第5話 奥に座するは

 出でよ、出でよ、内へ外へ、神羅万象を紐解き、閉じられた門を開け。札の内。

 目の前の空間に蜜柑の皮を真っ直ぐに斬ったかのような亀裂が入る。

 亀裂に両手を突っ込み押し広げ、中に体を滑り込ませた。

 

「神崎」


 有り得ない事象に立ち尽くしていた神崎であったが、俺の呼びかけにハッとなり押し開いた亀裂をくぐり抜ける。

 

 空間の中はぺんぺん草が覆う古びたお堂がぽつんと立っていた。

 俺たちの立つ場所からお堂までは凡そ50メートル。お堂の奥側は絵具で塗りたくったような灰色になっている。

 灰色はお堂の裏側だけじゃなく左右、そして俺たちの真後ろにもそそり立っていた。

 灰色が外と中を隔てる壁ってわけだな。

 

 ボウ、ボウ、ボウ、ボウ……。

 次々に青色の人の頭ほどの大きさの火の玉が俺たちの背より高いところに出現する。

 

「神崎、あれは鬼火って怪異だ。体当たりしてくるだけだが、気をつけろ」

「斬ればいいんだな」


 神崎がスラリと刀を抜く。童子切の刃がきらりと怪しげに光を放つ。

 空から急襲してきた三体の鬼火に対し、刀の軌跡が奔る。

 真っ二つになった鬼火は色が薄くなり消えた。

 

 さすが神崎。初めての相手でも培った確かな技術で仕留めてくれた。

 俺も動かねえとな。

 両手にそれぞれ札を挟み、念じる。

 ヒュンと札がひとりでに動き出し、鬼火へ当たった。

 パアンと風船が破裂するような音をたて、鬼火が消え去る。札は次の鬼火へ襲い掛かり、再度、鬼火が弾ける音が響く。

 

 ボウ、ボウ、ボウ、ボウ……。

 しかし、鬼火は次から次へと湧いてきてきりがない。

 

「起点がどこか調べたい」

「お堂の中以外に有り得るのか?」

「九割以上の確率でお堂の中で間違いない。だが、入る前にもう少し正確な場所の当たりをつけておきたい」

「分かった。貴様の調査が終わるまで、俺は鬼火を斬っておけばいいんだな」


 さすが神崎、話が早い。

 鬼火が迫る中、大胆にも両目を閉じ、意識を札へ集中させる。

 

 隠れ里は空間の歪みだ。空間の歪みを生み出しても、空間はすぐに元通りになってしまう。

 そこで、術式によって歪みを固定し維持するわけだ。

 術式には強い力が込められていて、術式の中を巡っている。

 力を流すもっとも上流……つまり、起点を破壊することができれば隠れ里は崩壊するってわけだ。

 この規模の隠れ里なら俺でも何とか破壊できる……たぶん。

 

 出でよ、出でよ、内へ外へ、神羅万象を紐解き、暴け、札の内。

 目を閉じたまま大小様々な気配を探る。鬼火……気配が消えた。神崎が斬ったのだろう。

 奥へ奥へ。

 力の奔流を感じ取れ。

 ……よし、掴んだ。流れを辿り、どこから溢れ出ているのか探る。


「あった。建物の中で間違いねえ」

「なら、突っ込むか」


 声を出すかわりに札を指で挟む。

 鬼火は斬れども斬れども次々に湧いてくる。それどころか、湧く勢いが増しており、消すより湧く方が断然多い。

 僅か50メートルだってのに、鬼火で壁が作れそうなほどになってしまっている。

 

「炎よ……」


 札がヒラリと宙を舞い、鬼火で埋め尽くされんとしていたお堂前にフワリフワリと飛んでいく。

 

「爆ぜろ!」


 ドカアアアン。

 耳をつんざく轟音が響き渡り、札から爆炎が上がり弾け飛ぶ。

 そこへ神崎が間髪入れず飛び込み、刀を煌めかせた。

 彼の後ろに張り付くようにして俺も続く。

 

 ドカリ。

 神崎が扉に体当たりをして、転がり込む。

 続いて俺も開いた扉に駆け込み、跳躍して神崎をまたいだ。

 

