寝具評論家

不來舎セオドア

寝具評論家

[Dreaming]

 私は寝具評論家である。寝具メーカーで製品の研究開発をする人間や、大学で睡眠科学を研究する人間とは異なる一般使用者の目線から、寝具に評価を下すことが私の仕事である。当然、寝ることにかける情熱は誰にも負けないつもりだ。

 この仕事は一部から、寝ながらにして給料が入る「夢の仕事」と呼ばれているようだ。だがほとんどの場合、そこに込められているのは羨望よりもやはり侮蔑の念だろう。いつも寝てばかりの、ぐうたらななまけ者。もちろん、これは誤った認識である。寝るといっても、ただ闇雲に寝ればいいというわけではない。毎日違った環境の中で寝るというのは、あんがい大変なのだ(枕が変わっただけで寝られなくなる人の話はよく耳にするだろう。それがマットレスや敷布団、掛布団にまで拡大されたらどうなるかは想像に難くないはずだ)。加えて、義務感の問題もある。寝ることを仕事にしたことがない者には、本来は安らぎを与えてくれるはずの睡眠が、緊張と責任を伴う職務になることなど、想像すらできない。毎年、こうしたストレスに耐えられなくなった仲間が精神を病んで引退を余儀なくされる。不眠症や鬱病の場合がほとんどであるが、反対に目覚めることが出来ず、眠ったまま活動し日々を過ごす、永遠の夢遊病患者のようになってしまった者もいるらしい。

 このような過酷な現状とは裏腹に、この仕事が世間の脚光を浴びることは皆無である。ただ寝ているだけというのはイメージとして華やかさに欠けていて、取材する方にも熱が入りにくい。同じ評論家というくくりで見ても、専門分野が寝具では、映画評論家や経済評論家のように「文化人」、「知識人」といった扱いは望めない。私もこの仕事を始めてけっこう長いが、その手の声がかかったのはたった一度きりである。ある日、溌剌とした健康そうなスーツ姿の青年が二人組で自宅を訪ねてきて、こちらに息つく暇も与えずにそれぞれ手品師のような動作で名刺を差し出してきた。製薬会社の社名。睡眠薬のコマーシャルの依頼だった。ほんの一瞬だけ面喰ってしまったが、すぐに怒りが湧いてきた。冗談じゃない。寝具評論家が睡眠薬を使っているなどと、どうして思えるのだろうか。睡眠薬が倦怠感や記憶障害を引き起こすことは周知の事実であるが、こうした副作用が正確かつ公平な評論を書くことの妨げになることは、言うまでもないことだ。すぐに怒鳴って追い返してやった。確実な安眠を得るため、私は規則正しい生活と毎晩の軽い運動を心掛けている(就寝前にアーモンド入りの温かいバナナシェイクを飲むことも効果的である)。

 話がやや逸れてしまったが、とにかく、このような目立たない努力が世の人々の健やかな眠りを支えているということを、是非とも多くの人に理解してもらいたいのだ。私はいわば、眠りのプロなのだ。

 

 さて、ここでプロの眠り屋として、寝具の開発・発展に関わる全ての人にひとつ問いたい。寝具にこれまで下されてきた評価は、はたして真に眠る者の意見を反映したものであったと言えるだろうか。たとえば、「寝起きのスッキリ感」や、「寝覚めの首の疲れの回復」などといったものだ(そんな評価なら何もわざわざ眠らずとも、ただ横になっているだけで十分できそうなものである)。

 寝具が起きている人間のためではなく、眠っている人間のためにつくられたものであるなら、寝具に評価を下す資格も、起きている人間ではなく、眠っている人間に与えられると考えるのが当然ではないだろうか。

 寝具の価値を左右するものは起きた後ではなく、睡眠という行為の最中にあるのだ。と、書いてみたはいいが、ここでひとつ困ったことに気がつく。眠っている人間は意識がないので、評価が下せないのだ。こればかりは、いくら私でもどうしようもない。

 だが、ここからがプロのほんとうの腕の見せ所。意識の中で評価ができないなら、無意識の中ですればよいのだ。すなわち夢である(「夢の仕事」というのは、あながち間違いでもなかったというわけだ!)。そう、夢に見たことをありのままに書き記すことこそ、最も正確に寝具を評する行為に他ならない。これは夢を見るより明らかなことだ。

