方をしているとは思わなかった。
「ねえ、リリス。アインのこと、どう思ってるんですか?」
マリアと宿屋で同室になったある夜、彼女が私に話しかけてきた。
「どう、とは?」
「最近ふたりでよく一緒にいるみたいだし、どう思ってるのかなって」
確かに、カイルを亡くした事件の後、落ち込む私を慰めようとしてくれているのか、アインはよく散歩や食事に誘ってくる。しかし、それがどうしたというのか。
「ああ、仲間想いのいい奴だよな」
「いや、そうじゃなくて……。ええと、異性としてどうかってことです」
異性として? 恋愛対象ということか?
「はは、私は神に仕える聖騎士の身。恋愛など――」
「私も僧侶の身ですけど、別に気にしなくてもいいと思いますけどね。若い男女なんですから。神様も固いことおっしゃらないと思いますよ」
最近わかってきたことだが、このマリア、僧侶にしてはどこかいい加減な気がする。
「とにかく、私は色恋などに興味はないよ」
そう応えながら、私の指は無意識に白い花の髪飾りに触れていた。
チッ、と小さく舌打ちが聞こえた気がした。
「あーあ。この調子じゃ、せっかくお邪魔虫がいなくなっても、埒が明かないみたいですね」
マリアが小声で何かを呟いたようだが、それは聞き取れなかった。
『なるほど、転生ってやつですか』
『みたいなんだよ』
俺はこれまでの経緯を、リチャードに話して聞かせていた。
『とにかく、俺は一刻も早く成長して、リリを追いかけたいんだ』
『他でもない兄貴の頼みですから、精一杯のことはさせてもらいやす。自分のスキル「締め付ける」も、兄貴ならすぐに使えるようになるでしょう。この先のダンジョンにいる先輩諸氏、「炎の山」のミーガン兄貴、「氷の洞窟」のガリコ兄さん、「雷龍の住処」のボルゾン叔父貴、「夢魔の森」のジーナ姐なんかも、きっと協力してくれるはずです』
彼らは俺が生前に契約していた触手たちで、ともに冒険を乗り越えてきた相棒ばかりだ。助力を得られれば心強い。
『ただ――です』
リチャードが改まる。
『今の兄貴はあくまでモンスター。たとえリリ様に会えたとしても、兄貴だと気づいてはもらえやせん。剣を向けてくることさえあるでしょう。それでも――行くんですか?』
『愚問だな』
リチャードの言うことは、俺も考えた。別に、「絆の力で彼女にだけ俺の正体がわかる」なんて、都合のいい奇跡を期待していたわけじゃない。
でも、俺は誓ったのだ。あの日、あの王宮の中庭で。ずっと彼女のそばにいると。
たとえモンスターとして討たれたとしても、それが彼女の剣でなら悔いはない。
『それでも、俺は行くんだ!』
俺の言葉に、リチャードが平服する。
『お見それいたしやした! もう何も言いやせん。早速、スキルの習得に入りやしょう。時間はありませんよ!』
『ああ、よろしく頼む!』
待ってろ、リリ! すぐに行くぞ!
「いったいどうしたんだ? こんなところで」
私はマリアに呼び出されて、深夜、ダンジョンの奥深くに来ていた。レベルの高いモンスターはいないエリアだとはいえ、好き好んで訪れる場所ではない。
マリアはひとり、暗闇の中にうずくまっている。
「なにかあったのか? よほど聞かれたくない話なのか?」
彼女の肩に手を置いた瞬間、不意に顔を上げたマリアが、私の鼻先になにかを投げつけた。小さな布の袋だ。その口が緩んで、粉が舞う。これは——、
(毒蛾の鱗粉⁉ しまった!)
強烈な麻痺を引き起こすアイテムだ。少量を吸い込んだだけだが、手足がしびれその場に膝を付いてしまう。
「はい、一丁上がり。ふたりとも、もう出てきていいわよ」
その声に、闇の中から人影が現れる。
「アイン……。デューク……」
よく知るパーティの仲間たちだった。しかし、今の彼らの表情は、私の知らないものだった。
「お疲れ。まったく、これまで散々我慢してきたってのに、結局いつも通り、荒っぽいやり方になっちまうんだからなあ」
「慣れないことは上手くいかないってことだな」
アインがしゃがみ込んで、私に顔を近づける。
「よお元気かい、聖騎士リリスちゃん? いや姫騎士様と呼んだ方がいいのかな?」
「なっ……⁉」
明かしていないはずの私の素性を、なぜこいつが知っている。
「俺たちは初めから、お前がお姫様だって知ってて近づいたんだぜ。仲間になって、恋仲になって、うまいこと逆玉に乗るためにさあ」
「そうそう、このバカも顔だけはいいから、初心なお姫様なんてイチコロかと思いきや、あの気味の悪い触手野郎ばかり気にかけて、てんでうまく行かない。だから、戦闘のどさくさに紛れて始末させてもらったんだがなあ」
「なのに、余計なのがいなくなってもまだウジウジ、挙句に『色恋なんて興味ないの~』なんて抜かすからさ。いい加減、面倒くさいなって。とっととコイツに手籠めにでもなんでもされてちょうだい」
心無い言葉の数々。知りたくもなかった真実。
こいつらがカイルを。そして、そんな奴らに私の純潔を。悔しい、こんなのってない。
「あれあれ? この娘泣いてるよ。リリスちゃ~ん、騎士様が人前で涙見せたらダメなんですよ~」
人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、マリアが顔を近づけてくる。
ベチャ!
