最終話 なにはともあれ、推しが笑顔ならハッピーエンドに決まってる!

 上品な紫色のドレスに身を包んだロザリアたんの背中を押して、私はにっこりと微笑んだ。


「行ってらっしゃい、ロザリアたん」


 今夜、行われるダンスパーティ。それはゲーム版つるタマ前半の最重要イベントだ。


 ゲーム版つるタマの重要イベントは、ゲーム開始から一か月後にどこかの教室で二人きりイベントが。三か月後にテスト前お勉強イベントが。そして半年後にダンスパーティのパートナーイベントが発生する。

 攻略対象キャラとのフラグを立てに立てまくったメインヒロインなパールちゃん。好感度が一定ラインに到達した攻略対象キャラ全員からダンスパーティに誘われることになる。でも、いっしょに踊れるのは一人だけ。


 つまり、このダンスパーティで踊った相手とのエンディングが確定するというわけだ。そこから半年の選択でトゥルーエンド、ハッピーエンド、バッドエンドのどのエンディングに辿り着くかは変わるけれど、誰とのエンディングを迎えるかは今夜の選択で決まってしまう。


 そして今夜、私は――つるタマのメインヒロインなはずのパール・ホワイトちゃんは、誰からもダンスパーティに誘われていない。

 ゲーム版つるタマはノーマルエンドがない代わりに、どの攻略対象キャラとも恋愛フラグが立たなかった場合はクソ皇太子もとい皇太子殿下との恋愛フラグが立つシステムになっている。だというのに、クソ皇太子からすら誘われていない。


 つまり、誰とのエンディングにもたどり着けないということだ。


 寝不足と思い出し大笑いによる酸欠でよろめいて、いい感じに突っ込んできた居眠りトラックに跳ね飛ばされて、思春期ニキビに悩むごく普通の女子高校生だった佐藤 美咲の人生は終わった。

 『つるりん卵肌なキミに恋したい☆』のメインヒロインなパール・ホワイトちゃんとしてこの世界に生を受け、十三才で前世の記憶を取り戻してからはつるタマのシナリオに沿うように、バッドエンドに辿り着いて死んだりしないように安全策を選んで生きてきた。そうして生きていこうと思っていた。


 でも、ロザリアたんと出会って、天使か女神か国母なロザリアたんのことを知って。つるタマのシナリオ通りじゃダメだと思ったから、メインヒロインなパールちゃんの代名詞であるつるりん卵肌を自ら傷つけて物語の強制力を振り切った。

 あの日から、私はつるタマのメインヒロインじゃなくて、ただのパール・ホワイトちゃんになったのだろう。


「行ってきますわね、パール」


 そう言って笑う思春期ニキビ一つないつるりん卵肌なロザリアたんを見たら、後悔なんて一つも浮かばない。


 ただ、手を振ってロザリアたんを見送りながら少しだけ思うのだ。この先、私はどうなるのだろう、と――。

 パールちゃんの死というバッドエンドが存在するこのつるタマ世界で先がわからないというのは怖い。すごく……すごく怖い。


 ロザリアたんの後ろ姿がすっかり見えなくなるまで見送って、私はそっと頬のバッテン傷を撫でた。そして、小刻みに震える手をゆっくりと下ろすとぎゅっと握りしめた。


 ***


「お待たせしました、殿下」


 ロザリアたんに声をかけられた瞬間――。


「あ、あぁ! きょ、今日はあのバケモノ……あ、いや……友人の彼女とはいっしょではないのか!?」


 会場の窓際に立っていたクソ皇太子は弾かれたように振り返ってきょろきょろとあたりを見回した。姿勢を低くしていつでも逃げられる体勢を取っている。動きが完全に不審者だ。


「パールに……会いたかったのですか?」


「いや。全く。全然。名前を聞くだけでもおぞまし……いや、やめよう! この話はやめよう!」


 きょとんと首をかしげたロザリアたんだったけど、勢いよく首を横に振るクソ皇太子を見上げてくすりと微笑んだ。そんなロザリアたんを頭のてっぺんから爪先まで見つめると、クソ皇太子は頬を赤らめた。


「そのドレス……お前の美しい銀の髪と白い肌によく似合っている」


 ロザリアたんの天使か女神のごとき美しさを称賛するのにその程度の言葉しか出てこないヤツが〝ロザリアたんの婚約者〟と、ついでに〝皇太子殿下〟〝次期国王〟を名乗ってることに心底、吐き気がする……けれども! ロザリアたんが頬を赤らめて嬉しそうにしているからギリ許す!! ギリのギリ許す!!!

