タルミさん

KIKI-TA

第1話 タルミさん

 

 入力しないと正確な答えはでないから。


 タルミさんは、画面に向かってブツブツ言

いながらキーを操作する。面倒くさそうだ。

毎回毎回、状況が劇的に変わるはずがない。

 いつもどおり、網パッチを頭に装着して、

脳波データをセンターに送る。

 並行して画面にチェックを入れる。

 チェックを入れるといっても、基本的なパ

ーソナルデータは既にデータベースに登録し

てある。国籍、性別、出生年月日など。

 検査済の身体データ、生化学データは、医

療機関から送信済である。

 新たに入力するのは、直近2週間の睡眠傾

向、疲労感、倦怠感など主観的なもの。対人

ストレス度。具体的には嫌いなものが増えた

か減ったか、記憶に残るような嫌な言動があ

ったかなかったか、してしまったか。それに

対する後悔が残っているか、など。

 そしてその逆。楽しかった、嬉しかった記

憶。あと、自分の気持ちを重さに直すと何グ

ラムくらいか、なんて項目もある。


 画面には、3D画像が映っている。

 画像は、刻々と変わるタルミさんの心理状

況を3D画像で可視化したもの。タルミさん

の心の模様に色付けしたもの。

 脳波データをリアルタイムで送信している

から、画像は生き物のように動く。

「毎度のことだけれど、これが自分の心?い

や脳の中身?」

 タルミさんはいつものように呟く。ため息

交じりで呟く。

 物理的、精神的なストレス。過去に負荷記

憶があっても適切に回復措置が施されていれ

ば、画像はツルンとした球体に近くなる。生

まれたての赤ん坊ほど球体に近い画像となる

と言いたいところだがそうでもないらしい。

胎児は、胎盤に着床してからもう母親の心を

感じ始めている。言葉はわからなくても、心

は、体温、脈拍やホルモンの流れを通して繋

がり、母親がすべてである胎児は、その影響

を受け取りながら育つ。そう、脳はその波長

のなかで育っていくから、生まれたての赤ん

坊の脳波の画像もまん丸とはいかないのだ。

 母親が何らかのストレスをかかえていた場

合、それは胎児の脳に傷跡として残る。物理

的な傷でなくても、潜在的な心の傷もある。

ストレスのない母親なんていない。傷跡のな

い脳なんて。

 わたしたちが命を繋いでいくとは。単なる

コピーじゃない。

「わたしの年齢でそんな人間いるはずない、

いたらプログラムを疑いますね。プログラム

を組んでいるのは、あのAIさんだが、皺ひ

とつない画像なんてまるで妖怪じゃないか。

いや、妖怪のほうがまだその悩ましい心。生

生しく刻まれているかも。案外生きた人間よ

りも、ヒューマン?かもな」

 タルミさん、相変わらずブツブツ言いなが

ら画像を見ている。


 年齢を重ねた人間の脳波の画像がそこに動

いている。動いている?そう、入力項目のチ

ェックも終え、送信ボタンを押すと更に凹凸

がリアルに動く。徐々に奇怪なかたちになっ

ていく。

「恰好つければ、東アジアの、オスの、ホモ

・サピエンスの、1サンプルか。生殖ホンモ

ンの分泌も減少し、生命維持のピークも過ぎ

去っている。なんだ、この画像は。二十世紀

に沿岸に生息していたタコか?軟体動物か?

