第23話 激情4

 夕飯は小野さんが用意してくれた。涼子さんに付いて料理を習っているというだけあり、その見た目は、食欲が無かった私のお腹を鳴らすほどのものだった。不器用だという料理がこれだけの出来なら、彼が得意とするデザートはどれほどのものか。



食卓に人数分の食器が配膳され、私の隣には小野さんが座り、正面にはお父様と塚本刑事が並んだ。



 お父様が居間で食事を摂るのなんていつ以来だったか、なんとなく記憶を遡ってみても思い出すのに時間を要した。それくらいお父様はお仕事が忙しく、家族と時間を共有する余裕がなかったのだ。上野家が事件に巻き込まれ、護衛の刑事が付いていても、娘の私を案じて一緒にいてくれる彼の親としての優しさなのだろうか。



 食事時にはテレビを付けていたが、誰もリモコンに手を伸ばそうとはしない。たしかいつもは金田さんが真っ先にリモコンを手にしていたと記憶している。利佳子さんは溜息をつきつつも、テレビを見ながら食事をしていたし、私たちも雑談を交えながらテレビを見ながら箸を進めていた。



「塚本君。落合刑事や美園君、松田君の行方はまだ判らないのかな」

「さっき本部に連絡を入れてみましたが、まだ有力な情報さえ掴めていないようです」

「そうか。無事で居てくれると良いんだが」



 お父様が箸を付けたところで、私たちも後に続く。



「あら。小野さん、この味は涼子さんの味に近いわ」

「ありがとうございます。まあ、でもまだ、近付いた程度なんで、これからを期待していてくださいよ」



 私は口にした中太麺の焼きそばをもう一度取り皿に移した。材料も涼子さんがいつも使用しているものだ。味は中濃ソースとウスターソースをその他の調味料を混ぜて作った特性のソースが麺や具材によく絡んでいて美味しかった。



 塚本刑事はポテトサラダと唐揚げばっかり食べていて、その隣で缶ビールをゆっくり飲みながら焼きそばを頂くお父様。小野さんは食べる私たちを見て誇らしげに、ちょっと恥ずかしそうに笑みを隠そうとしている様子だった。



 食後には智檡から渡された退院祝いのケーキ。人数分を小野さんが厨房から運んできた。チョコレートがコーティングされている少し高そうなのが、私の分だと智檡は言っていた。小野さんも帰り際に強く言われたらしく、困ったように笑ってそれを私の前に置く。



お父様は自分のと私のを見比べ、「智恵ちゃんのは豪勢だね」珍しく大きな声で笑うと、「塚本君は身体が大きいから、ケーキが小さく見えるな」たぶんお酒が回って陽気に浸ってしまったのだろう。



 塚本刑事は恐縮した様子で大きな広い肩を狭めて笑んだ。



「さあ、頂きましょう」



 私が率先して最初の一口を。



 ケーキを食べるのに改まる必要もない。



 しかしその味は、ただ甘いだけのクリームではなく、小さな粒状のモノが練り込まれた甘さを控えたクリームだった。粒状の正体を舌で転がして探ると、それはレモンピールだと判った。甘さを控えたクリームと酸味のレモンピールに覆われたスポンジの柔らかさは抜群の相性だった。噛んだときの食感はしっとりとしていて、甘酸っぱいクリームが生地と共に舌先を惑わす。



 三人が食べているケーキも見た目や味も申し分ないようで、男性三人は大口で平らげていく。



 デザートも頂いた私たちは今後の上野家と警察の活動について話し合った。



 警察は千丈電子セキュリティーとあらゆる情報を共有して事件解決に当たることになったという。中野署の人材不足問題は他署からの応援でカバーすることとなり、明後日からは上野家の警備に三人が追加されることとなる。



「早期解決をしなければ、私の掲げる中野区から全国への発展と繁栄は暗いものだ」

「千丈家の方でも、仕える伝手をすべて使ってプログラムに強い人材を国内外問わずに集めているそうです」

「今回の事件で千丈家のセキュリティー面の信頼が危ぶまれているからな。何が何でも犯人を捕まえたいんだろうね」



 食後のお茶を啜ったお父様は、「そろそろ眠いな。ここ最近、まともに休めていないせいか、昼間でも眠いよ」そう言って立ち上がった。どうやらもう就寝されるらしく、小野さんが立ち上がろうとしたのを手で制し、「部屋に戻るくらい一人で大丈夫だよ。済まないが片付けを頼むよ、小野君」一人先に居間を出て行った。



「実は僕もずっと張っていてまともに寝れていないんですよ。応援の到着までは起きているから、智恵さんは安心して休んでいてください」

「有事の際に塚本刑事が万全でなければ困ってしまうわ。今日くらいはお休みになって」

「そうですよ。今日は俺が起きていますんで、刑事さんは休んでください」



 そう言った小野さんもとても眠そうだ。



「何か不審な輩を見たら大声を出して報せてくれるかな」



 塚本刑事もフラフラと立ち上がっては、「お言葉に甘えさせて貰うね」彼もまた自室へと向かった。



「智恵お嬢は俺が守りますんで。そのためにわざわざネットで木刀まで購入したんですから」

「騎士様ね」

「まあ喧嘩の腕っ節くらいは多少の自信はありますけどね」

「この間、負かされたのよね?」

「痛いところを突かないでくださいよ。あれは奇襲を受けて構えられなかっただけです」

「そういうことにしておいてあげます」



 私が微笑むと彼も指で頭を掻きながら笑む。



 荒っぽさが残る口調だけど内面はとても優しく真っ直ぐな青年。私が彼に抱いた人間像。彼が上野家に来たばかりの時は、ちょっと怖そうな人が来たな、と警戒していたのを思い出した。しかし直ぐに打ち解けることが出来たのは、彼の性根にある優しさに触れたから。



