EP.10――目覚――


 一


「――シ。光司」

 耳によく聞き馴染む優しい声に、光司はゆっくりと目を開けた。

「ァ……千代乃チヨノ?」

 不揃いな髪アシンメトリーの隙間から覗くアイスブルーの瞳をまっすぐと見つめるとお節介な幼馴染みは大人びた顔を優しく笑わせた。白い雪のような頬にほのかな桜の色が咲いている優しい笑みだ。

「よかった、うなされていたみたいだったから」

「うな……夢だったのかぁ」

 安堵する溜め息が胸を深く沈ませる。

「熱は無いようだけど」

 白く細い千代乃の指が額に当てられる。冷たい、怯える事のない優しい冷たさだと光司は無意識に、その優しい手に触れた。

「どうしたの?」

 優しく綺麗な声の響きに素直な心が光司の口を突く。

「凄く怖い夢を見たんだよ」

「どんな夢?」

「わからない……思い出せない」

 なぜだか夢の内容が思い出せない。思い出したく無いと防衛する心が忘却な夢の底に沈めてくれたのか、そもそも夢なんて覚えていられるわけはないと自然に夢の泉から浮き上がってこれたのか、光司にはわからない。

 ただ、安堵する心が千代乃を求めるように、指同士を絡め、握り返す。

「元気そう。安心した」

 千代乃が包み込むように光司の指を撫でると、その絡まる指は名残惜しく、離れていった。

「じゃぁ、そろそろ帰るから」

 千代乃が紺色のミッションスクールのスカート裾を指で直しながら立ち上がる。

「どこに、行くんだ?」

「どこって、帰るの」

 光司の手は離れようとする千代乃の腕を掴んでいた。千代乃は困ったような優しい顔の中に困惑の色をアイスブルーの瞳に溶け込ませている。

「帰らないでッ」

 光司はまるで子どものような我儘さで千代乃を引き寄せて強く抱きしめた。

「今日はずっと、そばにいてくれないか」

 なぜだかわからない怯える心が離れたくないという。ここで離れるともう二度と会えないような気がして、傲慢に、我儘に、千代乃の側にいたいと光司は涙ながらに願った。

「……いいの?」

 千代乃も静かに光司を抱きしめると唇を震わせてアイスブルーの瞳で見上げてきて――ヒドくで光司に白い息を吐きながら呟いた。

『“サイ・ゴースト”なワタシでも?』

 抱きしめているソレが千代乃では無いと気づくと、自身の手が鋭い爪の黒鉄のモノに変化し、白鉄の身体を抱きしめていた。アイスブルーの雙眼が瞳孔に開いた怪物が漆黒の中で咆哮を挙げていた。



 ニ


 悪夢から目覚めた光司はコンクリート打ちのむき出しな天井を見上げていた。彼の知らない天井だ。ゆっくりと起き上がると、傷みの強い年季のある革張りのソファに寝かされていたようだ。

「悪い冗談だ」

 先程の夢を思い出す。千代乃を抱きしめ、自分が怪物になってしまう悪夢。随分と鮮明に頭に残る悪夢の残像ビジョンに震えが止まらず顔を覆うが、汗ひとつない顔に自分が思う以上に心は冷静なのだと思えた。

「身体にキズってもんが一つもない」

 セオドアに潰された筈のくっきりとした鼻筋を左指でなぞる。セオドア達の事も悪い夢だったのかも知れない。でないと、生命を落としてしまってもおかしくはない重症な自分が一日で無傷なまっさらな身体のままでいられるはずがない。

 夢だったのだ。

 そう思うと精神ココロが軽くなる。怪物はいないし、セオドアのような悪党に殺され掛けたわけではなく、ジェイムズも無事だ。

「ジェイムズ?」

 そうだ、あれが夢なら自分は今どこにいる。ジェイムズはどうしたんだと光司は辺りを見回す。

「ここはジェイムズの新しい家アジトだったりしないのか?」

 外に見える手前通りのセクシャルな女が描かれた看板を眺めると、ここがメインシティではなく外街クレータだとわかる。ここでは金回りの良いほうのジェイムズだ。自分コウシの知らない隠れ家アジトの一つや二つあるのではないか。ジェイムズが気を失った自分をここまで運んで来てくれた。そんな淡い考えに軽くなった身体を立ち上がらせて、外の景色を確認しようとしたとき、部屋扉が開く音が後ろから聞こえた。光司はジェイムズかと振り向いた。

