第14話 情報屋の仕事4

 鵜宮紗鳥の殺害以降二週間が過ぎた。その間に新たな被害者の名前を聞くことなく、以前の日常が中野区に訪れているような錯覚。しかし、これで終わりではないことを知っている。だが彼にとって所詮は他人事に過ぎない。



 時刻は日の出の一時間前。パソコン画面以外に光源のない部屋。デスクに肘を置きながら頬杖をする男性、海津原聖人は同時に十数人を相手にメールのやりとりをしていた。



 日本語で書かれたものがあれば英語、露西亜や中国までと多様な文章。デスクトップ画面に縮小して並べた枠いっぱいに羅列している。



 メールをやりとりする相手は各国でそれなりの地位と権威を有する上等な顧客だった。彼らが望む情報を掻き集め、提供し、莫大な利益を得る。しかしその利益の為に彼は普段あまり睡眠を取れていない。



 仕事の範囲を国内限定にしてしまえば、まだ七時間程度の時間をベッドで横になって過ごせていたことだろう。彼の顧客の6割が外国人で、それもどの依頼も急を要するものばかりときた。此方が夜なら向こうは昼であり夕方でもある。依頼が殺到した、いわゆる繁忙期では一週間以上の徹夜が続いたこともあった。



 不規則な生活習慣を心配する一通のメールを開くが、一瞥して直ぐに枠を閉じた。



 唯一の身内である妹からのメール。彼女もまた海津原と同じ情報屋という仕事をしているが、まだ情報収集手段も乏しく、情報の真偽を見抜ける洞察眼も養われていない新米情報屋だ。一銭の価値にもならない妹からのメールに時間を割くのも馬鹿馬鹿しく、かれこれ一ヶ月もの間、彼女とは連絡を取っていなかった。



 別枠で新たに開いた口座の預金額。数十億の預金に百万単位の金額が次々と振り込まれていく。人によっては金にもならない無価値な情報でも人によっては有価値な大金を実らせる。



 正直に言ってしまえばこれだけの金は持っていても手に余るも、無いよりはあったほうがいい。この金は自分の仕事の評価だという、言わば人生の積み重ねによる努力の結果を可視化させたものだと海津原は考えていた。



「請け負っている大金の仕事は片付いた、か。休息を取ってもいいんだが、上野家についての情報を収集するとしよう」



 海津原は数時間ぶりにパソコンの前から離れた。書棚で埋め尽くされている部屋へ移り、その中の国内議員という見だしから背表紙に上野議員と書かれた薄いファイルを引き抜いた。



 見開きには彼の出生や交友関係と家族構成が詳細に書かれている。政治家としての彼には汚職の情報は、無い、とされている。しかし彼の知らない場所で、横の繋がりで彼が知らずの悪事に手を染めている情報は数多くある。



「上野家で表沙汰にできない、それも娘の上野智恵に知られたくはない闇。それはやはり……、これだろうね」



 むしろこれ以外に彼女に隠しておきたい情報なんて皆無といっていいだろう。だが、この情報は裏取りがなされていない。裏を取るのは簡単だ。こんな簡単な仕事で上野家以前よりその場所に在る蔵の大時計を観覧できるのであれば、労力以上の見返りだ。



「真実とは明るみにしてはいけないものもある。後をどうするかはキミ次第だよ、上野智恵さん」



 リビングに戻ってテーブルに投げてあった携帯電話に手を伸ばす。いつぞやの繋がりで登録してあった番号を電話帳から引いてコールした。



 相手は直ぐに電話に出た。とても眠そうではあったものの、早朝の傍迷惑な電話に快く応じてくれる姿勢でなければならない、という口調。



「お久しぶりですね。少々、確認したいことがありまして」



 受話口からは面倒な事に巻き込まれそうだ、という声室で、「自分で答えられることなら」固唾を呑み込んだ音も聞こえた。



「上野議員のことはご存じかと思います。その奥方の利佳子さんと美園涼子さんについて、です」



 大きく長い溜息が聞こえた。



「それと」



 海津原は可笑しそうにもう一つの確認事項を伝えた。



 受話口の向こうで呼吸を止めたのを感覚した。その証拠に、「前者と後者の情報を知りたがっている人物がいるのですか?」意味も無い確認を口にした。



 動揺をしているときこそ無駄な話をする。



「前者は依頼で。後者は……そうですね、好奇心でしょうか」

「……わかった。キミには逆らえないからな。いいだろう、電話で話せる内容ではないからね。いつでもいいから寄ってくれるか。それと、これについては」

「警察には言いませんよ。そんなことをして僕にメリットもない。貴方のしたことなんて、僕にとっては他人事以外の何ものでもないんですから。貴方も余計な悪知恵を働かせない方が身のためですよ、今後もその情報を自分一人で秘めていたいのなら、ですけどね」



 通話を切って、もう位置一度電話帳を開いた。今度は長年縁が続いている落合刑事に通話をする。どうせまた捜査に駆り出されて眠れていないだろうと判断してのこと。もし仮に寝ていても自分からの着信なら無理にでも意識を覚醒させるはずだと踏んでいた。



「海津原君か。珍しいなぁ、キミから連絡を入れてくるなんて。何か良い情報でも仕入れたのかな?」

「まだ、ですね。ですが近いうちに落合刑事にとって有益な情報を提供できるでしょう」

「キミの情報は常々捜査に役立たせて貰っている。情報屋に縋り付いて事件解決しているなんて、刑事の恥さらしだけどな」

「刑事は事件を解決するのが仕事でしょう。恥なんていう下らないプライドを捨てることで市民を守れるなら安いとは思いますけどね」

「それで、今回の情報というのはどういったものなんだい?」

「中野区連続殺人事件に関するモノ、とだけ言っておきましょう。まだ確証ではありませんが、事件解決の一歩には繋がると思いますよ」

「それは本当か!?」

「裏取りができ次第、特別価格で提供しますよ。それと一つアドバイスを。上野利佳子、彼女から目を離さない方がいいですよ」



 それだけを告げて通話を切った。



 上野利佳子は恐ろしい女性だ。欲深く、また嫉妬深い人間は常人が考えもしない突飛な発想で暴走をする可能性もある。警察の監視が付けば上野智恵の身も少しは安全になる。両件が自分の想像通りに繋がっているのならば、間違いなく上野家は大々的な損害を被る。



「たんぽぽのタネは風に乗って飛んでいくけど、飛ばしすぎは、何処に花を咲かせるか判らない」



 朝日が窓から差し始めた。室内は少しだけ明るくなり、海津原は朝風を取り入れるべく窓を大きく開け放った。中野区中央に建つマンションの最上階。目下には中野通り。初冬の寒さに窓を閉めたくなる思いを我慢し、凝り固まった全身を解すように両腕を高く持ち上げた。

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