宇宙に昇る
sudo(Mat_Enter)
第1話 宇宙に昇る
――宇宙はロマンだ。この世に無いものが、そこにはきっとある。
高校に入学し、新たな生活の始まりに胸を膨らませていた。
通常、新しい生活が始まるときは、期待とともに不安を抱くことは避けられない。
まさに、私にも不安というものがあった。しかし、私が抱く期待が宇宙のように果てしなく大きいため、それに比べれば、私の中の不安はほんの小さな、まるで宇宙に浮かぶ1つの塵のようで『なお、私の中では存在を無視するものとする』と言ってしまっても差し支えない程度のものだった。
なぜ私がこれほどまでに大きな期待を抱いていたのかというと、それは学生の本分ともいえる『部活』に、その理由があった(実際は、学生の本分は部活ではなく学業なのだろうが、そんなことは気にしない)。
『高校生なったら天文部に入部することにしよう』と、中学3年になったあたりから思うようになっていた。そのころ、私は宇宙に興味を持ち始めたのだった。どうして私が宇宙に興味を持つようになったか、についてだが、実のところ、そのきっかけは私も覚えていない。気づけば、宇宙のことが気になっていたのだ。いやはや、まるで恋のようだ、と思ったり思わなかったり。
それはそれとして、宇宙が魅力的な存在であることは確かだ。宇宙はきらびやかで、しかし暗く、果てしなく、そして何と言っても、謎を秘めていているところが素敵だ。
なるほど。宇宙はミステリアスだから魅力的なのだ、と結論付けてしまうと、これもやはり恋の話のように思えてしまうが、まあ、いいとしよう。
さて、こうして語っていくと私が天文部に入ることは決定事項のように思えるが、実のところ、この高校には天文部が無い。そのことは受験する高校を選ぶ際にホームページやパンフレットを見ていたから知っていた。
では、なぜ私がこの高校を志望したのか。それは私の学力がこの高校に合っていたからだ。つまり私は偏差値を重視して高校を選んだのだ。なぜ、部活ではなく偏差値で高校を選んだのか、という理由は語る必要もないだろう。なんせ、容易に想像がついてしまうようなものだからだ。
ところで、私は最初に大きな期待を抱いていると語った。そして、その理由は部活にあるとも言った。天文部に入りたかったのに、この高校には天文部が無いという話だったのに、どうして私は部活に大きな期待を抱いているのか。
――この高校には非公認で非公開の部が存在する。
そんな噂を入学と同時に聞いたのだった。
非公認で非公開とはつまり、ホームページやパンフレットに載っていないということで、ということは、この高校には私の知らない部活がまだ存在するということだ。
そして、噂にはまだ続きがあった。
――どうやら、ロケット部というものがあるらしい。
ロケット部! まさか、宇宙に行ける!?
予想外の情報に、ついつい舞い上がったことを考えてしまったのだが、しばらくして冷静さを取り戻し
さすがにそれはないか。でも、ロケット部なら宇宙に関係の深い活動ができるはずだ。
と考えた。
こうして、私は部活――ロケット部に大きな期待を膨らませることになったのだった。
***
扉を開けて部室に足を踏み入れた。そこは、とても狭い部室だった。たぶん四畳半よりも少し狭いだろう。
そんな宇宙の広大さとは対照的な部屋には1つの学生机があり、その机の前に1人の女性が座っていた。
彼女はこちらに体を向けたが、うつむいていたので顔がよく見えなかった。
何か声をかけてくれるのを待っていたが、一向にその機会が訪れないので、仕方なくこちらから「こんにちは」と声をかけた。
すると、彼女は顔をあげて、こちらを向くと(しかし、目は合わなかった。彼女はどこか遠くを見ているようだった)弱々しい声で「こんにちは」と返してきた。
この時、彼女の顔をちゃんと見ることができた。彼女は可愛かった。
クリっと大きな瞳、透明感のある白くて綺麗な肌、プルンとした唇……などということはなく、度の強そうな黒縁メガネをかけていて目は小さく見えたし、たしかに肌は白いけど綺麗というより体調が悪そうに見える白さをしていたし、これといって特筆すべき点のない唇をしていた。
たぶん、ここでいう可愛いは、一般的な可愛いとは意味が違うだろう。だけど、私の語彙力では彼女に対する感想を正確に表すことが難しく、やむを得ず可愛いという言葉で代用したに過ぎない。
まあ、結局のところ、どういうことかというと、私にとっては好ましい見た目だったということだ。
