EP.08――優男――



 一


「いってきます」

 千代乃は短く呟きながら冷たい鍵を挿して鍵を掛けた。肩がけの学生鞄スクールバッグの位置を直しながらエレベーターへと進むと、降りのボタンに指を這わせる。降りてくるエレベーターの扉越しに見える機械的で空っぽな空間をボンヤリと眺めていると、エレベーターが降りてきた。

「……」

 不揃いな髪アシンメトリーショートの隙間から横目に向ける視線の先に、まずい顔をする「幼馴染み光司」の姿は無い。

 千代乃は誰も乗っていない開いたエレベーターに身体を滑らせると、一階ボタンに白い指を這わせた。千代乃はこのエレベーターの狭い筈な空間が広く冷えたものだと感じた。


 光司が帰宅しなくなって二日間が過ぎていった。マンションの住民達は特に気にする事もなく、生活の流れは続いてゆく。特に住民同士の交流なぞはないこのマンションでは少年ひとりいなくなろうと些細な事ではないのかも知れない。顔の見えない隣人なぞ、世界に存在しないのと同じだろう。ただひとり、光を失った千代乃の心の世界は知らず光司を求めている事を誰も知らない。

 エレベーターを降りた千代乃の足は、迷いなく学校とは逆方向へと向かっていた。逆行する同じミッションスクールの制服女子達の疎らな群れは、今の千代乃には、そのアイスブルーの瞳に映りもしない交わらない世界そのものだ。


 混じり合いたい世界に欲しいのはただ一人だ。



 ニ


 千代乃の足が向かったのは、東京駅だった。

 二日前、いなくなる前の光司が向かった先が外街クレータであるのはわかりきっていた。ただ、千代乃には外街への行き方なぞ知る由もない。わかっているのは、一年前から光司が仲良くしている白人の悪友ジェイムズだ。あまりにも軽薄で自分へと向けてくる視線は気持ちの悪いものだ。光司の友だちでもなければ会いたくもない男だ。恐らく、彼は外街の人間だと直感する。どこか、シティの市民とは違うものを感じるのだ。だが、今は藁をすがる思いでもあの男を探し出さなければいけない。唯一の光司を探す手掛かりは、外街クレータへの道筋は彼なのだから。

 千代乃は先ず、この制服格好をなんとかしなければと学生鞄に入れた私服を着替えて駅コインロッカーにでも押し込もうと考えながら東京駅へと足を速めていると。

「ねえねぇねぇってば」

 急に軽薄な声が追いかけてくる。顔を向けずに横目だけで確認すると

「キミひとり。なになに、こんな時間に制服姿て学校バックレ?」

 明らかに東洋人な男だった。あの白人の悪友ジェイムズではない。

「……」

 千代乃は無視をして歩を進める。同じ軽薄でも求めている相手ではない時間というものの無駄だ。

「ちょちょっ、無視は無くない?」

 だが、男はしつこく千代乃の前に周り込み、進路妨害をした。

「ねねね、まぁ俺の話を聞いてよ。そこでお茶してさ、そんでさあ、へへへ」

 恐らくこの男は自分のルックスに絶対な自信を持ってナンパを仕掛けてきたのだろう。ハーフな見た目とクール気な顔立ちに制服姿の千代乃を遊び好きなナンパ受けよい不良娘とでも思ったのだろう。だが、そのホスト崩れなルックスと隠しきれない邪な視線と笑いは不快以外のなにものでもない。

「邪魔なんで」

 表情ひとつと動かさずに強く睨み返すとホスト崩れな男は、意表をつかれて一瞬怯んだ顔をするが「邪魔」と呼ばれた事にプライドを気付けられたか、わかりやすく豹変した顔を見せると

「あ? ざけてんじゃ――」

 脅しな声と共に平手に打ち付けようとする手を振り上げる。千代乃はその手を無感情なアイスブルーの瞳で追いかけると――その手は大きな手のひらに素早く掴まれていた。

「――よくありませんね。それは」

 落ちついた声音と共に、その大きな手のひらの主である優男がノーフレームの丸眼鏡越しの柔和な笑みを浮かべてホスト崩れな男を頭ひとつぶんに見下ろしていた。

「な、なん――いててッテァっ」

「こんな大らいで素敵なお嬢さんに暴力もないでしょう。おわかりで?」

「わ、わかったようッ」

 腕を簡単に捻り上げるとホスト崩れな男は情けない声をあげて一目散に逃げていった。

「やれやれ、怖がりな」

 長い指で丸眼鏡をキザに押し上げた青年を千代乃は見上げる。空の太陽に届くかと思うほどに随分と長身な男だ。ハイウェストなデニムパンツとイエローなタートルネックシャツのせいかやけに手足も長く見えるモデルのようなルックスだ。千代乃に見つめられていることに気づくと小指でニュアンスパーマな黒髪を掻きながら、丸眼鏡越しの翡翠な眼を細め端正な顔を柔和に笑わせた。見た目はイギリス俳優のような白人男性だが、探しているアメリカ系の白人男性とは異なり過ぎている温室な清潔感がある。外街への手がかりにもならないだろう。それにこの顔は惚れられ慣れた顔だ。勘違いをされても困るものだと千代乃はアイスブルーの瞳を一度瞬かせてから

「ありがとうございました」

 頭を軽くさげ、青年の横をすり抜けて歩みを再開させる。

「お嬢さん」

 男性の落ちついた優しめな声音がすぐに千代乃を呼び止めた。

「なんですか?」

 まだなにか用があるのかと千代乃は首だけを向けて優男を見上げた。

「あなたの美しさは目立ちますね。ボディガードを募集してみては」

 人差し指を立てて片目を瞑るキザな仕草に白けたものを感じながら千代乃はジッとその全てにおいて自信に満ちた端正な顔ハンサムを見つめ

「おかまいなく」

 スタスタとした歩みで去っていった。

「ふふっ、フられてしまったようだ」

 優男も涼やかな笑みでデニムパンツに親指を差し込みその場から歩き去っていった。



 三


(着替えられる場所は)

 駅をしばらく歩いた千代乃は、着替えられそうな場所を求めて、知らず人混みを離れてゆく。その背後に、怪しげなフードを被ったが数人現れ、足速に千代乃の進路を遮った。

「この娘か?」

「あぁ、こんな所でラッキーてやつだ」

 男達のボソボソとした気味悪げな会話の得体のしれなさに千代乃は本能的に後ろに下がり逃げようとする。

「ッッっ――」

 だが、突然に目の前でスプレーのようなものを噴射され、千代乃は口元を抑えながら、身体の力が抜け崩れ落ち、意識が遠のいていった。

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