 右手を下に向け、俺の手を掴んだ神崎を引っ張り上げた。

 反対側の手には札を挟み、いつでも迎撃できるように構えている。


 外にはあれほど溢れていた鬼火も屋内には一体もいなかった。


「静かすぎて怖いくらいだな」


 左右を睨みつける神崎の感想に俺も完全に同意だ。

 お堂の中はガランとしていて、何一つモノが置かれていない。仕切りもなく、開け放たれたままの窓というより木枠があるのみ。

 外から見た感じ、もう少し広いと思ったがせいぜい12~13畳ってところだな。

 床は所々ガタが来ていて、気を付けて歩かないと床を踏み抜きそうな感じだった。

 

「明らかにおかしい」


 つい口に出てしまったのだが、神崎がこれに反応する。

 手を刀の柄に当てたまま。

 

「隠れ里と同じことだろう?」


 そううそぶいた神崎が帽子の鍔をピンと指先で叩き、すり足で一歩、そしてもう一歩進む。

 神崎は刀を抜き放ち、上段に構える。

 次の瞬間、刀がキラリと閃き、振り下ろされた。

 

 ズルリと空間に裂け目が出来たかと思うとみるみるうちに広がり、表と裏がひっくり返るようにして屋内の様子が一変する。

 先ほどまで12~13畳だった広さが数倍になり、床が石造りに、壁は苔で緑色になっていて所々が欠けていた。

 壁際にずらりと並ぶ白い繭で覆われて顔だけが出た少年たち。

  

「こ、これは……」

 

 神崎がギリっと歯を鳴らし、握りしめた拳からは血が出んばかりの勢いだった。湯気が上がっているかのように怒りに体を震わせている。

 怒髪冠を衝くとはまさにこのこと。

 一方の俺は少年たちを見た直後は彼と同じく滾ったのだが、冷水を浴びせられたかのように一瞬にして熱が冷めた。


「神崎、子供たちを繭から出してやってもらえるか」

「もちろんだ」

「俺は……奥に進む」

「奥?」


 あそこだ、と指さす。

 落ち着いて見てみると、屋内の様子はお堂ではない。

 石造りというのが解せなかったが、元は木の床が張り付けられていたのかもな。

 ここは打ち捨てられてから長い年月が経った江戸家屋の大広間のようだったのだ。

 よくよく見てみると苔に覆われ朽ちているが欄間らしきものも見えるし、数十メートル先は障子が剥がれ格子だけになっている扉がある。

 障子がないにもかかわらず、その先は暗闇で中の様子を窺い知ることはできなかった。

 もっとも、明るかったとしても距離があるので大まかな色くらいしか確認できないだろうな。

 

 俺が隠れ里の起点を探ったことを覚えているだろうか?

 起点を探り当て、お堂の中にあると分かった。

 それが、お堂に入ってから、起点を感じ取れなくなっていたんだ。

 神崎が刀で真の部屋を開いてくれた。そして、今、起点をハッキリと感じ取れる。

 

 ――あの格子の向こう側に。

 俺が進むと、神崎も何故か横に並んでいる。

 繭に包まれた少年たちのことを頼んだだろ? ちゃんと了承したじゃないか。

 

「おい、神崎」

「なんだ?」

「ガキどものことを頼んだだろ?」

「確かに頼まれた。だが、今すぐとは言っていない」


 クイッと顎をあげ、刀の柄に手を当てた彼はあろうことか俺の一歩前に出る。

 負けじと俺も彼より前へ。

 争うようにして進んだため、格子にぶつかりそうになり慌てて歩を止めた。


「奥にいるんだろ? 真打が」


 神崎は膝を落とし、下段に構えた刀を振り上げる。

 キイインと澄んだ音がして、格子に切れ目が入りずり落ちた。


「強引な奴だな。だが、手間が省けた」


 俺が言い終わるのと前後して、神崎が刀を左右に振るう。

 格子がバラバラになって地に落ちる。

 格子という壁が無くなっても、闇が外に漏れだすこともなく奥は暗闇に包まれたままだった。

 

 だが、問題ない。

 この闇からは怪異を感じないからな。


「燃えよ」


 札を奥に投げ入れると、松明ほどの炎となり周囲を照らす。

 これでよしと。

 

