第3話 怪異の痕跡

「やはり怪異か?」

「たぶん、な。しかし、行き先が分からん。出窓に残った痕跡から、光明は外に出た……と考える方が自然だ」

「怪我もせず、塀も超えてか?」

「門から外に出たって線は?」

「ないな。門番が四六時中見張っている。それも二人だ」


 安河内夫人の情報によると、息子の光明は8歳とのこと。

 8歳のガキが窓から飛び降り、塀を乗り越えて外に出る……なんてことは不可能だ。

 普通の8歳の子供ならな。

 神崎も常識的な観点に照らし合わせて、不可能と判断したから札術師である俺を頼った。

 怪異が絡むと常識が常識ではなくなるのだから。

 

「怪異だとしたら、怪異の元凶に連れ去られたと見るのが妥当なところだろうな」

「連れ去られた? 光明君がわざわざ窓を開けるだろうか」

「いやいや、相手は怪異だぞ。光明が自ら窓を開け、窓から飛び降りたのかもしれんし、怪異が壁をすり抜けて窓を開けて光明を連れて飛び去ったのかもしれない」

「そうだった。怪異に常識は通用しない」

「そう言う事だ。そんなわけで、案内してくれ、神崎」

「案内……なるほどな。分かった」


 顔が良い上に仕事もできる、なんともいけすかない奴だが、察しが早いのは助かる。

 まず確かめたいことがあるんだ。

 それは、光明が行方知れずになった事件は単独なのかそうでないのかということ。

 子供が行方知れずになったということなら、警察に大なり小なり陳情が入るだろ。神崎の立場なら、行方知れずになった子供の情報を集めることは容易い。

 行方不明者ってのは年がら年中出るものだから、子供の行方知れずが光明と同じだと判断するにはまだ早い。

 札を使って実際に俺の目で確認しないとな。

 

 ◇◇◇

 

「ここも……か」


 三男がいなくなったとある夫婦の子供部屋でも光明のところと同じような黒い靄を確認することができた。

 この部屋は子供五人が一緒に寝ているとのことだが、誰も三男がいなくなった時に気が付かなかったそうだ。

 他にも夫婦と子供が川の字で寝ている部屋でも同様の事が起こっている。

 寝室だけじゃあない。

 屋外でも子供の行方知れずは多数発生していた。文さんの息子がいなくなっただろう場所も確認してみたが、外は痕跡がすぐに消えることもありハッキリとは怪異だと特定できずにいる。

 

「8歳から10歳くらいの男児のみ……か」


 形の良い顎に手を当て、思案顔の神崎がぼそりと言葉を漏らす。

 一方で俺は被害規模の大きさに戦々恐々としていた。

 これまで調査した限り、少なくとも5人の少年が行方知れずになっている。痕跡を追えてない者もいるだろう。

 いつから本事件が起こり始めたのかは不明。ひょっとすると犠牲者は三桁に及ぶのかもしれん。

 一度にこれだけの数の少年を攫うとなると、怪異の強さも相当だ。

 このまま放置していては怪異から物の怪に転じる可能性が高い。

 

「神崎。一刻も早く、場所を特定しねえとな」

「同意だ。時間が経てばたつほど男児の生存が切望的になる」

「怪異の性質からして子供を積極的に殺害しようとはしない……と思う。それだけが救いだな」

「希望的観測で語るのは警察官として……いや、貴様は警察官ではない。俺もそう願う」

「警察官が希望的観測に同意していいのかよ」

「ここには貴様と俺しかいない。問題なかろう」

「俺は警察官が大嫌いだしな。俺から漏れることはねえか」

「その通りだ」


 警察官の前で大嫌いだと言っても笑っているこいつは中々の大物だよな。


「あながち希望的観測ってわけでもねえんだ。俺が『見た』限り、強い殺意を感じなかった」

「そんなものまで見えるのか」

「怪異は世の理とは違うんだ。今回は黒い靄のような痕跡が見えたわけなんだがよ。痕跡にでも僅かに意思が残ってるもんなんだ」

「荒唐無稽とはこのことだな」

「まあ、そんなもんだ。怪異ってのは」


 一番わかり易い痕跡は強い感情、特に怒りを元にしたものだ。

 憎しみが強ければ強いほど、痕跡が残りやすい。今回のは「薄かった」。

 その分、痕跡も残り辛くて、追いかけるのが難しかったんだよな。

 

