宝星
増田朋美
宝星
蘭と杉ちゃんが、用事があって、富士市内にある百貨店の出張営業所へでかけたときのことだった。その日は、蘭がお客さんに送る物品を買って帰るだけだと思っていたのであるが、杉ちゃんが、店の入口にある、小さな看板を見て、こんな事を言った。
「おい、これ、なんて書いてあるんだよ。」
それを言われて蘭は、すぐに、杉ちゃんになにか言われると、答えを言うまで納得しない事を思い出して、とりあえず、看板に書かれた文字を読んでみた。
「えーと、小濱秀明と門下生絵画作品展示即売会、宝星探査ロケット。小濱秀明ね。って、あの小濱くんなのかな!」
読んでみてびっくりしてしまった。本当にあの小濱秀明くんだろうか?しかし、蘭の知っている小濱秀明くんは、前田秀明と改姓しているはずだったが、今回展示会をやっているのは、別の人物かと思った。でも、なにか気になるところがあった。
「おい、行ってみようぜ。なんか面白い絵があるかもしれない。」
杉ちゃんの方は、どんどん行ってしまうので、蘭は、おい、待て!と言って、杉ちゃんに連れ立ってイベントスペースに入っていった。
確かに、壁には、いくつか絵が並べられていた。皆油彩画で、テーマは、宝星探査ロケットを描くことだったのだろうか。どの絵も、宇宙や、ロケットを描いていた。でもなんだか幼い子どもが描いたような絵で、中には幼稚園児みたいな絵もある。そして、部屋の片隅には、テーブルが置いてあって、コースターとか、ブックカバーとかそういう小物を販売していた。それらの商品にも、大きなロケットの絵が描いてある。
「お客さんはじめまして。私、池上と申します。」
一人の女性が、蘭と杉ちゃんに近づいてきた。確かに、大人の女性だと思われるが、どこか子供っぽく、ちょっと精神年齢が低いように見えた。
「ああ、僕は影山杉三で、杉ちゃんって言ってね。こっちは、親友の伊能蘭ね。」
杉ちゃんがすぐに彼女の話に乗った。
「車椅子でわざわざ来てくださって、ありがとうございました。気に入った絵があったら、いつでも助けますので、言ってください。私達は、そういう人にやさしくしてあげなきゃいけないって、知ってますから。」
そういう彼女は、小学生のような言い方だった。そういうことから、彼女は多分知的障害者何だろうな、と思われた。
「わかりました。ありがとう。それで、この展示即売会は、誰が主催しているの?」
と、杉ちゃんがそう言うと、
「ええと、主催ってなあに?」
と、彼女は聞いた。結構重度な人だなあと蘭は思った。
「ああ、つまりその、お前さんたちのグループをさ、まとめていると言うか、リーダー的な立場のやつがいるだろう?」
と、杉ちゃんが言うと、
「ちょっと待ってて。」
と、彼女は、別の部屋に行って、すぐに戻ってきた。今度は一人だけではなく、一人の男性が一緒だった。彼は、蘭が予想した通り、左腕がなかった。
「やあやあやあやあ、ありがとうございます。わざわざ、蘭さんと杉ちゃんがここに来てくれるとは。きっと、池上さんも喜ぶと思います。」
と、言う彼は、間違いなく小濱秀明であった。左腕を失っていて、残った右腕だけで描いている。その画風は、なんとなくだけど、かつて一斉を風靡した画家である、ラッセンの絵にどこかにている。
「あの、失礼ですが、小濱さんがこんなところでなんで展示即売会を開いたんですか?」
蘭は急いで聞いてみた。
「ええ、東北は、まだ偏見が強くて、こういう活動をするには、ちょっとやりづらいんです。」
秀明は笑って答える。
「こういう活動と申されますと?」
蘭は彼に聞いてみた。
「ええ、だから、こういう活動ですよ。絵を書くのは、人間ができる素晴らしい技術です。だから、誰かに教えたいじゃないですか。やるんだったら、本当に描きたい人に教えてあげるべきですよね。そんな人達を探していたら、こういう純粋な心を持っている人たちが集まってくれたんです。」
「でも、そういう活動は、逆に不自由なのでは?知的障害のある人となりますと、なかなか他人には寄り付かないでしょう?」
と蘭が聞くと、
「ええ。そうかも知れませんが、それは、彼や彼女たちが受けてきた教育のせいです。彼や彼女たちは、学校で、自分たちは、障害があって、みんなより劣っているということを嫌と言うほど学ばされるから、そうなってしまうんです。だから、まずそれを取ってあげて、本来の彼や彼女たちが持っている、能力を開花させてやらないといけません。それをするには時間も非常にかかりましたが、こうして、展示即売会をやることができて、嬉しいですよ。」
