隣の席の魔法少女。

美澄 そら

第1話 隣の席の坂本さん。


「あやみん怪我しちゃったんだって」

「えー! それで今日お休みなの?」

「大丈夫かなぁ」


 とても女子の心配そうには聞こえない、鳥の囀りのような声が、中条なかじょう 篤志あつしの隣の席から聞こえる。

 隣の席の主、坂本さかもと 絢実あやみは、本日欠席をしているため姿がない。

 しかし、取り巻き達が集まってやいのやいの言っているせいで、本人がいなくても喧しい。

 坂本 絢実は、明るい性格で容姿も可愛い。クラスの副委員長をしていて、人望もある。

 そのせいで篤志が隣の席になったとき、一部男子に僻まれたりもした。

 このクラスになって三ヶ月、一度も無遅刻無欠席だった彼女が休んでいることは、クラスの中で事件のように話題に上がっている。

 

「中条くん」


 眼鏡をかけた委員長が篤志の机の前で仁王立ち、目の前に紙を突き出した。

 まるで容疑者に逮捕状を突き出す刑事だ。


「なんスか、これ」

「お便りよ。中条くん、確か坂本さんとご近所さんでしょ」

「いや、近所っつーほど近所じゃ」

「よろしく」


 有無を言わさないとばかりに、委員長は机の上にお便りを置いて行ってしまった。

 別に俺じゃなくても行きたいやついるだろ、と心の中で悪態をつくけれど、言い返す勇気がなくて押し黙る。

 絢実とは、小中と一緒の学校だったから、なんとなく家の場所はわかる。

 だりぃなぁ、と思いつつ、断れない自分が恨めしい。


 放課後。担任の先生から詳しく家の場所を聞いてから、絢実の家に来た。

 斜めになった屋根の、箱のような家。数学で図形の問題に出てきそうな形だ。パンジーが揺れる、花壇のある小さな庭と、奥に車二台分の駐車スペースがある。

 ウチと違って綺麗だな、と祖父が建てた畳の部屋だらけのザ・和風な我が家を思い出す。

 小さな門を抜けて、玄関のチャイムを鳴らそうと指を伸ばしたところで、微かに声が聞こえてきた。


「……ピルよ」

「でも、行かなきゃ」

「あやみちゃんっ!」


 ドアが勢いよく開く。鼻先ギリギリで当たらなかった篤志は、肝を冷やした。危うく鼻が吹き飛ぶところだった。


「――あ」


 松葉杖をつきながら現れた絢実。ロングスカートから覗く左足には、ギプスが見えて痛々しい。

 肩には、ピンク色の、羊をデフォルメしたようなぬいぐるみが乗っている。

 玄関には他に人気はない。

 絢実が一人で話していたのだろうか。


「中条くん、どうかした?」

「あ、いや。これ、委員長から」

「わざわざごめんね、ありがとう」


 渡したお便りを半ば引っ手繰るようにして受け取り、絢実は笑顔を見せた。

 要約するに、早く帰れってことだろう。

 篤志は一瞬だけ嫌な顔をしたものの、取り繕うように笑った。


「……じゃあ、お大事に」


 そう言って背を向けた瞬間、けたたましいビープ音が耳を突き抜けていった。


「大変ピル! ヨーマが暴れているピル!」

「しっ! ロロピル、静かにして」


 独特な語尾。聞いたことない声と絢実のやりとり。

 篤志が振り返ると、困惑した表情の絢実と視線がぶつかる。

 変わらずビープ音が鳴り響いている中、絢実が慣れない松葉杖を使いながら、篤志を追い抜いていく。


「おい、どこに行くんだよ」

「……行かなきゃいけないの」

「なんだよそれ。そんなフラフラなのに行かなきゃいけないのか?」


「ほっといてよ! わたしにしか出来ないことなの!」


 そう言っているそばから、絢実の体がよろめいて傾ぐ。

 篤志は咄嗟に絢実の腕を取って、体を支えた。


「なにキレてんだよ」

「わたしが……わたしが行かなきゃ、ヨーマが暴れて、誰かが大変な目に遭っちゃうの」

「ヨーマ?」


 一体なんの話だ。

 篤志が頭上に三つほどクエスチョンを浮かべたところで、絢実の肩に乗っていたぬいぐるみが飛び跳ねた。


「あやみちゃんのお友達! お願いピル!」

「ロロピル!」


 ぬいぐるみが動いて喋っていることに篤志は驚き、二の句が継げないでいた。なんだこれ。夢か。


「あやみちゃん、ケガしちゃっているピル! このままじゃヨーマと戦えないピル!