彼女が「アタシは
「私は
「どうぞ」
「ここで、ロケットを作っているんですか?」
私は肯定以外の答えを期待していた。この質問は話を円滑に進めるための投げ掛けに過ぎなかった。
「はい、そうですね」
期待した答えは返ってこなかったが、この程度なら想定内だった。相手がこちらの質問を正しく理解していない可能性があったからだ。
おそらく彼女は先ほどの質問を『このロケット部では、実際にロケットを作る活動をしているんですか?』と解釈したのだろう。それならば、肯定の答えが返ってきても不思議はない。
そもそもの話になるが、私はこのロケット部がロケットを作る活動をしているものとして、ここに来ている。まさか、ロケットに関する知識や理論を学ぶだけとか、ロケットの魅力を語り合うだけ、などというつまらない活動をしている部活であるはずがない、と決めつけていた。
さて、話は戻るが、私が彼女に聞きたかったのは『この
つまるところ、私が知りたいのは『どこでロケットの製作をしているのか』ということだった。
「えっと、この部屋以外に、ガレージみたいな作業する場所があるんですよね?」
「あはは、ガレージか。たしかに大きな夢はいつもそこから始まるよね」
「それじゃあ――」
「でも、残念。そんな大層なものは、分け与えられていないよ。ここが、ロケット部の――私の、全てなんだ」
彼女が私の想定外の答えを口にするから、少し苛立った。しかし、それ以上に困惑もしていた。こんな狭い部屋で、どうやってロケットを作るのか。それが分からなかった。
もしかして、まだ設計図を描いている段階で、それが終わってから作業場を借りる算段なのだろうか。いや、もしかしたら、彼女は嘘をついているのかもしれない。……なぜそんなことをするのか、という新たな疑問が生じるけど。
真相を探るため、彼女の瞳の奥を覗き込むことにした。彼女の視線の正面に立ち、瞳を見つめようとしたところ、彼女がプイッと左に顔を背けた。それならば、と背けた顔の正面まで歩いて向かい合い、再び彼女と目を合わせようとした。しかし、またもや彼女は顔を背けた。
なぜ彼女は目を合わせてくれないのか。それはきっと、何かやましいことがあるからだ。彼女は嘘をついているんだ。そう決めつけてもしまっても罪はないはずだ。
「虎惑さん、何か隠していますよね?」
「な、なんのことですか?」
明らかな動揺が見て取れた。やはり、私は正しい。彼女は嘘をついている。
「なぜ、目を合わせてくれないのですか?」
「え、えっと……」
「やましいことがあるからですよね?」
私はかなり強い口調で迫っていた(自身には非がなく、相手には何かやましことがありそう、という自身が完全に有利な立場にあるとき、ここぞとばかりに相手を追い詰める。多くの人はそういう人間であり、私もその内の1人であった)。
「や、やましいことはありません!」と彼女はこれまでの細い声とはかけ離れた、張り上げられた大きな声で主張した。
私は突然の大きな声に驚くと共に、感心をしていた。
やはり大きな声というは、無類の説得力を付与するものだな、と。
彼女の言葉に嘘はない。そう思えた。だがしかし、それならば改めて聞かなければならなかった。
「やましいことがないのなら、どうして目を合わせてくれないんですか?」
「それは……」
彼女は少し間を置いてから、バッと私と目を合わせたが、ほんの数秒後にはまた目をそらし、今まで通りのか弱い声でこう言った。
「恥ずかしいから」
「あー、そういうことですか」
私は、すんなりと納得してしまった。なぜか。その理由は明白で、私と目を合わせたと同時に彼女の顔が真っ赤になったからだ。そんな真っ赤な彼女はまるで……まるで、何だろう。いい例えが思い浮かばない。ともかく、私は話を進めることとした。
「さて、話は変わりますが、というか、ここからが本題です。私がここに来た意味を果たそうと思います」
「えっと、ここに来た意味?」
「はい。――虎惑さん。私をこの部に入部させてください!」
「わぁ、もちろん大歓迎です」
「やった! これからよろしくお願いしますね。虎惑さん」
「はい。よろしくお願いします。……ということは、瑠奈さんはこの部の一員になったわけですよね」
「ええ、そうですね」
「なら、もう、瑠奈は知らない人じゃない」
彼女はそう言うと、勢いよく立ち上がり私に飛びついてきた。私の首に腕を回し、頬が触れ合いそうになるほど近くに顔を寄せてきた。
「ち、近い!」
