第62話 中ノ瀬航路あやかしロックフェス!〈五〉

 楓たちが当面の〈メルルファ〉対策について話し合っていた頃、明たち演奏班は横浜某所のライブハウスにて初回の打ち合わせを行っていた。

「本当に良いんですか!?」

 共用ドラムのセッティングを終えたまりかが、前のめりになって梗子に念押しする。

「おう! 武術の稽古なら、いつでもどこでも大歓迎だぜ!」

 期待と興奮に満ち溢れたまりかの視線を受けて、梗子が眩しい笑顔で親指を立てた。

「ちょうど俺も、武術の練習相手に飢えてたところだったからな。それに、その黒瀬氏の他に稽古に付き合える奴が居ないんだろ? 実力を上げたいなら、もっと違う相手ともガンガン対戦するべきだぜ」

「では、この案件が解決したら早速――」

 まるで遊園地に行く約束でもする時のような、弾んだ笑顔を見せるまりか。そんな友人をキーボード越しに眺めながら、明はついに恐れていた事が起きてしまったと頭をクラクラさせた。

(これで朝霧も、稽古という名の戦闘バトルの世界に仲間入りを果たしてしまうのか……)

 数日前、海異対に協力したいというまりかの申し出を受けた明は、楓と梗子、そして事務室でふたりと共に待機していた水晶を朝霧海事法務事務所に呼び出し、まりかと引き合わせていた。つまり、まりかと梗子が直接言葉を交わすのはこれで2回目となる。

「まりかさん、楽しそうですね」

 水晶が、翼で口元を覆い隠しつつ嬉しそうに耳打ちをしてきた。水晶にとってまりかは、親や上司的な存在である楓や梗子とはまた違う、親しみやすいお姉さん的な存在であり、同時に、あるじである明の友人である故に尊重すべき相手でもあると認識している。そのまりかが楽しそうにしているのを見て嬉しく感じるのは、当然の事だろう。

「……だな」

 明は、すっかり打ち解けた様子で談笑するふたりを眺めながら、自分がまりかの心配をするなど烏滸おこがましいにも程があったと考え直した。

(つうか、子供ガキの頃に剣道を2年で止めた俺なんかよりも、朝霧の方が遥かに根性あるに決まってるんだよな)

 人間にとって危険極まりないはずの幽世かくりよに幼い頃から日常的に出入りし、強大な力を振るうあやかしたちとも対等に渡り合ってきた彼女なら、梗子の厳格な指導にも難なく適応してしまうことだろう。

 そのように納得してキーボードの操作に戻ろうとした明だったが、ここで果敢にも、ベースのチューニングを終えた渡辺が梗子とまりかの会話に割って入ろうとしてきた。

「あの、朝霧さん!」

 梗子が、ジロリと渡辺を睨んだ。それに対し、当のまりかは気さくに頷いて話の続きを促す。

「あ、あの……」

 渡辺は膝の上でベースを抱えたまま、おずおずとまりかに話しかけた。

「朝霧さんは、大学の軽音サークルでドラムを叩いてたんですよね。ピアノとか弾いてそうなイメージだったから、その、何だか意外です」

「ピアノは、簡単な曲をいくつか弾けるくらいですね。ただ、子供の頃からフルートをずっとやっていて」

「フルートですか!? 確かにピアノよりフルートって感じです! どんな曲を演奏されるんですか?」

「そうですね、最近だと――」

 矢継ぎ早に繰り出される渡辺の質問に、まりかは嫌な顔ひとつすることなく悠然とした態度で応じる。大人の余裕が感じられるその姿に、明は自分の懸念は杞憂に過ぎなかったのだと悟った。

(渡辺も演奏に関しては問題無いし、朝霧なら同じリズム隊として上手くやってくれそうだな)

 まりかの手に掛かれば、渡辺如きを手のひらの上で転がすなど容易い事だろう。明がそのように安心していると、話し相手を取られる形になった梗子がぶっきらぼうな口調で話しかけてきた。

「菊池、いけそうか?」

「……ええ、どうにか」

 明は、ライブハウスから貸出しを受けたキーボードに視線を落とすと、指先で鍵盤に触れながら感じたままを口にする。

「想像していたよりも、電子ピアノとは勝手が違いますね。鍵盤の数も少ないし、ハンマーが入ってないから感触が全然軽いです。他の楽器の音が出せたり、レイヤーやスプリットなんて機能が付いてるのも新鮮に感じます」

 電子ピアノとキーボードは、一見すると似ているようでいて、その実かなり異なる楽器である。電子ピアノがグランドピアノなどのアコースティック・ピアノと同様の演奏を実現するのに対して、キーボードはピアノやオルガンなどの鍵盤楽器やヴァイオリンなどの弦楽器、その他多種多様な楽器の音を楽しむ事を目的としている。そのため、バンド未経験のピアノ奏者がバンド演奏で使われるようなキーボードに触れた場合、鍵盤を叩いた時の感触や音の響き方、音色の多彩さなど様々な点において戸惑いを感じることとなってしまう。

