第13話 情報屋の仕事3
千丈電子セキュリティーの中でも一部の者しか立ち入ることの出来ない管制室には、四方のうち三面が巨大モニターで埋め尽くされている。十数人の男女がモニターと、一人に対して三台のデスクトップパソコンを交互に監視するような形相で睨み合っている。
私と智檡はこの部屋の責任者である男性、
「智檡様のご友人が亡くなられた、鵜宮神社の近辺に取り付けられた防犯カメラの映像です。時刻はちょうど上野様と鵜宮様を送られている時間帯です」
穏やかな口調で説明してモニターに映るいくつかの小枠の映像を指さして、一つずつどの辺りの映像なのかを説明した。だが、どの映像にも不審な点は一切映し出されていない。右下の枠には千丈家の、智恵たちを送り届けた車が江古田公園沿いに停車した。夜間の為、鮮明な映像ではないが確かに鵜宮紗鳥が後部座席から姿を見せた。
車が走り去ってから彼女は園内には立ち入らずに、何処かへと歩いてカメラの視界から外れた。
「紗鳥はどこへ向かったのかしら?」
私は数多くの枠内映像へと視線を忙しなく巡らせていると、コンビニの防犯カメラに彼女が映り込んだ。しばらくして手には小さな買い物袋を引っ提げて歩き、先ほどの車が停車したカメラの視界を横切って園内に揚々と足取り軽く入っていく。
一番重要な園内カメラの映像は無く、彼女の安否は確かめられない。吾妻さんが気を利かせて余計な映像の枠を縮小させ、江古田公園の外周と鵜宮神社の映像を画面中央に集めてくれた。
人通りもなければ車も通らない動きのない映像が続く。「吾妻さん、早送りして」智檡の指示に従って早送りをし始める。ここまで何かを凝視したことのない私は既に眼が疲れ始めていたけど、親友を殺めた殺人犯に繋がる決定的瞬間を見逃すまいと意気込むが、「ここ、止めて」智檡は声を押し殺して言う。
「智恵。鵜宮神社の映像を見て」
鵜宮神社は賽銭泥棒が近頃多発しており、紗鳥の父が境内を側面から撮影するべく社務所に取り付けたカメラ映像だ。此方のカメラはしっかりと映像が鮮明に録画されている。きっと高価なカメラを取り付けたのだろう。千丈グループと契約することで、瞬時に全国の映像の人間と犯人の顔を照らし合わせる恩恵が授けられる。今回のこの事件を解決する一手となればいいと思ったが、智檡は初めに、何も映らなかったと証言していた。
「ああ……、そんな」
確かに犯人に繋がる映像は残されていない。代わりに紗鳥が賽銭箱にもたれかかるように地に座っていた。直前まで何も映っていない場所にいきなり紗鳥が現れた。予想はしていても実際にソレを見てしまうと胸が詰まる想いだった。
突然として遺体が出現するのはこれまでの被害者と同様で、やはり彼女の胸には花のようなものが挿されている。
しかしやはり納得がいかないのはこの映像を見た二人の刑事も同じだろう。千丈グループが管理する防犯カメラの映像は、厳重な警備の保護下に置かれている。つまり、誰も編集をすることはできない。
智檡の話では、一部の権限を持つ者ならば極秘に編集が出来るという。現在その権限を有しているのは千丈電子セキュリティー社長の千丈幸夫のみ。
世界で支持されるまでに至った会社の信頼や地位を自らの手で脅かすメリットが一つもないはずだ。警察の方も全く疑ってはいないというわけではないけど、千丈家は白だという前提で捜査を進めているに違いない。なにより千丈家に鵜宮紗鳥を殺す理由がないのも事実。
吾妻さんが何度も遺体が現れる場面をスローでリピートしているが、これまでの映像のどれを見ても見事なほど突然出現している。周囲の映像にも変化はない。何一つの収穫も無く溜息をついたタイミングで、管制室の扉が開けられた。
「いくら上野議員のお嬢さんとはいえ、これ以上お見せするわけにはいかないんだ。ここの映像は契約者様方からお預かりしているもの。みだりに部外者に見せていいものではないことは、わかるね?」
千丈電子セキュリティー社長の千丈幸夫だった。他の社員たちは社長が入室しても一切彼に視線を向けることなく、各々が担当している映像とパソコンの画面を交互に視線を移動させている。
「さあ、子供がこんな場所にいてはいけない」
