社畜、再生物語
烏丸 香
第1話
「相当図太い」
「殺しても死なない」
「何か大事があっても何故か死なないタイプ」
「なんというか…しぶとい」
「我慢強く、心のキャパシティが広い」
手相占いに行くと、手を見せた瞬間に大抵こんなようなことを占い師に言われてきた私。
(しかもほぼ全員半笑いで言ってきやがる)
ちなみに生命線は3本あるらしい。
だからということでもないが、自分は心身共に強いと思っていたし、家族や友達、同僚にもそう思われていたと思う。
そんな私の、図太くてしぶとい…謂わば毛むくじゃらの心がバッキバキに壊れるなんて夢にも思っていなかった。
最初に勤めていた会社から、少し規模の大きな会社に転職したが、今思えばまずそこで私は一つ過ちを犯してしまった。
完全に選ぶ会社を間違えたのだ。
根っからのオタク気質の私は、作業に没頭しているときは雑音は全て取り払いたいし、極論誰とも喋りたくない。
一日を思い返して
「今日、会社で『おはよう』と『お疲れ様でした』の2語しか発さなかったな〜」となっても全然気にならないし、むしろ監獄のような一室に入れられて光も音も遮断して仕事したいくらい。
締め切りが重なっている等の忙しいときは特に。
転職した会社は、そんな私のスタンスと真逆で、とにかくコミュニケーションや『みんなで』何かを成すことに重きを置いていた。
どんなに忙しい時でも、『みんなで』行わなければならない研修やワークショップ等仕事以外のイベントが容赦なく定期的に開催され、不参加は許されない。絶対に。
そして、必須の持ち物は「前向きな気持ち」と「成長意欲」。
これに関しては、別に全部を否定するつもりはない。このスタイルが合う人もいるし、本当に成長するために毎回真剣に臨んでいる人もいる。
(社会人として、会社員として生きていく中で必要なスキルを身につけられた点は私も感謝しているし)
ただただ、私の気質には壊滅的なまでに合っていなかったというだけだ。きっと、そうだ。
頻繁に垣間見える体育会系の気質に触れるたび、「うわ、合わねぇ〜」と感じ、ドン引きしながらも、のらりくらりとかわしつつ時には場の雰囲気に合わせて乗り切って順調に一年、二年と時が過ぎていった。
(その間、心の中での「合わねぇ〜」コールは鳴り止むことはなかった)
仕事は常に忙しく、常に人手不足。にも関わらず、普段実作業には関わらない上のレイヤーの方々(所属部署における天上人たち)の思いつきによる部署の解体・異動や、ルール変更が頻繁に行われるため、気をつけていないと瞬く間に置いていかれてしまう。
今考えれば、なぜあんなに「乗り遅れないようついて行かねば」と思っていたのか、はたはた疑問である。
当時は必死になって食らいつき、全てを咀嚼し腹に収め血肉にしなければならないような気がしていたのだ。
自分のことながら、なんと気味が悪いことか。
悪い魔法にかかっていたとしか思えない思考で、本当に気持ちが悪い。
悪い魔法にかかっていながらも、それを俯瞰で見て、会社の考えにどっぷりはまらないようストッパーをかける自分も残っていたのがまだ救いで、定期的に本来の考えに引き戻していくことができていた。
社畜マインドと協調性ゼロの自由人マインドの間を行ったり来たりしながら、それでもまだなんとかやっていくことができていた。
自分ではしっかりと切り替えができていると思い込んでいたが(なんたって図太さに関してはお墨付きだったから)、心は順調にすり減っていってしまっていたらしい。
身体には、徐々に体に異変が起き始めていた。
まず、社員総立ちで天上人のありがたいお話を聞いている最中に視界がぐらぐらし始めた。自分では真っ直ぐに立っているつもりなのだが、視点は定まらず足元はしっかりと地面についている感覚がない。そのため、体のぐらぐらも止まらず内心パニックになった。
それでもその時は、締め切りが迫っていて朝も早出勤したから寝不足でおかしくなっているんだろうくらいにしか思っていなかった。
次に異変が出たのは夢だった。
夢の中でもいつものように働いていて、目が覚めた瞬間からもう疲れている、なんてものはもはや当たり前。
それとは別に、とにかくゾンビやら幽霊やら、そういう恐怖を感じる悍ましいものが連日出演するようになった。最初のころは自分の世界を侵食するそいつらと戦う意志があり、立ち向かう姿勢を見せていた夢の中の私だったが、日を追うごとにそれも薄くなり、背中を見せて必死に逃げるか、諦めて襲われるかになってしまった。
夢見が悪いとはまさにこのことで、起きた後も気分は上がらず、一日中夢を引きずっていた。
(現実のお昼休憩中に、ゾンビと戦う方法をよく考えていた)
仕事は相変わらず、突然変わる社内ルールや突然割り振られる業務以外の役割、やってもやっても終わらないタスクに追われ、タスクが終わらないのに次々に新しい仕事が追加されることに恐怖する日々。
それでも顔には出さないよう、笑顔を貼り付け「余裕でこなしてますけど?」のフリ。
