第15話 ゴールデン・フリース騎士団 3

 そう、実はプリンツの父親、オイゲン公の甥にあたり、彼やマリア・テレジアが大きな信頼を置く、オーストリア陸軍将校、エマヌエル・トーマス・フォン・ザヴォイエン『通称:鉄血将校』は、このままだと、あと5〜6年で、この時代、猛威をふるった天然痘で亡くなってしまう。


 そして、彼をかわいがって、先を楽しみにしていたオイゲン公も、すっかり気落ちしてしまうし、その代わりに前線に出ることになったプリンツも戦死してしまう。


『それだけはさけなきゃ! 実力的にも人物的にも信頼できるオイゲン一族は、わたしの大切な味方! その解決のために、バルテンシュタインと入れ替えで、図書館主任から、“天災児”ガレッリを引き抜いたのだから!』


 このガレッリというのは、本当は父、カール6世の主治医であり、図書館主任であった『父:大ガレッリ』の子供、つまり本当は、小ガレッリであり、理由は分からないが、不幸な落馬事故で、突然父親が亡くなってしまい、彼の家族を心配したカール6世が、年には不相応だったが、急遽、長男の彼を、図書館主任として採用したものの、その才能と“奇行”で、周囲も扱いかねていた人物であったので、さして、むつかしいことではなかった。


 カール6世に、ガレッリを自分の司書にしたいと言うと、頭の中に図書館が入っているような青年だと、皇帝は聞いていたので、本を探すのが楽になるだろうし、彼も父と同じく医師の資格を持っているので、娘たちの健康に役立ってくれるだと思い、「そうしたかったらそうしなさい」そんな風に軽く了承してくれた。


 皇帝が彼の“奇行”ことは、知らなかったのは幸いだった。


 天然痘は、ポテチ(フリードリヒ2世)より先に、こちらの戦力的にも、この世界や家族的にも、なんとかしなくてはいけない。


 エドワード・ジェンナーは、まだ生まれてはいないけれど、「牛の天然痘」が、ワクチンの元だったはず。なんとなく覚えている! 大丈夫! 細かいことは、ガレッリに任せてしまえば、どうにかなる。


 まだ、未来に活躍するはずの侍医、ゲラルド・ファン・スウィーテンに気づかず、出会っていないマリア・テレジアは、手近にいた、危うい存在に目をつけていた。


「あなたには、天然痘のワクチンを作ってほしいの! あと、公衆衛生の大切さを証明して欲しいの!」

「はい?」


 大公女殿下に、いきなり飛びすぎた話を持ち出された、常に無表情のガレッリは、少し驚いた顔をしたけれど、彼女が、「かくかくしかじかで、天使のお告げがとうのこうので……」そんなことを、ほざきだしたので、大公女殿下を、かなりうさんくさい目つき、そして、無礼にもほどがある、そんな当然と無礼が入り交じった表情で見ていた。


 しかし、かなり面白そうな研究ではあることだし、カール6世の図書館の本を読み切って、今現在、特にやることもなく、家族の生活のために、図書館の仕事に通っているまじめな生活(と、彼は思っている。)にもあきているし、なによりバルテンシュタイン男爵が、左遷されてやってくるというのだ。


 めんどうくさ過ぎるにも、ほどがあるだろう。そう彼は、思っていたところだ。


「あの——、それはありがたい話なのですけれど、ひとつだけお願いしても、かまいませんか?」

「なに?」


「大公女殿下は、あの、オイゲン公の有名な“トルコ・コレクション”の蔵書を、借りたりとかできますか?」

「……あんなのが読みたいの?」

「読みたいです!」


「……まあ、あとで頼んでおくわ。あと、聖職者に見つかると、いろいろ面倒だから、研究は、エステルハージ侯爵のところに住んで進めてちょうだい。わたくしもときどきは顔を出すから。家族には……適当にごまかしておいてね。あなたの……えっと、あと、いろいろ(奇行)は、説明しておくから、好きにしてくれていいわ」

「はあ……」


 ガレッリは、「なにか自分に、問題がありました?」そんな顔をしていたが、彼には時代を考えると、聖職者に通報されてもしかたがないくらいの“奇行癖”があり、エステルハージ侯爵のウィーンにある宮殿には、ハンガリーという国が、オーストリアの中の『異端児』そんな感じで、親交のあるオイゲン公や、わずかな人物しか、呼び出しでもない限り、近づこうとはしないので、研究内容的にも、本人の人物的にも、都合はよいと思ったのである。