少々威圧的ではあるけどそれが気遣ってのことだと私は直感した。子供に亡くなった被害者たちの映像を、それも友人の遺体を見せたくはないのだろう。私自身、紗鳥の遺体が何度も出現しては消える、繰り返しを見ていて心苦しくもあった。紗鳥も含めて自分たちの無残な姿を見られたくはないはず。
「お前ももう自分で何が良くて何が悪いかを考えられる歳の子だ。もっと考えて行動しなさい、智檡」
「ごめんなさい。パパ」
智檡は俯きながら私の車椅子の後部に回り込んでゆっくりとした足取りで扉に向かう。扉への道を譲り、「上野議員によろしく伝えておいてくれるかな。私はキミに期待をしている、と」管制室から出た私たちを見送って彼はそっと扉を閉めた。
千丈家住居を構える階層と同位置にある隣接するビル。こちら側は主に映像の保管や国際的犯罪者の追跡といった警察機関に似た作業を専門としているらしく、住居側のビルは新商品の開発や国内外の営業部署などが詰めている。
ビルを行き来するには一度一階にまで降りなければならない。智檡はエレベーターのボタンを押し、「怒られちゃったよ。でも、これで判ったよね」振り返って、「この中野区で起きている事件に常識が通用しないんだ」吐き捨てるように言った。
「分厚い雲に隠れて、世間で何食わぬ顔をして生きている。そんな奴を許せるはずないじゃん」
「ええ。智檡の言うとおりよ。悪事は公にしないといけないわ」
「そうだよね。紗鳥の死を無駄にしてはいけないんだ」
エレベーターのドアが開き、硝子張りから広がる風景は夕焼け色で眩しかった。
――この見える範囲に犯人は今もいる。
もしかしたらもう次の標的を絞ったのかもしれない。それが身近な人物だったら、と考えた私の頭は親しい人達が次々と殺されていく想像をしてしまった。小さく舌打ちをしてしまい、「智恵の怒りも判るよ」優しい声で智檡が背後に回って車椅子を押す。
「これが共感なのかしら?」
「もっと強い感情がないと共感じゃないんじゃない?」
「じゃないんじゃない、って可笑しい言葉ね」
「ボインボインに発音が似てる?」
「私たちには縁遠い言葉ね」
「むしろ、縁の無い言葉、だよね」
どちらかが先に笑った。こんな状況にも関わらずに、それもお母様が聞いたらヒステリックになってしまうような会話で。二人で笑い合えれば、その感情は増していく。できればここに紗鳥にも居て欲しかった。きっと彼女なら呆れながらも笑ってくれるはず。だから次は、彼女の墓前で犯人が捕まった報告と、笑い話を一つ二つ手土産に一緒に笑って貰おうと決めた。
エレベーターからの景色から被害者が遺棄された場所がよく見えた。上野家だけは周囲の住宅に隠れていて見えない。ゆっくりと下降する狭い箱の中で私は無言で在り続け、同様に千丈智檡も私の背後に立って、ガラス面に反射する彼女は浮かない表情で夜景を眺めていた。
「家まで送るよ、ちゃんとね」
「門前までお願いね。私、まだ死にたくないの」
しっかりと頷いた智檡は前回の過ちを悔いているようであった。私たちが地下駐車場に到着するとエレベーター前には智檡の護衛と運転手を任されている板倉さんが背筋を伸ばして待機していた。智檡が車椅子を押し入る間、彼は扉に手を掛けてくれていた。彼に小さく頭を下げると、小さな笑みを返した。
従業員たちの自家用車が並ぶなかで一台だけ浮いてしまうのが、車種は判らないけど黒塗りの高級車のヘッドライトが二度点滅した。隣に並んで歩く板倉さんがキーを操作したからだった。
紗鳥が座っていた後部座席に私は座り、折りたためない車椅子はトランクに寝かされた。車はゆっくりと地上に出てから右折した。上高田にある自宅までは十分と掛からない場所にあるが、この大きな車が通るには少し狭い住宅街の中にある。東京の狭さを感じさせない板倉さんの運転は乗っていて一度もハラハラとさせなかった。
上野家の門前で停車するとちょうど、正面から引き台車を引く小野さんと松田さんの姿があった、二人の足取りは疲れている様子で、上野家の門前に泊まる高級車を見て互いに顔を見合わせた。
「何かを運んでいたの?」
車から降りた私は二人に聞くと、「奥様が買い付けたドレッサーを、練馬まで取りに行ってました」松田さんがいつも絶やさない笑顔に困った表情を滲ませて言った。