捕食魚類に狙われ、岩にへばりつき、体色を

変化させ皮膚を凹凸にして擬態のつもりか。

タコも必死なのかも知れないが、タルミさん

も必死だぜ」

 タルミさんの呟き、だんだんと抑揚を増し

てくる。

 それは独り言?愚痴?しかし、タルミさん

にとっては、誰の目も気にせず妄想できる無

二の時間なのだ。

「気持ちがわるいな。毎回こんな画像に付き

合わされると」

 何時もと同じ。ちょっと生で、不気味で、

気持ちがわるい。

 タルミさん、鏡で自分の顔を見るのがあま

り好きでない。滑らかな女性の肌ならいいが

変わり映えのしない、色つや、張りもいいと

はいえない。瞳、鼻の頭、唇の色、髪ツヤ、

輪郭、何時ものパーツが、やあっ、て言って

いる。

「似たようなものかなあ。似て非なるものか

なあ」

 鏡の顔と3D画像。

 唯一の相違点。

 顔は見ても感慨は湧かない。3D画像は徐

々に妄想が膨らんでいく。

 時間あるときは膨らむに任せる。いまもそ

う。尖ったり滑らかになったり、部分が刻々

と動いていく。妄想も動いていく。

「これが脳の中なのか」

 膨らむ妄想によって画像は更に成長してい

く。頭の中身が露わになる。裸になる。ビュ

アな妄想から淫靡で邪悪な妄想へ。天使から

悪魔へ。

「誰に迷惑掛ける訳でもない。剥き出しにす

る。曝け出させる。酸っぱいか。分厚い皮を

剥ぐ。甘いか。薄皮をむいて蜜を絞る。固く

太いか。堂々としているか」

 そう言えば、タルミさん、小学生の頃、綺

麗な甲虫を捕まえてきては、プラスチックの

ケースに入れて横になって眺めていた。

 甲虫が触覚を動かし枝を上り下りする。容

器に挿入したえさ、動物性蛋白質に気付く。

触覚で触る。咀嚼する。やがて雄は雌の匂い

に気付く。足の動きが速くなる。単独では見

せたことのない素早さだ。前足で雌の背中を

擦る。両脇に前足を伸ばす。背中に体重を掛

ける。腹がアコーディオンのように動きはじ

める。腹がくの字になる。触覚の動きが激し

くなる。見たこともない生殖器が雄の腹から

出てくる。雌。雌。視野は全部が雌になる。

雌のことで満たされてしまった脳。雌に麻痺

してしまった脳。

 タルミさん、小学生に戻ったかのように胸

の鼓動が速くなる。街の喧騒も聞こえない。

TVのボイスもノイズとなる。鼓動が手に取

るようにわかる。聴覚全体が鼓動に占領され

る。視野が虚ろになっていく。

「いかん。いかん。画像の右端、表面が膨ら

んできている。突起が少しずつ伸びて隆起し

ている。太くなっている」

 また淫靡の扉に手を掛けてしまった。

 タルミさん、慌てて視線を部屋のカーテン

に移す。カーテンは夏の夜風を受けて、そよ

いでいる。

《コンバンワ、タルミサン、ダイジョウブデ

スカ?》

 夜風に頬を撫でられて、何時もと変わらな

い夜にタルミさん、街の喧騒が再び耳に届き

始める。


 心の診断は、二十世紀にもあったらしい。

それは二次データで、粗いデータで、回答欄

にチェックをいれて、ざっくりマトリックス

で回答される。回答は本人に送付され、メン

タルチェックの名目で、雇う側も雇われる側

も叫んでいたらしい。

《働きすぎちゃあいけないよ。けれど健康な

うちは働け働くんだ。リタイヤするのはまだ

早い。元気なうちは社会を支えろ叫んで支え

ろ》

 今は脳波と直結、リアル、秒単位のオリジ

ナル診断だ。

 干渉されない。噂もされない。興味ある?

