閑話⑦ ……バッテン傷と恋。
これはわたくし――ロザリア・レディー・ブラックのルームメイトであるパールが顔に傷を作って一ヶ月ほどが経った、ある日のお話。
***
「ぷはー! すっきりしました!!」
ルーファスポンジで作ったふわふわ濃密泡で顔を優しく洗い、その泡を水で洗い流したパールはいきおいよく顔を上げると満面の笑顔でそう言いました。
「水をあちこちに飛ばさないでくださいませ」
わたくしのお小言にパールが首をすくめるところまで含めて、すっかり毎朝毎晩の習慣になってしまっている気がします。くすりと笑ったわたくしですが、鏡に映ったパールの顔を見て心がかげるのを感じました。きっと、表情も――。
「どうしたんですか、ロザリアたん? 何か困り事があるなら言ってください! ロザリアたんを困らせるすべては私が粉砕してきます!! 拳で!!!」
パールもすぐに気が付いたようで顔を拭く手を止めるとグッ! と拳を握りしめました。……正直、パール以上にわたくしを困らせる存在なんていないのですが。それを言うと自分を粉砕する! なんて言い出しかねないので黙っておくことにして……わたくしはパールの頬をそっと撫でました。
「顔の傷……痕が残ってしまいましたわね」
怪我をしてすぐはしみたようで悲鳴を上げながら洗顔指南をしてくれていたパールですが、一ヶ月が経った今は傷もほとんど塞がって普通に顔を洗っています。でも、頬にできた大きなバッテンの傷跡は消える様子がありません。お医者さまからも傷跡は残ってしまうと言われたそうです。
「せっかく、つるりとしたきれいな肌ですのに……」
赤い線状のバッテン傷はありますが、相変わらずパールの肌はつるりとしています。でも傷が大きくて、皆さん、そちらにばかり目が向いてしまうようなのです。
ただ――。
「私は気にしてませんよ!」
救いはパール自身があまり……全然、気にしていないことでしょうか。あっけらかんと笑うパールにわたくしは目を細めて微笑みました。
「なんなら初恋の相手とお揃いの傷でちょっとウハウハしてるくらいです」
「そうなんですの……え、パールの初恋……?」
一旦は聞き流した単語にわたくしは慌てて顔をあげました。わたくしと同じようにパールも十六才の普通……かはわかりませんが、女の子です。今までの人生の中で恋する相手がいてもおかしくはないのですが……なぜでしょう。なんだかモヤモヤします。
「……どんな方だったんですか、パールの初恋のお相手って」
思わず尋ねてみましたけれど……なぜでしょう。パールの顔を見るのが怖くて、わたくしはうつむいたまま。ぎゅっと自分の手をにぎりしめました。
わたくしの様子を見てか、パールは首をかしげたあと。
「すごく強くて……でも、悲しい過去を持つ普段といざというときのギャップが魅力的な人です!」
そう答えた。ギャップ……という言葉の意味はわかりませんが、パールの明るい声にわたくしの胸が今度はズキンと痛みました。
でも――。
「私だけじゃなく母の初恋の人でもあります。前世の、ですけどね!」
「ぜ、前世……? え、え……? お母様の初恋の方でもあるって……一体……」
すぐにそれどころではなくなりましたが。一体、おいくつの方なのだろうかと首を傾げていると……。
「幕末最強とまで謳われた伝説の人斬り、です!」
「……人斬り!?」
わたくしの疑問に答えるどころか、疑問を増やすことを言い出します。
「ちなみに母の初恋を奪ったのは漫画・アニメ版で、私の初恋を奪ったのは実写映画版です!」
「まん……アニ……え? 実写えい……えい?」
「困り顔のロザリアたん、マジ天使か女神……!」
追い打ちのように突拍子もないことを言ったかと思うと、パールが両手で鼻周辺を押さえるのを見て、わたくしはこれ以上の追及を諦めました。また鼻血を垂らしているのでしょう。いつか血が足りなくなって倒れたりしないか心配です。
「よくはわかりませんが……パールの大切な方なのですね、とても大切な」
「そうですね、一番、大好きでした。……でも」
ため息混じりのわたくしの言葉に首をかしげて、パールはわたくしの顔をのぞきこみました。
「ロザリアたんと出会った瞬間、ロザリアたんが殿堂入りしちゃいました!」
「でん、どう……?」
「殿堂入りです!!」
拳をガシッ! と、握りしめ、鼻息を荒くして言うパールの言葉の意味はやっぱりよくわかりません。でも、キラキラとした目に見つめられて……なぜでしょう。モヤモヤして、ズキンと痛んでいた胸がふわりと温かくなりました。
「あ、でも、待って……天使か女神なロザリアたんを殿堂入りなんて言うのって不敬罪になるんじゃ……!?」
「……ならないと思います」
「唯一絶対神的存在を殿堂入りだなんて俗世間的な枠組みに当てはめようとしたんですよ!? これはもう、不敬罪を通り越して大逆罪……!」
「ゆ、ゆいいつぜっ……もう! むしろ俗世間的な枠組みに当てはめておいてください!」
また突拍子もないことを言い出すパールにため息をついて、わたくしはパールの首から胸元へと流れようとしている水滴をタオルでそっと拭いました。放っておいたら寝着の首元が濡れて冷たくなってしまいます。
パールの突拍子もない言動には驚かされてばかりです。でも、こうやって困らされるのも世話をするのも手を焼かされるのも楽しいと思っているのですから、きっと……。
「パールが思っているよりもずっと、わたくしは俗世間的ですよ」
そう言った瞬間――。
パールは両手で鼻を押さえました。押さえましたが……洗面台にぼたぼた赤い雫が落ちてます。
「ロザリアたんに他意がないことはわかっています! わかってますが……こうかはばつぐんなのでそういう発言は控えていただけると!!」
「……え?」
「萌え死だか
〝そういう発言〟というのがどの発言のことを指すのかわからないまま。わたくしはとりあえずうなずくと最近、すっかり手慣れてきてしまった鼻血の処置にかかりました。
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