と、秀明はにこやかに答えた。杉ちゃんの方は、もう、いくつかのコースターや、ブックカバーの方を買っている。販売をしているのも、なんだか幼そうな雰囲気のある女性ばかりで、きっと知的障害者なのだと思われた。中には、杉ちゃんと同様、車椅子に乗っている人もいるし、松葉杖をついて移動している人もいた。
「ああ、おじさん、手に絵を描いていらっしゃるんですねえ。」
別の女性が、蘭の手首を見て言った。
「おじさんも、絵を描く方なんですか?」
「ええ、こちらの方は、人間の体に絵を描くことを、商売にしている方なんだよ。」
秀明がそう言うと、
「そうなんだ。いいな。私も描きたい。」
と、女性はにこやかな顔をしていった。蘭はこの時、彼女が言った言葉は、ただの冗談というか、社交辞令に過ぎないと思っていたので、すぐに忘れてしまった。
「おい、お前さんもなにか買っていけよ。宝星探査ロケットのコースターとか、あってもいいんじゃないのか?」
杉ちゃんがそういった。秀明も、
「門下生たちが、一生懸命つくった商品です。ぜひ、買ってあげてください。」
と、他人事みたいに言うものだから、蘭は、その販売コーナーに行ってみたけれど、あまりに稚拙な絵が多くて、買う気になれなかった。
「おい、これなんかいいじゃないか。かわいいよ。」
花の絵が書かれているブックカバーを杉ちゃんが見せるが、蘭はそれも買う気になれない。
「何だ、ほら、みんな手作りで、同じものは二度と無いぜ。ほら、お前さんもなにか買っていきな。」
杉ちゃんに言われて、蘭ははじめて、売り台の上にあった、ブックカバーを取った。
「彼女、久保さんが描いた絵です。」
秀明が、そう説明した。しかしなぜ、宝星探査ロケットを描くというテーマの展示会なのに、山鹿灯籠を描いてあるのだろう。
「彼女には、山鹿灯籠が、一番のたからものだそうで、それを思い出して描いたんだそうです。」
ということは、山鹿灯籠にまつわるなにかエピソードがあったのだろうか?でも、久保さんと呼ばれた障害者の女性は、何も言わなかった。自分が描いたとか、気合を入れて描いたとか、芸術家ならそういう事を言うはずだけど、そのような事は一切言わなかった。
「ほら久保さん、山鹿灯籠が宝物になっている理由を、蘭さんにも聞かせてあげたらいかがですか?」
秀明がそういうが、久保さんと呼ばれた女性は、何も言わなかった。黙ったまま、はにかんでその場に立っているだけのことだった。
「無理に説明しなくてもいいのですよ。じゃあ、この山鹿灯籠、買っていこうかな。」
と蘭が言うと、久保さんはそこではじめて笑ってくれた。秀明が、500円というと、蘭は、はいと言って、彼女に500円を渡した。
「ありがとうございます。」
と、久保さんはそれを受け取った。きっと、500円という大金は、こういう人であれば、大切ななにかに使ってくれるだろう。無駄遣いということは、こういう人は絶対にしないから。
「他の人の作品も買ってやってくれませんか。皆喜ぶと思います。」
秀明がそう言うが、蘭は、そういう事をする気にはなれなかった。なんだか、そういう事をして、本当に、彼女たちが喜ぶのかという気持ちもあったし、小濱秀明のもとへ絵を習って、こういう展示会も開けるなんて。彼女たちが、なんだか羨ましいと思ってしまったのだった。杉ちゃんの方は、とても楽しそうに、女性たちがつくった作品の話をしていて、その作品をつくったときのエピソードを聞いたりもしているけれど、蘭は、そういう事をする気になれなかった。こんな事を言っては、失礼な話であるが、彼女たちのIQは、普通の人よりも、かなり低いはずであった。だから、そういう女性たちが、秀明の力を借りて、こうやって、日の目を見れているというのが、なんだか、妬ましくなるのだ。だって、自分のもとにやって来るお客さんも、芸術的な才能がある人が多いのだ。でも、彼女たちは、なにか理由があって、精神障害とか、精神疾患とか呼ばれてしまい。白い目でにらまれる生活を送っている。そんな女性たちを相手にしている蘭は、ここで知的障害のある女性たちが、絵の販売に携われるというのが、嫌な感じだった。
ちょうどその時、お昼の12時を告げる鐘がなった。
「ああ、もうこんな時間なんですか。僕達帰りますよ、今日は、楽しいイベントに参加させて頂いて、ありがとうございました。」