ない?どうでもいい。わかってなんかもらう

必要もない。

「リアルだなあ。でも、リアルすぎちゃいな

いか。行く着く先、こうなるしかないのかな

あ。妄想の罠もあるがなあ」


 植物は動物と違い移動していくことができ

ない。どうしても一か所にとどまって生きな

ければならない。植物は、病気になったり、

生きづらいことが起きると、自分以外の他の

植物と時間を掛けて助け合うらしい。栄養分

を与えたり与えられたり。

 植物の細胞の電気信号は、動物の何千倍も

遅い。けれど、彼らにはその速度がちょうど

いい。そのおかげで、気温、湿度や水蒸気な

ど色々な気象要素が時間をかけて保たれる。

 遅くてちょうどいい。時間をかけることが

命を繋いでいくことと不可分に結びついてい

る。結びつきを絶とうとしたのは、目先の命

ばかりを見ていた人間のほうだ。

 植物の哲学に学べ。

「内臓に共存している細菌と同じように、生

存のための助け合いなのかなあ。共存の意味

を植物から学び始めたということか。植物脳

で考えるということか。画像からは、植物脳

であるかどうかなんてわからない。あなたの

身体は脳だけが支配しているのではないよ。

細菌たちからの信号が脳波に影響しているこ

ともあるのだろうか」

 タルミさん、膨らんだ妄想で迷路に迷い込

んでいる。


『タルミさん、あなたの3D画像を確認させ

てもらっているのだけれど、兆候として、ち

ょっと気になる箇所がある。連絡をくれます

か。以前からあったのだけれど、現象が固定

化されてきているように思えるので』

 担当医のニケ女史からメールが入る。

「固定化?どの箇所だろうか?画像では変化

しているようにはみえないが」

 タルミさんは突然のメールにちょっと不安

が覗く。

『了解です。来週の月曜の14時なら、お伺

いできます。いかがでしょうか。何か必要な

ものはありますか』

 タルミさん、早速メールに返信する。

 脳波の送信により、リアルタイムで心の状

態が画像化される。担当医との契約によって

画像のチェックと健診・助言、必要に応じて

診察もしてもらえる。早期に治療が必要な場

合は、リアルタイムで対応してもらえる。

 心因は無意識の領域にあることがほとんど

で、普段のなにげない感情や言動が、心の奥

深いところの何に起因しているのか、専門家

の科学的な目で診断してもらえることは、ス

トレス低減に繋がるだけでなく、がんや糖尿

病などの慢性疾患の予防減少にもつながる。

 二十一世紀に入ってからだろうか。

 それまで幾度となく人類を襲ってきた、新

型ウィルスの攻撃スピードが加速度的に増大

した。DNA型ワクチンを開発し、ウィルス

を撃退させたとしても、グローバル化した人

類の活動を見透かしたかのように、変異した

或いは更なる未知のウィルスが周期的に発生

し、蔓延と撃退が恒常となってしまった。新

型ワクチンの開発には毎回何十億ドルという

経費が掛かり、都度経済封鎖などによるマイ

ナス効果も甚大だった。最大のマイナス効果

は、蔓延の繰り返しで人類の意識が疲弊し始

めたことだ。危機感を持った国際機関は、ワ

クチンによる対処療法と併せ、免疫力の向上

のため、多様な免疫療法を施策に掲げるよう

になった。経済先進国では、国民健康情報の

リアルタイムな把握と管理を、AIを導入し

て進めているのだった。

 タルミさんの見ている画像もその施策の一

つ。心的治療をストレス低減に結び付け、免

疫機能を強化し、慢性疾患やウィルスに対す

る耐性を強化する。

『確認有難う。アポイントは了解しました。

それでは来週月曜の14時に、センターでお

待ちしています。データはこちらで把握でき

ているので必要な持ち物はありません。お会

いするのは久しぶりですね。楽しみにしてい

ます』 

 先生か返信が入る。

『よろしくお願いします』

 タルミさん、返信メールを送る。夏の夜風

に、カーテンはまだ少し揺れている。


「お会いしたのは、半年前だったかしら」

 久しぶりに会ったニケ女史は変わっていな

かった。すらっとした背に、長めの指、エナ

メル色の爪がきれいだ。女医なので化粧は薄

く体臭もなかったが、じっと見つめる瞳の虹

彩は吸い込まれるようなヘーゼル型だった。

「この前も、心療3D画像を見ていたときに

ニケさんからメールが入ったんです。今回も

タイミングとしてちょうどよかった。画像に

気になる箇所があったみたいですね」

 ニケ女史は、既に記録画像を映し出してい

た。

「そう。この部分。見えるかしら。大脳でい

くと、潜在的な皮質にあたる箇所で、以前か

らちょっと気になっていたんだけれど」

 タルミさん、ニケ女史のデスクにある画面

を覗き込む。

「タルミさんの歴史でいうと、ご両親、特に

母親から受け継いだ遺伝的なものと幼少期の

体験記憶が刷り込まれている箇所ね。この部

分の曲線が不規則に重なり濃くなっているで

しょう」

「そうですね。確かに。気が付かなかったで

すが。他の箇所に比べると動きが滑らかでな

いというか、断続的に振動している、小刻み

に震えているように見える」

「何か生活上で気になる点はない?」

「そうだなあ。毎日気分爽快という訳にはい

かないけれど。デスクに向かっているときに

不意に気分が落ち込むことがありますね」

「どんなふうにかしら」

「何というか、理由はわからないのですが、

前日の気分とは明らかに違う。集中できなく

なってくるというか。急に自己肯定感が下が

るというか。だめになっていく感覚に支配さ

れるというか」

「睡眠はどう?」

「そう言えば、ぐっすりと眠れる方が少ない

気がする。眠れたとしても、二時間位で目が

醒めてしまい、興奮して眠れない訳ではない

のですが、眠りが浅い。夢見も悪くて、夢の

内容はすぐに忘れてしまうのですが、何か見

知らぬ人に非難されているような感覚、嫌な

感覚が残るというか。それもはっきりと。特

に眠りの浅い日は疲れてしまって、その次の

夜は比較的眠れるのですが、そのまた次の日

が不眠になる。その繰り返しです」

「そうね。その影響が3D画像に出ている。

先ほどの不規則な曲線の重なりと、断続的な

動きに表れている。慢性的に固定化されてい

るのも気になる」

 タルミさん、先生の話しを飲み込むように

記憶をなぞっていく。

「お母様はどのようなお方だったのかしら?

