タイチは両手で安井の胸ぐらを掴んだ。

 しかしそれは、とても非力なもので安井がその気になれば簡単に振り払える程度。

 怒りはタイチの中で正当性を見失った。

 親友を──アツシを殺した安井は自分の行いから殺人へと行動を起こしたと言う。

 ならば、アツシを死に至らしめたのはタイチ自身だ。

 お別れ会の場で泣き崩れていた林セツコの姿を見て、タイチは敵討ちをしようと考えていた。

 浅はかな考えだとも思う。

 また人を殺すのかとも躊躇いもあった。

 誰かを殺すというのは誰かを奪われた人を生むということ。

 しかし、一度人を殺してしまった自分にだから出来ることもある。

 自分にしか出来ないことがある。

 お別れ会の場で安井からアツシを殺したと告げられたとき、その浅はかな考えがしかし確実に自分や奪われた者を救える行為なのだと思えた。

 コイツを殺せば、俺は救われる。

 アツシを失った現実に向き合うことができる。

 そうして、タイチは安井の呼び出しに応じた。

 その結果、殺すべき人間を見失うことになった。

 救いだと思っていたものを掴んでも、そこに何の確信もありはしない。


 掴まれた安井はそのタイチの両手を掴み、ぐっと自身へと引き寄せるように引っ張った。


「しっかりしろ、射場タイチ! ちゃんと俺を憎めっ!!」


 思わぬ叱咤にタイチは目を丸くする。

 安井の引き寄せる力は強く、安井が後ろへとゆっくりとさがると、二人は安井の背後の方──四階西階段へと近づいていく。

 立ち入り禁止のテープは荒々しく外されていた。


「安井、お前は何を言ってて、何をしようっていうんだ」


 タイチは困惑し安井の胸元から手を離そうとしたが、安井が強く引っ張り逆に手のひらに胸を押しつけられるような状況になった。


「お前はこれから、俺を階段から突き落として──」


 歪んだ笑みはなく、暗く飲み込むような怒りもない。

 安井タイチは、諦めたような、覚悟したような、あるいは何の感情をも抱かない表情で射場タイチを見つめた。


「殺すんだ」


 何を言っているのか、と何度目かの問いをタイチは口にしようとして思い止まった。

 目の前の安井に対して、わからない、と言い続けるのは卑怯だと思った。

 殺そうとこの場に来て殺せと言われているのだから、それに従えばいい。

 タイチは安井の胸ぐらを掴み直した。


「お前はそれで良いのか?」

「ああ、俺は──」


 タイチは安井の本意を知りたいと思った。

 わからない、と遠ざけるのではなく理解しようと思った。

 自分の二番煎じだと言うのなら、真似事をしたと言うのなら、何処か似ている部分、考え方に共感が出来る部分があるのかもしれない。

 そうやって、同じである──同一視が出来る部分があったとしたならと同義であると消化して昇華出来るだろう。


 安井がタイチの望むような答えを口にしようとした瞬間、それを遮るように望まぬ声が聞こえた。


「射場君っ!」


 高塚クミ。

 かけられた声にタイチは驚愕しつつ振り向く。

 タイチが歩いてきた四階の廊下の先に、クミの姿があった。

 クミもまたお別れ会の時のまま着替えず制服を着ていた。


「安井、お前っ!?──」

「そうだよ、俺が呼び出した。お前が正当防衛の末、二つの事件を起こした犯人である俺を殺す。その様を目撃してもらう為にな」


 クミが慌てて駆け寄って来ていた。

 クミの位置からは、タイチがの胸ぐらを掴んでいる様子だけが見えた。

 誰かはハッキリと見えないが、お別れ会の場でのことがある以上安井だと簡単に推測出来た。

 あの時のタイチは見たこともない表情で、憎悪に顔を歪ませていた。


「俺の部屋には二つの事件の証拠を残してあるんだ。細切れにした女装セットの一部に、富田の血がついた靴もそのまま置いてある。自白する手紙まで用意してあるんだぜ」

「お、俺の罪まで被るっていうのか、安井?」

「違うな、お前のやった功績すらかっさらっていくんだ。高塚クミを護っていたのは俺だと、そうやって奪っていってやるつもりさ」


 何を、とタイチは言葉にしようとすると、安井は、わからないだろうな、と嘲笑った。

 お前は俺のことをわからないだろう。

 同じ部分なんて見つけれるわけがない。

 ずっと疑問を抱き続ければいい、理解できないとそう思っていればいい。

 お前は俺を見ていないんだ。

 お前も、高塚も、安井タイチを見てなどいないんだ。

 わかるはずがない。


「そして、お前は生かされるんだ。罪から逃れ高塚の側で、彼女を護り続けろ。真似事には出来ない、最初に踏み出した本物お前にしか出来ないことだ」


 安井の理屈をタイチは理解など出来なかった。

 安井の仕掛けに乗るべきか乗らざるべきか、その判断すら出来ずにいた。

 近づいてくるクミの足音。

 彼女を護りたいと願ってるのは誰か?

 彼女を護る役目を担うのは誰か?


「さぁ、射場、演技の時間だぜ。ちゃんと正当防衛だと演技しろよ。じゃないと、俺はお前を殺すプランだって考えてるからなっ!!」


 安井が強くタイチを引っ張った。

 大きく引っ張られた身体は階段へと投げられそうになり、タイチは慌てて踏ん張った。

 体勢を崩して倒れそうになる身体を安井が引っ張り支える。

 同じような体格なのに、主導権は完全に安井にある。

 覚悟の差だよ、と安井は呟いた。

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