 普通にしてたって気高く美しいのに、ドレスやアクセサリーで装って一段と美しくなったロザリアたんを前に照れているのだろう。顔を真っ赤にしてそっぽを向いていたクソ皇太子が、意を決したようにロザリアたんに向き直った。


「……きれいになったな」


 バーカ、バーカ! ロザリアたんは最初っから気高く美しくきれいな天使か女神だ、ボケ!


「えぇ、パールが洗顔指南してくれたおかげできれいにニキビを治すことができたんです」


 謙虚ー、ロザリアたん、謙虚ー。まじ天使ー。まじ女神ー。


「いや、肌のこともあるがそうではなく。以前のお前はどこか自信がなく、うつむき、余やまわりの顔色をうかがってばかりだった。しかし、今のお前は凛としている」


 クソ皇太子はロザリアたんの正面に立つと、優雅に手を差し出した。ダンスの誘いだ。


「ロザリア、とてもきれいになった。余の婚約者に……次の正妃にふさわしいのはやはりそなただ!」


 ロザリアたんはその手を取って、二人はダンスの輪に入って……いくものと思っていた。

 でも――。


「わたしく、ずっと殿下にそう言っていただきたくて……たくさん努力してきました」


 ロザリアたんの目から一粒、ぽつりと涙が落ちた。


「あなたにふさわしい婚約者に、次の正妃になれるように。だから、今、とてもうれしくて……」


 ぽろぽろと涙を落とすロザリアたんを愛おしそうに見つめ、クソ皇太子が肩に腕をまわそうとした瞬間――ロザリアたんが勢いよく顔をあげた。


「うれしくて、今すぐにでもパールに報告しにいきたいのです! よろしいですか!?」


「はぁぁぁあああ!!?」


「いーよーーー!」


「ぎゃーーーーーー!!!!!」


 ロザリアたんのご要望に応えるべく、私は窓に掛かった分厚いカーテンをぶあっさ! と、跳ね上げて飛び出した。呼ばれたんだから飛び出していいし、ジャジャジャジャーンしていいに決まってる!!


「き、貴様、一体いつからそこに!?」


「いつ、いかなるときも天使か女神なロザリアたんを見つめていたいし、実際、見つめているんだよ、私は!」


 それに一人称・私視点の話なのに私が見てなくて話が進むわけないだろ!


「つまり最初からカーテンの中で盗み聞き、盗み見してたってことだ! バーカバーカ!!」


「胸張って盗み聞き、盗み見していたと宣言するとは無礼……ぃぃぃやぁぁぁめてくださいぃぃぃ! もう……もう、二度と差し出がましい真似は致しません! ……ですから、ですからぁぁぁあああ……!」


 エクソシスト走りで追いかけたときのことがトラウマになっているようだ。元とは言えメインヒロイン様に追いかけてもらって怯えるなんて何様だ。天使か女神なロザリアたんに対して〝余の婚約者に……次の正妃にふさわしいのはやはりそなただ〟とか上から目線も何様だ!!