 百聞は一睡に如かず。実際の私の仕事から抜き出したものをいくつか、ここで紹介するとしよう。


(※具体的な製品名、メーカー名はここでは重要ではないので、伏せておく)





《化学物質不使用 ダニ発生を予防する天然対馬ひのきベッド》


 狭いユニットバスのような空間で、便器に腰かけながら大勢の人と一緒に講義を受けていると、いきなり猛烈に便意を催す。自分の座っている便器にそのまま排便し、水を流して丹念に尻を拭く。拭き終わるまで、六回ほどレバーを回し、そのたびに大きな音で水が流れる。すぐ目の前に立っている講師はかまわずに講義を続けているが、やはり周りに迷惑をかけてしまっているのかと思うと、多少心苦しい。




《本場ドイツメーカーの技術そのまま 希少素材アイダーダウン使用掛けふとん》


 実家のポストに郵便物が届く。それはA4サイズくらいの分厚く鮮やかなオレンジ色の封筒で、その正体は複数の宇宙が一塊になったもの(脚と頭部を毟られた甲虫に似る)をまるごと一つ消し飛ばせるほどのとてつもない威力を持った時限爆弾である。封筒の正体には、家族も、他の誰も気がついていないようだ。いつ爆発してもおかしくないといったん意識し始めるとたまらなく不安になり、家を飛び出してしまう。




《家庭用洗濯機で洗濯可能 天然抗菌効果で蒸し暑い季節もさらさら麻ふとん》


 AVAXプロジェクト:高さ八〇〇〇キロメートルの自由の女神像の建設計画。ほぼ完成しかかった巨像を宇宙空間から眺めていると、目の前をミレニアム・ファルコン号がゆっくりと横切っていった。   



                △▽△×     

                          

    



《低反発ウレタンと網状の特殊ジェルで顔にピッタリ 眼鏡をかけたままでも眠れるまくら》


 講義室とも実験室ともつかないような部屋の後ろの席で、『ワンピース』の通貨ベリーについて講義を受けている。机の上にはアルミ製の、コンビーフ缶のような形の小さな容れ物があり、その中には一円玉くらいの大きさの「ベリー」が入っている。「ベリー」は三つの楕円が刻印されただけの簡素なデザインのコインで、平たくしたボウリングの球のようにも見える。講義を聞きながら容れ物の中の「ベリー」を取り出し、手元にあるマッキーで楕円の中を黒く塗りつぶしてゆく。塗りつぶしたら、容れ物に戻す。しかし、「ベリー」の材質のせいか塗ってもすぐにインクが落ちてしまうようで、弾かれたインクは底の方に茶色く沈殿している。講師の話によれば、「ベリー」の楕円は闇世界へ通じる穴を表しており、これは「ベリー」を発行している『ワンピース』の世界政府が闇世界と契約を結んでいる証である。講義を聞いていると、後ろに座っているラテン系の顔立ちの若い女性がしきりと顔を突き出してこちらを覗き込んでくる。髪は縮れた黒髪で、肌は白っぽい。好意のしるしか、円らな目を細めてニッコリと微笑んでいる。喉が渇いてきたので、机の上の容れ物にクランベリージュースを入れて飲もうと思うのだが、この時、ジュースをレッドブルで割ってみることを思いつく。ジュースとレッドブルを注ぎ、割りばしで軽くかき混ぜる。しかし、そのドリンクはとても不味くて飲めたものではない。




