最終話 これからの未来


 一ヶ月後。


 買い物から帰ってきた私は、袋いっぱいに詰めた今日の晩御飯の食材を抱えて、雑居ビルの階段を上っていく。


 そして、窓ガラスに『澪標みおつくし探偵事務所』とプリントされた扉の鍵を開けて、部屋の中へと入っていった。


れいさーん、起きてますかー? もう夕方ですよー」


 そんな声かけをしながら中を覗いたものの、いつもなら定位置であるソファに寝転がっているはずの零さんの姿が、すっぽりと抜け落ちたように消えていた。


「あれ? 零さん……どこか行ったのかな……?」


 私には特に連絡はなかったけど、もしかしたら珍しく(本当に珍しく)お仕事の為にどこかへ出掛けてしまったのかもしれない。


 ただ、そうなると宗司そうしさんもつなくんもいない探偵事務所の中が、ちょっとだけ寂しく感じてしまう。


 だが、そんな感傷に浸っていたところで、誰かが階段を上ってくる音が私の耳に届く。


 丁度、零さんが事務所に帰って来てくれたのかと思って、扉のほうへと視線を向けたのだが、そのまま扉が開くことはなく、代わりにノックをする音が聞こえる。


 以前にも言ったことだけど、事務所の人たちだったら、わざわざノックなんてせずに、そのまま自分で持っている鍵を使って入ってくるので、考えられることがあるとすれば……。


「えっ!? お、お客さん!? ど、どうしよう……!!」


 今まで、私も零さんたちが依頼人とお話をしているところに同席をさせてもらったことがあるけれど、流石に一人で対応したことはない。


「……あの、紫苑しおんさん、ですか?」


 すると、聞き馴染みのある声が聞こえてきたので、私は平静さを取り戻した。


 そして、すぐに小走りで扉に向かって出迎えると、


「ふふっ、やっぱり紫苑さんだったんですね」


 学生服に身を包んだ桐壺きりつぼ燈架とうかさんが、優しい微笑を浮かべていた。


「お元気そうで安心しました。あの、他の皆さんは?」


「それが、どこかに行っちゃったみたいなんです。零さんまでいないのは、ちょっと珍しいんですけど……でも、すぐに帰って来るとは思うので、事務所で待ってみますか?」


「そうですね。では、お言葉に甘えさせていただきます」


 というわけで、私は燈架さんを事務所の中へと案内した。


 そして、燈架さんにソファに座って貰っている間に、私は買ってきた食材を冷蔵庫に移して、彼女の為の飲み物を用意する。


「はい、どうぞ」


 私がマグカップを燈架さんの前に置くと、彼女は中身を見た途端、少しだけ口角を上げた。


「そういえば……あのときは結局、飲めませんでしたものね」


 私が燈架さんに用意したのは、ホットミルクだった。


 そして、彼女が言った『あの時』というのは、以前、燈架さんが私の部屋(正確には、零さんの部屋だけど)を訪れたときのことだ。


「燈架さん、このビルを紹介してくれて、本当にありがとうございました」


 丁度、その話題が出たというのもあって、私は改めて、燈架さんにお礼を告げる。


「いえ、結局、澪標さんにはお約束していた報酬は受け取ってもらえませんでしたから、せめてこれくらいはお力になれて良かったです」


 私たちが事務所兼住居として契約していた以前の雑居ビルは、燈弥さんの『異能クリミネーション』によってとても住めるような状態ではなくなって、今でも解体作業が行われているところだ。


 ただ、今回の火災の原因が私たちに非はないことは(ダジャレじゃないよ?)梅ヶ枝うめがえ警部がちゃんと説明してくれて、私たちはお咎めなしということになった。


 だが、さすがに私たちの新たな住居を提供してくれるほど、雑居ビルのオーナーも梅ヶ枝警部も優しくはなかった。


 なので、私たちは仕事場どころか住む場所さえも失ってしまったわけで、これから一体どうしようかと宗司さんや綱くんも含めて緊急会議をおこなっていたところで、助け舟を出してくれたのが燈架さんだった。


