番外編 レックスの史上一番バズった動画
私はイケメンYouTuber『レックス』のファンである。否、ファンであったと言った方がよいかもしれない。
彼が動画配信を始めて数か月でその存在に気が付き、いつしか動画が配信される度にチェックするようになっていた。直接会えるイベントにも何度となく参加している。
整ったアイドル顔負けのルックスと巧みなトーク、見やすい動画編集に思い切った企画など、好きな点を上げればキリがない。一生推すと本気で思っていた。
そう思っていたのだ。実はかれこれ数か月、私はそれまで毎日欠かさずチェックしていたレックスの動画を一本も見ていない。何故なら数か月前に彼がした衝撃の発表がショック過ぎて、彼の顔を見るのが嫌になってしまったからだ。
そんな私だが、今回数か月振りにレックスのとある動画を視聴しようとしている。何故なら、その動画がネットニュースに取り上げられるほどバズりにバズっているからだ。レックスの顔を見るのは未だに胸が苦しくなるが、長年ファンをしていた者として、かつてない程注目されている動画を無視することは出来なかった。
久々に恐る恐るレックスのチャンネル画面をタブレットで開く。
はぁ、相変わらずの美しいご尊顔。尊みが過ぎて目が溶けそう…………って、ちがーう!!! まだ私はアノ事を認めてないんだからね!!
はぁ、はぁ、……取り乱した。まったく油断も隙も無い。私はただ時代の波に乗り遅れないために、話題沸騰中の動画をチェックするだけなんだから。
誰にする必要もない言い訳を頭の中に丁寧に並べつつ目的の動画を探す。それはすぐに見つかった。
ごくりと唾を飲み込んで、深呼吸を三回。それから再生ボタンを指差して、たっぷり数十秒が経過してから思い切って再生を開始する。
一体どんな動画なんだか。
動画が始まると画面が黒塗りになり、白抜きの文字が浮かび上がる。それを読むとこの動画が撮影されたのは数年前だということがわかる。
『史上最高のドッキリ』とか『人生最大のハプニング』とか意味深な言葉が次々と白抜き文字で浮かんできた。それを必死に目で追っていると不意に画面が切り替わる。
映し出されたのはごくありふれた一般家庭の一室。テレビやキッチン、ソファにダイニングテーブルがあることから、どこかしらのLDKのようだ。
ガチャリとドアが開き、直ぐに画面上に二人の女が現れた。顔面に表情のイラストが貼り付けられていて顔が見えない。しかし、身なりや動作、会話内容から二人が親子だということが直ぐにわかる。私はほぼ無意識に娘の方を奥歯を噛み締めながら睨みつけていた。
ダイニングテーブルに向かい合って座った二人。娘の方が少しばかり硬い口調で話を切り出した。
『あのね、お母さん……そろそろ付き合っている彼氏を紹介しようと思うの』
『えっ、本当!? 散々言っても会わせてくれなかったくせに。やっと紹介する気になったの?』
『うん、まあ……』
歯切れ悪く話す娘とは相反して母親のテンションは急上昇。アレコレと彼氏の人物像を想像してはキャッキャと盛り上がっている。そんな母親を娘の方が落ち着いてと促す。どちらが母でどちらが子だかとツッコミを入れたくなった。
『で、どんな人なの?』
好奇心一杯の母親の問に、娘はボソボソと答える。
『……とっても優しいよ。明るいし、誠実だし。ちょっとお仕事が忙し過ぎて健康は二の次にするところがあるけど。それでも応援したくなるくらい、一生懸命自分のやりたい事を頑張ってる人、です。……尊敬してる』
途中から俯いて照れくさそうに声量を絞る娘。オドオドするな、胸を張れ! と一喝したくなったけれど、彼氏のルックスではなく内面ばかりを褒めたところには若干の好感を抱く。ただの面食い女ではないらしい。
『へぇ~、随分と褒めるのねぇ。顔赤いわよ。どんだけ好きなのよぅ』
母親が揶揄い口調で娘をいじる。娘の方は俯き加減のままではあったがきっぱりと言い返した。
『うん、好き。お母さんにちゃんと紹介したいって思うくらい。出来れば、今後もずっと一緒に居れたらいいなって思ってる』
娘の発言に母親のふざけた雰囲気が急激に引き締まる。
『つまり、結婚を前提に付き合っているってこと? それとも、もうプロポーズ済み?』
『プップロポーズなんてまだっ!! …………でも、結婚願望はあるのかっていう話をしたときに、あるって言われて。仕事の関係上、すぐには難しいけれど、結婚するなら私がいいって言ってくれたことは、あ、ります』
変なところでどもって敬語になるのは緊張しているからだろうか。そして何より「結婚したい」とほぼ同意の事を彼氏に言われているこの娘が羨ましいやら憎らしいやら。先程得た若干の好感を床に投げ捨てて、今すぐアマ〇ンで藁人形を注文したい。ネットで買えるのか、藁人形?