(時々、会社の方針への怒りが口からちょい漏れしてしまっていたように思うが、いつも笑顔を貼り付けて武装していたため周りには恐らくバレていない)
「いくらタスクに追われていても、自分の仕事のクオリティは絶対に落としたくない。質を下げるなんて死んでもするもんか!」というポリシーのようなものが私の中には強く根を張っていた。
そのため、何を思ったか私は「自分の時間を削ってでも満足のいくものを一人で完璧に仕上げる」という愚かな選択をしてしまった。
平日家に帰っても休みの日も仕事仕事仕事……。もう、仕事とプライベートの境はなくなり全てが仕事に支配されていた。
そんなことが慢性的に続くようになると、突然「死ぬんじゃないか⁈」というくらいの動悸が襲ってきたり、別に運動したわけでもないのに息切れがしたり目がチカチカしたり冷や汗が止まらなくなったり……といった異変が頻繁に起きるようになった。
寝ている時に息が止まっていたのか咽せながら起きたり、自分の動悸で目が覚めることもしょっちゅう……。
私の心と身体は確実に悲鳴を上げ、壊れ始めていたのだ。
朝は、また今日が来てしまったことに絶望することから始まり、行きたくもない地獄に向かうために無理矢理着替えと化粧をしてぎゅうぎゅうの電車に詰められ地獄へ直送される。
もう毎日が嫌で嫌で仕方がなかった。
「頑張ってるね」
「今回もとてもいい仕事してるね」
「もっと素晴らしい仕事ができるようにもっともっと頑張れ」
「忙しくて無理?その壁を越えてさらに成長しよう!」
「あなたならできる!さあ、成長成長!」
毎日かけられるこのような言葉。正常な時ならば自分を奮い立たせるものになったかもしれない言葉たち。
あいにく、心身ともに限界ギリギリだった私は、心の中でこんな汚い叫びしか上げていなかった。
「うるせえ黙れ」
「こちとらやりたくてやってんじゃねーよ。頑張ってる?バカが!やってもやっても終わんねーから四六時中必死こいて手ェ動かしてんだよ」
「何も知らないくせに勝手なこと言いやがって」
「何が成長だクソが!」
「お前らに言われて成長なんかするわけねーだろボケ」
(余談になるが、私は上司ポジションから言われる「成長」という言葉がずっと前から大嫌い)
毎日ギリギリ状態だったところに、コロナがやってきた。
誰も経験したことのないパニックの中、私の会社も例外でなく対応にてんやわんやになっていたのだが、そのパニックの中でも売り上げを落とさず、むしろ売り上げをアップさせるため、社員一丸となってより一層仕事にはげむという方針に落ち着いた。
(少なくとも、私はそう受け取ってしまった)
…「は?」である。
天上人がその決意を高らかに発表し、皆が一丸となるよう拳を振り上げエイエイオーし始めた。
皆集まり、一様に天上人に倣って拳を振り上げ口々にエイエイオーと言い始める。
「集まるな、人と距離を取れ、飛沫に気をつけろ」と言われているこのご時世に。
このエイエイオー劇に、私の背筋は凍り、手足には鳥肌がマックスで立っていた。
同時に、「あ、ここから早く逃げなきゃ頭おかしくなる」と、とてつもなく焦った。
心底、愛想が尽きた瞬間である。
(彼氏と別れる決意をした瞬間と似ていた)
そして、とうとうその日がやってきた。
その日は、目を覚ました時に明らかに様子が違った。どうしようもなくひどく気分が落ち込み、まったく浮上しない。
(気分がどん底。まるで断崖絶壁とか谷底にいるかのよう)
この頃はほぼ毎日体調不良だっため、会社も嫌だし休んでしまおうと思ったが、業務が山積みのため休むのは断念して決死の思いで出社を決意。
(今日休んでも地獄は続く。とか、休んだ次の日にもっと溜まった業務で死ぬ。とか、同僚に迷惑をかけてしまう。とか、そういうことを考えていた気がする)
いつものようにぎゅうぎゅうの電車に詰められ、いつものように駅に着くまでじっと耐えようとしていたのだが、どんどん気分が悪くなりたまらなくなってしまう。
いつもは電車に乗っている間はずっとスマホでマンガを読んで気を紛らわせていたが、マンガの内容が頭に入ってこない+気持ち悪くて読み続けられないため断念。
なんとか駅に着いたが、しばらく駅のベンチから動けなくなってしまう。
その後どうにか気合いで立ち上がり会社に向かうが、会社に近づくにつれて体調は悪化する一方。
もう気持ち悪くてしょうがないし、今日はダメかもしれない…。とりあえず顔だけは出して引き継ぎして帰ろう、と決意し会社へ足を踏み入れた。
自分の席に座ってはみたが、引き続き気持ち悪いし、冷や汗、ソワソワ、チカチカ、動悸と息切れがすごい。
一刻も早くここから出なければきっと大変なことになると悟り、上司に今日はこのまま帰ることを伝えに行ったが別室に呼ばれてしまう。
相当ひどい顔をしていただろうし当然と言えば当然なのだが、この時の私は感じたことのない絶望感や体調の悪さの最中で、正直口も開きたくなかったため、早く解放してほしくてたまらなかった。
上司曰く、私の体調の悪さは精神的なものからきているのではないか、とのこと。
(はい、それはもう一年くらい前から本人自覚ありありです。もうわかってるんで早くこの場から解放してくれ)
