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 タブレットでインスタグラムを見る。つきちゃんが記事を新しく投稿していた。木目調のテーブルの上に、桜色のギンガムチェックのカバーが掛けられた母子手帳が映っている。


 気づいてくださった方もいましたが、妊娠しました。女の子らしいです。


 おめでとー!心配してたよ!・゚:*:*:・'゚☆


 よかった(#^.^#)

 

 おめでとうございます㊗㊗㊗㊗㊗


 お疲れ様!あかちゃん愛おしいね💋💋


 いいね! の数は十五個だった。詳細を覗くと、義高くんもいいね! をつけている。

 私もコメントをしようか迷った。だって、クラスの中でいちばんつきちゃんと多く話していたのは私だ。その私がコメントをしないのは、薄情なように思える。

 試しに、真っ白で広いコメント欄に、「おめでとう🥂」と入力してみる。でも、文面から嘘がにじみ出ているような気がした。聡明なつきちゃんはきっと、その嘘を感じ取るにちがいないと思うと、どうしても投稿できなかった。

 クラスメートが残した、「おめでとぉぉぉぉ💚」の文字列を眺める。私もこんなふうになんの感情もないコメントを残してみたい。でも指が止まってしまう。

 一時間ほど逡巡した上で、いいね! だけを押した。いいね! の数が十六個になり、最後尾に私の名前が並ぶ。

 これを見て、つきちゃんは何を思うだろうか。何も感じないだろうか。いや、私のいいねにも気が付かないかもしれない。

 本来であれば今頃、つきちゃんはキャンパスライフに夢を膨らませているころだったのだ。それでもつきちゃんは家族に譲った。公務を優先し、弟のヨリくんのために道を開いた。

 ふと、失恋をした、という思いがよぎる。

 口だけで「いち」と形作るつきちゃん。解説を見てもぜんぜんわからなかった問題を、優しい声ときれいな文字で丁寧に教えてくれるつきちゃん。服から香ってくる、さわやかな柔軟剤の香り。右手だけで支える、黒猫模様のブックカバーがかかった文庫本。すごいな、大島は、とつきちゃんを褒める先生。九十点や百点ばかりのテスト結果。数学も化学も情通も、古典も英語も全部できる、賢くて勤勉なつきちゃん。

 もう、あのつきちゃんは帰ってこないのだ。

 あとに残されたのは、勉強の才能がない私だけだ。私だけが取り残されて、机にかじりついて勉強をしている。

 赤ちゃんのウェア。ベビーベッド。柔らかそうな手足。添加物のないおやつ。人気の絵本とおもちゃ。インスタグラムはそういう写真で埋め尽くされている。そのどれもが私には関係のないことだった。子どもを産んだ同級生は子どもの話をしているし、妊娠した同級生はつわりについて話している。三回流産してしまった、という投稿にたくさんのコメントがついていて、慰め、励まし合っていた。

 みんなを見ていれば見ているほど、私は強い孤独を感じた。

 それでも私は、選んだ道を進まないといけない。

 

 試験が始まる、十分前。時計の秒針はずれることなく、厳格に時を刻み続けている。一時間前から試験会場についた私は、席についてずっと気持ちを沈めている。

 それでも凍えた指先は温まらない。ポケットのホッカイロを取り出して、手のひらでこすり合わせる。ここまでくると、いまさら問題集を開いても意味がない。どれだけ平常心を保てるかが重要になってくる。

 ふと、背中に視線を感じた。試験監督かと思って振り返ると、背後に男の子が立っていた。背格好から、受験生に見えなかった。どう見ても、小学校高学年くらいの年齢に見えた。俯いていて、彼の表情はよく見えない。でも、長い前髪の向こうから、私を見上げるように睨みつけていることは分かった。

 からからから、と何かを地面に引きずる高い音がした。その音に引き寄せられるように彼の手元を見ると、金属バットを持っていた。その先端が床に擦れているのだ。

 私は席を立ち、彼から背を向けて逃げようとする。しかし彼のほうが早く、強い力で肩を掴まれ、床へ仰向けに引き倒された。間髪入れず、腕を振り上げ、私の腹めがけてバットを振り下ろした。がつん、と一発。強い衝撃に息をつまらせ、呻くことしかできなかった。

 彼の殴打は一発では済まなかった。彼は繰り返し、私の腹、とくに下腹部を狙ってバットを打ち込みつづけた。彼は、私の子宮を壊そうとしているのだ。

 強力な打撃は、腰の骨を砕き、血管を破裂させた。私は叫んで助けを求めたが、周りにいたはずの試験監督がいない。部屋には誰も入ってこない。

 みんな、どこへ行ったんだろう?

 少年は何も言わない。殺してやるも、恨んでいるといった呪いの言葉もない。無慈悲な執行人のように、金属バットを振り下ろしてくる。繰り返し、繰り返し、繰り返し。

 私が声をあげられなくなったころ、彼が仕上げとばかりに、金属バットを両手で握り直し、スイカ割りのように両腕をあげた。そうすると着ている服の裾も引き上がり、腰が顕わになる。痛みで明滅する視界の中、私は確かに見つける。

 そこには、子宮ナンバー【F6851-2734】が刻まれていた。

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子宮ナンバー トウヤ @m0m0_2018

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