第22話 激情3
何者かの襲撃を受けてから正確な時間の経過は計れていない。それでも一日くらいは経っているのかもしれない。落合は薄暗い場所で眼を覚まして、乾いた口内に唾液を無理に絞り出して潤す。ヒリつく舌先で唇を舐めると血の味がした。
椅子に座らされて両手は背面で紐状のもので縛られていた。両足も椅子の足にしっかりと固定されている。
撃たれた胸は止血が施されているようだが、動けばまだ激痛が走る。犯人の意図は計り知れないが生かされている以上は直ぐに殺される心配はないと判断し、「だれか……、いないのか」自分で笑いたくもなるくらいに弱々しい声だった。
その声に応えるようにすぐ真後ろから、「います。ここに」女性の、美園涼子の声がした。
「美園さん、無事でしたか。いやぁ、困ったことになりましたな」
「無事とは言い難いですが、なんとか、といったところですね。それより、ここは」
「判りませんな。眼を醒ましたところなものでね」
背後で小さな溜息をつく美園涼子に、「美園さん。教えて貰えませんか、これが誰の仕業なのかを、私の推測が正しいか判断したい」語気を強めて問い、「上野家を快く思っていない者の仕業です。すべては上野家の……、いいえ、智恵を追い詰めて、殺すために、中野区の事件が引き起こされました」諦観した声音で返す。
「被害者の共通点は、普通の一般人であれば知るよしもない繋がり」
「不倫をしていた女性」
「被害者を絞った手段はこの際は置いといて、しかし、どうしてでしょうな。不倫をしている女性が次々と殺され、それが上野智恵に繋がるのか」
「旦那様……、典昭さんがある家の奥方と長い間そういった関係でありました」
ここら辺は情報屋の海津原から聞いていた情報と一致している。美園涼子は真実を語るつもりで居ると判断し、監視の目もあるかもしれないこの場所で、彼女は自分がどれほど危険な行為をしているのかを理解した上で、すべてを話すつもりでいた。
「その奥方をまだ七歳だった智恵が、典昭さんに入れ知恵をして殺害させたのです。事故に見せかけた犯行。警察も現場を調べられてそう判断されました」
「恐ろしい娘ですね」
「ええ、本当に。でも、智恵は私の大切な実の娘なんです」
上野家の最大の秘密まで口にした涼子の覚悟に落合は言葉を挟まず、静かに耳を傾ける。
「驚かれないのですね。智恵が私の娘だと言うことに」
「ある筋からこの間、耳に入れたばかりでして、その時に大いに驚きましたので」
「殺された奥方には一人娘がいました。男装をしていたので、その当時は男の子かと思いました」
「その娘の名前は」
肝心な場所だ。その人物こそ落合が追い、上野智恵を狙う人物だ。
これが正しければすべて繋がり、一切の矛盾もなくなるのだ。
「名前は」
計ったタイミングで少し離れた場所から扉を開ける音がした。差し込む白い光。逆光になってその容姿は判らないが、杖をついている髪の長い女性と彼女より背丈の大きい男性。
「美園さん。余計なことを喋ってはいけませんよ」
「松田孝一、か」
「智恵お嬢様の病室以来でしょうか。いえ、違いましたね。上野家の闇夜の中でお会いしましたね」
「美園さんに聴取している最中でね、邪魔をして欲しくはないんだ」
「犯人が誰かもう判っているのに、ですか?」
「それでも彼女の口から証言を得たいものでね。警察は確証が得られないと動けないんだよ」
「なら、こうしましょう」
松田が背の大きい男に手を差し出すと、彼は懐から拳銃を取り出し、松田の掌に乗せた。拳銃の重みを確かめるように、手に馴染ませるようにゆっくりと指を閉じていく。「美園さん、判っていますよね」銃口を美園涼子の口にねじ込れた。「これで喋れない。両方の意味で」松田が男を一瞥すると、彼は落合の前に回り込んで椅子ごと横転させた。
「準備が整ったので、特別な部屋に案内しますよ、刑事さん」
男が椅子を掴んで引きずるように落合を部屋から連れ出した。
残された二人は見つめ合って、「間に合いませんでした。最悪の場合は……」松田は美園涼子に優しく言葉を掛け、「お願いね」美園涼子はしっかりと頷いた。
背後から大きな足音を立てて部屋に入ってきた別の人物。
その人物は松田から拳銃を無理矢理奪うと、涼子の口内は銃のフロントサイトで傷ついた。
「智恵は私の大切な娘。とっても強いのよ」
微笑んだ涼子の頭部をグリップで何度も殴りつけて昏睡させた。
美園涼子は項垂れて動かない。
銃口は松田へと向けられ、「この女を上野家に運べ」重く低い声で命令する。松田が小さく頷くと銃口を下げ、「今夜、長年の恨みは成就する」呟きながら部屋を出た。松田は目の前で意識を失っている美園涼子へ、「必ず。僕がなんとかしてみせますから」彼女を拘束する紐を解いて、部屋の隅に畳まれている黒い袋で彼女を覆い被す。
「でも、貴女のいない世界で智恵お嬢様はどうやって生きていくんですか?」
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