第8話 最終回・キジも鳴かずば
「今さらわかりきった話だけどさ、ガキが探偵の真似なんて、そうは上手くいかないよな」
僕は月を見上げてそう言った。カッコつけたつもりはなく、自分にガッカリしていただけだ。
「ザッツライト」ものうげにしずかは答えた。「だいいち、あの三人が真犯人ってのからしてただの思い込みにすぎなくて、事実は私たちの推論と二万マイルは隔たっていたかも。きっとそうかな。単なる偶然に意味を与え過ぎてしまった。探偵の女神は忙しいから、そうやすやすと手を差し伸べてくれたりしないのに」
「今夜はえらく、謙虚だね」
「おそらく今日、バスク風チーズケーキの製造に失敗したためと思う。私の内なるすべての自信が失われた。ふつう、失敗しないものなんだけど」
「それは、残念だったね」
「悟に処理させようかとも考えたけど、さすがに断念した。ニャンコなんか見ただけで怯えちゃって」
「す、すごいな。どんなのか、かえって興味が湧く」
しずかの思いつきで、僕たちはご近所をゆっくり散歩していた。しつけのよくできたレオは、彼女が手に持ったハーネスに大人しく従っている。
その、猫のくせに忠犬みたいな姿に感銘を受けた僕は、与一にも同じものを取り付け今夜にのぞんだのだが、こいつの方は身悶えして嫌がるし、うろうろするしで、ハーネスは絡みっぱなしだった。そのたびに解くのに苦心した。
指に絡めたマスコットをぶらぶら揺らしながら、彼女は言った。
「反省点のひとつに、スタッフワークがある。名探偵コナンでも、結局は警察をうまく利用してるし、今後この夜の会合に、警察関係者を参加させたらどうだろう。なあ、コナン君」と、マスコットに話しかけた。
「あてはある?」
「ない」
「朝彦先生の昔の知り合いとか」
「みなさんとっくに定年のはず」
「そうだよな」
僕はため息をついた。
「うちのバッちゃんだって、過去すぎる」
「でも、おばあさまご自身はピシッとしてるから、いいよ。ウチのお祖父ちゃんなんか、すっかりポワーンとしちやってさ、困っちゃうよ」
今夜はなぜか関東風発音だ。
「先生は、探偵の真似なんかやめとけ、って言わない?」
「言わない。まだ本気にしてないと思う。実はさ」
神社の長い階段の手前まで来たところだった。
家々の灯りを見下ろす位置に立ち止まり、しずかは珍しくしんみりした口調になって語りはじめた。
僕もはじめて知ったのだが、朝彦先生には彼を探偵業へと導いた先輩がいた。先生と同様、事件捜査とは畑違いの学者さんなのに、謎の解明に異常なほどの能力を発揮した。ベテラン鬼刑事すら一目置いた先人の実績があったからこそ、「お祖父ちゃんだって名探偵ぶることができた」のだという。
しかし先輩は、かなり前に探偵役をリタイアした。きっかけは家族の死だった。その人の、すでに社会人だった末の息子が、どうしてだか突然、親の後を追いかけ、乗り越えようとした。そして単なる謎解きに飽きたらなくなったのか、弱者救済へと乗り出し、のめり込み、ついには命を落としてしまった。
「犯人に殺されたとか?」
「てなわけじゃなくて、人助けの最中に、身代わりとなって命を落とした感じとか。でもそれ以来、先輩は事件捜査から一切手を引いてしまったし、うちのお祖父ちゃんがキリ良くやめたのも、おそらくそのせい」
「ふうーん」
「たぶん、私がガキだから放置してる。本気と思ってない。もしも、大人になっても続けようとしたら、止めにかかるかな」
「でも、しずかは結構本気?」
「そうかな。これは神戸のお祖母ちゃんのためもあって……」とまで言って彼女は首を横に振った。
「まあいいや。これはまた、別の機会に話すことにする」
「わかった。無理には聞かない」
「ありがと。だから悟は良いよ」
「人語を話すレオだし?」
「レオはもっとずっと可愛い」
猫がにゃあと返事した。
「ちぇっ」
だが、穏やかだったしずかの顔が、ふいに冷たさと鋭さを増した。
「悟、気をつけろ」
次の瞬間、突風みたいな気配が僕を襲った。
僕は肩をはじかれ、足をもつれさせたが、一瞬前のしずかの警告のおかげで転倒はまぬがれた。下肢に食らっていたら危なかった。
身構える間もなく、また突風がきた。今度ははっきり、人とわかった。たばこのにおいがした。
「イテッ」
僕は斜め後ろに飛び下がった。自分でも避けようとはしたが、誰かに付き飛ばされたため勢いがつき、再度の突風に巻き込まれずに済んだ。
すねに軽い衝撃があった。ほぼ同時に、さっきまで僕のいた空間から、
「お、ええ、か、ああああああ」と複雑な悲鳴が聞こえた。そして鈍い連続音とともに、重量物が神社の石段を転がり落ちて行ったのがわかった。
「あ、ありがとう」とっさにしずかが僕を横に押し、敵の体当たりをくらって転げ落ちるのを防いでくれたのだ。
「重いって」僕の体重が多すぎるということらしい。