《吸湿・放湿に優れ、耐久性も抜群の馬毛素材まくら オーストラリア加工》


 仲間一人とともに軍の訓練所から脱走を試みたのだが、捕まってしまった。気が付いたときには地下牢獄にいて、拷問じみた人体改造手術がはじまっている。上官の悲痛な訴えが遠くから聞こえてくる――やめろ、暴力はだめだ。手術は滞りなく進行し、終いにはバケモノのような姿に変えられてしまう。カタツムリのように伸びて突きだした両目。歯のない弁のような口。細長い腕と三本の指。胴体に縦にあけられた大穴。バケモノの姿のまま、仲間と一緒に釈放される(彼は手術をされなかったようだ)。二人で街を歩いていると、仲間が道端に屯していた二人の黒人の不良青年に囲まれてしまう。助けを呼ぼうにも、バケモノの姿では無理だ。仕方なく坂道を駆けあがり、郵便局の中へと逃げ込む。郵便局の中にはゴミ箱が大量に並べてあったが、どうやらすべて紙ゴミのようだ。よく見ると、左端のゴミ箱に見覚えのある成年マンガ雑誌が入っている。もしかすると成年マンガ雑誌専用のゴミ箱なのかもしれない。

 



《溝入れ加工で体圧を均等に分散 三つ折り型ふとん》


 街を歩いていると、背の低いおじいさんと肩がぶつかってしまう。よくみるとそれは今上天皇。突如、黒服の宮内庁関係者が大勢現れ、どこまでも追い回される。




《全8種類の入眠誘発音を発生させるスピーカー内臓型敷きふとん》


〈オナニー館〉と呼ばれる館へ、見覚えのない外国人の少年三人と入る。〈オナニー館〉は安っぽい城のような外観をしていて、中にはオナニーに関係するものは何一つない。突然、少年たちが目につく家具などを次々に壊し始める。気が咎めて外に出ようとすると、カイゼル髭を蓄えた筋骨隆々の大男が立ちはだかる。彼こそ、〈オナニー館〉の館長なのだ――お前たちの悪戯は度を越している。地下牢に入ってもらおう。地下には、同じように館長に捕まってしまった少年たちが大勢閉じ込められていた。その中に一人、粘土で作った偽物のクッキーを騙して食べさせてはニタニタ笑う少年がいた。自分は何も壊していないのだから出してくださいと館長に訴えるのだが、彼はひたすら巨大なダンベルを上げ下げするばかりで、こちらの言い分にはまるで聞く耳を持たない。




《グースダウン35% 綿100%生地使用クッション ベルギー製造》


 男と小川の源流に来ている。足下を水がさらさらと流れる。男は「アラスカでもこのように流れるのか?」と訪ねる。「枯草が風に吹かれて、同じように流れる」と答えると、男はあまり興味がなさそうに相槌を打つ。すぐ傍には高い石の壁がある。男に促されてそこによじ登ってみると、運河を挟んでペルーがあった。壁の上からはペルー全土が見渡せる。そこには小さなインカ文明の祭殿のようなものが点々とあり、何頭かのライオンがいた。その中の一頭はこちらを見るなり、壁の方に突進してきた。あわてて壁から降りたが、こちら側へくることはないだろうと思い、すぐに安堵した。しかし、予想に反してライオンはあっさりと壁を乗り越えてきた。このような場合に取るべき行動は決まっている。近くの博物館へ駆け込むのだ。博物館一階エスカレーターの下の太い円柱の陰に隠れる。ここで一時的にライオンの目を逃れて隙を作り、背後からナイフで刺し殺すのだ。だが失敗した。ナイフはライオンの胴と頭をかすめただけだった。こうなってしまったら、もう一度チャンスをつくるほかにライオンを倒す方法はない。追跡を振り切るためにはどうすればいいか、上の階へ下の階へと逃げながら考える。




《ノンコイルで持ち運びもラクラク 3種類のウレタン層が特徴のベッドマットレス》


 高校の卒業式。父兄が車に乗り、学校沿いの高速道路を走る。道路の先には高いビルが建っていて、車道はその手前でスキーのジャンプ台のように反り返っている。父兄の乗る車は次々にビルを飛び越えてゆくが、母の乗る車だけが飛びきれずビルに衝突してしまう。落ちた母を救いに妖精になって飛んでゆくのだが、自分一人の力では母を救う事はできない。ビルの中に少女がいる。彼女なら協力してくれるかもしれない。少女に一階まで下りてきてもらうには、彼女が興味を示す単語を唱え続けるのが効果的だ。少女はどうやら宇宙に興味があるらしい。アンドロメダ……星座……コロナ……磁気風…………隕石……月面着陸……惑星……矮小銀河……暗黒星雲………………宇宙に関連した言葉を唱える度、彼女は階段を一段ずつ降りる。妖精の羽で飛び回りながら、少女を下階へと誘導してゆく。だが彼女はもう間もなく一階というところで突然引き返し、再び上階へ戻ってしまった。ただ利用するためだけに宇宙に興味があるふりをしていたことが悟られたのだ。それとも、はじめからばれていたのだろうか。地面に降り立ち、妖精の羽は朽ちた。左腕から、自動小銃が生えている……