「それで、どんな意思が込められていたのだ」

「ふわっとしててな。読み取り辛い。だが、短期間で8歳から10歳の男児のみ、かつ、強い恨みも殺意もないとなると……探しているんじゃないかって思ってな」

「なるほど。一理ある。こいつじゃないとなると解放される……いや、甘すぎるな」

「自力で子供たちが戻って来るのを期待するのは不味い。それに、怪異がでかくなり過ぎて手に負えなくなっちまったら事だ」


 攫った子供を見た怪異の主は、こいつじゃない、こいつでもない、ってやってんじゃないかと思う。

 となると――。

 顎髭をさすり、神崎に目を向ける。


「怪異の原因はどこかを拠点にしていると見ている。だが、痕跡から子供たちが何処に行ったのか見当がつかねえ」

「警官を動員できるだけ動員し、捜索するよう掛け合ってみる」

「警察署に行くなら、ついでに行方不明情報の一覧も持ってきてくれ」

「承知した。過去のもということだな」


 神崎に向け「そうだ」と指を立てた。

 続けて彼に質問を投げかける。


「安河内さんなら警官と別に捜索隊くらい用意してそうなものだが、どうなんだ?」

「どれほどの規模か分からんが、夫人は別途捜索隊をという話をされていた」

「分かった。動員を掛け合う前に安河内さんのところに寄ってもらえねえか?」

「承知した。貴様はどうする?」

「俺はお前が口を漏らしたご婦人の相手をしなきゃなんねえんだよ。ほら、そろそろ夕方だろ」

「……俺は何も言ってない」

「そう言うことにしといてやるよ」


 ポンと神崎の肩を叩き、彼から背を向けた。

 あばよと片手をあげ、屋台の方へ向けて歩きだす。


 ◇◇◇

 

「屋台を移動させてなかったな」


 小うるさい神崎の言う通りにするのは癪だが、奴に面倒事を頼んでいる。

 仕方ねえ。橋の向こうに屋台を移動させるか。

 

 橋を渡っていると、仕事にひと段落ついた文が視界の先でペコリとお辞儀をする。

 

「よお」

「遅くなってしまいました。申し訳ありません」


 謝罪しつつも屋台の後ろに回り込んだ彼女は、後ろから屋台を押してくれた。

 いつも俺一人だし、横に来てくれた方が話易いんだけどなあ……彼女の好意を無碍にはできないから、そのまま喋ることにする。


「いや、こっちはこっちでいろいろあってな。息子さんが行方知れずになった場所は特定できた」

「本当ですか!」


 彼女にしては声を張り上げ、喜色をあげた。


「ぬか喜びさせてすまん。痕跡を見つけたが、発見には至ってない」

「それでも。1-12から24番地辺りから、番地まで絞り込めたんですよね?」

「まあ、な」

「探していただけるだけでもありがたく思ってます。探偵さんにお支払いもしてませんのに……」

「それはいいって。いろいろあったって言ったろ」


 文に安河内のこと、神崎の協力を得ていること、被害は複数人に及ぶこと、単独犯だろうと予想していることなどを説明する。

 すると彼女は状況の変化の早さに驚きを隠せない様子だったが、神妙な顔でこくこく頷きを返した。

 屋台の開店準備を手伝いながら。

 

「あ、文さん。言い辛いんだが」

「はい?」

「今日はそこの藪の前に屋台を置いておいて開店しないつもりだったんだよ」

「そうなんですか! 私、申し訳ありません。すぐに元に戻し」


 「いやいい」と言葉ではなく、忙しなく動こうとした彼女の腕を掴み態度で示す。

 しまった……。婦人に手を触れることは問題になるんだったか。遊女以外の女と接触することなんて滅多にねえから、つい。

 

「すまん」

「大事な商売道具に触れてしまい、こちらこそ申し訳ありません」


 彼女はちょうど手を触れていたジョッキのことで俺が慌てたと勘違いしているようだった。

 そのジョッキ、安物だ。

 

