第2話 神崎と洋館

「ふああ。眠い」


 朝はいつも眠い。今朝はいつも以上に眠い。

 ちょっとばかりいつもより早く起きて、仕込みをしたから仕方ねえ。夜は夜で遅くまで屋台をやっているから寝る時間が短いのなんのって。

 さあて着いた着いた。いつもの橋の脇で屋台を引く手を止める。


「少し早くなるとこんなに人がいるのか」


 子供の姿は見えねえが、建物に多くの人が吸い込まれて行く。

 路面電車も乗合自動車も満員御礼って感じだな。早い時間から動き出すと、更に人が忙しなく動いているなんて、どうにも好きになれねえ。

 何だか息苦しくてよ。どいつもこいつも何かに追われているかのようでさ。

 

 道行く人を眺め毒付きつつも、手は休めない。いつでも始めることができるようにしておかなきゃな。

 七輪に新しい炭を放り込んだり、屋台を綺麗にしたりと仕込みが終わってるとはいえこの場でやらなきゃいけないことは結構あるんだ。

 終わったら朝飯にでもするか。

 

「おはようございます」

ふみさん。もうちっとだけ待ってくれるか?」


 昨晩俺に依頼をしてきた女の名は文と言う。

 込み入ったことは聞いていないから、分かっていることは彼女の夫は蒸発して、息子が8歳になることくらいだな。

 女手一つで息子を育ててるとか立派なもんだ。

 頼んでないってのに、顔を出すなり屋台を引くのを手伝ってくれているし、手際も良い。


「いいって。座っておいてくれて」

「せめてお手伝いくらいさせてください」

「仕事はいいのか?」

「仕事をする気持ちにはとてもなれないのですが、お屋敷に戻らないといけません」

「そいつは仕方ねえよ。生きていくのに仕方ねえことだ」


 察するに彼女はどこか大きな家で奉公しているぽいな。

 風呂敷で包んだ荷物も仕事用具が入っているのだろう。


「俺は俺で動く。他にも行方知れずになった子供がいないかとか、怪しい動きがなかったか、とかな」

「ありがとうございます! ありがとうございます!」


 藁にも縋る思いとはまさにこのこと。

 彼女は何度も何度も深々と頭を下げた。付きっ切りで捜索するわけじゃないから、なんだかバツが悪い。

 ん、彼女が屋台に荷物を乗せ風呂敷を開こうとしている。

 

「朝食はお召し上がりになりましたか?」

「いや、まだだけど」

「よろしかったら、食べてください」


 包みの中は重箱になっていた。中に入っていたものは握り飯に漬物、鮭の塩焼きと大きさの割に品数も量も少ない。


「ごめん。嘘を言った。もう食べたんだ。これはあんたが食べな」

「で、ですが……はい」


 っち。腹の音を聞かれちまったかもしれん。

 気が付かれていないことにしてくれ。彼女に重箱を押し返し、ふんと顔を逸らす。

 ついでにキセルをふかす。

 

 文が深々と礼をして去って行くのと入れ違いで、いけすかない奴がズカズカと大股歩きでやって来た。

 あいつに気を遣うことなんてしねえ。結局いつもくらいになってしまった朝食を食べてやる。

 ジュウジュウと食欲を誘う音をたてる豚肉をひっくり返し、塩・胡椒を振りかけた。朝はあっさりとな。

 