「明るくなるんだな……」

「そらそうさ。奥はただの暗闇だ。夜と同じってことだな」


 なあに、大したことはない。格子を境目にして昼と夜が区切られていただけのことだった。

 空間の歪みの中にある隠れ里は建物の外観と中が違ったり、部屋ごとに昼と夜が異なっていたりすることは多々ある。

 怪異が絡んだ闇となると、祓わねばこちらが飲み込まれてあの世行きだがね。

 

 先に踏み込もうとした神崎を手で制し、一歩踏み込む。

 シクシクと、すすり泣く女の声が聞こえてくる。


「待て。神崎」


 闇の外に出ると、声は聞こえなくなった。

 なるほど。闇の外と内は部屋のように仕切られているのか。外と中では音が届かない。

 

 再び中へ踏み込むと女の声が耳に届く。

 炎で周囲の様子を窺うことはできるものの、視界は良くない。


「ふむ。ここも石の床か。暗いだけで外と造りは同じに見える」


 神崎は冷静に分析をしているように見えるが、眉間の皺がどんどん深くなっている。

 嫌に耳につく泣き声に辟易しているんだろうな。俺もだよ。

 

「時に神崎。提灯かランタンを持っているか?」

「ある。これだ」


 あるのかよ!

 聞かなかった俺も悪いが、神崎が腰に吊るしていた箱をコンコンと叩く。

 それって双眼鏡か何かだと思っていたが、違うのか。

 

「太陽電灯というものだ。火ではなく電池というもので光る」


 カチと乾いた音と共に、レンズのところが煌々とた光を放つ。


「いいな……それ。ランタンより明るいんじゃねえか」


 と言いつつ念を込め、炎を消す。

 暗闇の問題を解決できた俺たちは、起点を辿り進む。

 進むなんて言ったが、ほんの20メートルも進まないうちに目的地に到達した。

 

 とそこで、足を踏み入れた瞬間、またしても昼と夜が逆転する。

 そこにはぼんやりと白く光る紐で壁に張りつけになった白装束の長い黒髪の女が頭を下に向け、泣き声をあげていたのだった。

 正面の壁には掛け軸が吊るしてあり、これが起点になっていると分かる。

 

「もし」


 神崎が不用心にも女に声をかけると、彼女はぐわっと首をあげ彼を仰ぎ見る。

 彼女の目からはとめどなく涙が流れ、ポタポタと床を濡らしていく。

 

平助へいすけ。平助はどこ? 平助……」


 彼女には神崎の声が届いていないようだった。

 彼女はうわごとのように同じ言葉を繰り返し、涙を流す。


「神崎。任せてくれ」

「ご婦人の拘束を解くのが先じゃないのか?」

「……お前。この女が何者か分かって言っているのか……」

「すまん」


 いくら神崎でも泣きはらすこの女が只の人間とは思うまい。

 隠れ里の起点に縛り付けられた女からは怪異を感じる。

 札を指先で挟み、慎重に彼女へ問いかけた。

 

「平助を探しているのか?」

「平助! あなたが平助を! 許さない、許さない……!」

「待て。息子を攫ったのは俺じゃない。逆だ」

「平助。ああ。私の可愛い子。あなたが、あなたが!」

「だから違うって言ってんだろ。お前さんは息子を探しているんだろ」

「平助を! 私の息子をどこに!」

「探してやる。平助を。だから教えろ」


 そこでピタリと女の涙が止まる。

 急に無表情になるもだから、ますます何を考えているのか分からなくなってしまう。

 だが、間違っていないはずだ。

 押し黙る彼女に向け言葉を紡ぐ。

 

「平助は10歳くらいの少年か? ここにいる神崎は警官だ。警官は分かるか? 人探しのプロだ」

「警官だったのね。平助はもうすぐ10歳になるところだったの。もう10歳になっているわ……」

「分かった。ちっと待ってろ」


 神崎の腕をグイっと引き、彼女から少し離れたところまで連れて行く。

 

「あいつは泣女なきめという怪異だ。子供を失った深い後悔を持ったまま死んだ女が怪異となったものだ」

「それは……いたたまれないな……」

「不幸な生前については確かに同情する。だが、怪異となれば無差別に自分の子供と似たような歳の子供を呼び寄せるんだ」

「となると、泣女を滅ぼすしかないということか」

「いや、そうでもない。消えるってのは一緒だけど――」


 神崎の耳に口を寄せボソボソと囁く。

 俺の案を聞いた渋面を浮かべていた彼の顔が和らぐ。

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