 お願いピル! キミが魔法少女になって、あやみちゃんの代わりに戦って欲しいピル!」


 ――魔法少女。


「いや、いやいやいやいや」


 なんだよ魔法少女って。ぬいぐるみが動いて喋っている時点で魔法が存在する……のか。いやいや魔法ってなんだよ。現実的に考えてあり得ないだろ。

 それに魔法少女。少女って。俺男だし意味わかんねぇ。


 ビープ音が響く。


 それが急かされているようで、苛立つ。

 俺はただ、委員長に頼まれてここにいるだけなのに。

 なんでこんな茶番に巻き込まれなきゃならないんだ。

 頭の中で断る理由を探していると、絢実が篤志に向かって、深く頭を下げた。


「お願い、中条くん。助けて」


 絢実のセミロングの髪の隙間から見えてしまった。

 ――彼女の涙が落ちていくところを。


「……しょうがねぇな。今回だけだぞ」


 

 現場は近くにある緑の豊かな公園だった。

 心配している絢実を家に残し、篤志はロロピルという羊のぬいぐるみのような見た目の生物を連れて走った。


「あつしくん! あそこピル!」

「あれが……ヨーマ……?」


 ぎゃおーだのぐおーだの叫んでいる、フルフェイスの黒ヘルメットを被った、全身黒タイツの男にしか見えないが。

 襲われているであろう三人の子供もきょとんとしていて、とても危険そうには見えないが。


「あつしくん! 変身するピル!」

「いや、あんなの警察呼べば……」

「変身するピル!」

「わーったよ! 何すりゃいいんだ!」


 ぽんっと目の前に現れたのは、少女趣味な装飾が施されたリップクリームだった。


「これを塗って、『あつしメイクアップ』って叫ぶピル!」

「大丈夫かそれ! どっかから訴えられないか!」

「いいから叫ぶピル!」

「いや、もっと俺が言いやすい呪文ねーのかよ!」

「仕方ないピル! 『我が闇に潜むシャイターンよ、今こそその姿を現せ、メイクアップ』でもいいピルよ!」

「そこを変えたいんじゃねーよ!


 ああもう! 『あつしメイクアップ』!」


 つやつやでベッタベタの赤リップ。いつの間にか頬にはピンクのチーク。グリーンのラメがきらめくアイシャドウ。

 ヒラヒラでスースーする膝丈スカート。パフスリーブ、フリフリのリボンとレースがたっぷり付いたグリーンの衣装コスチューム。グリーンのエナメル質なハイヒール。


「は? 服も変わるなんて聞いてねーよ! これじゃ女装じゃねーか!」

「大丈夫ピル! あつしくんちょっぴりごついけどわりと似合ってるピルよ!」

「嬉しかねーよ!」

「あやみちゃんを助けるためピル!」


 言葉もなく項垂れた篤志に、ロロピルがそっと手鏡を向けて、「ね? かわいいピルよ?」と言ってきたが、なんの慰めにもならなかった。


「あつしくん、戦って欲しいピル!」


 そうだ、戦って勝てばこの恥ずかしい格好ともおさらばだ。

 篤志は風通りが良すぎて気持ち悪いスカートを押さえながら、ヨーマの背中にドロップキックをかました。

 盛大に吹っ飛ぶヨーマ。唖然としている子供に「大丈夫か」と声を掛けると悲鳴が公園中に響きわたった。


「ぎゃー! へんたいだー!」

「誰が変態だ!」


 子供が二人、走って公園から出ていく。

 篤志が腑に落ちなくて舌打ちしていると、後ろからスカートの裾を引っ張られた。


「助けてくれてありがとう。おにー……おねーさん」

「……おう」


 礼儀正しい子供が、頭を下げてから二人の後を追っていく。

 巻き込まれて大変な目に遭ったけれど、お礼を言われたことは素直に嬉しいし、助けられたのだとしたら、少しだけ請け負ってよかったと思った。少しだけ。


「車に気をつけろよー」


 



 こうして一件落着したところで、早々に変身を解いて絢実の家に戻った。


「ありがとう、中条くん」


 可愛い女子にそう言って微笑まれるのは、悪い気はしない。

 篤志は不機嫌なフリをして、顔がだらしなくにやけそうになるのを誤魔化した。


「これからお茶飲んでいかない?」

「いや、今日は帰る……疲れたし」

「でも、またヨーマが出たときの作戦会議をしたいの」


「え?」


 篤志は絢実の笑顔の裏に、黒い影を見た。

 背を冷たい汗が伝う。

 今回だけ、という言葉が喉の奥へ引っ込んでしまった。


「わたしの足のギプスが取れるまで、三週間。治るまでは一月半かかると思うから、その間魔法少女代理をお願いしたくて。


 協力、してくれるよね?」



 篤志は断れない自分を恨み、そしてまたあのスースーするスカートとベッタベタになるリップクリームを付けなくてはいけない未来に絶望した。





 


  




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隣の席の魔法少女。 美澄 そら @sora_msm

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