第4話 隠れ里

 文が持ってきてくれた名簿を参考に、生徒たちの住所に朱色で丸印をつけていく。

 先ほどつけたバツマークと丸印を照らし合わせ、次に攫われる可能性の高い者を探ろうってわけだ。

 

「どうだ? 神崎」

「最も可能性の高い場所はここだろうな。次がここ」


 神崎はトンと丸印に指先を当て、もう一方の指を別の丸印に当てる。

 バツマークが東から西へ移動して言っており、順番通りにいけば神崎が最も高いと言った丸印になるはず。

 他に最近のバツマークをぐるりと囲った内側にある丸印がもう一つあって、そこが彼の言う「次」である。

 地図に描けば一目瞭然だな。


「俺も同じ考えだ」

「こんなやり方があるんですね。素晴らしいです」


 文が感心したように両手を合わせ地図に釘付けになっていた。

 つっても、これが辻切事件とかなら自信を持って最も可能性の高い場所に張り込むのだが、怪異となると話は別だ。

 突然あさっての方向に変わったり、パタリと事件が起こらなくなったり、逆もある。

 

「辰巳。二か所だけなら警察を張り付かせることもできる」

「一番の場所には俺と神崎だけで向かう。もう一か所は頼めるか?」

「分かった。怪異について警察は素人だからな。貴様に判断を委ねる」

「助かる」


 俺は神崎のこういうところがすげえと思っているんだ。事件を前にして警察である自分の判断ではなく、一切の迷いなく俺の意見を通す。

 分かっていてもなかなかできることじゃねえ。

 この様子だと動かせる警察官について、神崎の根回しは済んでいるようだな。

 若造……と言うほどでもないが、中堅警察官のこいつが根回しをするのみなかなかに大変なことだと思う。

 ……っち。何を人のことを褒めてんだよ、俺。

 俺は俺のことをやるだけだ!

 

 文を送って行ってと思っていたが、張り付く家屋と彼女の奉公している家は隣同士だった。

 隣といっても規模が全然異なる。大通りを挟んで対面に位置するのだが、片方は旧武家屋敷でもう一方は二階建ての集合住宅だった。

 送りなら護衛にも慣れている神崎に任せようと思っていたんだけど、通りを挟んで隣だしってことで彼女を両脇に挟み屋敷まで送っていったのだ。

 彼女としてはむさい男二人……いや、むさいのは俺だけか……に挟まれ恐縮した様子だった。


「ありがとうございました! 何から何まで……」

「いえ。必ずや吉報をお届けできるよう、本官の義務を果たします」


 ビシッと敬礼する神崎に対し、心なしか文の頬が赤くなっているような気がする。

 これだから、男前は。無意識にどれだけの女の頬を染めてきやがったんだ? 

 それはそうと、つい何も考えずにそのままついて来てしまったが、ああああ。もう、人と関わると面倒なことをつい考えちまう。

 バリバリと頭をかき、キセルに火を付ける。

 

「どうした?」

「何でもねえ」

「その顔は何でも無くないだろう?」

「余計なところだけ鋭い奴だな、お前は」

「褒めてるのか?」

「褒めてねえよ。ったく」


 神崎の奴になんて言えるかよ。あいつは気が付いてねえし、言ったら言ったで直言しそうだからな。さっきの門番の奴に。

 警官の神崎にはいい顔していたけどよ。俺に向けたあの腐ったモノを見るような目と来たら。

 何なんだろうな。人の価値って奴は。なんて考えなくてもいいことを考えちまったじゃねえか。

 そういう面倒事が我慢ならねえから屋台で日がな一日暮らしてるんだよ。確かに客層はお世辞にもお上品なもんじゃない。

 まあ、価値なんて人それぞれ、それでいい。

 

「そんなわけで集合住宅前までやって来ましたよっと」

「誰に向かって言っているんだ?」

「何となくだ。神崎、しばらく任せる」

「任された。子供が出てこないか見張ってればいいんだな?」


 無言で神崎に頷きを返す。

 部屋からいなくなるケースは、子供が寝静まった後だと分かっている。

 もしここで事件が起こるとすれば、寝たはずの子供が動き出す。

 そいつはしばらく神崎に任せて、俺は「別の目」を使う。

 

