第9話 ロードリンゲンの兄弟のこと
〈翌朝、ウィーンの宮殿の客間〉
そして、深夜にそんな騒ぎのあった翌日の昼過ぎ、目立たない場所で、そんなことは、まるっと知らないフランツが、カール公子を相手にした乗馬のレッスンを終え、ふたりで宮殿の寒さについて話しながら、のんびりと休憩をしていると、彼らは急に皇帝カール6世に呼び出されていた。
しばらく顔を見合わせていたふたりは、マリア・テレジアの言葉がなくても、きっと狩猟大好き皇帝カール6世が、「今日、明日にでも、どこか暖かいところで、狩猟しよう! 一緒に行こう!」そんなことを言われるために、呼び出されたと、完全に意見は一致していた。
「だ、か、ら、乗馬くらいは、ちゃんとやっとけって、言ってたでしょうが!」
「済んだことを、今更、言ってもしょうがないだろうが!」
そんな兄弟げんかを、ごく小さな声でして、しばらく小突きあってから、まるで死刑宣告を受けるような暗い表情で、あきらめ顔のふたりは、カール6世のところまで、一緒にゆくことにし、フランツの陰気な侍従は、彼らを見送ったあと、更に陰気な顔で、ロートリンゲンに帰る旅支度の指示をはじめていた。
のであるが、マリア・テレジア大公女と、妹君、そして皇后により添われ、豪華で少し古びた玉座に腰掛けているカール6世は、彼ら以上に顔色が悪く、挨拶をしている間に、ついに両手をあてて顔を覆い、ため息をついていた。少しして重い口を開く。
「……フランツ、君には大変申し訳ないんだが、狩猟の話は、マリア・テレジアがもう少し大きくなってから、ということにしてくれないか? 君はいずれこのオーストリア大公国の跡継ぎ、マリア・テレジアと結婚する身、財政的な内情も知っておいた方がよいと思ってね。でも、近場くらいなら狩猟に……いったっ! いや、臣下にまかせるよりも、やはりここは信頼できる身内に、早いうちから内政を勉強して欲しいと思うんだが、どうかね?」
「はあ……」
いま、皇后が皇帝陛下の背中をつねってなかったか? 気のせいだなきっと。
フランツがそう思っていると、それから先は皇后自身が、「いままでは人材不足で、男爵という身分の低い男にまかせていたのだが、やはり身内にしてもらった方が心強いと思うの! 評判は、オイゲン公から、かねがねうかがっていることですし」
そんな説を延々と力説しだし、財政問題に興味がない皇帝は、玉座の上で、うなづき人形になっていた。
なにせ、フランツに『帝室財務府総長』を任せないと、「ウィーンの劇場に、ペチコートとコルセットだけで行ってやる!」いつも大人しく従順な自分の宝、“白き肌のリースル”はそう言うし、跡取り娘のマリア・テレジアは、聖人が夢枕で、「フランツこそ、ハプスブルク帝国の財政再建をする選ばれし存在」そんな神の御告げがあったと、可憐な表情を浮かべて言うのだ。(マリアンナは、フランツがわたしにクッキーの山をプレゼントしてくれる夢を見た。そう皇帝に言ったが、当然、無視されていた。)
それでも大いに悩んでいた皇帝が決心したのは、長きに渡り、帝国軍事参議会議長として帝国を守ってきた、信頼の厚いプリンツ・オイゲン、オイゲン公が、フランツなら大丈夫だと、請け合ったのが大きかった。
彼は財政のことなど、なんの興味もないので、お気に入りのバルテンシュタイン男爵に任せ、何ごともなく、うまく行っているように思っていたのであるが、大切なわたしの“リースル”が、自分の姉妹にドレスのことで、いじめられていると娘たちに聞いて、なぜか自分の姉妹ではなく、男爵に大いに気を悪くしていたのである。
「信頼の証だ」
皇帝がそう言いながら、侍従長に合図すると、ハプスブルク家のいわゆる『金融庁』のすべてを管轄することを意味する、ハプスブルク家の金庫番、『帝室財務府総長』の証明である、凝った鍵の形をした、勲章のように大きなペンダントヘッドがついた