そんな私の澱んだ感情を置き去りにして、娘が彼氏と結婚を見据えてお付き合いをしていると知った母親は『そっか』と感慨深げに呟いた。次いでテーブルに両手で頬杖を突く。
『なら、大事な娘をあげられる男かどうか、私がちゃんと見極めなきゃね。万が一、ダメ男を連れてきたら遠慮なく塩撒いて玄関から突き出すから、そこんとこよろしく』
発言は結構ハードだが、母親の声はとても穏やかで柔らかかった。表情がイラストで隠れていても優しく綻んだ顔が頭に浮かんでくるような声色。聞いただけで娘を大事に思っていて、娘が選んだ相手ならきっと問題ないだろうとほぼ確信しているのだと分かる。娘の方も母親のやや物騒な発言に対して『よろしくしないよ。ダメ男じゃないもん』と軽口を叩いているあたり、母と子の揺るぎない信頼関係がそこにあるのだと伝わってくる。なんだかほっこりするそのやり取りに、私は藁人形をポチるのはとりあえず止めてやることにした。
その後、母親は彼氏にはいつ会わせてくれるのか、と話題を振る。すると娘の挙動が一気に落ち着かなくなる。母親の問には答えずに、まったく方向性の違う事を喋り出す。
『あっあのね、私の彼氏はね、ちょっと会うまで何の仕事をしている人かは言えないんだけど、とにかくサプライズが大好きでねっ。お母さんは会ったらかなりビックリするっていうか腰を抜かすというか何というか。とにかく、会う時は心を強く持って、誰が来ても大丈夫っていう気合をね、入れて欲しいんだ!』
突然支離滅裂なことを言い出す娘に母親は訝し気に首を傾げる。
『何言ってんの。アンタの彼氏は大道芸人かなんかなの?』
『いや、そうじゃないけど……』
『……まさか、私より年上のおじ様とか?』
『違うよっ!』
『逆に十代の学生?』
『違うっ! 働いてるって言ったでしょっ』
『なら腰を抜かすなんて大袈裟なこと、あり得ないでしょ。まさか、前科持ち?』
『絶対ない!!』
娘は声を張って否定をする。次いで、落ち着こうとしているのか深呼吸を数回繰り返す。
『ちょっと、大丈夫?』
娘の様子がいつもと異なることを母親は敏感に感じ取ったのか、心配そうに声を掛ける。それに対して娘は頷いて応じた後、覚悟を決めたかのようにピシッと姿勢を正した。
『あのねっ、実はね、その、彼氏、今日ここに来るの』
『えっ、そうなの?』
母親は少しばかり驚いた声を上げたが、娘から醸し出される緊張感と比べれば気を張った様子もなく、『何かお茶菓子あったかしら』と呑気な心配をしている。
ピーンポーン。
母親がお茶菓子の有無を確認しようと立ち上がったタイミングでインターフォンが鳴る。娘は弾かれたように腰を上げた。
『彼氏かもっ。お母さんはここで待ってて! あっ、お茶の準備は後で私がするからしないでねっ。火の近くにいたら危ないかもしれないから、こっちに居て!』
挙動不審でダイニングテーブルを指差した娘が部屋を出ていく。母親はそんな娘の背中を見送った後、一人吹き出した。
『訳のわかんないこと言って。どんだけ、緊張してんのよ』
笑いを嚙み殺す声色には緊張の色はない。どうやら娘の彼氏が遊びに来たからといって、変に気を張ったり使ったりするタイプではないようだ。
それでも母親は娘の言い付け通り台所には行かず、立ったままダイニングテーブルの上に置いてあったリモコンや雑貨を軽く整えていた。
ガチャリ。
娘が出て行ったドアが開く音に反応して母親がテーブルに落としていた視線を上げる。娘が最初に入ってきたタイミングで母親は居住まいを正す。次いで彼氏がドアからカメラ画角内に入ってくる。その瞬間だった。