「なんだ、随分と早く起きたじゃないか?」

 だが、そこにいたのはジェイムズではなく銀色の髪がワンレングス程度の長さに伸びた低い声音の青年だった。鍛えられた筋骨な上半身を晒すデニムパンツ一枚の半裸姿で部屋に入ってきた。

「……ぇ」

 その青年の顔に見覚えが無いと、光司は警戒に後退る。

「なんだ、ここに珍しいものでもあったか? 遠慮せずに寛げばいい」

 ニヒルに片口端を上げて、青年は気にせずと光司の寝ていたソファに座る。光司は恐る恐ると口を開いた。

「あんた、なんなんだ?」

「なんなんだか。まぁ、ひとつ言えるのは俺がここにオマエを連れてきた」

「連れてきたって――ッ」

 どういう事だと今一度聞こうとしたとき、急に後方から人の気配を感じ、振り向いた。

 後ろの窓のサッシに手が伸びて来たかと思うと、茶色ブラウンのウルフカットヘアが部屋へと身体を滑り込ましてきた。

「あれ、お目覚めだったんだね?」

 群青色のコーチジャケットとスリムなカーゴパンツの着こなしとワイルドな髪型とは裏腹な人懐こそうな中性的な撫で声と幼気が残る顔立ちの少年が気安く六角ナット指輪リングだらけな手を戸惑う光司に挙げて幼な顔を笑わせた。

「ジュニア、その窓は玄関では無いと何度も言っている」

「ゼラこそ、僕をジュニアて呼ぶのをやめない。ちゃんと自分の名前、あるんだからさ。それより、お客さんの前で半裸だなんてどういうつもりなわけ?」

「フ、男しかいない部屋の中だ。気にする事もないだろう?」

「そういうことじゃないっての、ああ、ごめんねぇ。起き抜けは喉も渇くでしょう、なんか飲む? L.A.ロスの高いミネラルウォーターがあるんだけど」

 男二人の身内がたりな流れに押されるように光司は頭を横に振ってもう一度、二人の男を見つめ、もう一度口を開いた。

「あんたら、なんなんだ?」

「また同じ言葉か? オウム返しが好きとみえる。まぁ、質問に応えるとしたらそうだな」

 ゼラと呼ばれていた銀髪の男は重低い声で光の薄い錆びたような橙色とうしょくの眼で光司を見据えて言った。

「俺達はオマエと同じく再び生まれた幽霊サイ・ゴーストだ」


再び生まれた幽霊サイ・ゴースト

 夢の中の千代乃が言っていた言葉に似ている気がして、光司の眼は動揺に揺れていた。

 その眼を見て、ゼラの口端は薄く上がる。

「なんだ、知っているか? 夢の中の誰かが教えてくれたか?」

 その口振りに光司の眼は瞳孔に開いた。

「夢の中の誰かって、あんたはあのアイスブルーの眼の女の子を――」

「――アイスブルーの眼の女の子? へぇ、君にはアレがそう見えたんだ?」

 ジュニアと呼ばれていた少年が鉄製タンブラーとミネラルウォーターのペットボトルを手にしながら夢の中の少女を「アレ」とまるで物を表すように薄ら渇いた声音を漏らした。

 光司はなぜだかそれに、ヒドイ苛立ちを覚えて知らずジュニアに詰め寄っていた。

「なにを、なにをし――ツッッ」

 ジュニアの肩を掴もうとした右手を、光司は凝視していた。

「なんだ……これ?」

 肩を掴もうとした光司の右手はに変貌していた。

「なんだ、もしかして気づいてなかったの?」

 ジュニアはその怪物のような手を見ても怖がりもせず目の前で肩を竦め、鉄製タンブラーにミネラルウォーターを注いで光司に差し出した。

「ほら、これ飲んでまずは落ち着きなよ?」

 だが、差し出しされたタンブラーを手にする事はなく、ただ呆然と悪夢のような怪物の右手を見つめるしかなかった。

「うーん、ちょっとショック大きすぎたってやつ、ねぇゼラ。彼、ホントに大丈夫なわけ?」

「大丈夫もなにも無いさ」

 ゼラは立ち上がると、現実を受け入れきれない動かなくなった光司の右手を掴み、言った。


「時空に喰われて死んだモノ同士。このフザけた世界がぶっ壊れるまで「サイ・ゴースト」として動きイき続けるだけだ」




 プロローグ――――完

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サイ・ゴースト――プロローグ―― もりくぼの小隊 @rasu-toru

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