小野宮早紀と、
黄呼静
小野宮早紀と、
あの
意外に思うかもしれないが、彼女と私は
だから”付き合っていた”というのも、言ってしまえばあの頃のお遊びみたいなもので、話のはずみでそう言うことになったという感じなのだ。
お互いに好きだと言いあって、他の友達には言わない秘密を作って、登下校ではおそろいのキーホルダーを揺らし、通学路を手をつないで帰った。それから勝手知ったるお互いの部屋であれやこれや、恋人だったらとか恋人ならばというなことを
だからやっぱりというか、当然というべきか、あの時はたしか早紀の部屋で、たどたどしいキスをして、そして翌日からは少しの気恥ずかしさと何日も二人の時間をすごした飽きも手伝って、しだいにあまり変わらないような関係に戻っていってしまった。
それから、学年が上がると別のクラスになって、中学ではとうとう同じクラスにはならなかった。今では偶然にこの遠い学区の高校で、同じクラスになってはいるけれど。きっと私たちが付き合っていたなんてこと、早紀はなかったことにしているのだろうし、私だっていまさらそんなこを誰かに話してみる勇気もない。
私たちの誰もが経験する通り、自己意識が芽生えてきて、学校の先生に「皆さんの個性は何ですか」と問われるようになってくると、途端になんだかそれまでの自分が嫌になってくる。きっとこんな自分はインターネットやテレビの中で
そのうえ、それまで親や先生に見守られたなかで出来たお友達との関係では、自分自身のキャラクターをある程度意識して、
言ってしまうと私も早紀も、そういう空気読みみたいなゲームはそれぞれ得意なほうで、小学校の間にはそういう事をうまくごまかしながら二人の時間を作れてたし、それからもずっとなんとなくそれぞれの方向へ、個性とかキャラクターとかいうものを伸ばすことが出来た。出来てしまった。
だから私がそうであるように、もしかすると早紀の方も、今の早紀自身の事が嫌いで、あの頃の私たちのような関係に甘い夢を見てくれているんじゃないかって、妄想してる。私たちは互い違いになったパズルのピースみたいに、今の私たちに似つかわしい形の一方で、ギザギザと他の何かでは埋められない、どうしようもない部分を持て余してるんじゃないかって。
私は、自分のことが嫌いで、小野宮早紀のことが好きで。彼女にも、今の早紀自身のことを、どこか嫌っていてほしい。きっと、そんな私みたいに自分が嫌いな空想の小野宮早紀に、私はずっと恋をしているんだと思う。
だから、早紀が彼女と仲のいいクラスメイト達を連れて私を誘ってきたとき、私は彼女が久々に誘ってくれたという嬉しさと、そんな私の淡い期待への裏切りのような、複雑な心持だった。
***
「遥も西駅だから、ちょい誘っていい?」
「えっ、ハルカって櫛田さん? てか早紀、何で駅とか知ってんの?」
「ん-? まあ、普通に? 私ら、おな中だったし」
「そうだっんだ。へぇ~、意外。じゃあ早紀が言うんなら、誘っちゃう? 櫛田っち」
その時は、単に
早紀は私を”遥”と呼んだけど、その言葉を聞くのはもう二か月ぶりで、あまり話したことのない
「ねえ、遥。私ら今日、西駅らへんで遊ぶんだけど、どう? 暇なら」
先ほどの彼女たちの会話も聞こえてはいたし、なんなら早紀がこっちにやってくるのをずっと見ていたけど、そこでもまた驚いた。早紀はその三人の中では、二人を引っ張っていくような存在に私には見えていて、なんだかいろんな方向を気にして私を誘いにくるなんて、早紀らしくないようにも思えたのだ。
「えっと、いまから? あそこら辺って何あたっけ……その、幾らくらい必要そう?」
「ああ、そんな気にしなくていいよ。足りなかったら、出すし。私らいつも、そんな高いとこ行ってるわけじゃないし」
こんなことを言ってまで誘ってくるからには、早紀も私に何かを求めていて、ついてきてほしいと思っているのだろうか。それともなんとなく人数が欲しかったとか、何か普段とちがうものがたまたまとか。だけど、人数をそろえるのに他のメンバーだって別に誘えそうだったし、そこに私が加わるというのはおかしな取り合わせだった。