「辰巳」

「……もうすぐ焼ける。米も炊ける」


 警帽の鍔を指先で挟み、プルプルと震える精悍な顔。


「おい、辰巳。貴様聞いているんだろ」

「俺は朝飯に忙しい」


 ようやく警官――神崎も察したようだった。

 こめかみをひくつかせながら、妥協案を出してくる。


「焼酎でどうだ」

「粟焼酎なら、話を聞こう。ただし、食べる手は止めねえ」

「強欲な奴だな」


 焼酎と代わりってんなら仕方ねえ。会話をしてやろうじゃないか。

 顎で席に座れと促しつつ、焼けたばかりの肉をほうばる。


「熱っ!」

「……聞いているものとして喋る。不可解な事件があった」

「ほうほう。ゴクン」

「昨晩のことだ。部屋の中にいたあるご子息が今朝になって行方知れずとなった」

「自分で家出しただけじゃねえのか?」

「現場を見れば貴様も分かる。怪異じゃないかと踏んでいる。誠に遺憾だが、怪異となれば貴様を頼るしかない」

「ったく。素直に頼めよな。で、報酬は出るのか?」

「受けてくれるのか?」

「おいおい、だから、報酬は?」

「成功報酬は五百円。前金で百円。前金は成功しようが失敗しようが貴様のものにしていいとのことだ」

「相当な金持ちだな。いいぜ。やってやろうじゃねえか」


 腹も膨れたことだし。神崎のことだ。このまますぐに俺を連れて行く腹つもりなんだろう。

 息子の捜索にこれだけの大金をぽんと支払う依頼主は相当な金持ちで間違いねえ。

 五百円あれば遊郭で豪遊できる。

 店もしばらく閉めてもお釣りが来るってもんじゃない。丸一日動けるから、文の息子の捜索も捗ると言う事ねえな。

 

 案の定、朝食を平らげるや否や神崎が「来い」と顎で示す。右手をサーベルの柄に添えるおまけ付で。

 そんなことしなくても行くと言ってんだろうに。

 

 ◇◇◇

 

 これまたすごいお屋敷だ。

 明治からぽつぽつと見かけるようになった洋館ってやつだな。鉄の門に敷地をグルリと囲う塀にまで意匠が凝らされている。

 旧武家屋敷を改築したのか、門を入って右手に鯉が泳ぐ池があった。大理石の像なんかも置かれていて、なんだっけ、ええとギリシャ風? よく分からん。

 全く、洋風の何がいいのかねえ。

 家にしろ服にしろ洋風の方が和風より高い。わざわざ金をかけて洋風にしようとするのが俺には理解できん。

 洋風といえば神崎の着ている服もそうだ。漆黒に金ボタンの制服は結構な金をかけているように思える。


「なんだ?」

「いや、別に」


 少し前を歩く神崎に俺の視線が気づかれたようだった。

 それでも、立ち止まるようなことはしない。先導するスーツ姿の執事は後ろを確認することなく、淡々と歩いているからな。

 

 客間に通され、待っていたのは白いブラウスに膝下まで丈があるスカート姿の妙齢の美女だった。

 歳の頃は神崎よりやや下くらいか。彼女は薄い化粧に真珠のネックレスだけとこざっぱりとした感じの女だった。

 金持ちの女ってもっと金銀財宝を身に着けているもんだと思ってたが、案外こんなものなのかもしれない。

 長い髪の毛も後ろで留めて、キリリとした瞳が真っ直ぐ俺を見つめていた。

 

安河内やすごうち様。こいつが例の怪異の専門家です」


 神崎の言葉に目を閉じ、小さく頷いた彼女は薄く微笑み俺に挨拶をする。


「初めまして。安河内春江やすごうち はるえです。神崎様からあなたのお噂を聞いております。どうか、光明みつあきを」

「全力を尽くします。さっそく、光明くんの部屋を見せて頂きたいのですがよろしいですか?」

「勿論です。捜索に必要なことがありましたら申しつけください」

「ありがとうございます」

 

 息子が行方知れずになったから、主人もいるのかと思ったが仕事にでも出ているらしい。

 執事やら外の門番やらいるから、物騒なことにも対応できるか。

 

 神崎が息子の光明の部屋を知っているらしく、彼に案内されて息子の部屋まで来る。

 息子の部屋は二階の角部屋で、かつ南向きということもあり陰が嫌う場所だった。

 この間取りなら、まずこの部屋から怪異がってのはないな。

 となると、怪異は息子が原因の可能性が高い。

 怪異だったらの話だけどな。不可思議な出来事があると、人は人の手による可能性を放棄し、妖怪やら怪異の仕業と吹聴する。

 だが、その多くは怪異や妖怪じゃあなく、人によるものなのだ。

 雪女を見たというが、本物の雪女なのかただの人間が白い装束を着ていたなんて遠目からじゃ区別がつかないように。

 

 さて、問題の子供部屋というと、広い。およそ18畳くらいってところか。

 二人くらい連れ込んでも余裕で遊べそうなベッドに樫の木でできた洒落た文机、洋風の箪笥などなど……金持ちってのはガキにこんな部屋を与えるらしい。

 こういうのがいいもんかねえ。羨ましくなんてねえからな。俺はあばら小屋で満足しているし、たまに謎のキノコが生えてたりしてもそれはそれで味があるってもんだろ?