いまはどうしていらっしゃる?何か思い出す

ことがあれば教えて」

「母親は、一言で言えばその母親、つまりわ

たしからみれば祖母からの愛情に飢えていた

のではないかと感じることはありました。そ

の裏返しでしょうか、わたしを溺愛し、支配

しようと。わたしの幼少時代は母親に独占さ

れていました。わたしは母親の人生の投影で

しかなかったのかと」

「そう。その歴史が、あなたの大脳のこの部

分に固定化されてしまっている。悪夢も、直

接母親は出てこないかも知れないけれど、重

たいイメージとなっている。幼少期のあなた

は、我慢するしかなかったですものね。不意

に落ち込むことがあると仰ったでしょう。そ

れも、我慢するしかなかった幼少期のあなた

の心の諦めが時間を隔てて浸みだしている。

それは脳のなかに体験として刷り込まれ、無

意識領域に固定化されてしまっているから、

いつも何故だかわからずに、ふっと現れる。

パートナーの何気ない一言や、仕事のプレッ

シャーのなかで感じる些細な言動などの、記

憶にも残らないほどの小さなきっかけを契機

として」

 タルミさんは、ニケ女史の瞳を見つめなが

ら、考える。

「大脳のこの部分は、母親、そしてその母親

と代々積み重なってきた母系の記憶が固定化

されていく箇所なの。もっと言えば、先祖が

積み重ねてきた古い記憶が何層にも重なって

そう、ちょうど湿原に植物が腐らずに幾層に

も沈潜し沼地となっていくような。以前はミ

トコンドリアイブといって研究が進められて

いたけれど、それが深層心理に繋がっている

ことがわかってきているわ」

「誰にもあるんですか?」

「誰にでもある。人類というか、脳が発達し

てしまったホモ・サピエンスに特に特徴的な

箇所ね。進化の過程で背負った諸刃の刃と言

えるのかしら。でも、不規則な曲線が折り重

なったり、断続的な動きをするのは、心療の

段階になっている。悪夢からの脱却も必要だ

わ」

「先生の話しを聞いていると、聞くだけで何

か、無意識に我慢していることから解放され

ていくというか、気持ちが軽くなっていくと

いうか」

「そうね。これを見ると、タルミさん、蓄積

だけじゃない、解放することも無意識にやっ

ているはずよ。でないともっと深刻な画面に

なる。何か思いあたることない?」

「そう言えば、3D画像を眺める度に、いつ

もたわいない妄想を膨らましてしまう。人に

は言えないようなことも含めて、心の垣根を

取り払うというか。自由に」

「そうだと思うわ。そうした行為の結果も画

像に表れている。心を動かす、涙を流す、言

語化できない感情を表出するのと同じ効果が

ある」

「実はこの前、先生がメールしてきたときも

画像を眺めながら自由に妄想を膨らませてい

ました」

「がんが、ストレスや食生活によって引き起

こされると言われて久しく、体質の遺伝も要

因になると言われているけれど、体質の遺伝

には、祖母から母へ、代々の脳に蓄積された

ストレス記憶も潜在的に含まれること、幼少

期の負の記憶が、脳内のストレス物質を固定

化していくことが、最新の医学でわかってき

た」

「代々の母からの遺伝も、幼少期のストレス

記憶も、自分が意識して対応できる内容を超

えているように思います。どうしたらいいで

すか?」

「心を開放して自由に想像を膨らますのは良

い対処だわ。恐らく、タルミさん。3D画像

を見ているうちに、無意識に3D画像から指

令をもらっていたのかも知れない。後は、厳

しい話しになるけれど、母親からもらった宿

題は母親で解決していくしかない」

「と言いますと」

「お母様は、いまはどうしているの?」

「88歳を越えて、認知症が進み、以前は盗

難妄想とか被害妄想がひどく、周囲のケアが

大変だったですが、自身の過去の記憶のなか

にだけ住んでいる人になってしまいました。

現在は、糖尿病の治療もあるので、施設に入

居させています」

「タルミさんは子どもだと認識できるの?」

「まだかろうじて。ただ、わたしの記憶は幼

少期で止まっている」

「そう。そしたら、お会いできたときでかま

わないから、できる範囲でかまわないから、

お母様の手を取り瞳を見ながら、言葉をかけ