早紀に誘われて応える間に、いろんな考えが頭を巡っていく。だけどその中で最悪のものは、早紀にとって今の高校生活がそんな細々としたいろんなことが見えなくなるくらいに充実していて、これが私との二か月ぶりの会話だなんて忘れて、ただクラスメイトの一人としてたまたま誘われたという事だった。
それは私の甘い妄想を、完膚なきまでに叩き壊す無慈悲な現実の姿で、しかもそれなりに
「ねえ、どう? くる?」
「……うん、じゃあ」
かといって、その誘い自体が単純にうれしかったことはまた一方の現実で、私はそれに
***
私たちが毎日通学に使っている通称西駅はさほど立派な駅ではないけれど、その周囲には多くの店や施設が建っている。私たちの学校からもそのすぐ隣にある、高いビルの予備校へ通っている先輩も多い。
今年の夏休みには家の近くでちょっとしたバイトをしていたけれど、来年はどうしようというのは今のちょっとした悩みの一つだった。
「ねえ、遥。こっち」
早紀たちに呼ばれ連れられたのは、ちょっとしたビルの一階にある、雑貨店。あっちとは道を挟んだ向かい側だけど、その通りを渡って実際に入ってみると、別の世界のようだった。藤代さんと、もう一人の早紀の友達の
私もなんとなく、この店にはどんなものがあるのだろうと、棚をめぐって見回ってみる。アンティーク調のシックなもの、可愛らしいポップなもの、なにかのキャラクターやそれをパロディした、ユニークなもの。こんなにも雑多なものが一つの店に並んでいるのは、でも、それ自体がこの空間の色になっていて、思っていたよりも居心地がいいのかもしれない。
いろいろなデザインの並べられたマグカップを見ていると、ふと早紀が隣にいて、私の視線の先を追っていた。
「ねえ。遥って、どんなの探してるの?」
「えっと、どんなだろ。なんか可愛いのとか、かな」
だけどその棚のどれも可愛らしくて、そうでないもののほうが珍しいくらい。私は本当にただなんとなく見ていただけで、そもそも欲しがっているものなんて無いのかもしれない。
「難しいよね、選ぶのって……」
早紀はそう言ってはくれるけど、彼女がなんとはなしに選んだ白いマグカップは、シンプルだけどとても綺麗で。なにより、早紀がそれを手に取る姿は、画になった。
「まあ、あの子たち何か欲しいものがあるらしいから。それ買ったら、次行こうって」
「そうなんだ。うん、了解」
早紀の目的は何なのだろう。
彼女はその白いカップを買うでもなく棚に戻すと、
藤代さん、高岡さんの買い物はそのあと少しして終わったようで、私たちは次の場所へと向かった。
その雑貨店から出て道なりに進んでいくと、お馴染みのファストフードチェーン店があり、そこでポテトと各々好きな食べ物、飲み物を選んでいく。ただ、そこで食事をとりながらおしゃべりというわけでなく、テイクアウトしてまた次の目的地へ。どうやら、近くに持ち込みの可能なカラオケがあるらしく、今日の最終的な目的はそこらしかった。
別にカラオケに行き慣れていないという訳ではないけれど、こんなふうになんでもない日に、なんの名目もなくというのは不思議な気がした。
それこそ高校に入ってすぐは、顔合わせみたいな感じでよく誘われたし、テスト終わりなんかには、パーっと騒ごうというという事で集まったりもした。だけど今日はそんな日でもないし、そもそもなんで自分が誘われたのかも、よくわからない。
藤代さんたちはさっそくポテトをつまみながら、雑貨店で買った髪留めとか小物を試したりして、もはや、なんでカラオケに来たのかという気もしてくる。早紀はそんな彼女たちに会話を合わせながら、デンモクを見ているけれど、それはそれで、なぜ彼女達や私を誘ったのだろう。
こうして過ごしてみると、普段学校で早紀と仲の良い二人は、彼女たちと早紀との二つのグループのように見えて、なぜいつも一緒にいるのだろう。かくいう私なんかは彼女達よりずっと、それこそ平均よりも人付き合いはよくないほうで、高校生ともなると中学や小学生の時とは違い、あまりべたべたしない距離感を考えるようになるものなのだろうか。