『えっ? はぁ? …………きゃあぁぁぁあああああ!!!!』
突然、母親が甲高い悲鳴を上げつつ口元を押さえて後退る。そのまま勢いよく背後の壁にぶつかった。鈍い衝撃音が聞こえてきたが、痛みなど瑣末なことだと言わんばかりに母親は声をひっくり返してほぼ絶叫した。
『レックス様ぁ!? えっ、なにぃ、どうしてぇええ!?』
母親のリアクションに対して彼氏――レックスは笑いを噛み殺して口元を手の甲で押さえた。その横で娘の方が母親の取り乱し様を心配する。
『あぁっ、お母さん落ち着いてっ』
そう言われて落ち着けるような心境ではなかったようで、母親は『なに、なにぃっ、なんなのぉおっ』と上擦った声を上げる。それから数秒経過して、母親の顔面に貼り付いているイラストがはっとした表情に変わる。
『もしかして、ドッキリ!? レックス様がお宅訪問してくれるドッキリなの!?』
キョロキョロと部屋を見回した母親は目敏く部屋に設置されていた複数台のカメラを一台一台見つけ出す。それから、凄い、何で、と繰り返してキャーキャー一人で大騒ぎ。そのリアクションは母親がレックスの大ファンである事を見る者全てに悟らせた。
もし突然レックスが家に現れたらこうなるわ。そんな風に私が母親にシンパシーしている時だった。
『あのねっ、ドッキリといえばドッキリなんだけどねっ、そのねっ……』
娘が心底言い辛そう言い淀む。そんな顔を横から見下ろしていたレックスが一歩前に出た。
『はじめまして。[ピー音]さんの言った通り、カメラを仕掛けたドッキリではあるんですが、娘さんと交際しているという件は本当なんです。改めまして、レックスと名乗ってYouTuberをしている松田樹といいます。[ピー音]さんとはご縁があって、以前からお付き合いさせて頂いています』
はきはきと爽やかかつ落ち着いた口調で自己紹介し、折り目正しく頭を下げたレックス。その所作はYouTubeの演者としてではなく、一人の男が恋人の親に初めて挨拶をするためのものだった。
途端にささくれ立っていた胸がズキリと痛む。けれども、私が感傷に浸る時間をこの動画は与えてくれなかった。
『えっ? 嘘ですよね?』
意味がわからないと言わんばかりに母親が気の抜けた声を上げる。
『本当です』
レックスが間髪入れずに答えると、母親は娘に声を掛ける。
『だっ、だって、結婚を前提にってっ…………冗談、ドッキリでしょ?』
娘は一歩踏み出して、レックスの真横に並び直すと横を見上げる。その視線を受けてレックスがふわっと微笑んだ。その顔は今まさに大輪の薔薇が花開いたかの様な芳醇な香りを想像させた。
笑顔を受けて、娘は意を結したように拳を握りしめた。
『本当に私はレックスさん――樹さんとお付き合いしてるの。……さっきした、結婚云々の話も本当だよ』
娘の声はどこまでも真摯で冗談を言っているようには見えなかったし聞こえなかった。そう感じたのは母親も同じだったようで――――
『…………推しが
その言葉を最後に、なんと母親は意識を失い、大きな音を立てて床に倒れ込んだ。背後にあった壁に頭をぶつけた鈍い音までマイクがしっかり拾っていた。
『きゃあ!! お母さん!!』
『えっ、嘘!? 気絶したぁ!?』
娘の悲鳴とかつて無いほど慌てたレックスの声が続いて、画面の中で二人は猛スピードで倒れた母親に駆け寄っていった。
これが、今巷で大バズり中の『推しが息子になって昇天事件』か!!