[Awake (or Still Dreaming)]

 鏡の前に立って髭を剃る。引っ越しが終わってからはじめてのことだ。最後に剃った時からもう一週間にもなる。たが不思議な事に、今日はちっともうまくいかない。毛がすぐ刃に引っかかり、T字を持つ手が一センチ進んでは止まる、五ミリ進んでは止まるといった調子で、まるでインクのなくなりかけたボールペンを無理に最後まで使い切ろうとする時のようなもどかしさだ。結局あきらめて、消しかけのノートの隅の落書きのように中途半端な髭を残したまま、洗面所を出た。もともと不精な私は一週間くらい髭を剃らないことなどざらにあったが、こんなことははじめての経験だった。普段と違うブランドの髭剃りを使っているせいかもしれない。それとも、私の体がまだ新しい環境に馴染んでいないだけだろうか。

 医師に不眠症と診断され、私は療養のためにこのアパートへ越してきた。医師によると、引っ越しなどで環境を変えることでストレスが緩和され、意外なほどあっさり治ってしまうことがあるというのだ。現在の住まいより大きめの所がいいでしょうというので、その通りにした。1LDKで、最上階の三階に位置する角部屋。ベランダはないが、その代わり、針のように外に向かって突きだしたキッチンの窓辺に立つと、外の様子が良く見える。すぐ隣にビルが建っていたかつての住居と比べれば、なかなかの開放感だ。

 リビングの机の上のノートパソコンを開き、メモ帳を立ち上げる。ここ数日はパソコンで日記をつけることを習慣にしている。これも医師の指示だ。日記をつけることで心の安定が保ちやすくなるのだそうだ(無理に毎日つけなくても、気が向いた時だけでいいと言ってくれた)。どうせ他人に見せるようなものでもないので、内容はかなりいい加減だ。日付がなかったり、つながりの見えない言葉の羅列だったり…………


       は     Ψ¦  ゛ る 。

          宀浸貝亖口論宅乙あ

  私


 画面上の文字をぼうっとみつめていると、視神経が干からびたミミズのように熱って、頭の中を鈍く這い回る……これは良い兆候なのだろうか……

 何も書くことが浮かばなかったのでメモ帳を閉じてコーヒーを淹れにキッチンへ向かう。キッチンの壁は昔の工場の屋根のようなのこぎり形をしていて、収納スペースも兼ねている。中に入ると、壁の木板の一枚が裏返って、スクリーンになる。この壁は人が近づくと、それに反応してテレビが出てくる仕組みなのだ。テレビの電源が自動で入り、口髭を生やした小太りの男が映し出される。男が落ち着いた声で歌(題名は分からないが、古いアメリカの映画で聴いたような気がするバラード曲)を歌いだす。コーヒーを淹れようとすると歌が終わり、テレビの男はそのまま「今日の特集」について語り始めた。



《特集――最近まで事実と信じられてきた迷信》

 

 あなたは、「十一人委員会」をご存じだろうか? 「十一人委員会」は一種の精神疾患のようなもので、頭の中に円卓を囲んで話し合いをする十一人の自分がつくられるというものだ。また、これには極稀に見られる「十三人委員会」という亜種も存在する。この「十三人委員会」では、頭の中の円卓の周りに十三人分の自分用の席が用意されているのだが、必ずその内の二つは空席となる。



 窓の外を眺める。一面灰色の曇り空。今にも降りだしそうだ。テレビの男は何かをぶつぶつと呟き続けている。


 アパートの近くを、殺人鬼が徘徊しているらしい。

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寝具評論家 不來舎セオドア @Furaisha_Seodoa

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