雨とスイーツ

Tempp @ぷかぷか

第1話 雨とスイーツ

「いただきます」


 目の前の彼女の口はそう言った。


「いただきます」


 慌てて僕も。

 僕の手元にはたくさんのスイーツの入った皿。

 温かい黄土色のプレート上にショートケーキ、チーズケーキ、ガトーショコラ、抹茶ムース、桃のムース。それらが通常の1カットの半分よりほんの少しだけ小さめなサイズで並んでいる。

 目の前の彼女はもっとフルーツに偏ったセレクションのケーキが6つ。なんとなくぼんやりみていると声がかかる。


「食べないの?」

「いえ」


 無言でぱくぱくと消費される甘味。彼女は魔法のようにぺろりと食べて、僕なんていないかのようにあっという間に席を立つ。

 僕も目の前の皿を消費していく。この店のショートケーキは普通の店よりイチゴが少し酸っぱくてホイップはふうわり甘い。チーズケーキはバスク風の少しだけ焦げたようなしっとりとした表面が香ばしく、濃厚な甘みが口の中に広がる。ガトーショコラは……。そう心のなかでもケーキを噛み締めているとと彼女がテーブルに帰ってきた。再びたくさんのケーキを皿に載せて。そして無言で食べ始める。先ほどと同じくフルーツ多めのケーキばかり並んでいて、半分は先程と同じ。


「色々食べたりしないの?」

「フルーツが好きなの」


 そう言って彼女はまた黙々と食べ始めた。

 ガトーショコラを再開しながら、なんとなく彼女を眺める。ウェーブの効いた肩甲骨くらいまで伸びたミルクティー色の髪。次々とケーキを飲み込むピンク色のリップのふっくらした唇。少し低めの鼻。細い眉毛と優しげに少し下がった目元はケーキに釘付け。それでサーモンピンク色のノースリーブのサマーニットにモスグリーンぽいスカート。

 ふと目が合う。


「食べないと時間が過ぎちゃうよ」

「そうだった」

「こういうのは最初の勢いが肝心」


 ガトーショコラはほろ苦くて口の中でぽろぽろと溶け、抹茶ムースの上部はスフレ状で空気のようで下に行くほどしっとりとプリンのような食感に満ち、どの部分も渋みがありながらも爽やかな甘さで口内を満たす。桃のムースはつやつやとコンポートされた桃が上にのっかり、一口食べるとみずみずしい果実の香りと濃縮された甘みが溢れ出す。ちょっとした驚き、それから爽やかな酸味。なんとなくこの感覚は彼女と初めてあった時を思い出す。


 僕と彼女が初めて会ったのはこの喫茶店『スワヴェスチ』の入口。少しお高めのその店の前を僕はよく通っていて、ちょうど特別企画でバイキングをしていることに気がついた。僕は甘いものが好きで、だから是非入りたいと思っていたのだけど、問題があって。それは入店条件が「男女ペア」限定であること。1人じゃ入れない。カップルでなくてもいいようだったけど、あいにく僕には一緒に行ってくれるような女性の知り合いがいなかったのだ。


 それで日々は過ぎて、最終日は日曜で、でもやっぱり未練があって。灰色のもくもくした雲からはぽろぽろと雨の粒がこぼれ落ちていたけど、なんとはなしに外出したら、足は自然に店の前に向いていた。

 けれどもやはり入場の条件は満たされなくて、なんとなくお城の前の門番を眺めているような気分で傘をさしながら立て看板を眺めていた。こいつが僕の入店を阻んでいる。

 諦めようかなと思ってぼんやりしていたところに彼女が傘もささずに飛び込んできて軒下に収まった。雨は先程より更に強くなり、風の吹く先の西の空をみると雲は一層黒い。おそらくしばらく雨は止まないだろう。


 彼女は残念そうに空を眺めながら、視線を落としてふと看板に気づき、その目をぱちくりさせながら上から読んでいって、一番下の「男女ペア」に気づいて、ふぅ、と残念そうな顔をした。


「あの、入りますか?」

「え?」

「僕もそれ、『男女ペア』に気がついて入れなくて。もしよければ」

「あ、ええと」


 不審そうに僕を見て、僕の周りに他に人がいないことを確認して、眉毛の間にシワを寄せてすこし悩んで。


「うん」


 それから彼女はようやくうなずいた。

 それがだいたい10分前。だから僕は彼女の名前を知らなくて、便宜的に『彼女』と呼ぶことにした。


 皿が空になった。気を取り直して席を立つ。

 そのころには彼女のお皿のカラフルなフルーツはもう半分空になっていた。向かったアフタヌーンティスタンドにはたくさんの甘味が並んでいる。さっきはベーシックなものを攻めたけど、今度はこの店定番のロシアンスイーツ。


 左端から一つ飛ばしにストリーチヌィ、ムラヴェイニク、レニングラーツキー、スィロークの一片を皿に取る。それから砂糖でコーティングされたクランベリーをいくつかと、小さなパンとセットに何種類かのジャム。それからドリンクにはクワス。ライ麦を発酵させて作る甘いビールのような飲み物。