これはバルテンシュタイン男爵が就いていた『帝室官房長官』につぐ、帝国第二位の要職であり、恐ろしいことに、彼が兼任をしていたものであった。
「ああ、まだ婚約中ゆえ、いろいろとうるさい家臣もいるだろうから、常にマリア・テレジアを同行するとよい。未来の女大公に意見をする者などおらんだろう。それにこの子は賢い子だから、君をわずらわすこともないだろうし。すまんな、狩猟に連れて行ってやれなくて……こんなつまらない仕事を……いきなり……」
カール6世は、心底、申し訳なさそうにしていたが、フランツやカール公子は、大いに安堵していた。
「……ご信頼に添えますよう、奮励努力いたします」
そう、完璧な礼をとるフランツに、どこからかやってきたマリアンナは、「お母さまのドレスは、ヴェルサイユの誰よりも素晴らしいドレスにしてね!」
なんて、無邪気に言うので、皇后は恥ずかしさで、真っ赤な顔になっていたが、フランツは、ドレスの十枚や二十枚、すぐに自分のポケットマネーで買えるので、「ドレスは仕立に時間がかかりましょうから、早速、母に手紙を書いて、ヴェルサイユでも評判の者を呼ばせましょう」そう言うと、ロードリンゲンから連れてきた衣装係長(グラン・メートル・ド・ガルデローブ)のルロンクール伯爵を呼びに行かせて、早速、皇后や大公女たちに、好みの色などをうかがうように指示し、カール6世は、露骨に「助かった!」そんな視線を彼に送っていた。
「ああ、マリア・テレジアは、これを持ってゆきなさい」
「これは……」
ハプスブルク家の三種の神器のひとつ、『
「いざという時は気にぜずに使え」
「ありがとうございます!」
かくしてフランツは、
いまここに、しっかりと手を握り合うふたりの手によって、幕を開けたのであった。
「兄さんのよこしまな才能が、人様のお役に立つこともあるんだね」
「よけいなお世話だ。お前はもっと兄をうやまえ。あと、これをやるから、早く部屋から出て行け」
カール公子は、再び荷ほどきのされたフランツの部屋の中、相変わらず飾ってあるヘルメスの像に、はじめて祈りを捧げてから、そんなことを言っていたが、フランツはもう飽きていた白いダチョウの羽根飾りのついた派手な帽子を、前から欲しがっていたカールの頭に乗せて、そう答え、自分の部屋から追い払っていた。
フランツはそれから、マリア・テレジアが自分にかけてくれた頸飾の真ん中についているペンダントヘッドを、ベッドに転がって、うっとりと眺めていたが、いつの間にか眠っていた。
一方のマリア・テレジアは、自分の部屋に戻ると、
生まれた瞬間、国中の落胆を呼んだ、マリア・テレジアのはずが、いまの自分は、フランツ越しではあるが、皇帝からも
「まかせなさい。わたしにはそれだけの価値と能力があるのだから! あなたの見る目はたしかよ!」
そうマリア・テレジア・シャンデリアに向かって、独白すると
そうして、翌朝の早朝からすぐに、ハプスブルク家より贅沢だと、うわさされていた臣下の大貴族たちに加え、『修道院帝国』とすらあだ名される修道院に属する聖職者たちが、阿鼻叫喚の声をあげ、冤罪の呪いを唱えながら、領地や教皇の元とウィーンを、何度も何度も往復することになる、前代未聞、空前絶後、ハプスブルク家の財政の立て直しがはじまったのである。
なお、バルテンシュタイン男爵は、フランツの台頭により、本来の歴史では、はるか先に、カウニッツ伯に政界から追われるより大幅に早く、皇后のひと睨みで政界から強引に身を引かされた。
そんな彼の最後は『帝国に深刻な被害をもたらすも、マリア・テレジア大公女殿下の慈悲により、国家文書館長の地位を得た』そう、筆写係のマティアスによって記録され、公文書に書きしるされていた。
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