「んで、神崎。密室だったてのに光明がいなくなったのか?」

「そうだな。強いて言うなら出窓が開いていた」

「おい!」

「まあ、見てみろ」


 思わず全力で突っ込んでしまった。

 出窓は子供どころか大人でも外に出ることができるほど広い。乗り出して、下に降りれば簡単に外に出ることができるじゃないか。

 神崎が誰でもすぐに分かるようなことを見逃すとも思えん。

 

 出窓に乗り出し、窓を開けてみる。


「確かにこいつはガキには難しいか」

「貴様や俺ならともかく、ご婦人にも困難なほどだ。まして子供が落ちて無事だと思えん」


 洋館の天井は高いんだな。二階部分から下を見下ろしているってのに8メートルくらいはある。

 子供がここから落ちてまともに歩くことができるとは思えない。警備の奴が駆け込んで今頃子供は病院の中だ。

 よしんば無事に着地できたとしよう。

 

「降りる」

「おい」


 止める神崎の声を無視して、出窓からひょいっと飛び降りる。

 両手両足と膝を使って落下の衝撃を逃がし、無事着地した。

 ドサ。

 神崎の奴まで降りて……いや、落ちてきたじゃないか。

 こいつは両足のみで着地していたが、足の骨が折れて捜査を続けれませんとかになんないだろうな?


「降りてどうしようというんだ?」


 平気らしい。彼は首をぐるりと回し、余裕の笑みを浮かべている。

 男前は嫌いだ。笑顔が特にな。

 っちと舌打ちしつつ、前を向く。真っ直ぐ進んで行くと、壁にぶち当たった。

 壁を見上げ、うーんと腕を組む。

 

「塀を子供が登るのは難しいよな」


 二メートルくらいある垂直の壁を子供が登るのは……。試しに登ろうとしたら神崎にぐいっと肩を引っ張られた。


「実際に経路を確かめようというんだろ?」

「そうだ。分かってるじゃねえか」

「既にやった。確かめた結果、貴様を呼ぶことにしたんだ」

「まあいいじゃねえか。俺が改めて確かめてもいいだろ」

「何事だと騒ぎになるだろうが。警官ならともかく、貴様がやると物取りと間違えられかねん」


 ぐうの音もでねえ。お屋敷から着流しの男が塀を越えて出てきた。

 即騒ぎになって警官が駆けつけてきそうだ。警官ならここにいるがね。

 

 誠に遺憾ながら、塀を登ることは諦め、再び子供部屋に戻る。


「さてと。ちょいと調べるとするか」

「無駄足を踏んだ。とっととやれ」


 愚痴をこぼす神崎のことなど完全に無視を決め込み、着流しの中に手を伸ばす。

 ぼりぼりと肩辺りをかいて、手を元の位置に戻した。

 横にいる奴の圧が酷くなってきたから、そろそろ真面目にやるとしますか。

 袖口に忍ばせたくしゃくしゃになった札を出し、文机の上に乗せる。

 札は紙幣くらいの大きさで黄色に朱色で印を描いているものだ。


「何をしているんだ?」

「せっかくだから、皺を伸ばして使おうと思ってな」

「怪異を探るのもいろいろ手順があるのだな」

「そんなところだ」


 真っ赤な嘘だけどな。俺は父から札術を仕込まれ、それなりに使うことができる。

 多くは眉唾であるが、この世の中には確かに怪異が存在する。

 殆どは怪異ではなく人の勘違いとか自然現象なんだけどな。今回は怪異が絡んでいる気がする。

 札を指先で挟み、顔の前に掲げ、目を瞑る。

 

 出でよ、出でよ、内へ外へ、神羅万象を紐解き、出でよ。我が目に宿れ、札の内。

 ゆっくり目を開き、ベッドに目を向ける。

 

 ……。

 枕元に朧気ながら黒い靄が見えるな。これは怪異の僅かな残り香で間違いない。

 こいつを辿って行けば原因まで到達できるのだが、生憎希薄過ぎてどうにもこうにもならん。

 後は出窓の取っ手に僅かな黒い染みがあるくらいか。

 開け放たれた窓から外を――。

 

「やっぱダメか」


 まるで痕跡がない。かといって屋敷の外はより濃い「他の怪異」が混じっていて特定が不可能だ。

 

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