 席に戻ると、彼女は驚いたように僕を見た。その皿は丁度空になっていた。


「どうかした?」


 尋ねると彼女はクフフと笑って小さな口を開く。


「いえ、見慣れないお菓子が並んでて気にはなったんだけど、重量感がすごくて手を出せなくて」

「ああ、まあこっちはちょっと重いしどっちかっていうと軽食レベルだからなぁ。でもすごく美味しいんだよ」

「あなたはこのお店に来たことがあるの?」

「うん、この前をよく通るんだ。でもバイキングは男女じゃないと入れなくてさ」

「それならどうして最初に普通のケーキを?」

「ああ、単純に普通のケーキってこのお店で出ないから食べてみたかったんだ。普段はこっちのこういうロシアの重いケーキのお店なんだ。とても美味しいよ」

「そうなんだ。残念なことしちゃったかな。すごく美味しそうだけど、1個食べるとそれで終わりになっちゃいそう」


 そう言って彼女は眉毛を少し下げた。表情がころころ変わって面白い人だな、なんとなくそう思った。


「それじゃあこれ、少しずつ食べてみる? とってきたけど、確かにこれはちょっと重いかもと思ってて。もし3分の1でも食べてもらえれば僕ももっと種類がたべられるんだけど」

「ほんとう? それじゃあ是非」


 新しいカトラリーを持ってきて、3分の1ずつケーキを彼女の皿に移す。


「これはなぁに?」

「それはムラヴェイニク。クッキーをつくって砕いてキャラメルシロップとかナッツと混ぜながらこんなふうな三角錐の形にして、ギューギュー推し固めて冷蔵庫で冷やせば出来上がり。コンデンスミルクをたっぷりかけて食べる」

「うわぁすごい体に悪そうな甘さ。でも素朴で美味しい。それにしても三角形で変な形。こっちは?」

「こっちはレニングラーツキーっていう。そういえばお酒が入ってるけど大丈夫かな」

「これくらいは大丈夫。サクサクしておいしい」

「これはパイ生地とクリームが重なっていて、コニャックとナッツがたっぷりはいったチョコムースでコーティングされてる」

「見たままカロリーがヤバそう」


 そういいつつも彼女はどことなく幸せそうにククッと笑った。


「それでこっちがストリーチヌィ。シュトーレンみたいな感じでドライフルーツがたっぷり入ってて素朴で美味しい。フルーツ好き?」

「うん、でもフレッシュなのばっかりでドライフルーツってあんまり食べたことないかも。しっとりしておいしいな。えぇ? このチョコバー、中がチーズケーキなんだ!?」

「そう、スィロークっていって中に濃厚なチーズケーキが入ってる。カロリーは気にしちゃ駄目なやつ」

「うう、めっちゃ気になるけど、今日はバイキングだし気にしてもしかたがないよ。ねぇ、あなた、ええと」

「僕? 僕はナオト」

「そう私はカナ。ナオトはまだ食べれるかな。その、3分の2サイズ。お皿あんまり減ってないけど」

「ええと、同じくらいの量ならなんとか」

「そう。じゃあ違うの取ってくる」


 そう言って少し楽しそうな彼女はまた席を立つ。


 でも目の前の皿に広がるケーキの山を改めて見て、ちょっと不安になった。茶色系が多いからまさに山。そういえば食べてないケーキの中にはもっと重いものが、ある。ゴクリと少し喉が鳴る。でもとりあえずこっちを食べきらなくっちゃ。

 ううん、やっぱりクレイジーに甘い。


 そう思って帰ってきた彼女の皿を見て驚愕した。

 ロシアで最も甘いと評される蜂蜜たっぷりの薄い生地と蜂蜜クリームがミルフィーユのように層をなしたメドヴィク、めちゃめちゃに甘くてパイ生地が物量的にとても重いアップルパイのシャルロートカ、何層ものパウンドケーキの中にサワークリームとナッツが詰め込まれ、ケーキ全体がクリームとナッツで覆われたスメタンニカ。アプリコットジャムに浸した三層のチョコレート生地の間にコンデンスミルクベースのチョコクリームをはさみ、全体が分厚いチョコレートでコーティングされたプラーガ。

 種類は4種類と控えめだけど、どれも超弩級にハイカロリー。極寒のロシア人でないと消費できないような高濃縮の栄養の塊。一個あれば雪山で三日持ちそうだ。目で見るだけで胃がきしむ。

 彼女は不審そうな顔をしながらその3分の2を僕に切り分けた。でもその前に、これだけは押さえないと。


「紅茶は大丈夫? 甘いけど」

「大丈夫だけど、言うほど甘いの?」

「そう、ロシアンティーはジャムを入れて飲むんだ。本当はジャムをなめながら飲むんだけど、ここでは最初から紅茶に入ってる。どのジャムがお気に入り?」


 僕は6種類のジャムを小さなティースプーンに1口分ずつ持ってきた。それをカナは一口ずつなめる。


「これかな」

「ローズジャムか。わりと定番で美味しいんだ」


 僕はバーコーナーに戻ってロシアンティーをオーダーする。絶妙な温度と絶妙なジャムの量。これはお店の人にまかせたほうが絶対にいい。

 席に戻って甘すぎるケーキを食べる。なんだか頭の中がザリザリするほど甘くて、少し頭痛の気配。2人でちょっとだけ顔をしかめながら食べていると、さっと視界が明るくなった。

 雲の切れ間から光が振っている。雨が、上がった。

 時計を見ると残り時間はあと10分ほど。色々話していたらいつのまにか時間が経っていた。


「美味しかった。多分ナオトが一緒じゃなかったらこの重そうなケーキには手をだしてなかったと思う、ありがとう」

「こちらこそ、色々食べられて楽しかった」


 ウェイターが皿を片付ける間のしばしの沈黙。


「「もしよかったら」」

「どうぞ?」

「ええと、もしよかったら、またケーキ食べにいかない?」

「いいよ。じゃあ連絡先、これ」


 LIMEでIDを交換する。外を見るともう誰も傘をさしていない。


「今度また連絡する。おすすめのカフェはたくさんあるんだ」

「それじゃあ今日のところはごちそうさまでした」

「ごちそうさま」


Fin

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