著者近影
霧山田 白亜
針金
ある日の夕暮れ。
下町を流れる大きな川の土手に二人の男子中学生が腰かけていた。
一人は髪を短く整えた体格のしっかりした青年で、片手に微糖の缶コーヒーを持ち、もう一人は長めでボサボサの髪に細身の体で、コンビニのプライベートブランドのポップコーンを抱えボリボリと口へ運んでいた。
短髪の男子がボサボサ髪の男子に話しかける。
「なあ、今日の美術の授業、何であんなの出したんだ?塊のままの粘土に曲げてもない針金一本立てただけって」
ボサボサ髪の男子が答える。
「俺不器用だからな。変に凝ったもん作って評価されないよりかは気ままにやろうかなって。それにほら、むしろそういうのの方が芸術的じゃね?こないだの遠足で行った美術館の入り口のオブジェみたいにさ」
短髪の男子は呆れたような顔をしながら再度口を開く。
「正人は昔から変わらず自由だね。でも、流石にもう3年生だよ?内申とか気にしなきゃいけないだろ」
「あんなの何になるんかね。入試本番で点とれなきゃ意味ないわけだし。それこそ美術とか体育なんて才能とかセンスの問題じゃねぇかよ。それに俺は優人みたいにいいとこ行く気ないしさ。俺は俺のやりたいように、真っ直ぐやるだけだよ。」
そう言って正人と呼ばれたボサボサ髪の男子はまたポップコーンを貪り始める。
優人と呼ばれた短髪の男子は何か言いたげだったが、それを缶コーヒーで流し込んだ。
そしてふぅと一息つくと、リュックからプリントを留めていたゼムクリップを2つ取り出し、そのうち一つをその場に置くと、もう一方をおもむろに伸ばし始めた。
正人が呆気に取られていると、瞬く間にさっきまでゼムクリップだったそれは一本の針金になった。
それを先ほど置いたゼムクリップの横に並べ、優人は語りだした。
「いいかい。大体の人間てのはこうやって、生きてくうちにきれいに曲がって用をなすようになるんだよ。今の君はこっちの針金だよ。曲がればいいものを無理くり曲がらずにやってさ。一見真っ直ぐに見えるけど、このままじゃ何にもならないよ」
一瞬の沈黙をおいて正人が返す。
「なんだよ、何が言いたいんだよ」
正人の言葉に返事をしないまま、優人は時計を確認する。
「ごめん、俺もう塾の時間だから行くよ。ほんと、しっかりしろよな」
そう言うと優人は自転車にまたがり、走り去っていった。
正人は引き留めようとしたが諦めて、優人の背中が見えなくなると、その場に寝転んだ。
夕暮れの空は綺麗なオレンジ色をしている。
普段ならなんとなく眺めてしまう景色は気にも留めず、すぐに正人は優人のことを思い出し、小さく呟いた。
「ああ、ムカつく」
幼稚園からの付き合いで、引っ込み思案だった優人はいつも俺のあとをつけてきていた。
それがいつの間にか学業やスポーツの成績などで優人の方が俺の前を行くようになっていき、今では前どころか上にいるようにすら感じることもある。
事実、今のようにフラフラしている俺を優人が諌めるようなこともここ最近増えてきた。
対等、何なら自分よりも下と思っていたものがいつの間にか上にいるのだ。
面白くないはずがない。
だが俺もそこまで馬鹿じゃない。優人の言うことが正しいのは十分に解ってる。
「だからこそ、余計にムカつく」
ひとしきり考えを巡らせてからそう呟くと、正人は上体を起こし、袋に口をつけて残ったポップコーンを口へ流し込んだ。
が、思ったよりも残っていて食べきれない。
一度諦めて、とりあえず口に入った分を咀嚼する。
ゆっくりと噛んでるうちに、少し気分が落ち着いてきた。
口いっぱいに入れていたポップコーンを飲み込み終わると、優人が置いていったさっきまでゼムクリップだった針金を手に取り夕日に翳す。
「なるほどね。真っ直ぐなように見えて、よくよく見ると歪だな」
もう一個のそのままのゼムクリップも拾い、目の前で並べる。
「ほんとに、お前はきれいに曲がったよ」
それからふと思いつき、食べかけのポップコーンの袋の口を何度か折り、ゼムクリップで留めてみる。
手を放すと、意外ときれいに閉じた。
「そっか、やっぱりお前のが正しいのか」
ははは、と正人は乾いた笑いをひとしきり上げて、それから深くため息をついた。
そして静かに立ち上がり、帰ろうと鞄を肩にかける。
その際さっきまで優人の座っていたところに目をやると、一瞬正人の動きが止まった。
正人は再度ため息をついてつぶやいた。
「どんだけきれいで正しくても、やっぱ曲がってるわ」
そして正人は数歩前に出て、空のコーヒーの缶を拾い上げると、夕日に背を向け歩き始めた。
正人の行く道には、長い影が真っ直ぐ伸びていた。
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