 マリア・テレジア(改)は、先を見通すような記憶を、いくつも持っているとはいえ、詳しい話は、転生前に読んだ本と、歴史の中の面白い人物よもやま話だけ。


 すべての関係者を押さえるのは、いくらなんでも無理があったので、この世界に来てからは、足りない部分は、自分で人材探しに励んでいた。


 ちなみに、オイゲン公の有名な“トルコ・コレクション”というのは、中身は知らないが、(知りたくもないけれど)先のトルコの侵攻による激戦の時に、彼が討伐したイェニチェリ(※Yenicheru・トルコ語で進軍の意味/キリスト教徒の子弟を改宗させて、編成されたトルコ軍の歩兵。この時代では、キリスト教徒にとって、許される存在ではない。)の皮をはがして、本の装幀そうていにしたと言われている超豪華な蔵書セットコレクションである。


「人の皮を装幀そうてい……」


 さすがの彼女も、その話を聞いたときは、血の気が引いて倒れそうになったが、彼も周囲も“ちょっとした気の利いたジョーク”そんな感じで、どっと、笑っていたので、真偽のほどは定かではない。


 あと、ジャガイモ(本物の方ね!)も先に、こっちのものにしたいけれど、こっちも聖書に載っていないからとか、聖職者の反発が……どうしたものか……。考えることが多過ぎるわ。


 マリア・テレジアは、こめかみに手をあてながら、そんな風にいろいろと思い出していたが、さっき見つけた小さな薄い本を、するすると背中から取り出し、驚いた顔の侯爵を、無視たまま目を通す。


 案の定、そこには『金羊毛騎士団(Order of the Golden Fleece/ゴールデン・フリース騎士団)』の『left』について内容が記載されている。


「大公女殿下?」

「すぐに終わるから邪魔しないで……お父さまの御前会議ほど待たせないわ。よかったら、お父さまの会議の見学に行ってくる?」

「……結構です」


 お父さま、つまりカール6世の御前会議、閣議というのは、戦争や領土問題、皇帝の怨念めいた思い渦巻くスペインに関すること以外は、何時間も何時間も、机を挟んでひたすら待たされ、高官の間を行ったり来たりしたあと、「先例の通りに!」そう言われる、ただの苦行だと、もっぱら評判の会議で、他国には『昏睡状態』とまでくさされている……いろいろと恥の多い閣議や議会である。


 そして、そもそも貴族たちも、自分に関わること以外、あまり興味もないので、いわゆる国会シーズンは、実は春から夏の前の間だけ! しかも貴族たちの力があまりに強すぎた。


 帝国民の状況もひどいもので、皇帝の直轄地、ウィーンなどはともかく、貴族が支配している領地などは、奴隷以下、そんなひどい状況の民も多くいる。


 ハンガリーはあとでいろいろあるから別枠にするとして、この近場の貴族連中だけでも、早くなんとかして、ポテチとぶつかる前に、オーストリア継承戦争までに、完全な絶対君主制にしなければ!


『わたしはポテチをやっつけ、太陽王を超え、真の女帝として帝国民を、幸せにして見せる!』


 前々世で、自分の息子、朱雀帝ができたことだ。母であったわたしに、できないはずがない!


 一瞬自分をキッとにらみつけた彼女のたくらみを、まだ知らないエステルハージ侯爵は、再び、かぎタバコをぎはじめ、むつかしい顔のマリア・テレジアを観察しながら、クッキーを崩れないように、縦に積んでヒマをつぶしていた。


「食べ物で遊ぶなんて下品ですよ」


 幼い大公女殿下に、まるで母親のように小言を言われたのは、一時間もたつか、たたないか、そんな頃であった。


 現代から転生した彼女の頭の中に、民主主義国家が頭にないのは、元々、源氏物語という物語の中とはいえ、彼女は平安時代の大貴族の生まれであり、国母として自分の産んだ息子、朱雀帝が汚名をそそぎ、律令国家の頂点として歩んだ施政を、母として誰よりも素晴らしいと思っていた上に、負けず嫌いも程がある。そう、実父であった右大臣を嘆かせていた、元の小さな大公女と同じく、生まれながらのど根性だった。


 それが吉と出るか凶と出るか、いまはまだ誰にも分らない……。

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