蘭は、秀明にそう言うと、
「はい、わかりました。来ていらしてくれて、ありがとうございます。また、定期的に、こういうイベントを開催いたしますので、またなにかありましたら、いらしてください。次回のイベント通知のため、ラインか何か教えていただけると、ありがたいのですが?」
と、秀明は言った。蘭は、それだけに使うだけにしてくださいと言って、自分のラインのIDを教えた。秀明はありがとうと言って、それをメモした。
「ありがとうございます。じゃあ、またイベントを開催することになりましたら、ラインにお送りしますので、よろしくおねがいします。」
秀明がそう言うと、何人かの女性たちが、蘭の方を見て、よろしくおねがいしますといった。彼女たちが、そういうふうに教育されているのか、それとも任意的にそういったのかは不明だが、なんだか、そういうふうに、成功している知的障害のある女性を見ても、蘭は、面白くなかった。
「それでは、失礼いたします。」
「また来るからな!楽しみに待ってろよ!」
二人はそう言って、イベントスペースを出た。杉ちゃんの方は、とても楽しそうだったが、蘭は、なんとなく楽しめなかった。
そのイベントに行ってきた、翌日のことである。蘭が、いつもくるはずのお客さんを待っていると、いきなり蘭の家の固定電話がなりだした。急いで蘭が受話器をとって、
「はい、伊能でございます。」
というと、
「あの、谷口の母でございます。谷口が、先生のところへ、予約をしていたようですけど。」
と、電話の相手は言った。
「はい。一時間突く予定でしたが?」
と蘭が言うと、
「あの、そうなんですが、谷口が自殺未遂をしまして、入院することになりまして。しばらく落ち着くまで帰ってこられないと思います。」
と、母親は、本当に他人事みたいに、そういう事を言った。つまり、精神科とか、そういうところに、入院したのだろう。蘭は、精神障害者の場合、家族が味方になる事は、難しい事を知っているので、せめて、彼女のそばにさり気なくいてやることはしてほしいと思っていた。母親の言い方は、まるで、彼女が病院に入院してくれて、良かったと思っているような言い方だったのである。
「わかりました。じゃあ、戻ってきたら必ず来るように言ってください。僕は、半端彫りだけはしたくありません。ちゃんと、刺青は完成するまで彫らないとね。それは、新しい自分に生まれ変わるための、大事なことですから。それを、彼女に伝えてください。」
蘭は、できるだけ優しく、お母さんに言った。
「わかりました。あの子がもう少し早く、先生のようなお優しい心遣いができる人に、会ってくれれば、こういう事はならなかったんだと思います。ほんとに、人間ってのは、不条理で仕方ありませんね。先生、あの子を気にかけてくださって、ありがとうございました。」
「いえ、大丈夫ですよ。そんな事言わないで、彼女が、どうやって生きていけるかを、考えてあげてください。そして、自分では実行できなくても、誰か代理の人と、それを実行できるように、仕向けてあげてください。」
蘭は、できるだけ言いたいことだけを、母親に言った。
「わかりました。まだ気持ちが整理できていませんが、考えてみます。」
実現できるかどうか不詳だが、お母さんはそう言って、電話を切った。蘭は、そういう事を言って、本当に彼女が、そのとおりにできるかどうか、不安で仕方なかったのであるが、電話では、言葉しか伝わらない。それは、仕方ないことでもある。
蘭は電話をとり、再び下絵を描く仕事に戻ったが、なんだか、客がこういう事を起こすと、やる気も無くなってしまうのであった。仕方なく、お茶をいっぱい飲んで、ちょっと一息入れるかなと考えていると、インターフォンがなった。
「誰だろう?」
と蘭は、急いでインターフォンを取ってみると、呼び鈴の前には、昨日展示即売会出会った、女性がいた。
「どうしたんですか。なんでここが!」
思わず蘭は言ってしまう。
「あの、昨日お会いした、久保ちひろです。」
と、女性はそういうことを言った。
「どうして、僕がここに住んでいることがわかったんですか!」
蘭が急いでそう言うと、
「はい。先生のスマートフォンを追跡してここに住んでいることがわかりました。先生、お願いできませんか?」
と、彼女は言った。蘭はとりあえず、彼女をまず入りなさいと言って、部屋に入らせた。こういう障害を持っていると、ある特定の分野に、すごい能力を発揮してしまう人がいる。彼女もそれを駆使して、自分がここに住んでいることを知ってしまったのだろう。