私は噂通りリアルな気絶をキめた母親の姿に同情した。しかし、同時に申し訳ないと思いつつも笑ってしまう。
その後、動画の展開は現実味がないコントのようなものになり、さらに笑わずにはいられなくなる。
『ちょっと、樹さん!! だからいきなり会うのはやめようって言ったじゃないですか!!』
『だって、まさか気絶されるなんて想定してなかったんだよっ! 俺はマイケル・○ャクソンなんかじゃない!』
『何意味わかんないこと言ってるんですか!? どっ、どうしよう、頭打ってましたよね!? お母さんっ、お母さんっ、大丈夫!?』
『どっどうしよう。救急車呼ぶっ!?』
慌てふためく若者の二人。そんな二人に左右を固められている状態で母親が意識を取り戻したのか、僅かに身じろぎする。
『…………あれ? 私……』
ぼんやりとした様子ではあったが母親が目覚めた事に娘は安堵と歓喜の声を上げる。
『ああっ、よかった! 意識が戻っ――――』
戻ったと言いたかったであろうところにレックスのこ声が重なる。
『良かったっ、お母さんっ!』
娘の方に視線を向けていた母親の顔がグリンと動き、その視界にレックスを捉えた瞬間。
『っ!? おかあさーーーーーん!?!? っ、――――』
レックスを至近距離で見たせいなのか、はたまたお母さんと推しから呼ばれたせいなのか。とにかく、母親はレックスの姿を見た途端に再び気を失った。
『ちょっ、お母さんっ!? もう樹さんの顔はお母さんにとって劇物なんだから気をつけて下さいっ!』
『ええっ!? 顔面を劇物扱いしないでよっ!』
『じゃあ刺激物!!』
娘は気を失った母親のことが心配でならないようで、さらに声を荒げた。
『絶対迷惑かけないって言うから動画撮るのに協力したのに! 気絶させるとか前代未聞だよ! 協力なんてしなきゃ良かった!』
母親の様子を慎重に観察しつつ、スマホで気を失った人への対処方法を検索する娘。一方のレックスは様々な事が衝撃的過ぎて少々冷静さを欠いていた。
『ごっごめんって。まさかこんな事になるとはっ……普通は想像出来ないでしょ?』
『普通親との初顔合わせにカメラは持ち込まないと思いますがぁあ?』
娘の言っていることの方がど正論でその後のレックスはタジタジになる。
ほどなくして、再び意識を取り戻した母親はもう気を失うことはなかった。ただテンションが完全に振り切った興奮状態になる。レックスの顔を見るたびに叫び声を上げ、自らの顔を覆っては『無理ぃ』と脚をジタバタ。お茶を出すと台所に引っ込もうとした娘に『置いてかないでぇ』と縋り付き、娘がレックスと普通に会話している姿を見て震えながら涙した。
そんな母親を何とかフォローしつつ、何だかんだとレックスにも居心地が良くなるように振る舞う娘。どちらの扱いにも慣れているようで、なんだかんだで母親とレックスの仲を取り持ち、場の雰囲気がまとまったところで映像が切り替わる。レックスの一人語りになった。
ソロでトークするレックスは当時の事を面白おかしく振り返る。かなりおかしそうに笑っているが、今となっては妻と義母になった二人と良好な関係を築けているのがその表情から窺える。
幸せそうな顔。幸せそうな声。幸せそうな仕草。
ファン歴が長いだけあって、レックスがかつて無いほど満たされているのがわかってしまう。
そう自覚した時、それまで鮮明に見えていたタブレットの画面がぼやけて見づらくなった。自分が泣いていると気がついたのは、無造作に太腿の上に置いていた手の甲にポタリと水滴が落ちたからだ。
だから見たくなかった。
そう思う自分とは相反して、どうせ見たんだろうなと素直に認める自分が心の中で顔を出す。
こんなに感情的になるくらい好きな相手の傑作動画を見ずにいられるわけない。
そして、好き過ぎた故にショックを受けて、顔を見たくなくなったこれまでの感情と相反して、かつて無いほど幸せそうな顔を見て、よかったと安心した自分がいた。
レックスに嵌ったのは、華やかなで明るく一見陽キャに見える彼が時々醸し出す闇っぽいものの存在を感知してからだ。普段は明るく振る舞っているが心の中はドロドロな自分と重ねて、いつの間にか応援したくなっていた。根暗な人間心理を理解してくれていて、視聴者に対する繊細な精神フォローが絶妙な動画はどんなジャンルもストレス無く見れたし、レックスが頑張っていると自分も頑張れる気がした。いつの間にか大好きになっていた。
そんな彼が画面の向こうで屈託なく笑う。
涙を拭って視界をクリアにする。
奪われたような気持ちになっていたが、それ以前と変わらずレックスは動画を通して私の側にいてくれる。根暗な私だけど、好きな人の幸せを祈れる人間でいたい。そう自然と思えた。
何より、まだまだレックスを見足りない。
私はエンディングが流れているタブレットを操作して、何ヶ月かぶりでいいねボタンを押した。
「――――結婚おめでとう、レックス」
随分遅れた祝福の詫びは、未視聴になっている動画を徹夜で片っ端から見ることにした。
今夜は久々に楽しい夜になりそうだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
これにて、完結!
今後は『オフィスラブコメ』を投稿予定✴︎
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
『イケメンだけど文句ある?』ってチャンネル名のYouTuberに出会ったから文句言ってやろうと意気込んだのに、どうしてこうなった!? i.q @i_qqqqqqqqqq
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