「そういやさ。遥ちゃん、さっきの店で何買ってたん?」
高岡さんに急に名前で呼ばれ、内心でドキリとする。
「えっと、これ? よさそうなのあったから、シャーペン」
取り出して、見せる。
よさそうなというか、まあ、ここに来るまでの事も考えて、手頃なものを。
「おーっ。なんか、遥さんっぽいね」
「そうかな……?」
彼女には、私は普段どう見えているのだろうか。謎にいい評価をもらう。
うんうんと頷いて早紀や藤代さんも見ているが、それ以上のなにかコメントはなかった。皆、実にあっさりと、それぞれの興味へと移っていく。
するとスピーカーから曲が流れ始めて、早紀がマイクをとる。座ったままだけど、少し姿勢を整えて、なんだか緊張しているようにも見えた。
スッと白いくびを伸ばし、ゆっくりと息をためていく。一瞬、決意をしたように唇を結んで、歌いだす。動画サイトで有名ないわゆるボカロ曲というやつだけど、歌うにはすごく難しいと思う。でも早紀が歌い始めると藤代さんたちも「おー」と声をもらし、聞き入ってしまう。もちろん、私も。
聞いたことのある曲のはずだけど、本当に大元のそれはどんなだっただろう。やっぱり音楽家と呼ばれる人は、こんなふうに人が心を込めて歌う事をいつも考えて曲や歌詞を作るんだろうか。それは当たり前のことだけど、改めて考えると不思議にも思う。
モニターには早紀の歌う歌詞が白い文字で映し出されていて、左から徐々に色がついていく。カラオケの人たちも曲のリズムやテンポを考えてこの映像を作っているんだろうけど、早紀の歌い方と比べると、ずっと機械的に流れていく。文字の色付けなんて工夫しようもないことで、仕方ないのかもしれないけれど、なぜだかそれも不思議だった。
「よかったよ、早紀」
「相変わらず上手いねぇ」
曲が終わり拍手をする二人に倣って、私も手をパチパチと叩く。
「もー、やめてって。遥も。いちいちそんなの、いいから」
「ああ、えっと。ごめん……」
私も何か感想を言いたかったけど、むくれた早紀にちらりと目を向けられると、それ以上言葉は出なかった。
しかし「歌いたいのがあったら、じゃんじゃん入れて」とは言われていたけれど、とてもこの後に歌う勇気はない。こうなることを知っていたのか、藤代さんたちもしばらくは歌うつもりもないようで、早紀もまたデンモクを弄り始めている。
私はなんとなくその場にいづらくて、皆に断って席を立つ。まだ買ってきたオレンジジュースには手を付けていないけど、学校を出てからそれなりに時間もたっていた。
***
結局、今日私が呼ばれた理由なんて、そもそもあるのだろうか。私がただ肩肘を張っていただけで、そもそも早紀にとっては私のことなんて、いまや緩いつながりのあるクラスメイトの一人でしかないのではないだろうか。
化粧室でさほど化粧っ気のない顔を鏡につき合わせて前髪を弄っている姿は、今の彼女とはとても遠い存在のように思えた。
「なんか、悩みごと?」
「うわっ……早紀、来てたの?」
むしろ鏡を見ながら、なぜ気づかなかったのか。
先ほどの姿も、今の間の抜けた声も、今日はもう恥ずかしい姿を見せてばっかりのような気がする。
「今日誘っちゃったけどさ、もしかして何かあった? ちょっと強引だったかなって」
「ううん、そんなことないよ。ただ、ちょっと……なんか、カラオケとか久しぶりで」
カラオケもそうだし、ファストフード店も。そういえば、最近は雑貨店なんかも見ていなかった。
心の中で後付けの理由を探してはいるけれど、これって同じ女子高生としてどうなのだろうか。そもそも、結局は慣れない場所に誘われて居心地が悪かった、と白状しているふうにもとれないだろうか。ここはなんとなくポジティブなことも、言っておくべきではないだろうか。
「早紀、歌上手いよね。久々に聞いて、びっくりしちゃった……」
驚いていたのは本当だけど、これはすこしワザとらしい……かな?