「それでは、どうしてこちらに来たのか、話していただけませんか。」
蘭がそう言うと、
「はい、私にも山鹿灯籠を入れてください。」
と、彼女は言った。
「入れるって、どこに?」
蘭は思わずそう言うと、
「はい。彫れるところだったらどこでもいいです。」
と、彼女が言った。
「ちょっとまってください。あなた、昨日の展示即売会にも、山鹿灯籠の絵を出品している。なぜ、そのようなものを終生大事にしているんですか?」
蘭はできるだけ優しく彼女に言った。
「あれは、お兄ちゃんが、私のために買ってきてくれたんです。」
と、彼女は答えた。
「お兄ちゃん?」
蘭が聞くと、
「ええ。お父さんみたいな優しい人でした。でも、車に惹かれてもういなくなってしまったの。だから、お兄ちゃんが、お土産に買って来てくれた、山鹿灯籠が、私のものです。」
彼女は、にこやかに笑った。
「そうなんですか。それで、山鹿灯籠がそんなに大事なんですか。お兄さんと、あなたは、そんなに仲が良かったんですね。羨ましいですよ。」
と、蘭は思わず言うと、
「はい。だから、お兄ちゃんの思い出を、私の体にいつも入れておきたいんです。」
と、久保ちひろさんは、そういう事を言った。
「そうですか。お兄さんがそんなにすごいのであれば、なにか具体的な思い出があるんでしょうね。それでは、なにか一つ教えてもらえませんか。」
蘭がそう言うと、
「ええ。そうですね。ええと、ええと、、、思い出せない。」
と、ちひろさんは言った。もしかして蘭は、彼女もその程度しかお兄さんの記憶が無いのではないかと思った。多分、お兄さんと一緒にいたというのは、彼女の当てずっぽうで、もしかしたら彼女は、ずっと一人ぼっちなのかもしれない。お兄さんが、山鹿灯籠を買ってくれたというのは、本当なのかもしれないが、蘭は、それにまつわる具体的なエピソードが無いというのは、彼女が、本当に一人ぼっちである証拠だと思った。
もしかしたら、昨日の宝星探査ロケットにまつわる絵を描く展示会に参加されたのも、家から追い出されるような感じで、彼女も参加したのかもしれなかった。家では、決して、彼女も、健常者と同じように愛されているわけでは無いのかもしれないなと、蘭は思った。
子供の頃は、無条件に愛してもらえると思う。でも、おとなになればそうは行かない。大人が愛されるためには、お金を作るということができないとできない。
蘭は、それを思い出して、彼女をじっと見た。
「わかりました。山鹿灯籠ほって差し上げますから、どこに彫りたいか、教えてもらえませんか?」
蘭は、彼女に言った。
「あたしが、すぐに確認できる場所がいいです。」
彼女は即答した。
「わかりました。じゃあ、腕に彫りますか。肘から上の方に、彫るのがいいでしょう。それでは、まずはじめにどのような図柄にするか、下絵を描きますから、山鹿灯籠の写真か何かいただけないでしょうかね。」
蘭がそう言うと、彼女は、実物を持ってきたほうがいいでしょうかといった。いえ、大丈夫ですよと蘭が言うと、
「わかりました。先生、本当の事をいいますから、ほっていただけませんか?」
といきなりそういう事をいいだした。ちゃんと、話してみてください、と蘭が言うと、
「本当はね、山鹿灯籠はどこにも無いんです。確かにお兄ちゃんが、買ってきてくれたのは確かなんですけど、この前の嵐の日に、タンスの上から落ちて。」
と、彼女は、申し訳無さそうに言った。そういう彼女は言い方はとても悲しそうだった。もしかしたら、自分が愛されていない事を、認識できなくて、わざとそういう事実をでっち上げているだけかもしれないなと蘭は思った。
「わかりました。じゃあ、図柄はこちらで考えさせていただきますから、山鹿灯籠彫りますからね。一緒に、頑張って生きてきましょう。」
蘭は、にこやかに笑って、彼女、久保ちひろさんの目をじっと見つめた。彼女のような人に信頼してもらうには、目を見て話すのが一番だと蘭は知っていた。そっと彼女をにこやかに見て、できるだけ優しく、
「決して、死のうと思ってはだめですよ。あなたは、生きているんですから。僕だって同じです。一緒に宝星を見つけましょうね。」
と、いったのだった。
宝星 増田朋美 @masubuchi4996
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