 袖から札を出し、目を瞑って念じる。

 出でよ、出でよ、内へ外へ、神羅万象を紐解き、出でよ。我が目に宿れ、札の内。

 怪異を見る目をここに。

 いるわいるわ。黒い靄もあれば、白い煙のようなものもあったり、球形の個体がプカプカと浮いていたりもする。

 夜の通りともなると、行き交う人の激しさと同じように怪異も渋滞を起こしているんだよな。

 この中から特定の怪異を探し出すことは難しい。

 文の住むお屋敷、集合住宅の屋根にも怪異の痕跡は見える。もっとも、黒い靄ではないけどな。

 

 首を振る俺の様子に神崎が声をかけてくる。

 

「どうだ?」

「やっぱダメだな。多すぎて分からん」

「そうか。俺たちにできることは見張るだけ、そうだな?」

「そういうこった。目を皿にして調べるか。俺は裏側に回る」

「分かった」


 神崎と二手に分かれて見張っているが、今のところ特に変化というものはなかった。

 このまま何事もなく終わるのなら、それはそれでいい。新たな被害者が出てこないわけだから。


「ふああ」


 大きな欠伸が出た。

 着流しの裏ポケットに納めた懐中時計を見てみたら、時刻は2時25分。

 俺が懐中時計なんて高級品を持っていたことに驚いたか? こいつは怪異を解決した礼にとある貴族から貰ったものだ。

 彼は「大衆向けの懐中時計で中古ですまないが」と言っていたが、懐中時計は中古でも結構な価格がする。エンパイアという名前らしい。

 

「辰巳!」


 神崎の声。

 彼の見ている側で何か動きがあったみたいだな。

 

 ドサ。

 ちょうど少年が二階の窓から飛び降りたところが目に映る。

 安河内家ほどじゃなかったが、それでも結構な高さだ。少年は両足でスタリと着地し、何事も無かったかのように歩き始めた。

 駆け寄ろうとする神崎を手で制し、少年から少し離れたところを追いかけるように目で示す。

 ところが、少年が集合住宅の敷地から出たところで神崎の様子がおかしくなった。

 

「神崎?」

「どうした? 明け方まで見張りをするのだろう?」

 

 神崎はじっと集合住宅を睨んだまま動こうとしない。

 早く動かないとあの少年を見失ってしまうってのに。何やってんだよ、こいつ。

 ぐいっと彼の袖を掴み、顎を大通りに向ける。


「見張りはもう終わりだ。あの少年を追うんだろ」

「少年?」


 ここでようやく合点がいった。

 これまで何人もこの少年のように窓から飛び降りてスタスタと大通りを歩いているんだ。

 いくら深夜とはいえ、誰も目撃者がいないなんてことはあり得ない。


「すまん。神崎。俺のミスだ。こいつを持て」

「お、あ。何してるんだ、辰巳。あの少年を追わないと!」


 少年たちが誰にも気が付かれずに行方知れずになるには、誰にも目撃されないことが必須だ。

 そう、怪異は少年たちが二階から飛び降りて平気なほどに身体能力を強化するだけじゃなく、人の目に映らなくする認識阻害の力も与えていた。

 俺には怪異の誤魔化しなど通用しない。

 神崎には効果を打ち消す札を握らせたことで、少年の姿が見えるようになった。

 逸る神崎を抑えつつ、少年から一定の距離を取り彼の後を追う。

 

 辿り着いた先は屋台を置いていた藪の裏側だった。

 藪に入り、歩くこと体感で15分ほど。周囲に民家はなく、手入れされていない土地は草木が伸び放題と荒れた場所だった。

 この場所は完全に人の気配が無いのは当然のこととして、朽ちた建物も見当たらない。

 こんな場所で何を? と思いきや、前を歩く少年の姿が忽然と消える。

 