「へっ? ごめん、ごめん。あはは」と彼女は明るく笑いながら腕をほどくと、再び椅子に腰を掛けた。
彼女が突然、人が変わったように振舞ったことに驚いたためだろうか。私の胸はドクドクドクと速く激しく鳴っていた。
ひとまず気持ちを落ち着けるために、思いついた適当な質問を投げかけて時間を稼ぐことにした。
「この部には何人の部員がいるんですか?」
「他の部員はいないよ。アタシと瑠奈だけ」
「活動日と時間は?」
「決まりはないよ。好きな時にここを訪れるといいよ」
「虎惑さんは2年生ですか? 3年生ですか?」
「うーん……2年生!」
「好きな食べ物は?」
「えっ、好きな食べ物? 肉かなー。というか、どうしたの? 急に質問責めなんて」
「あっ、いえ。すみません」
「ううん。別に構わないよ。むしろ嬉しい。瑠奈にアタシのこと色々知ってほしいから」
「そうですか」
どうやらこの時間稼ぎは上手くいったようで、心臓の鼓動は静けさを取り戻しつつあった。少し気持ちが落ち着いてきたところで、どうして彼女は急に人が変わったようになったのか、考えてみた。
たしか、私がこの部の一員になると決まった後に、彼女は『なら、もう、瑠奈は知らない人じゃない』と言って、人が変わったようになった。だから、彼女は極度の――というか少し特殊な、人見知りなんじゃないかと思う。
一般的な人見知りは、出会ったばかりの人には本当の自分を出すことができないが、時間をかけて徐々に自分をさらけ出すようになるものだと思う。言うなれば、0から徐々に10、20……100と向かって行く感じだ。しかし彼女は、ある基準を超えていない人に対しては自分をまったく出せず、基準を超えた人には本来の自分をさらけ出すといった、0か100か、という特殊な人見知りなのではないか、と思った。
まあ、実際のところどうなのかはわからないので、そのあたりを探ってみるのも面白いが、出会ったばかりの人とする話でもないし、そもそも聞いていい内容なのか怪しい。ここは自分の好奇心よりも、相手との関係を大事にしよう。と思えるだけの良心が私の中に存在した。
それよりも、今は目の前の彼女の行動について、注目する必要があった。私が考え事をしている間に、彼女は机の中を漁って何かを取り出していた。
取り出したそれをよく見ると、ライオンのマスクだった。
彼女はそのライオンのマスクを被ると、鼻歌交じりに首をゆらゆらと揺らした。とても上機嫌なご様子だった。
「あっ、ごめん。瑠奈も何か被りたいよね?」
いやいや。なぜ、そうなる?
彼女の中では、何かを被ることは楽しいこと、または嬉しいこと、なのだろうか。しかし、私の中ではそのようなことはなく、どちらかといえば嫌なことなので、断ることにした。
「いや、結構です」
「これなんかいいんじゃない?」
どうやら私の声は届いていなかったようで、彼女は机の中からうさぎのカチューシャを取り出して私に差し出した。彼女の様子から、これ以上断るとさらに面倒なことになりそうな予感がしたので、素直に受け取り装着することにした。
「どうですかね?」
「うん。かわいいよ」
「それはどうもです。というか、そんなマスクを被ったままで、ちゃんと見えているんですか?」
「もちろん。目のところに穴が開いているからね」
「そうですか」
「しかし、ほんとにかわいいよ。瑠奈。食べてしまいたいくらいに」
彼女はガオーポーズ(獣のように爪を立てて両手を構えるポーズのこと)をしながら「食べちゃうぞー!」と陽気に言い放った。
「やめてください。死にたくないです」
彼女のノリがなんとなく面倒くさかったので、ぶっきらぼうに答えると、冷たくあしらわれたことがショックだったのか、彼女はガオーポーズをやめてライオンのマスクを脱いだ後、呆然と立ち尽くし、静かになってしまった。
「あの、虎惑さん。そんなに落ち込ま――」
「瑠奈は死ぬのが怖い?」
私の言葉を遮り彼女はそう問うた。真面目な質問内容ではあったが、彼女が今までのような明るい調子で聞くので、そこまで深刻な質問ではないように思えた。だから私も、深刻になりすぎないように答えることにした。
「もちろん怖いです」
「そっか」
彼女が、さすがに、あまりにもあっさりとした返事をするので、彼女はどうなのだろうか、と気になってしまい「虎惑さんは怖くないんですか?」と私はいつのまにか聞いていた。
「怖いよ。でも、死を恐れていたら、宇宙には行けない。アタシは死の恐怖を乗り越えなくちゃいけないんだ」
死の恐怖を乗り越えないと宇宙に行けない? どういうことだろう?
