ピース・オブ・シット

「いらっしゃいませ、空いてるお席へどうぞ」

カランコロンと音を立てるドアを開け中に入ると、店員が焼き増しの声を上げる。

その声が耳に届くのを待たずに男は店の一番奥の席に向かった。

席につき、ふぅ、とだけ息をつくと脇においた鞄からノートパソコンと資料、そしてボイスレコーダーを取り出して仕事の準備をする。男は記者であった。

パソコンが立ち上がるのを待っていると水と手拭きを持った店員がやって来たのでその場でブレンドコーヒーを注文する。特別その店のブレンドコーヒーが好きなわけではない。単に喫茶店にあるもので最も思考を排除して頼める品がそれだっただけである。

パソコンが立ち上がるとすぐさまイヤホンでレコーダーの音声を聞きながら作業を始める。

今回の相手は少しばかり主張と語気が強い。時折あらげられた声に耳を痛めながら黙々と文字を打つ。

しばらくして目のしょぼつきで手を止める。イヤホンを外し、いつの間にか届けられていたコーヒーに手を伸ばす。もう既にぬるくなったそれをあおり、ふぅ、と息をつく。男は気合を入れる時、この一息つくのが一種のルーティンであった。

おおよそ書きたいことは書いた。あとは少しばかり形を整えれば一つの記事の完成だ。ここしばらくは家も空けて、沖縄にも取材に行っていた。数か月、いや、構想を含めれば数年単位かもしれない時間の集大成。自身のジャーナリズムを、彼はこの記事にかけていた。

そして整える作業も終わり、編集部に出来上がった記事を送付する。今度は一仕事を終えた満足感から、ほぉ、と息を吐く。しかしこれから編集との調整が生ずる。気を引き締めねば。そう思いながらふと窓の外を見ると、もう日が落ち始めていた。

コーヒー一杯でここまで粘ったのは申し訳ない。そう思い荷物をまとめて店を出ようとすると携帯電話が鳴る。この番号はすぐにわかる、編集長だ。

「はい、浦田です」

「浦田ァ!なんだあの記事は!」

スピーカーにもしてないのに周りの客がこちらを見るほどの大声で怒鳴られる。

「なにって、取材したことをまんま書いただけですよ。これが今の日本のリアルなんですよ」

「バカいうな、あんなどっちつかずのモン載せられるか!うちの社風、わかってるよな?」

「いやでも、」

「でももくそもねぇ!うちに載せたきゃ書き直せ!」

「…はい」


その夜、浦田は友人を誘って居酒屋に繰り出していた。相手の名は大野、浦田とは同期で、入社時から仲が良かった。

少々の食事と酒を頼む。浦田は焼酎の水割りを、大野はビールを頼んだ。この時点で大野は浦田が荒れていることを察した。それから酒でつまみと世間話を流し込む。次第に二人とも酔いが回ると、大野が本題を切り出した。

「今日は荒れ模様だね、なんかあったの?」

「まあな、また編集長に怒られた」

「またか、ホントに懲りないね」

「しかたねぇだろ、俺はホントのこと書きてぇんだ。なのにあいつらは目先の発行部数ばかり気にしやがる。それがジャーナリズムだっていうのかよ!」

グラス半分分の酒を一気に飲み干して浦田が熱弁する。

「まぁ、そういうなよ。そっちの編集長も今年息子さんが受験で○○大受けるらしい。名門だが私立だし、お金も入用なんだろうよ」

「だとしても納得いかねぇよ。いろんな意見を提示して、国民に関心を持って議論してもらうべきじゃねぇのかよ」

「かといってどっちつかずのモンばっか出してても誰も食いつきやしないんだよ。世間が求めてるのはセンセーショナルな革新論かテンプレを煮詰めた過激論さ」

大野もグラスを空けながら返す。その表情がどこか悲しげなことに気づき、浦田は少し落ち着いて、運ばれてきた次の酒を受け取ったのち続ける。

「悪い。でも、それでも俺はちゃんとしたことを書きたいんだ。『ペンは剣より強し』。これを信じたいんだ」

大野が浦田から受け取った次の酒を一口飲んで返す。

「確かに君の言う通りペンは剣より強い。でもそれはペンの後ろに銃を持ったやつがいるからさ。そいつは剣も持ったやつに睨みを利かせることができるけど、同時にペンを持ってるやつの頭も撃ち抜けるんだぜ」

それを聞いて、浦田は返す言葉がなかった。


その後、ほどなくして二人は店を出てお互いの家に向かった。大野はいつの間にか呼んでいたタクシーに乗り込み、浦田は駅へと向かう。

「剣よりペン、ペンより銃か…」

浦田は大野の言葉を繰り返し唱えた。時間を確認するために携帯電話の画面を見る。待ち受けは愛する妻と子の写真だ。

「…まだ頭ぶち抜かれるわけにはいかねぇな」

浦田は書き直しの文案を考えながら、歩みを進めた。

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著者近影 霧山田 白亜 @kiriyamada_hakua

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