「な……」


 絶句する神崎の声。

 俺も彼とは別の意味でこめかみをひく付かせた。

 ギリっと歯を鳴らし、前方を睨みつける。


「急いで追わなくてもいい。一旦屋台に戻るぞ」


 怪異が相手となれば、神崎は俺の言う事に反対しない。

 踵を返した俺に意見するでもなく後に続いた。

 

 幸い屋台まではすぐだ。歩きながら彼に状況を説明するとしよう。


「複数人同時に身体強化、認識阻害、操ることまでできる怪異だから、覚悟はしていたが予想以上だ」

「それほどか」

「少年の姿が消えただろ。あれはな、隠れ里だ」

「隠れ里?」


 力の強い怪異でも隠れ里を形成できるほどの力はない……と思っていた。

 隠れ里は現世と異なる別の空間のことだ。隠れ里は強力な結界を作り、時空を歪めて隙間を生み出す。

 その隙間は場所が分かっていれば無理やりこじ開けることができるんだが、「目」を使っても見ることができねえんだ。

 

「とまあそんなわけでな。ぽっと出の怪異に隠れ里を作る知恵があったことが驚きなんだよ」

「結界とやらは複雑なものなのだな?」

「そうだ。何も知らないところから、一朝一夕で作れるもんじゃねえ」

「隠れ里があったとなると、中にいる怪異の元は強力だというわけか」

「まあな。妖魔の類いがいるかもしれん」

「だからこその準備か。俺を置いていくなぞ言わんよな?」

「言わねえ。むしろ、全力で協力してくれ」


 そのための準備が必要だから、屋台に戻ってるんだって。

 神崎はスラッとした長身だが、警官としての一通りの訓練を受けている。そればかりか、東京市の警官の中でも特にサーベル技術は上位に位置する……らしい。

 何やら署内で試合があって、そこで切磋琢磨しているんだとよ。

 俺は刀なんぞ使えねえし、怪異であっても物怖じしないこいつと一緒なら足手まといどころか、心強い。

 口に出して「頼りになる」なんて絶対言わねえけどな。

 

 ごそごそと屋台の引き戸を開けて中から装備を引っ張り出す。

 

「さてと。こいつをつけろ。それから武器はこいつだ」

「……黒マントか。気障過ぎないか?」

「格好を気にしている場合かよ」

「それに、この刀……」

「待て! 手を触れるな!」


 詰襟に黒マントなんてどこの怪盗だよって格好だけど、怪異から身を護るには鎧じゃあ役に立たない。

 黒マントと一緒に黒手袋も渡しただろうが、普通の人間が素手で刀に触れたら大変なことになる。

 

「これでいいか?」


 黒手袋を装着した神崎が両手を開き、こちらに向けた。


「手袋を外すなよ。その刀は特別性だからな」

「確かに。この刃は魅入られそうだ」

「素手で触れると言葉通りになるから注意しろ」

「ほう。妖刀の類いか」

「そいつは柄に酒呑童子の髪の毛を織り込み、刃を血で濡らしたものだ。名を『童子切どうじぎり』という」

「相当な一品だ……このような刀を振るえるなど名誉なことだ」


 俺が持っていても宝の持ち腐れだから、親父から譲り受けて以来ずっと使っていなかった。

 相手が隠れ里となると無策で怪異に挑むなんて無謀過ぎる。

 俺には札がある。神崎は童子切で頑張ってもらうとしよう。

 

「俺も札を多目に持って行く」


 普段は袖の中に入れている分だけなんだが、懐にも忍ばせておく。

 これだけありゃ足りるだろ。足りないとすれば……弱気になってどうすんだ。

 隠れ里といっても怪異だろ? 問題ねえ。ちいとばかし力の強い怪異に過ぎない。

 怪異ならこれまで何度も祓って来たじゃねえか。

 

「さて、行くとするか」

「了解だ」


 神崎と肩を並べ、少年の消えた場所――隠れ里へ向かう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る