第57話 中ノ瀬航路あやかしロックフェス! 〈プロローグ〉
東京湾の中央に、第二
東側約190m、西側約270mの「へ」の字型をしたこの島は、首都防衛のための海上要塞として明治から大正にかけて造成され、砲台や
その第二海堡の砲塔観測台に、ひとりの男が佇んでいた。
軍用トレンチコートやカーゴパンツ、タクティカルブーツなどの軍放出品で全身を固めたこの男は、肩までの髪を潮風に
「――――ッ」
男の嗅覚が、潮風に混じる甘い匂いを捉えた。
同時に、潮風は弱まり、波音も遠ざかって、行き交う船は
男は乾いた唇を引き結ぶと、右手をトレンチコートのポケットから出し、左脇に抱えていた深緑色の分厚い本を掴み取った。
「…………」
2匹の蛇が絡み合うメルクリウスの杖・カデュケウスが描かれた表紙に視線を落とし、すぐに目を背ける。
「第五章『朽ちた神殿』――――〈メルルファ〉」
深緑色の本が、強烈な光を発した。
突き刺すような光芒が煉瓦造りの観測台に満ち溢れ、数秒で消失する。
男は本を開いたまま、
「ッ!」
うら悲しい歌声が、上空から漂ってきた。
小さな鈴をそよ風に転がしたような静かで美しく、けれど深い悲しみを
(成功、だな)
男の胸に、小さな痛みが走った。
柔肌を針で突っついたような小さくて、けれど鋭い痛みが、固く蓋をしていたはずの記憶を否応無く脳裏に響かせる。
『お父さんはね、このメルルファの場面が一番好きなんだよ』
「クソが!!」
男が、砲塔台の
ざらついた煉瓦で皮膚が傷付くのも構わず、ジリジリと拳を擦り付けることで、胸を刺す痛みを強引に捩じ伏せようとする。
(これで良かったんだ、これで。どうせ俺はもう――)
男はゆっくりと呼吸を整えると、擦り傷からじわりと血が滲むのに任せたまま、霞かけていた現世の船影に意識を集中させた。
泣き声にも似た悲しげな歌声が遠ざかり、男の周囲に少しずつ潮風と波音が戻ってくる。男はさっきよりも少しだけ陽光の差した薄
義眼の表面を指でなぞって、己の
(俺には、憎しみさえあればそれでいい)
義眼から指を離して瞑目すると、瞼の裏の闇を静かに凝視する。
遠い日の暖かな思い出は今、汚泥の中に沈んで消えた。残るはただ、己を内側から焼き尽くす焔のみ。
男は深緑色の本を脇に抱え直すと、落ち着いた足取りで第二海堡を去っていった。
―― ―― ――
※参考 第二海堡について(画像あり)
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