てあげるの。何でもいい。言っていることは

十分に理解できなくても、親子としての感情

は体温のように伝わるわ。その時のお母様の

反応がどうであれ、その反応が、タルミさん

の瞳孔や皮膚から、タルミさんの脳内に信号

として摂り込まれる。固定化してしまった脳

内に溶解物質を放出する。僅かずつだけれど

薄皮を剥がす程度かも知れない。母によって

固まった記憶は、母によって溶解する。眼に

は眼をではないけれど、母には母。肉親と対

峙することはある意味、無意識に、辛い記憶

と対峙することだけれど、そのことによって

固定化された潜在意識が徐々に溶解していく

はず。ほんとうに徐々にね」

「気持ちも、身体も、もとろん脳も固まって

いってはいけないということですね」

「そう。リアルに、タイムリーに3D画像で

クライアントの心の状態を確認する。そして

カウンセリングして処方していくのが、わた

したち医療スタッフの務め。勿論、タルミさ

んの習癖である、妄想と言ってよいのかな?

自由に想像を膨らますことも続けていってね

何でもいい。何でもいいのよ」

「先生の、吸い込まれるようなヘーゼルの瞳

を想像しながら。今度は、虹彩から世界がひ

ろがっていくような妄想にしようかな」

「わたしの瞳でよければいくらでも」

「そのうち悪夢も見なくなりますか」

「そうね。徐々にだけれど。段々すっきりと

した目覚めになれば、脳が柔らかくなってき

たといえる」

「有難い。やっぱり専門の方でないとわから

ないことって、沢山あるんですね」

「網パッチを頭に装着して、通信を繋げてく

れればすぐに確認できるから」


 いつも、どちらかというと、画像確認は面

倒だな、あまり変わり映えしないし、と思っ

ていたタルミさんだったが、ニケ女史の話し

は的確で思いもよらない助言になった。それ

に、リアルでタイムリーなのが有難い。

 思えばこの仕組み、新しい試みではあるが

まだ、すべてが十分に機能しているとは言え

ない。自分の意識は自分だけではより良くコ

ントロールできない。

 人の心のなかを無神経に覗くなんて、どん

な商法に悪用されるかわかったものではない

心を裸にするなんて、と抵抗する人たちは相

変わらず一定数いる。勤務先で運用が義務化

されているならよいが、まだまだ零細企業や

個人事業の人たちは運用率も低い。

 でも、タルミさん。

 長年付き合わされてきた悪夢から解放され

る、ニケ女史と知的な会話ができるなら嬉し

いと思う。

 おまけに、妄想の自由は保障されている。

 妄想は、あの3D画像の蠢きを見ないと誘

発されない。蠢く心模様を眺めて、たわいの

ない妄想から思いもよらない妄想へ。発展?

いや増殖?のスリルがたまらない。

 妄想はいつも、真夏の積乱雲のように膨ら

む。しかし、極大にまで達すると激しい驟雨

を降らせ、青空がひろがる。それが解放なの

かも知れない。

 雲散霧消。青空。

 母は昨年よりも老化が進んだ。心は一段と

幼少期に返ってしまっている。話しかけても

わかった、しか言わない。それ以上の言葉は

なくても、それは母の大脳の動きなのだ。母

もまた母系の記憶から、無意識に解放された

いのかも知れない。


 ニケ女史からメールが届いた。

 脳内の状況に徐々に改善傾向が見られると

言う。

 妄想。母との対話も心の処方かも知れない

が、ニケ女史と会うことも、タルミさんにと

っては心の解放に繋がる。

『だいぶ悪夢を見る回数も減ってきた気がし

ます。悪夢は見ているのかも知れんせんが、

以前のように重たい目覚めは減っています。

今度また、心のカウンセリングどうでしょう

か』

 タルミさん、ニケ女史の瞳を想像しながら

メールの送信矢印をクリックする。

 ずいぶんと涼しくなってきた。

 カーテン越しに、まだ夏の名残りのような

白い対流雲が幾つも浮かんでいる。




 

 





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タルミさん KIKI-TA @KIKI-TA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る