 ある意味、私たちの現状を一番知っている燈架さんは、彼女のお父さんに全てを打ち明け、私たちを支援して貰えるように頭を下げてくれたのだ。


「……昔から、家のことで不満を持つことが多かったんですが、今回ばかりは、お父様たちに感謝しています」


 どこか物悲しそうに、燈架さんは私の持ってきたマグカップを包み込むように持ちあげて、口に運ぶ。


 こうして、燈架さんと直接会うのは、あの夜の日以来だ。


 だからこそ、確認したいことが沢山あったのだけど、こうしていざ対面してしまうと、上手く話を切り出せない。


 すると、そんな私の心情を察したのか、燈架さんがゆっくりとマグカップを机に戻し口を開いた。


「……燈弥とうやのことですが、身体の怪我は順調に回復しています。ですが、意識はまだ朦朧としていて、詳しい事情は聞き出せないみたいです」


 ……おそらく、燈架さんが事務所を訪ねて来たのは、この為だったのだろう。


「それでも、澪標さんが調査をしていた放火犯の犯人は、自分で間違いないと認めています。警察の捜査でも殆ど間違いはないと仰っていました」


 燈弥さんが起こしたといわれる事件の内容は、私も零さんから少し話は聞いている。


 零さんによれば、燈弥さんが命を奪ってしまった人物たちは、何かしらの罪を背負っている人たちだった。



 例えば、会社のお金を横領していた役員。


 例えば、学校で特定の人物に必要以上の暴行や恐喝を繰り返していた生徒。



 そんな人たちが、燈弥さんの手によって、殺されてしまっていた。


『あの狐面の組織の連中が関わってるんだろうな。どうやって桐壺燈弥に近づいたのか分からねぇが、そいつらにたぶらかせられたんだろう』



 ――そして、利用されたんだ。



 そう私に教えてくれた零さんの眼が、私には怒りに満ちていることを見逃さなかった。


 実際、燈弥さんの身体には、違法な薬物を何度も投与された形跡があって、自分で物事の善悪が判断できないまでになっていても可笑しくはないという診断結果が出たそうだ。


異能クリミネーション』が暴走したときも、燈弥さんは何か薬物を投与されていたので、まず間違いはないと思う。


 だけど、それで燈弥さんの罪が、消えてしまうわけではない。


「燈弥のしてしまったことは、私も一緒に背負うつもりです。燈弥が苦しんでいたのに、何もしなかった私たち家族が原因なんですから……」


「燈架さん……」


「……申し訳ありません。結局、私の弱音を吐いただけになってしまいましたね」


 そう言った燈架さんは、俯いていた顔を上げて、私に告げる。


「それより、紫苑さんは大丈夫なのですか? 私たちのせいで、折角抑えていた『異能クリミネーション』が発動してしまったから……」


「あー、うん。それは全然大丈夫だよ。零さんにも心配されたけど、本当になんにもないから」


 私の『異能クリミネーション』のことは、燈架さんにも既に説明済みだった。


 本当は、変な心配をかけてしまうのは申し訳ないと考えたりもしたんだけど、最終的には、私自身で全てを話すことを選択した。


 その判断は、今でも間違っていないと自信を持って断言できる。


「それに、私の『異能クリミネーション』が発動するのは、今だと本当に危ないときだけだし、よっぽどのことがない限り、この力はもう使わないつもりだから」


 そういう点では、『異能クリミネーション』を隠していた燈架さんと似たところが私にもあった。


 燈架さんは、零さんにマグカップを投げられたとき、咄嗟に『異能クリミネーション』を使ってしまったけれど、私もそれと同じような現象が起こってしまったのだ。



 あの事件があった夜に、私の『異能』は2回発動している。


 一度目は、燈架さんと一緒にビルの攻撃を受けたとき。


 そして二度目は、零さんが燈弥さんの『異能クリミネーション』の炎に包まれてしまった時。


 あの時に、私は確かに二人の「死」を視てしまったのだ。



「本当なら、この力を正しく使えば、私は沢山の人を救えるはずなんだけど……」


 だけど、それは零さんから釘を刺すように止められているし、その理由が、私個人を守る為だと、そう言ってくれている。