私は彼女の言葉の意味を理解できなかった。だけど、それでもいい気がした。
きっと、深い意味はないだろう。それっぽいことを言いたかっただけだろう。そう思ったからだ。
「なるほど」と適当に返事をしてみたが、彼女は特に怒るようなこともなかったので、やはりこれで良かったのだろう。
「改めて、これからよろしくね。瑠奈」
話がひと段落ついたことを告げる言葉を彼女が言い、私もそれに応じる。
「はい。よろしくお願いします。虎惑さん」
こうして、晴れてロケット部の一員となった私。これから、期待に満ちた高校生活が始まるのだ。
***
あれから、私はロケット部の一員として何度もあの部室を訪れた。彼女はいつも私より先にあの部室にいた。よほど、部活が好きだったのだろうか。
しかし、あの部室で彼女がロケットの製作に関わる活動をしているのを見たことがなかった。私が部室に来ると、彼女は私と話すことばかりした。
最初、おしゃべりをして時間を過ごすなんてそんなのくだらない、と思ったが、先輩が話しかけてきたら無視するわけにはいかないので、仕方なく相手をした。
だけど、実際に話してみると、彼女とのおしゃべりの時間は楽しかった(当初は、ロケットの製作に関する活動をするためにこの部に入ったが、早々に、この部室に来る目的が、おしゃべりすることに変わっていたということだ)。
「ほんと、色々あったなー」
満ち足りた気持ちでそう呟いて、空を見上げながら『色々あった』について少し思い返してみた。
***
ある日、私が部室に入るといつも通り彼女はすでにそこに居て、だけど、いつもはないノートパソコンが机の上に置かれていて、彼女は椅子に座ってその画面を見つめていた。
もしかして、ロケットの設計図を描いているかな、とわずかに思いながら、向かいの椅子に荷物を置いてから彼女に声をかけた。
「虎惑さん。何してるんですか?」
「ああ、えっとね、動画を見ていたの」
「動画ですか? どれどれ」
彼女の後ろに立ち、パソコンの画面をのぞき込むと、そこに映っていたのは赤、黄、あるいはオレンジの色をした揺れる光と薪だった。
「こ、これは、焚き火の動画!?」
私はふざけて、わざとらしく驚いてみせた。
「そう。というか、そんなに驚くことかな?」
「だって、動物は火を怖がると言いますよね。もちろん人間も動物だから、私は火を怖がっているんです!」
私はそれっぽい理由を答えてみた。この答えに対して彼女はどんな言葉を返すのか。私はそれがとても気になった。
「なるほど。でもね、瑠奈。この動画を見て本当に恐怖を感じる?」
「……たしかに、反射的に怖がっていた節はあるかもしれません」
「ちゃんと、この炎と――自分の心と向き合ってみて」
「自分の心と向き合う……。わかりました」
パソコンの画面に映る揺れる炎を見つめながら、意識を心に向ける。
……なるほど。本当に私が感じていたものが分かった気がする。
「うん。怖くないです。むしろ、落ち着きます」
「だよね。落ち着くんだよ。だから、アタシは焚き火が好き」
「そうなんですね」
「それにね、気持ちを落ち着けるのって、大事なんだ。宇宙に行くためには」
「恐怖を乗り越えなくちゃいけないからですか?」
「そう。ロケットの打ち上げに失敗して墜落するかもしれない。無事に宇宙に行けたとしても、そこからも安心はできない。宇宙に放り出されるかもしない。酸素が尽きるかもしれない。食料が尽きるかもしれない。あとは、帰還の際にも事故が起きるかもしれない。多くのかもしれないによる死の恐怖を乗り越えるために、自分の気持ちを落ち着ける術を身に着ける必要があるんだ」
彼女は椅子から立ち上がり窓際まで歩きながら、そう熱弁した。
「すごいですね。虎惑さんは」
いつの頃からか、彼女を称賛することは、私にとっての喜びとなっていたのだ。そして、彼女の言葉の意味を理解できたかどうかは、大した問題ではなかった。
「ありがとう。瑠奈に褒められると嬉しいよ」
窓から差し込む夕日が、曇りのない彼女の顔をゆるりと照らした。私が彼女の瞳を覗くと、彼女もこちらの瞳を覗き込んだ。かと思えば、静かな声でこう言った。
「瑠奈。動かないで」
彼女は、まるで白線の上からはみ出ないように歩くときみたいに、慎重な足取りでこちらにやって来て、ゆっくりと私の顔に手を近づけてきた。
「えっ、虎惑さん?」
困惑により、つい動き出しそうになるが、動くなと言われていたことをすぐに思い出し、不動を貫いた。が、心臓は激しく動いていた。一体何をするつもりなのだろう? 本当に全く予想できないからドキドキした。
彼女の手が徐々に近づいてきて、あと少しで頬に触れそうになるほどまで近づくと、急に速度を上げて――おでこをパチン!