 なーんて思いながらクソ皇太子が土下座体勢でぷるぷる震えているのを見下みくだし……もとい、見下みおろし。


「ぎゃ……っ!?」


 ちょっと距離感間違えた風を装って学生靴で軽ーくクソ皇太子の指の先を踏んづけていると――。


「パール、一曲、付き合ってくださる?」


「ロザリアたん……?」


 ロザリアたんが私の手を取って引っ張った。


「嬉しくて、じっとなんてしていられないのです! 殿下は具合が悪いようですし、あなたがダンスの相手をしてくださいませ!」


 ロザリアたんは私の返事も待たずに手を引いて、ダンスホールの中央へと歩き出した。すっかり浮かれているようだ。ロザリアたんの足取りは跳ねるように軽やかだ。


 私はあたりをぐるりと見回した。

 クライヴくんのそばには赤髪縦巻きロールちゃんがいる。他の攻略対象キャラのそばにもゲーム版つるタマのシナリオの中では悪役令嬢だけど、多分、本当は彼らと結ばれるべき女の子たちがいる。笑ったり怒ったりはにかんだりしているけれど、それぞれにみんな幸せそうだ。


 そして、私のそばには――。


「そう言えば、パール。昨日、石鹸が届いたとお父様から連絡がありましたわ」


 天使か女神か国母なロザリアたんがいる。


「わたくしからもお礼のお手紙を書こうと思っていますが、もし、先に会う機会がありましたら〝ありがとうございます〟とお伝えくださいね」


「わかりました!」


 私が作ったただの固形石鹸は私――パール・ホワイトちゃんの実家近くにある海の海藻を使って作った物だ。両親には石鹸の作り方を話してあったし、使用人たちや近くの村の子供たちには石鹸作りを手伝ってもらったこともあった。

 これからやってくる冬に向けて石鹸を大量に用意する必要があったので、協力してもらったのだ。


「ずいぶんと寒くなってきましたし、どうにか間に合ってよかったです」


 寒くなれば疫病が――前世で言うところの風邪やインフルエンザが流行する。石鹸に疫病が広がるのを防ぐ効果が本当にあるのか。これからはロザリアたんが援助している孤児院の子供たちに協力してもらって検証するのだ。


「この石鹸が安全で、少なくとも思春期ニキビに有効だということはわたくしの肌で証明されました。……ここからは疫病との戦い。ここからが本当の戦いですわ!」


 ロザリアたん、そのセリフ……微妙に打ち切り感が漂ってますよー……なんて思っていると、ロザリアたんが足を止めて私に向き直った。本気で私とダンスするつもりらしい。

 でも――。


「……私、制服ですよ?」


 と、いうわけなのだ。

 今日のダンスパーティは強制参加じゃないし、私は誰からも誘われていない。ロザリアたんの様子を盗み聞き、盗み見するだけのつもりだったから制服姿のままなのだ。

 華やかなドレスに身を包んだご令嬢の中では悪目立ちしてしまう。銀の髪に似合う紫色のドレスやアクセサリーで装って一段と美しくなったロザリアたんとは釣り合うはずもない。

 でも――。


「いいじゃないですか、制服だって」


 ロザリアたんは全然、気にしていない様子だ。私に向って手を差し出すと咲き誇る大輪のバラのように気高く美しく……見惚れてしまうような笑顔を見せた。

 そして――。


「パール、わたくしはあなたと一番に踊りたいのです。制服姿であろうとも、誰でもないあなたと……」


 そう言った。


 今夜、行われるダンスパーティ。それはゲーム版つるタマ前半の最重要イベントだ。ここから半年の選択でトゥルーエンド、ハッピーエンド、バッドエンドのどのエンディングに辿り着くかは変わるけれど、誰とのエンディングを迎えるかは……今夜、誰と踊るかで決まる。


「さぁ、パール……」


 私のエンディングがどこに向かうのかはわからない。

 でも――。


「わたくしの手を取って!」


 目の前にあるのは天使か女神なロザリアたんの笑顔と、ダンスへと誘う手だ。

 恐る恐る伸ばす手は震えたりなんてしていない。ロザリアたんを見送ったときに感じた怖さはもう、少しもない。


 天使かつ女神な推しのロザリアたんへの私からの接触は禁忌事項だけど、ロザリアたんからのお願いなのだから……これはきっとギリギリセーフだ。

 そう言い訳しながら――。

 

「はい、ロザリアたん……!」


 私はロザリアたんの手にそっと自分の手を重ねると、満面の笑顔を返したのだった。

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乙女ゲーのメインヒロインに転生しちゃった私だけど悪役令嬢が天使か女神だったので洗顔指南してきます! 夕藤さわな @sawana

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