「でも、これは慣れさえすれば問題ありません。バンド系の曲の演奏経験もほぼ無いですけど、自分から言い出した以上は意地でも慣れて見せますよ」

「慣れる、なんて言い方、生ぬるいにも程があるぜ。悪いが菊池には、ピアノの感覚は完全に忘れ去ってもらう」

「……ッ」

 キーボードから顔を上げた明の呼吸が、一瞬だけ止まった。

 軽やかに切り揃えられた前髪の下から覗く、輪郭のくっきりとした美しいまなこ。真夏の海面のような輝きを放つその瞳には、ひと睨みで獲物を金縛りにしてしまうような迫力がみなぎっていた。

「……あらかじめ言っておくが、今回の演奏に関して、何ひとつとして妥協する気は無い。当然、未経験者に配慮した曲作りなんてダルい真似をするつもりも無い。水晶のあるじであるお前がキーボーディストなんだからな、キーボードの強みを最大限に生かした編曲をさせてもらうぞ」

 断固とした口調でそう宣言すると、いつの間にか会話を止めて話に聞き入っていた渡辺とまりかに視線を移した。

「渡辺も、それからまりかも同じだ。これは高校や大学の文化祭とは訳が違う。最終的には金を取れるレベルの演奏に仕上げるつもりだから、そのつもりで死に物狂いで練習して来い」

 最後に梗子は、明の隣にいる水晶に視線を定めた。

「水晶。今回の作戦の肝はお前だ。俺は、気持ちさえ込められれば下手でも大丈夫だなんて、そんな甘ったれた言葉をかけてやるつもりは毛の先ほども無い。お前には、セイレーンや人魚マーメイドとタメを張れるくらいの歌唱力を獲得してもらうぞ」

「セイレーンと……」

 梗子の発言に、かつてセイレーンに歌合戦を挑んだ経験を持つまりかは思わず口元に手を当てた。

「想いとか気持ちとか、それがどんなに大切と言ったところで、所詮は目には見えず耳にも聴こえない、そんなあやふやな存在でしかない。その点、霊力が少ない人間には認識不可能な怪異や妖と似ているが…………まあ、それはいいや」

 コホンと小さく咳払いをして、脱線しかけた話を元に戻す。

「つまり、何が言いたいかというとだな。まず最初に技術があって、それを土台とすることで、想いとか気持ちっていうものを適切かつ存分に表現出来るようになると、俺は考えているってことだよ」

 ここまで一気に話してしまうと、ふうっと息を吐いた。それから、少しだけ語気を和らげて水晶に語りかける。

「だが、技術を磨く事に気を取られて気持ちがなおざりになったら、それは本末転倒だ。精一杯努力してもなお、技術が追い付かないという事もあるかもしれない。そんな時は、俺がカバーしてやるよ。そのためのツインボーカルだからな」

 そう言って話を締め括ると、気恥ずかしそうに頬を掻いた。

 熱意と気迫に溢れた梗子の弁舌に誰もが圧倒されている中、真っ先に口を開いたのは水晶だった。

「……望むところです」

 未だ鋭いものが残る梗子の瞳を臆することなく見つめ返すと、顔の横のトビウオのヒレをぴょこぴょこと揺らしながら高らかに宣言した。

「それがメルルファの為になるというのなら、どんなに辛いしごきにだって耐え抜いて見せます!」

「俺もです」

 明の落ち着いた声が、すかさず水晶の後に続く。

「水晶の願いは、そのまま俺の願いでもあります。どんなにアクロバットな演奏を要求をされたとしても、完璧に弾きこなすと約束しますよ」

 更に続いて、まりかと渡辺も口々に己の決意を表明する。

「ドラムは、バンド全体を支える屋台骨であり、曲の進行をコントロールする指揮者でもあります。単にリズムを取るだけじゃない、ボーカルふたりの歌声を実際以上に魅力的にしてしまうような、そんな熟練の域に到達して見せますから!」

「僕も! 僕には水晶ちゃんの声は聞こえないし姿も見えないけど、それでも水晶ちゃんと伊良部さんのふたりを幽世のアイドルとして君臨させる心意気で演奏させていただきますよ!」

「いや、アイドルって」

 感極まったようにメンバーを見渡していた梗子だったが、渡辺の言葉には思わず噴き出してしまう。

「……だが、気持ちはしかと受け取ったぜ」

 改めて全員の顔を見回して大きく頷くと、パンッと手を叩いてその場の空気を切り替えた。

「よし! 全員の気持ちがひとつになったところで、バンド名を決めようぜ!」

「えっ、バンド名ですか?」

「当ったりめえだろ?」

 梗子が、ジロリと明を睨めつけた。

「たった今、本気ガチでやるって話をしたばっかりじゃねえか」

「ですね、すみません……」

 まだまだ本気度が足りなかったとしょげ返る明をよそに、渡辺がビシッと挙手をした。

「では、『マリンバンド』にしましょう! 今回の事件の発端になった国際VHFの別称なんですけど、某有名バンドアニメのバンド名にも似てるし、僕的には結構良いんじゃないかって」

「却下。海要素が入ってるのは悪くねえけど、そんな当て付けみたいなバンド名じゃ気持ち良く演奏できねえよ」

「そうですか……」

 シュンと肩を落とす渡辺だったが、そんな彼をフォローするように、まりかがこんな提案をする。

「『マリン』の語を入れるなら、海洋生物を意味する『marine life』を複数形にして、『marine lives』というのはどうでしょう」

「おおっ! なるほど!」

 再び元気を取り戻した渡辺は、諸手を挙げてまりかの案を絶賛する。

「確かに、伊良部さんと水晶ちゃんは正しく海の生き物ですからね! というか、地球上の全ての生命は海を起源としてますし、僕ら全員海洋生物って事で良いと思いますよ!」

「俺も、朝霧の案に賛成です。バンドメンバー、特にボーカルふたりを表すバンド名として相応しいものだと思います」

「それじゃあ、これで決定だな」

 梗子が、少し照れ臭そうにしながら提案を受け入れた。

 かくして、人間と〈異形〉、そして実体を持たない式神を交えた前代未聞のロックバンド・〈MARINEマリン LIVESライブズ〉が横浜の地に誕生したのである。

「MARINE LIVES……」

 水晶は、出来たてほやほやのバンドの名前を口の中で転がしながら、遠い海上を孤独に彷徨うメルルファに想いを傾ける。

(待っててね、メルルファ。絶対に、あなたを助けてあげるから)

 まだ見ぬ友への無垢なる誓いに、小さな胸の奥底で何かが微かに震えた気がした。




 打ち合わせを終えて帰路に着いたまりかは、開港波止場に隣接する象の鼻パークを早足で進んでいた。

 ライトアップされたスクリーンパネルがパーク内を幻想的に彩る中、まりかは欄干に寄り掛かって横浜港の夜景を眺めるカナの後ろ姿を認める。

「こんな所にいたの」

 まりかは、ふたり分くらいの間隔を置いて隣に並ぶと、同じように夜景を眺めながらカナが喋り出すのをじっと待つ。

 足元でちゃぷちゃぷと打ち寄せる波音を何となく聴いていると、カナが前を向いたままとんでもない事を言い出した。

「メルルファを滅ぼすのは、止めておくことにした」

「ちょっ……」

 思いもよらぬ発言に、まりかは欄干から身体を離してカナに向き直る。 

「滅ぼすって…………どうしてまた、そんな物騒な発想を」

「だから、止めておくと言ったじゃろうが。そんな顔をするでない」

 カナは、紅葉のような小さな手でまりかを制すると、口を挟む隙を与えずに次々と止めた理由を並べ立てる。

「水晶から友を取り上げるのは、わしとしても不本意じゃからな。それに、人間社会で起きている混乱を、このわしがわざわざ解決してやる義理も無いという事に気が付いたからというのもある。お前さんとしても、わしなんぞがしゃしゃり出るのは余計なお世話じゃろう?」

「……そうね」

 まりかは不承不承に頷いた。そもそもとして何故メルルファを滅ぼそうとしたのかという疑問はもちろんあったが、それは外出先で気軽にする話では無さそうだと直感したため、大人しく引き下がる事にしたのである。

 カナは再び欄干に寄り掛かると、何事も無かったかのようにバンドの打ち合わせについて訊ねてきた。

「それで、そのバンドとやらでは上手くやっていけそうなのか?」

「うん、何も問題無いわ」

 まりかもまた素知らぬ顔で、先ほどの打ち合わせの内容について掻い摘んで説明する。

「――バンド名を決めた後に歌詞や曲のテーマについて話し合ったんだけど、梗子さんがすごく手慣れてるから、編曲まで一気に話が進んじゃった。明日、また皆で集まって細かいところを詰める予定よ」

「ふうむ」

「それで今日は解散になったんだけど、明と水晶は、梗子さんと渡辺さんと一緒に楽器店にキーボードを選びに行ったの。私はそのままライブハウスに残って、しばらくドラムを叩いてから出てきたけど」

 その言葉に、カナが怪訝そうにまりかを見た。

「どうせなら、楽器店に同行すれば良かったではないか。同じバンドメンバーとして、積極的に親睦を深めるべきじゃろう」

「だって……」

 まりかが、欄干の上で指先と指先をそわそわと触れ合わせた。

(とっくに家に帰って、独りで過ごしてるものと思ってたし……)

 正直に言うべきか逡巡したものの、気恥ずかしさが勝ったため、結局は話を逸らして誤魔化す事にする。

「それより、日中にドラムの練習用パッドが宅配で届いたの。良かったら、カナも叩いてみない?」

「叩く? わしがドラムを?」

 カナが、素っ頓狂な声を上げた。鳩が豆鉄砲を食らったようなその顔にどことなく愉快な気分になりながら、まりかは欄干を離れて再び歩き出す。

「大丈夫よ、ドラムは3歳からでも叩けるって聞くし」

「このわしを幼児扱いか!」

「中身じゃなくて、体格の話だってば」

 イルミネーションの幻想的な光の中、ふたりの軽快な掛け合いが石畳の広場に小さく響く。程なくしてふたりが象の鼻パークを去ると、岸壁に打ち寄せるささやかな波音だけが夜の広場に残ったのだった。

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