「文さん、一つ頼まれてくれねえか」

「私にできることでしたら」

「息子さんと同じくらいの歳の子供たちの情報を知りたい。分かる限りでいい」

「同学年の子供たちなら分かります。すぐ名簿を取りに行ってきます」

「分かった。その間に俺はひとっ走りして地図を買ってくる」

「これ、持っててくれ」


 そう言って彼女に黄色の札を一つ手渡す。念のためだ。いざという時、彼女をしばらくの間護ってくれる。

 護るといっても悪漢から護るわけじゃなく、怪異限定だけどな。

 受け取った彼女は大事そうにそれを着物の帯に挟み込む。

 

 ◇◇◇

 

 辺りはすっかり暗くなってきて、ガス灯の光が街を照らしている。

 橋のたもとにも街灯があってな。本を読むことができる程度には明るいのだ。

 

 地図を買って戻ると、神崎が屋台にもたれかかるようにして腕を組み待っていた。

 斜に構えやがって。あいつは意識して格好つけたりなんてしないと俺は知っている。

 だから余計にイラッとするのが分かってくれるか?

 

「よお、思ったより早かったな」


 と俺が言うと奴は。

 

「貴様は思ったより遅かったな」


 なんて憎まれ口を叩く。

 俺たちにとっちゃこれが挨拶みたいなもんだ。お互いに特段感情を乱すこともなく、普通に会話を続ける。

 買ってきた地図を屋台のテーブルに広げ、屋根から吊るしたランタンに火を付けた。

 

 神崎はペンを持つ俺を後ろから覗き込みながら、報告を始める。

 

「署内で行方不明者の件が繋がっていることは共有してきた。過去三年の行方不明者の情報も持ってきた」

「安河内さんの方はどうだった?」

「探偵やらを雇って捜索隊を結成していた。光明君の捜索を続けているが芳しくないらしいな」

「発見できていたのが最高だったんだが、そういうわけにもいかねえだろ」

「よし。まずは捜索隊の探した場所を地図に書きこむか?」

「おう、替わる」


 神崎と場所を入れ替えた。彼は俺が持っていたペンではなく、懐から色鉛筆を出しそれで地図に色を付けていく。

 ほう。周囲5キロは個人宅以外ほぼ調べてる感じだな。たった一日でここまで探索するとは何人で回ったんだろうか。

 つっても、道があるところだけだけどな。それでも、細い路地や商店までくまなく回っていることは尊敬に値する。


「次は警察の情報だ」


 警察は行方不明者の報告があったからと言ってすぐに動かない。文の息子が良い例だ。

 年齢にもよるが、最低でも丸一日以上経過してからでないと操作に取り掛かることができない。

 というのは警察に来る相談者の数が原因である。

 ガセやからかうものも多いからな。全部が全部相手をしていては警官の人数がとてもじゃないが足らないってわけさ。

 あいつらの仕事は人探しだけじゃねえものな。

 

「警察も捜索はしていたのか?」

「過去のはもちろん入れてない。過去一週間で捜索した範囲だけだ」

「光明以外の行方知れずも入れたら捜索している子供もいるか」

「そういうことだ。光明君に関しては今朝から捜索をしている」


 金持ちや有力者相手となると初動が早い。国の犬だから仕方ねえことだが、聞いていてあまり気持ちのいい話じゃねえな。

 さすが警察。一部民家にまで踏み込んで捜査しているじゃねえか。

 

「こんなところだな」

「次は行方知らずになった場所を書き込む」

「このまま俺が描こう」

「頼む」


 住所を読み上げ、神崎が朱色のバツマークを地図に書き込んで行く。

 これで下準備は完了だ。

 

「警察や安河内さんの探索隊はこれからどの辺りを探索すると言ってた?」

「警察は山狩りだな。捜索隊は周囲5キロの藪の中やら道が存在せず人気のない場所を探す」

「分かった。人さらいが人里離れた場所に潜伏しているのはよくある話だからな」

「そういうことだ。廃棄されたお堂や民家、洞窟など。雨風を凌げる場所は多々ある」


 神崎とのやり取りが済んだところでもう一人の待ち人がやって来た。

 

「辰巳さん、名簿をお持ちしました」

「助かる」


 そう。文だ。彼女はペコリとお辞儀をして屋台のテーブルの上に薄い書欄をそっと置く。

 神崎と彼女はお互いに目くばせし、会釈をし合っている。

 俺のことを紹介したのが神崎だから、お互いに面識があることは分かっているからな。

 神崎はまだ誤魔化そうとしているが、突っ込むのも面倒だし時間の無駄だから放置しておこう。

 

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