 誰もが恐れて直視してくれない私の眼を、小野さんは、「ハーフなのか? ハーフと言えば、今日の夕飯はピザを作るみたいですけど、何のハーフがいいですか?」これが初対面の私に向けて言った、彼の言葉。



 唖然とした私はしばらく彼から視線が外せなかったと記憶している。



「じゃあ。片付けちまいますんで、智恵お嬢は部屋に戻りますか?」

「そうね。戻ろうかな」



 差し出した小野さんの腕に捕まって私は腰を上げた。私の身体に手を回してしっかりと支え、歩幅も合わせてくれる。細い廊下でより身体が密着してしまうが、彼は何も意識していないようで、顔色一つさえ変えない。



――とても紳士な方ね。



 私を部屋まで送り届けるとまた居間に戻ってしまった。



「智檡、ケーキごちそうさま」



 眠るには少し早い時間帯。ベッドの脇には退院祝いでもらったコートがある。深緑色の落ち着いた色合いのコート。もう少し深い色合いのロングスカートと合わせてみようと、一人で着替えを始める。



 部屋の外からは食器を洗う音が微かに聞こえる。壁掛け時計の針が進む音。衣擦れの音。目を閉じると気持ちが穏やかな波に攫われていく感覚。



 見事にサイズも合うコートはとても暖かい。このまま暖房を切ってこのまま過ごすのもいいかもしれない。でも、これで寝てしまったら皺になってしまうのでそれは諦める。智檡と出掛けるときにこれを来て遊びに行こうと決めた。



 コートだけを脱いでベッドで横になる。あらゆる感覚が早急に鈍くなっていく。深い、深い、疲労から解放されるような、身体が軽くなったように心地が良い。



 深く長い溜息が、甘い香りを伴って私の口から漏れ出る。



「あの植物……、なんだっけ」



 海津原さんが持ってきた見舞いの植物。



 眠い身体を無理矢理起こして、杖を手に廊下へ出た。向かう先は庭師として働いていた金田さんの部屋。給仕の部屋はお母さんを除いて二階にある。壁の手摺りと杖を使って廊下奥の階段を一段ずつ登る。お父様の書斎は耳を澄ませて通り過ぎる。物音がしないのはもう就寝しているのだろう。さらに廊下の角を曲がって手前側から、小野さん、松田さん、金田さんの部屋がある。その隣が空き部屋で今は塚本刑事が使用している。



 金田さんの部屋に入る前に塚本刑事の部屋の前に立ち、耳をそっと扉に付ける。



――早い就寝ね、刑事さん。



 入院中もずっと近くで張ってくれていたのだから疲労もそうとうのものだろう。まともな自分の時間さえ取れていないに違いないのだから、小野さんの提案はとても嬉しかったかもしれない。それを顔に出さないでいれたのは、落合刑事の安否が気になっているせいか、それとも、もう心配する必要もなくなっているからか。



 上野家にいた落合刑事を運ぶともなれば、そうとうの力持ちでもなければ引きずらずに運び出すのは不可能。訓練されている刑事を相手に犯人の証拠も残さないで拉致できるものか。



 私はもしかしたらの仮定を馬鹿馬鹿しいと鼻で笑って、金田さんの部屋に入る。



 彼の部屋に入ったのはこれで二度目だった。一度目は彼に花言葉を教えてもらおうとお邪魔したときだった。



――どうして花言葉を知りたかったんだっけ。



 植物が幼少期から好きだと言っていた金田さんの部屋には図鑑はもちろん、花瓶には花が活けられ、花を撮影した写真を収めたバインダーの数々。本当に花を愛している彼だからここまでできる部屋の内装。



 本棚から何冊かの図鑑を引き抜いた。ベッドに腰掛けた膝の上で本を開きページを捲る作業。



 眼を擦りながらも写真だけを追っていく時間。



 当然だけれど、植物の種類は膨大でその中の一つを見つけ出すのはほぼ不可能。しかし、私はあの植物を見た記憶があった。幼少期に。この部屋で。秋の季節。



 このキーワードから私は図鑑を厳選し。



「見つけた」



 私はその植物の説明書きを端から端までじっくりと読む。



――面白い花言葉ね。



 同時に記憶の中の断片がすべて繋がってしまった。この事件の犯人が誰で、どういった想いがあったのかも。警察が辿り着けなかったのも無理はない。警察は個人情報を詳細まで調べ上げていたのだろう。調べてしまっていたからこそ犯人を野放しにしてしまったのだ。



 図鑑に載っている植物で重要なのは花言葉ではなく、意味、そのもの。



 私はある予感に突き動かされるように自室に急いで戻った。



 活けてある花からその実をひとつ積む。次に海津原さんから送られた花束に隠されていた、代物をポシェットから取り出してスカートのベルトに隠しておく。



――あの人は自分都合を押しつけるのが好きなのね。



 海津原さんは私が約束を破る可能性があると言っていた。でも、私は海津原さんのことをお母さんに話した。話したのはお母さん。今は行方知れずの彼女が不在の今、海津原さんの来訪を知っている人物はいない。



 だからこそ私がいなければならない。



 そんなことより私は今を大切にしたい。



「みんな疲れていたのね。小野さんも居間で眠っていたし」



 これは私にとって最高に都合の良い状況だった。



 今夜を逃す手はないから。きっと犯人も何処かから監視しているはず。



――さあ、いらっしゃい。私に共感を与えてくれる救世主さま。



 廊下が軋む音がした。

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