不意にその顔に、何かドロリとしたものが落ちてきた。
「ちょっと! 何よこれ!」
顔にかかったものを手でふき取りつつ、マリアが叫ぶ。
(それは俺の粘液だ、バカ女!)
天井に張り付いたまま気配を消していた俺は、わめくマリアめがけて大量の触腕を放つ。そして、あっという間にその身体に巻き付くと、そのまま宙釣りにしてやった。
「触手⁉ 離せ化け物! 臭い、汚いのよ!」
あんまりな言いようだな。僧侶って、もっと憐み深いもんじゃないのか? たとえ醜い触手相手であってもさ。そんな奴には、臭い粘液をプレゼントだ。
「んんんんん~!」
複数の触手の先端から大量の粘液を、マリアの身体目掛けてぶっかける。全身粘液まみれの、溶けたスライムみたいになった女は、そのまま気を失ってしまった。
「『地獄の業炎』!」
不意に、薄暗い洞窟内をまばゆい光が満たした。中空から出現した炎が、俺の触腕に絡みつき、焼き尽くそうとする。
「くたばれ、触手野郎!」
魔導士のデュークがあざけるような笑いとともに口汚く叫ぶ。
が、この程度の炎で、俺がどうにかなるとでも?
(火なら『炎の山』で嫌と言うほど味わったよ)
俺は触腕を十本絡ませて巨大な一本にすると、炎をまとったまま、魔導士野郎に振り下ろす。
「え? え? 馬鹿! やめろ! やめて! ぎゃあああああ!」
はい、これで二匹目。
「触……手……?」
地面に倒れたリリが弱弱しくつぶやく。
「畜生! なんでこんなところに高レベルの触手なんかいやがるんだ!」
アインは叫びながらも、俺の触手を剣で切り落とす。癪だが、筋はいい。
だが。ここにたどり着くまでに多くの先輩触手——かつての相棒たち――に修行をつけてもらい、レベルアップした俺の前には無力だ。
俺を殺した恨み、リリを騙して傷つけようとした報い、今こそ受けてもらう!
俺の触手が、ついにアインの四肢を捕らえた。
「くっ……!」
宙吊りにされたアインは、拘束から逃れようと力の限りもがくが、強靭な拘束がゆるむことはない。
「このっ……放せっ……! 化け物めっ……!」
抵抗の言葉を意に介さず、粘液にまみれた触手を、奴の聖なる加護を受けた鎧の下へ滑り込ませる。野郎の肌の上を這い回るなんておぞましい限りだが、なんとか我慢する。
(「雷龍の住処」仕込みの電撃を喰らえ!)
バチッ! ジジジジジッ!
「ぐわあぁぁぁぁっ!」
青い火花が散った。
身体が仰け反るほどの強烈な痛み。それを、防御不能な素肌に直に喰らわしてやったんだ。声を抑えることなんてできないだろ。
「くっ……、こんな辱しめを……! ふたりとも起きろ!この化け物を殺せっ!」
アインが叫んだ瞬間、触腕を奴の口内へとぶち込む。
「んぐっ……! んんんんっ……!」
そのまま喉の奥へ奥へと、強引に突っ込んでいく。
身体を内側から侵されるという未知の感覚に、アインは涙が浮べる。
触手の先端が、ついに胃の腑にたどり着いた。
(さあ、とどめだ。二度とリリに近づけないよう、とんでもなく恥ずかしい目にあわせてやる!)
俺は触腕の先端から勢いよく、大量のドロドロした粘液を吐き出す。
ドプッ! ビュルルルルッ!
「~~~っ!?」
驚きと恐怖とで、アインの瞳が大きく見開かれる。
(「夢魔の森」仕込みの特濃媚薬だ。ほら、お相手はお友達のデューク君ですよ~)
触腕でふたりの男をいい具合に拘束すると、映像記録用の魔道石をセットする。
効果のほどはすぐに現れた。男たちは目の前の相手に欲情を押さえられない様子だ。
そして、恥辱の宴がその幕を上げた。
リリにきつけの効果のある液を吹きかけ、麻痺を解除する。
もう、この場にはいられないな。
まだ朦朧としている彼女に背を向けた時、ふと地面に落ちているものに気が付いた。
白い花。
あの日、あの王宮の中庭で、俺が彼女に渡した『誓いの花』だ。
その後、リリは王宮の職人に依頼して、それを髪飾りにしてもらっていた。照れくさいからやめてくれと何度も懇願したが、聞き入れられることはなかった。
俺は、触腕でそれを拾い上げると、彼女の髪にそっと刺してやった。
今度こそサヨナラだ。
その時。
「……カイル?」
少女がつぶやく声が聞こえた。
都合のいい奇跡なんて、期待しない。
それでも俺は、その声に思わず振り返ってしまうのだった。
俺(触手)と彼女(姫騎士)の恋愛事情 GEN-NARI @gennnari
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