第8話 白き肌のリースルと娘たち 3

 マリアンナは、前回、親族の集いの席で「さすがは、神聖ローマ帝国の皇后、清貧を常に心がけていらっしゃる」そんな風に遠回しな嫌味を、お母さまが言われたことまで思い出していた。


 彼女は、腹立たしさのあまり、言いたいことを、言いたい放題にぶちまけてから、クッキーを口に放り込み、お行儀悪く、マミーがいないのをよいことに、むしゃむしゃむしゃむしゃと、いつまでもひとりで食べている。


 マリア・テレジアは、さすがに食べ過ぎだと思ったが、普段は寂しい食生活、たまにのことだと、目をつぶり、再び、じっと皇后を見ていた。


「でも、お父さまが、よしとなさっているのでしょうから……」


 マリア・テレジアは、そんな母の言葉に、内心ほくそえんでから、こっそりと母についた小さな怒りの火に、油を注ぎ続ける。


「お母さま、実は、お願いしたいことがありますの。お母さまが、ひとこと、おっしゃってくだされば、お母さまのすべてのドレスは、ヴェルサイユでも毎回評判のロードリンゲン公妃、エリザベートさまのように、素晴らしいドレスになりますし、なによりもこのハプスブルク帝国の繁栄につながることですわ……」


 そう言い置いてから、やや誇張気味に、フランツの国家経営の手腕に優れているか、どれだけロードリンゲンが豊かなのかを伝えた。


 彼のその手腕で国は栄え、あの目もくらむほどの豪華さで有名な、ロードリンゲン公妃は、気兼ねなく豊かにお暮らしで、民は幸せに暮らしているし、彼女のドレスは、衣装室に入りきらないほどであると。


「え? そんな夢みたいなことが……そうなの? 本当に? あの小さな公国が?  では、なぜ、名門ハプスブルク家の大公女、わたくしのマリア・テレジアが、わたくしのマリアンナは、こんな思いをしているの? それはおかしすぎる話よ……ああ、神様! きっと全部、あの男のせいね……」

「お母さま?!」


 上品を絵に描いたような母が、こぶしを握りしめたまま、いきなり立ち上がったことに、マリアンナは驚いたが、皇后は呼び鈴を強く鳴らして、侍女長を呼ぶと、すぐに夫であるカール6世に直談判に行くと言い残して、二人の大公女を置き去りに姿を消した。


 皇后は、この時間だとビリヤードをしているであろう彼の元へ、先ぶれもなしに、ドレスの裾をひるがえしながら、大勢の女官を引き連れて向かい、この騒ぎで、誰も見ていなかったマリア・テレジアは、一瞬、ニンマリと笑っていた。


「お姉さまは、お母さまに、何を言ったの?」

「苦労なく新しいドレスを買える魔法の呪文を、教えて差し上げたのよ」

「???」


『悪いわね、バルテンシュタイン男爵、先々、邪魔になるのはわかっているから、いまのうちに犠牲になってもらうわ……アーメン! アーメン! アーメン!』


 このくらい祈っておけばいいだろう。


 マリア・テレジア(改)は、カトリック的には、司祭の指摘通り、罰当たりであったので、これでよしとしていた。


 *


〈ビリヤード室〉


 いやに焦って恐縮した侍従が、大慌てで室内に入ってくる。


 お気に入りのバルテンシュタイン男爵と、その仲間たちの『ビリヤード接待』を受けて、大いに楽しんでいたカール6世は、侍従に耳打ちされると、男爵に「急用ができた」そう言い、彼らを帰して、手前にある休息室の椅子に、そわそわと腰かける。


 しばらくすると、頬を紅潮させた最愛の妻、“白き肌のリースル”が現れた。いつも美しいが、今日はマリア・テレジアのお見合いに付き添いをするために、常になく着飾っているので、ことのほか美しかった。


「やあ、リースル、今日はとても美しいね、非の打ちどころのない……」


 言葉を続けようとした時、決してないことであるが、あの穏やかで優しいリースルが、自分の言葉を遮ると、聞いたこともない冷たい声を出す。


「……それも今日で最後ですわ。明日になれば、そんな魔法は、解けてしまいますもの」

「な、何を言うのだ、君の美しさが損なわれることなんてあるはず……」

「あるのです! わたくしも、わたくしたちの大切なふたりの小さな皇女たちも、もう今日でおしまいですの!」


 そう言うと、次の瞬間リースルは、美しい白い頬に、ポロポロと真珠のような白い涙を流しながら、自分の膝の上に身を投げ出して、泣き崩れていた。


「一体、どうしたのだ?! 神聖ローマ帝国の皇后の君を、誰がそんな目に遭わしている?!」

「……あなたのお気に入りのバルテンシュタイン男爵ですわ……」


 それは、地獄の底から沸いて出てきた……そんな、恐ろしい響きを持つ声、いや、皇帝に降りた女神の怨嗟の声であった。


「バ、バルテンシュタインが、君に何をしたと言うのだ? 彼は実に有能で忠実な……」

「あなたには、そうでしょうよ……」


 あの時は、部屋中の暖房が、全部消えたのかと思った。


 そう皇帝カール6世が言ったと、後世の歴史書には伝わっている。

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