ところがその直後、別の黒い影が月の光を乱した。タイミング的には、僕が姿勢を戻すのはワンテンポ遅かったのだが、鋭いけものの鳴き声がして、言葉にならない悲鳴が聞こえた。今度助けてくれたのは、猫だ。
僕は、レオに飛びつかれ地面に横倒しになった男を踏みつけ、肩口をつかんで引っぱりあげるなり膝蹴りを食らわした。
運がいいのか悪いのか、相手が身悶えしたのと同時に膝が胴へ入った。男はウッと声を詰まらせてから、くにゃっとなった。
「ちゃんと殺せたか?」
「いや、息はある。助かった。気絶したんだ」
「しっかり殺さんかい」ほっとしたのか、しずかは憎まれ口モードに入った。「だいたいなんや、もっと早くにピピっと殺気を感じて身を翻せ。それでなければ、か弱い私をかばって美しく殉職せんかい」
「へいへい、すんまへん」
男自身の持っていたガムテープを使って手首足首を縛っている間、しずかは自分のポケットから小型ライトを取り出し、地面にのびている襲撃者の顔をたしかめた。
顔はほぼ黒いマスクで覆われていたので、無理やりに剥ぐ。
光に浮かぶしゅっとした顔に、見覚えがあった。
「こいつ、マウスウオッシュ」しずかが言った。「久しぶり」
今夜も衣装は、足の先まで黒かった。
「特大のマスクにガムテ、でかいカッター。別に引越し屋のバイト帰りじゃないよな。僕らを脅すつもりで準備してた、というか襲ったんだ」
「ああ。まず悟を落っことしてから、私を手篭めにする手筈かな。月夜を選んだのが間違いのもと」
その古風かつ露骨な表現に、僕は顔をしかめた。
「ボケ。自分で犯行を裏付けてどうすんねん」
ゴツっと音がした。しずかがマウスウオッシュの頭を蹴飛ばしたのだ。
僕も黙って股ぐらに蹴りを入れた。かなり力がこもっていたため、今度はうめき声がしたが、知らん。一部使用不可になってもかまうものか。
石段の下のほうに転がったデブらしい影は、動かない。慎重に周囲を見回したが、三人のうち茶髪だけはどこにも姿がなかった。
逃げたのか、最初からこなかったのかはわからない。あくまで僕の想像だけど、威勢のよかった反面気が小さく、襲撃・暴行というシャレにならない犯罪から逃げ出したのかもしれない。
「とにかく、人数が足らず、ジェットストリームアタックが成立しなくて助かった」
「そんなオヤジアニメの比喩、知らねえ」
「それだけ知ってたら、充分」
「でも、なんで今どき」あらためて僕が冷や汗を拭っていると、
「この前、警察がカーサの近所を聞き込みして廻ったって言うやろ」
しずかは冷静にコメントした。「それに腹を立てたのかな。私たちがかき回したせいと思って。バカの考えることは理解でけへんな」
「しかし僕たちの身元、よくわかったな」こちらより調査力は上ということだろうか。
「病院で張り込み中、郡司さんと会ったやろ」
「う、うん」
「たぶんやけど、そのあと郡司さんが私らのことを大声でしゃべってて、そっから特定された。高校生が夜、二人っきりで三の丸公園にいるなんて危なっかしいとかなんとか。これはなおのこと、寒くなる前に会合の場所を見直さんといかん」
その口調は軽くなく、おごそかだった。一時の興奮が去って冷静になったためだろう。
「警察よぼう」
「そうね、仕方ない」うなずいたしずかは、急に自分のおでこを勢いよく叩いた。「せやった」
「え、どうした」
「やっぱり私、修行不足。こいつが襲ってきたの、もしかしたら別口の犯罪をやらかしてて、それを私らがほじくり返そうとしてるって誤解したせいと違うかな。余罪がありそうって自分から言ってて、忘れてた」
「そうだ、そんなこと言ってたな。僕も適当に聞き流していたよ」
ふーっと、しずかは唇から吐息をもらした。
「すまん。ついうっかりした。私の油断や。レオと与一を危ない目に合わせてもた。ついでに悟も」
「いや、僕こそ頼りなかった、用心棒のくせに。もっと警戒してればよかったんだ。さっきも助けられたな」
「お互い経験不足ってことか」
二人はじっと黙り込んだ。その沈黙を破ったのは僕だ。
「あっ」
「どうした」
「そういや与一、どこいったかな」
忠実なる彼女の猫は、その足元でライオンみたいに座っているが、与一はいない。
慌てて闇をすかし見る。しずかは与一を呼びながら先ほどのライトを振り回していたが、ふいに笑い出した。
指さす先を見ると、猫の目がきらりと光った。神社に置かれた小さな社のうしろに、情けない顔をした与一がいた。
「だいじょぶ。神さんに守ってもらってる」
そう言うと、しずかはまた笑った。今度は安心したのか、弾けるように。
それを聞いて僕も、ようやく笑いが込み上げてきた。
二人はしばらくの間、笑い続けた。
–––– おわり ––––
探偵志願!青鷺しずかの冒険 お喋り鳥を騙すには 布留 洋一朗 @furu123
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