「……助けて頂いた私が言うのも可笑しいことかもしれません。ですが、澪標さんの判断は、正しいと思います」


「……うん、ありがとう」


 燈架さんがそう言ってくれるのが嬉しくて、抱き着いてしまいたいくらいだったけれど、それをなんとか堪えたところで、燈架さんが話題を変えるように、私に質問をする。


「そういえば、澪標さんは本当にあれから何事もないのですか? その……本来なら紫苑さんが『死』を視てしまうような状況だったのでしょう?」


「うん、零さんの場合は、それがあの人の『異能クリミネーション』だから」


 燈架さんの言う通り、あのとき確かに、私は零さんが「死んだ姿」を視て、その未来は現実となった。



 だけど、零さんの場合は、何度死んでも、不死鳥のように身体が再生し、蘇る。


 私を外の世界に連れ出したときも、私は確かに、彼の死ぬ姿を視た。


 だが、例え身体を炎で包まれようと、何発も銃弾が撃ち抜かれようと、零さんが死ぬことはない。



 彼にとって、「死」の未来なんて、全くなんの意味も持たない情報なのだ。



 それでも、痛みがないわけではないし、辛い思いをしていることには変わらない。



 だからこそ私は、ずっと零さんの傍に――。



「おい、あんま俺の力のことは話すなって言ってんだろ」


「ひゃあ!?」


 突然の声に、思わず背筋を伸ばして立ち上がると、いつの間にか黒いコートを羽織った零さんが、怠そうに扉にもたれながら、こちらを見ていた。


「れ、零さん!? いつ戻ってたんですか!?」


「ついさっきだよ。お前、耳がいいんだから少しは気づけよ」


 そう言われても、零さんが本気で気配を消して近づいて来たのなら、流石に私だって気付かない。


「なんだ、お前も来てたのか?」


「はい。少し、皆さんの様子を拝見しておきたかったですから」


「そうか、それじゃあ、丁度いいな」


「丁度いい?」


「ほらよ」


 零さんの言葉に首を傾げていると、突然、零さんが私に小さな箱のようなものを投げてきた。


 見た目は、カードケースに似ている気がする。


「えっと……なんですか、これ?」


「いいから、開けて見ろ」


 そう言われて、私はそのカードケースのような箱を開けて、中身を確認してみると、


「えっ? これって……!」


 私は、見間違いなのではないかと、目を擦って、もう一度見るが、やっぱり、見間違いではないことを確信する。


 零さんから渡された箱には、白い名刺が入っていて、その名刺には、こんな文字が記されてあった。



 澪標探偵事務所

 探偵見習い 更級さらしな 紫音しおん



「いい加減、只の居候ってわけにもいかねえからな。これからはビシビシ働いてもらうぞ」


 そう言ってくれた零さんだったけど、私は上手く返事をすることすらできなかった。


「良かったですね、紫苑さん」


「……はいっ!」


 かろうじて、祝福してくれる燈架さんに、涙交じりの返事をできたくらいだ。


「それで、早速だがお前に仕事だ。一応、お前が正式にウチで働くことをあの二人に伝えたいんだが、また連絡がつかなくてな。今月の仕事の配分も教えなきゃなんねえから、今すぐあいつらを探して、連れ戻して来てくれ」


 それだけ告げると、零さんはまだ燈架さんがいるにも関わらず、自分の私物と化しているソファに寝転がり、黒いコートを毛布代わりにして眠ってしまった。


「……相変わらず、自由な人ですね」


 流石の燈架さんも、どこか呆れている様子だったけど、そんな燈架さんに、少しだけ留守番をお願いした私は、澪標探偵事務所を後にして、宗司さんと綱くんを迎えに行くことになった。




 ここから、また私は、未来に進めるような気がする。


 そんな気持ちと共に、今度は自分の足だけで、外の世界へと踏み出したのだった。


 END

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クリミネーション・クライシス-澪標探偵事務所の事件簿- ひなた華月 @hinakadu

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