「そういうの、やめてって。そんなに上手いわけじゃないから」
「えー、そう? 十分、上手だと思うけど」
「あ、おかえり~」
「じゃあちょっと、私らも行くから。よろしく」
しかし、そのドアを開けてすぐ、藤代さんたちからの謎の「よろしく」。私たちはまた、二人きりでいることになってしまった。
「ただいま。いってらっしゃい……」
我ながら気の抜けた声で二人を見送り、ソファーへと座る。早紀はクールに「わかった」とだけ答えて、またデンモクへと向かう。とうとう本当に手札が尽きて、早紀の次の歌が終われば、私も歌わないわけにはいかなそうだった。
「遥はさ。将来とか、どうしようとか……って、看護師だっけ?」
「えっ? ああ、うん。いちおう」
突然、何の話だろう。
久しぶりの幼馴染との内容のありそうな会話は、だけど、突然重く感じられるものだった。
「高校卒業したら、そっちに進むんだよね?」
「そうだね。ただ母さんとか、「看護師だけは、やめとけ~」って言われてるけどね」
「えっ!? 明日実さん、反対してるってこと?」
早紀はちょっと驚いて、真剣な目でこちらを見る。ちなみに明日実は、母さんの名前。
「え……いや。別にそんなじゃなくって、教訓? みたいなものなのかな。そんな簡単な仕事じゃないぞって」
「ああ、そういう……なんか、ごめん」
「うん。別に反対とかは、されてないよ。ちゃんと勉強して受かるなら、大学とかも気にするなって」
出来るのか、とは問われているけれど。やるな、とは言われていない。むしろ、そういうことを含めて、私は応援されているんだろう。主に夜勤明けの休日にチューハイで酔った時のセリフだとは、早紀に教える必要はないと思う。
「なんか、カッコイイね。すごいよ」
我が母ながら、そうなんだろう。決して、早紀にそう言われたからと言うだけでなく、改めて考えると、母は凄い人なんだと感じた。
「私はさ……なんか、その。アレなんだけど」
「うん」
ぽつりぽつりと、早紀は
急に昔の早紀との思い出がよみがえって来て、先ほどまでの気恥ずかしさが、ふっと消えてしまう。あの頃は母の空けることの多い私の家に早紀をよく呼んで、買い置いてくれたお菓子を食べながら、いろいろな事を早紀に話せた。
早紀のやたらと喜んでくれるスナック菓子を買い置いてくれる母に、今よりもっと単純な理由から尊敬していた。早紀の事も、互いの話が面白いとか、単純に自分とは違うものをもった親友として、いつも一緒にいた。あの頃はいろんなことに疑問も無くて、いろんなことができるような気がして、あの頃の早紀と私は無敵だった。
「なんかさ、歌とか歌ってみたいんだよね」
その場のデンモクを渡して、ハイ歌ってというのは違うのだろう。彼女は今の自分では歌えない、歌えていない、もっとすごい何かを目指している。そういうことを、将来の目標にしようとしているのだ。
「うん。すごいよ、それって」
「いやまだ全然、なんだけど……まあ、ちょっとづつマイクとか機材とか買って、家で練習とかするんだ」
なんとなくだけど、このことはまだ藤代さんたち二人には、言っていないのではないだろうか。それどころか、まだ早紀のお母さんや父親にも打ち明けていなくて、今この彼女の思いは、私と早紀の、二人のなかにしかないのではないか。そんなことを、ふと考える。
「別にすごい歌手とか、すごい有名になりたいって、訳じゃないんだよね。でも、なんて言ったらいいのかな」
「……うん」
「えっと、だから。わたし、私ね……」
早紀の表情が、何かを見つめたまま、止まる。
リクエスト待ちのカラオケの画面から、大きな音量でCMが流れ続けている。隣の部屋からドウンドウンと、低音が響いてきて、鼓動のように部屋全体を震わせている。
放たれない彼女の話をじっと待つうちに、私たちはこんなふうに急かされているんだって、なぜだかふいに気が付いた気がした。こんなふうに、私たちに焦燥感を抱かせている何かから、早紀をかばってあげたかった。
「……ううん、ごめん。やっぱ、難しいわ」
口ずさむようにしばらく唇を震わせて。でも、ため息のように出てきたのは、そんな言葉だった。
「……そっか」
「うん。でもきっと単純にね、好きなんだと思う。歌でしか言えないような事って、なんかあるような気がして」
肩の力を抜いて、こぼすように言ったその言葉が、実は彼女の本音なんじゃないだろうか。歌でしか言えない事、言葉では言いづらい事があるって、そんな早紀の姿を見て、ストンと腑に落ちた気がした。
私は何も気の利いたことは言えなかったけど、早紀はすこし、気が晴れたような顔をしていた。今日なんで呼ばれたのか、きっとこのためだったんだと思う。
「ねえ、覚えてる? むかし遥の部屋でさ、私たち」
「あれ、もしかして…………でも、あれって早紀の家で、じゃなかった?」
「違うって。確かあの時も遥の家で、明日実さんは居なくって…………」
それから……まあ、なんというか。早紀といろいろな話をして、盛り上がった。戻ってきた藤代さんや高岡さんとカラオケを歌って、「意外と歌えてた」というような評価をもらったりして、夕方まで楽しんだ。
駅で二人と分かれると、なぜだか急にシャープペンシルを欲しがった早紀とあの雑貨店へ戻り、久しぶりに二人で家へと帰った。二人でしばらく電車に揺られ、少しぎこちなく会話をして、下校をした。
早紀は有名にりたいとかじゃないって言ってたけど、きっと歌を歌う彼女の事を皆ほおっておかないだろう。私の好きな幼馴染は、悶々と抱いていた私の空想より、ずっと素敵な人なんだってわかったから。
だから、きっと早紀が歌ったら、きっとすごく有名な歌手になって。
あの小野宮早紀と、付き合ってるって言ったら……きっと、みんな驚くだろう。
小野宮早紀と、 黄呼静 @koyobishizuka
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