「痛っ! 何するんですか!?」
いきなり叩かれたことに対して、驚きはしたが怒りはなかった。
「ごめんね、蚊が止まってて。しかも仕留めそこなっちゃった」
「なるほど。蚊ですか。もう夏ですね」
「うん。しかも今日は、1年のうちで昼の時間が最も長い日なんだよ」
「あー、そういえば、今日は夏至か……」
***
ある日のこと。
その日は午前中の授業で嫌なことがあって、午後の授業を受けられないくらい気持ちが落ち込んでいた。だから、授業をサボることした。昼休みが終わりを迎えようとしていたころ、私は部室に向かった。
部室で虎惑さんが来るのを待っていよう。そして、虎惑さんに慰めてもらおう。そう思って部室の扉を開けたところで「えっ?」と声を漏らしてしまった。
「あれ? 早いね、瑠奈」
もうすぐ午後の授業が始まるというのに、彼女はそこに居た。
「虎惑さん、どうして……」
「うん? なにが?」
なぜ、彼女がここにいるのか。そんなことは、もはやどうでもいいと思えた。むしろ、居てくれたことが嬉しかった。
「あ、いえ──あの、少し話を聞いてもらえますか?」
「もちろん。まあ、座りなよ」
私は彼女に促されるまま、向かいの椅子に座ってから話を続けた。
「実は、午前の授業で嫌なことがあったんです」
「そうなんだ。何があったの?」
「その授業は、近くの席同士で4人グループになってポスターを作る授業でした。で、作業を分担して進めることになったんです。それで一斉に作業に取り掛かったんですけど、私以外の3人はサクサクと進めて早々に作業を終わらせたのに対して、私は全然進んでなくて……。それで、残ってる私の分をまたみんなで分担して――という感じで結局3人がほとんどやったんです」
「なるほど。それで、それに何か問題があるの?」
「『ほんと使えない』『足手まとい』『いないほうがマシ』」
「えっ、そう言われたの?」
「……いえ。そう言いたそうな顔をしているように見えました」
「そうなんだね。その3人の顔を見て、瑠奈は嫌な気持ちなっちゃったんだね」
「はい」
「そっか、そっか。でも、気にする必要はないよ」
「どうしてですか?」
「アタシが瑠奈のこと必要としているからだよ」
「虎惑さん。ありがとうございます。虎惑さんが私のこと必要としてくれるなら、他はどうでもいい。そう思えます」
「嬉しいこと言ってくれるね」
「私も虎惑さんのこと必要としています」
「ありがと。なら、もしアタシが先にいってしまっても、追いかけてきてくれる?」
「もちろんです! 私は、いつだって、虎惑さんの側に居たいです」
「あはは。ありがとね」
「いえ、こちらこそ!」
私が彼女の目を見つめていると、彼女はゆっくりと立ち上がり、私の後ろまでやって来て、腕を回してから耳元で「瑠奈。本当にありがとう」とささやいた。
予想外の出来事に私が放心していると、彼女は腕をほどいて椅子に戻り「そろそろ秋も終わりだね」とすぐに話を始めた。
「あっ、えっと、そうですね」
私はなんとか意識を取り戻し、とっさに当たり障りのない言葉を出した。
そこからまた、たわいもない話が広がっていき、しばらく2人の時間を楽しんだ。
***
この日、私は海に来ていた。
見上げた空には、きらめく星々と穏やかな佇まいの月が浮かんでいた。
思い出の振り返りがひと段落ついたところで、視線を落として目の前の炎を眺めた。
いつの日か見た画面越しの炎をここに再現していた。映像で見たように、光は赤、黄、あるいはオレンジの色をしていて、静かに揺れていた。そして、画面越しでは伝わらなかった温かさが、ここにはあった。
「はあ、落ち着く」
――火よりも知る炎。乱れを知らず。
――夏至の思い出。夏の虫。
――煙は遥か空高く
宇宙に昇る sudo(Mat_Enter) @mora-mora
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます