第61話 中ノ瀬航路あやかしロックフェス!〈四〉

 朝霧まりかと海洋怪異対策室との話し合いは、終始和やかな雰囲気の中で進められた。

「まさか、佐渡島でそんな事があったとはね……」

 佐渡島で起きたサメ騒動の顛末を聞いた村上は、三色ボールペンを持った手を悩ましげに額に当てた。

 現在、佐渡島の玄関口である両津湾を照らす姫埼灯台には、臼負い婆というあやかしが海上安全の神として封印されている。この臼負い婆を封印するに当たってまりかとカナが創り出したのが式神・〈龍魚〉になるのだが、その〈龍魚〉はというと、大きさを大幅に縮めた上で姫埼灯台に常時巻き付くという様相を呈していた。封印を破ろうとしない限り〈龍魚〉が人や妖に害をなすことは無いのだが、それなりに霊力がある人間には視えてしまうため、佐渡島の狢たちが監視に当たり、観光客に説明するなり幻術で誤魔化すなりして対応してくれているということである。

「できれば、姫埼灯台の様子を直接確認しに行きたいところだけど…………聞いた印象だと、そもそも島に入れてもらえるかどうかすら怪しい感じですね」

「普通の職員の方が灯台の保守管理で行くだけなら、何も問題は無いはずです」

 まりかが、如何いかんともしがたいといった複雑な表情で相槌を打つ。

「ただ、海洋怪異対策室の方が〈海異〉案件を理由に島を訪れるとなると、何を置いてもまずは5匹の大むじなたち全員の合意を得る必要があります。狢たちの縄張り意識が強いからというのもありますが、先程お話したように、彼らも一枚岩ではありませんから」

「佐渡島の幽世に、そのような厄介な事情があったとはな」

 九鬼が、腕まくりした腕を組んだまま椅子の背もたれに巨体を沈めた。

「我々の管轄としては九管区の海異対が対応するということになるのだろうが…………朝霧さん、その時が来たら、佐渡島の狢たちとの仲介役をお願いしても構わないだろうか」

「もちろん、喜んで協力させていただきます」

 九鬼による身も蓋もない協力要請を、まりかはどこか嬉しそうな様子で引き受けた。

 佐渡島についての話がひと段落すると、いよいよ〈メルルファ〉対応の打ち合わせに入っていく。

「……と言っても、今から幹部や関係部署の協力を取り付けようとしている段階なので、お恥ずかしながらほぼ何も決まっていない状態なんですよ。朝霧さんには、詳しい日程が決まり次第連絡差し上げますから」

「私の方も、向こう数週間は本業の仕事量を調整してゆとりを持たせておきますね」

「すみません、助かります。ちなみに、依頼にかかる費用についてですが――」

 その後は、一之瀬や村上による契約関係の説明が続き、最後に海事関係の話題について軽く雑談をすると、打ち合わせを兼ねた顔合わせ会はお開きとなった。

「それでは、今後ともよろしくお願いします」

「こちらこそ。龍宮城の話なども、また別の機会にでもさせてもらえたらと思っています」

「その辺りは、本当に朝霧さんの支障の無い範囲で結構です。我々も、龍神の機嫌を損ねるような真似はしたくありませんから」

「大丈夫ですよ」

 焦った様子の村上に、まりかが屈託無く笑いかけた。

「蘇芳様は、龍神としてはとても慈悲深く寛大な御方ですから」

 まりかが退室すると、部屋にはしばし、形容し難い微妙な沈黙が流れた。

「…………菊池さん」

 各々が難しい表情で考え込む中、渡辺はゆらりと立ち上がると、明にずいっと詰め寄った。

「何ひとつ僕の姉貴に似たところなんか無いじゃないですか!!」

「うん、そうだな……」

 渡辺隼人の年子の姉、渡辺あずさ。彼が「邪智暴虐の女帝」と呼び習わすこの人物について、明は頼んでもいないのに日頃から散々っぱら聞かされ、無駄に知識を得る羽目になっている。つい先日も、深夜のドラッグストアに女性用品を買いに行かされた話を昼食中に延々と愚痴られたばかりである。

 今年の春、まりかの協力により〈海異〉案件を解決した際、渡辺がまりかの事をしつこく質問してくるため、試しに「お前の姉にそっくりだったぞ」と言ってみたところ、それ以降はまりかに興味を示すことは無くなったというわけだった。

「菊池さん、そんなに僕が信用できませんか!? 心配しなくたって僕にはライラちゃんが」

「渡辺。総務部に行くから一緒に来い」

 見兼ねた一之瀬が渡辺を連れて部屋を去ったことにより、その場には幽世に関わる者たちだけが残った。

 ばつの悪い静けさの中、村上が三色ボールペンをポケットに仕舞いながら淡々とした口調で口火を切る。

「まあ、何か隠してそうだなとは思ってたけどさ」

 眼鏡を取って目の周りを指で揉みながら、ありのままの感想を抑揚の無い声で述べる。

「よりによって菊池君が、こんな大胆な嘘をくとはね。隠したくなる気持ちも分からなくは無いけど、ここまで信用されていなかったというのは、俺としては結構ショックだな」

 村上は再び眼鏡をかけると、すぐ隣で黙りこくっている九鬼に剣呑な眼差しを送った。

「室長、何とか言ったらどうです。これが、部下に対する日頃の振る舞いの結果ですよ」

「その通りだ」

 九鬼は、あっさりと己の非を認めた。それから、険しい表情のまま椅子から立ち上がると、部屋の出入口の方へと歩き出す。

「菊池。ちょっとこっちに来い」 

 九鬼の指示に、明は無言のまま後に続こうとする。

「室長、何を」

「九鬼さん!」

「大丈夫だよ」

 明は水晶と村上を制すると、九鬼と共に廊下に出た。部屋から十分に距離をとったところで、九鬼が足を止めて明と向かい合う。 

 九鬼は、品定めするように明の顔を見つめると、重々しく口を開いた。

「そんなに、俺が信用ならんか」 

「なりませんね!」

 ありったけの嫌味を込めて即答すると、好戦的な眼差しで九鬼を睨め付ける。

 人気の無い廊下に緊張が張り詰め、両者一歩も譲らぬまま時間だけがじりじりと過ぎていく。

 やがて、九鬼が身じろぎをした。

 額を抱えて何事かを考え込んだ後、明が想像打にしなかったひと言を口にする。

「お前のその判断は正しい」

「えっ……」

 あまりの意外さに、明の口から間の抜けた声が漏れた。

 九鬼は、廊下を見回して他に誰もいない事を確かめると、明に数歩近づき、声を潜めて話しかけてきた。

「仮に、仮にだ。朝霧まりかの事で他に何か隠していることがあったとしても…………待て。これは、いつもの嫌味とは違う」

 とっさに言い返そうとした明を押し留めつつ、しきりに周囲の様子を伺いながら話を続ける。

「他に、隠していることがあったとしてもだ。それは、絶対に誰にも言うな。俺だけじゃない、村上にも榊原にも伊良部にも言ってはいけない。分かったな?」

「…………分かりました」

 その有無を言わさぬ口調と異様な剣幕に、明は半ば気圧される形で首を縦に振った。

(言われなくたって話すつもりは無いし、俺にとっては願ったり叶ったりではあるけどさ)

 ここぞとばかりにぶつけたはずの鬱憤が腹の中でくすぶるのを感じながら、釈然としない思いで廊下を去っていく九鬼の背中を見送る。

(……もしも話したとしたら、何がどうなるっていうんだよ)

 九鬼の姿が消えた後も、明は得体の知れない不安に胸をざわつかせながら廊下に立ち尽くしていた。




 ※ ※ ※




 九鬼と村上、そして一之瀬の尽力により、中ノ瀬航路における対〈メルルファ〉船上ロックバンド演奏作戦は、関係部署の協力を得てどうにか実施される運びとなった。

「作戦決行は3週間後か。それまでに自然消滅してくれるのが一番良いが、そんな都合の良い展開を期待する気にはなれないな」

 朝霧まりかとの初会合から数日後。九鬼と村上、楓の3人は、資料や計画書を手に事務室で顔を寄せ合っていた。 

「物語の中でも、メルルファの消滅については後の展開でそれとなく示唆されているに過ぎませんから」

 楓が、深緑色の表紙をした「夢幻の国」の該当部分を読みながら、九鬼に素っ気なく言い返す。

「あの〈メルルファ〉が本当に自然消滅するにしても、それが明日なのか半年後なのかが分からん以上、海異対としては作戦決行まで何もせず放置というわけにはいきませんやろ」

「東京湾内の各海上保安部や東京マーチスの調査によると、〈メルルファ〉の歌声による霊障などの悪影響は現時点では報告されていないとのことです」

 村上が、ホチキス止めの資料を机の上に差し出した。そこには、商船や巡視船艇の乗組員などを対象とした聞き取り調査の結果がまとめられている。

「マーチスの管制官も含め、海河童の声は聞こえなかったが〈メルルファ〉の歌声なら聞こえたという話が複数報告されています。恐らく、怪異としての力が海河童よりも強いのでしょう」

「未だ魂を持たない状態でその強さとなると、自由意思を持つ妖へと至った場合には、どんな事になるんでしょうか」

「さあね。ただ、これほど強い力を持ちながら人間に対してさわりを起こしていないのであれば、その辺りは楽観的に考えても良いんじゃないかなと、個人的には思ってるよ」

 口ではそう言いつつも、村上はあくまで厳しい表情で話を続ける。

「とはいえ、無線交信しているところに歌声が割り込む事自体は、どう足掻いても邪魔でしかありませんからね。それについては、船体に護符を貼ったり、霊力の少ない人間に無線交信を担当させたりして、船ごとに対処してるということです」

「つまり、〈メルルファ〉には結界が通じるというわけか」

 九鬼が、資料を眺めながら思案げに目を細めた。

「中ノ瀬航路全体を包括する結界を構築できれば、結界内で祓う事も可能となるだろうが……」

「それだけ巨大かつ強力な結界を海上に展開するとなると、どちらにしろ数週間はかかってしまいますね」

「となると、しばらくは対症療法的に凌いでもらうよう、関係各所に頭を下げて回る必要があるな」

「船に貼る護符は、うちで用意しましょう。今後数日は、護符の量産に追われることになりそうですね」

「室長」

 当面の〈メルルファ〉対策の方針が固まってきたところで、楓が改まった口調で九鬼に話しかけた。

「ひとつ、相談したいことがあります」

「……どうした」

 九鬼が、低い声で話の続きを促した。

 楓は、九鬼の厳つい顔を真剣な表情で見返すと、単刀直入に用件を切り出した。

「作戦決行までの約3週間、大雄山だいゆうざんに行かせてもらっても構いませんか」

「大雄山って、あの天狗の修行場の!?」

 大雄山とは、箱根外輪山のうちの一峰いっぽう・明神ヶ岳の幽世に存在する天狗たちの住処兼修行場である。幽世に在りながら霊的次元に近いとされるこの異界は、暇を持て余した天狗たちの好意と戯れにより、開基数百年の古刹こさつを介して現世うつしよ門戸もんこが開かれている。

「でも、あそこの修行ってもの凄く過酷なんでしょ。体験した人の話だと、何度も生命の危機を感じたって」

「これは、何週間も前からずっと考えていた事です」

 自分を気遣おうとする村上を、楓が断固とした口調で制する。

野分のわきの魂が砕かれるのを見たあの日から、ずっと――」

 この夏、三浦の海で牛鬼・野分の魂が無残にも砕かれるのを、楓は九鬼と共に目の当たりにしている。

 魂を砕くなど、並の妖や人間に成せるような所業ではない。妖であれば赤灯台の付喪神・北斗が、人間であれば九鬼が、その力と技の限りを尽くせば可能だろうといったところである。

「三浦の件だけやありません。佐渡島の騒動や今回の〈メルルファ〉の発生も同じです。軽々と魂を砕き、新たな怪異を次から次へと創り出すような存在が黒幕だとすれば、うちらのようなただの人間ではとても対抗できません」

 あの日の悲惨な光景を脳裏に蘇らせながら、楓は机の上で組んだ手を強く握り締める。

「大雄山の天狗は、術者たちに修行をつける他に、その望みを叶える手助けをしてくれるとも伝え聞きます。もちろん、彼らに気に入られればの話ではありますが…………室長?」

 夢中で話し続けていた楓だったが、九鬼が渋面を作っていることに気が付いて話を中断する。

「あの、何か不都合でも」

「いや、違うんだ。すまない」

 九鬼は慌てて手を振ると、懐から一通の封書を取り出した。

「紹介状……?」

 楓は、「紹介状在中」と筆書きされた封書を受け取ると、眉をひそめてそれを凝視する。

「これは……」

「榊原が必要とするだろうからと言われて渡された。あの時はさっぱり訳が分からなかったが、こういう事だったのだな」 

 苦虫を噛み潰したような顔でそう言うと、忌々しそうに鼻を鳴らした。

「あの日、榊原と伊良部が菊池に呼ばれて事務室を出た後、俺も突然の呼び出しを受けて本庁に行っていたんだが…………この話は、榊原が戻ってからするとしよう」

「分かりました」

 楓は、今は何も聞き返さずに素直に頷いておくことにした。

 九鬼は気を取り直すと、楓に対して力強く頷きかけた。

「作戦決行日の前に休養をとる必要がある事を考えると、今日にでも出立した方が良いだろう。こちらの事は気にせず、修行に励んできてくれ」

 村上もまた、僅かな不安を見せつつも、穏やかに微笑みながら励ましの言葉をかける。

「それでも、決して無理はしないでね。命あっての物種なんだからさ」

「ありがとうございます」

 楓は上司ふたりに向かって一礼すると、出張の準備をするため自身のデスクに戻っていった。

「では、俺も作業がありますので」

「村上」

 続いて席を立とうとした村上を、九鬼が小声で引き留めた。村上は、前を向いたまま煩わしげに問い返す。

「何です?」

「あの時は、出過ぎた真似をして申し訳無かった」

「…………」

 村上はそっと溜め息を吐くと、冷ややかに九鬼を見下ろした。

「部下たち…………特に榊原さんには、余計な気を遣わせてしまっていますからね。綺麗さっぱり、水に流すことにしますよ」

 それだけ言うと、九鬼の返事を待たずにその場を去っていった。

 残された九鬼は、陰鬱な面持ちで窓の外を眺めながら、個人としてではなく、海洋怪異対策室の室長として取るべき行動について黙考する。

(神頼みなど御免被りたいところだが、今回は事情が事情だ。他にも知っている事があるなら、全部吐かせてやる)

 九鬼は椅子から立ち上がると、デスクで事務仕事をしている一之瀬に早退を告げた上で、防災基地を後にしたのだった。

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