その後も、私がそうなった原因とか、上司からの「こうすればいいのではないか」の提案等で話し合いをしたように思うが、「一刻も早くこの場から逃げたい」しか考えていなかったので内容はほぼ覚えていない。
その日は、もう業務できる状態ではないということで念願の早退をさせてもらう。
あ、今日はもうここに居なくていいんだ……。と、思ったところで心が少し解放された気がした。
そのまま歩みを進めて会社を出た瞬間、身体と心が一気に軽くなったのを確かに感じた。
そこでふと、外が明るいことに気がつく。そのまま空を見上げたら、とても綺麗な青空が広がっていた。今日の天気が晴れということを、その日初めて認識することができた。
(いつからかは定かではないが、それまでの日々は、空を見上げることもなくひたすら下だけを見て外を歩いていたように思う)
それだけのことがとても嬉しく、笑いと涙が同時に溢れそうになった。
その時の心の中は「外めっちゃ明るい!解放された!気分最高!ありがとう世界!」と、お祭り騒ぎであった。
ここでようやく頭が正常に動き出した。
今後会社に行かなくても済むようにするにはどうすべきか考えて、「その日中に心療内科に行ってきちんと病名を付けてもらう」「診断書をもらう」をすることを決意。その二つを最重要ミッションとして、早急に動き出すことにした。
(早く今の自分のこの状態が何なのか知りたい。というのもある)
善は急げ!で開いてる病院を調べ、片っ端から電話。飛び入りの診療を予約できる病院を探し出して予約に成功。
もしかしたら、このまま金輪際会社に行かなくてもよくなるのでは…?と淡い期待を抱きながら病院へ。
病院に行くことは恥ずかしい、自分のような症状で行ってもいいのだろうか(もっと重症の人が行くところなのでは…?)等の考えが私の中で勝手にあったのだが、そんなものは全く要らぬ考えであった。
思ったよりも気軽に行けるところだし、話を聞いてもらえるだけでかなり心が軽くなるため、気になることがあればぜひ行くべきだと思った。
(もっと早く行っていればこんな結果にはならなかったかもと、少し後悔もした)
病名が付くことは怖いことじゃない。自分の状態が明確になってスッキリするし、病名があるということは治療ができるということ!私の場合は、もやもやした不安を解消しつつ、先のことをしっかり考えるきっかけになった。
(そして…しばらく仕事から離れて休養する、むしろ仕事をしてはいけないという免罪符まで手に入れられた)
病院で先生に話を聞いてもらっていると、「私なんて……」、「私は使えないダメな奴……」、「我慢できない私がダメなのでは……?」等の思考でいっぱいだった頭の中は「私ってすごくがんばっていたんだな」、「えらい!すごい!」という想いが芽生えるようになっていた。
(自分を肯定したり、肯定してもらったり、今までのことを褒めてあげることが重要らしい。これはかなり効いた)
普段、自分のことで泣くことはほとんどなかった私が、この時はもう涙が溢れて溢れて仕方がなかった。何年分の涙だ?というくらい泣いた。
(泣き方なんてすっかり忘れていたから、止める方法もわからなかった)
病院側は、私がこれからゆっくり休養できるように動いてくれたため、その日からそのまま休養期間に入ることができた。
そこから、私の休養期間という名の人生の夏休みが始まった。
仕事に追われることも、自分の時間を奪われることもない生活は着実に本来の私を呼び起こしてくれた。
息が止まらず、動悸で起きることのない夜の幸せたるや。休養期間は、今までの睡眠不足を補うかのように、とにかくよく寝ていた。
気持ちよく眠れることが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
(実家の犬が駆け回る様子や死んだ爺ちゃんが楽しそうに笑っている等、見る夢のラインナップも随分変わった。ちなみに、会社に行かなくなってからゾンビや幽霊の夢は一切見なくなった)
毎日ゆっくり家事をして、散歩して、「今日の夜は何を食べようか?」と考えながら買い物して料理して、好きな本や作品を見て…。
これまで余裕がなくてできなかったことを全てやって、一日が終わる時に「今日も幸せだったな」と感じて眠りにつく。
諸悪の根源から離れた生活は、まさにパラダイスのようであった。
いつものように散歩に出た時に、ふと立ち止まって目線を上げた。
そこは、いつも歩いているいつもの駅前商店街だったのだが、なぜかとても輝いて見えた。キラキラ、キラキラ。スポットライトが当たっているかのようで、とても綺麗だった。
それを目にした瞬間、私はなぜかとてつもない幸福感を覚えた。
本当によくわからないのだが、
「あ、私もう大丈夫だ」と本能的に察知した。
完全に軽くなった心と身体で、私はその光の方へ足を踏み出した。
社畜、再生物語 烏丸 香 @karasu_k
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