「早く取って来なさい! って、凄い形相で睨むもんだから竦み上がったよ。流石に、それほどこのドレッサーが重要なんですかねぇ」
小野さんは溜息きながら同時に肩を竦めた。
「智恵お嬢様も帰宅されたところですか?」
「はい。智檡に送り届けてもらったの」
「門の前に高級車が停まってるから、どんなお偉いさんの来客かと思いましたよ」
その高級車の窓から顔を出した智檡は、「ごめんね。すぐに退けるから」そういってゆっくりと車を動かして私たちの傍で一度停車し、「またね。智恵」窓から手を振った智檡は引き車の中身を覗き込んで苦笑すると、そのまままた車は走り出した。
松田さんが私の車椅子を押し始めると、「お前、お嬢さんの後はこっちも手伝ってくれよ。一人でこれ引くの凄く重いんだからな」小野さんが彼を睨み付けた。
「部屋まで送ってくるだけですからね。ああ、また交通の邪魔になる可能性も考慮して、自分で運べるところまで運んでいてくださいよ」
「三分で戻ってこい!」
松田さんは笑いながら車椅子を反転させて屋敷の中へ。玄関に入ると腕を貸してくれて、私はそれにしがみつくようにゆっくりと立ち上がった。車椅子に挿してある杖へと松田さんが手を伸ばし、ソレを私に手渡してゆっくりと土間から沓脱石、廊下へと登り自室までエスコートしてくれた。
私がベッドに腰掛けるまで付き添ってくれた彼は、「戻るの面倒だなぁ。このまましばらくここに居た場合、勝巳はどんな行動に出るのかな」楽しそうに眼を細めた。
「きっと、とてもお怒りになるわ。お母様に引けを取らないかも」
「それはとても怖いですね。仕方がないので、手伝ってきます。涼子さんでもお呼びしましょうか? たぶん、そろそろ夕飯の支度も一段落する頃でしょうし」
「ええ、是非お願いします」
彼は頷くと部屋を出て厨房の方へと足音をさせた。それにしても良く響く床板だ。築何十年と経過しているにしては綺麗な床だが、やはりそれなりにガタがきているのだろう。ゆっくりと歩いてもギシギシと音がして、夜、眠っていても軋む音で目が覚めてしまうほど。
お母様は何度も床だけでもリフォームするよう、お父様に訴えていたけれど、どうしてかお父様はそれに首肯しようとはしない。思い入れがある家でもないはずなのにどうしてだろうと疑問に思っているが、それを聞くまでに私の興味は掻き立てられなかった。
モノ寂しい部屋で何をするでも無く過ごしていると、襖の向こう側から、「智恵さん。入りますね」一言断りを入れた涼子さんが部屋に入ってきた。私の隣に腰を落ち着かせると、「奥様はこの後、お出かけになられるそうですよ。実家に用があるとのことで、二日は家を空けると仰っていました」涼子さんの報告に私の鼓動は喜びに跳ねた。
――なんて嬉しい。
――私と涼子さんの親子関係を誰にも邪魔されずに、気兼ねなく甘えられる。
どうやら私の心を見透かしてしまった涼子さんは困ったように眉をハの字にして苦笑した。
――あんな人、帰ってこなければいいのに……。
私が私を認知していない私が瞬きの間だけ過ぎったような気がした。その黒い影は何処かへと朝霧が晴れるように見る影なく溶けて消えた。
部屋の外に注意を向けつつ、「ねえ、お母さん」彼女の肩に頭を預けていた私は上目遣いに彼女を見上げ、自分でも可笑しいくらいに、猫なで声という表現がしっくりきそうな甘い声質で、夢見心地な現実を創る
もちろん涼子さんはそんな私に、「なあに、智恵」大好きな表情をして見返してくる。
「中野区で起きている事件の犯人が、次の標的を私にしていたら、どうしよう」
「大丈夫よ。智恵は心配しなくて良いの。貴女は私が守るから。お母さんが、絶対に」
「もし仮に、よ。仮に、私が殺されてしまったら、お母さんはどうする?」
「犯人を見つけ出して……、いえ、やめましょう。こんな話」
「聞かせて」
涼子さんは表情を変えて、それはもう可笑しいくらいに、躊躇いと困惑をない交ぜにしたような顔をして、「殺すわ」とだけ呟いた。
彼女が普段絶対に言わない言葉から相応の重みが感じられた。きっと彼女は私が殺されたら、本当に犯人を殺すだろうと直感した。
道徳の踏破のキッカケになれていることが嬉しい。
彼女にそこまでの言葉を吐かせたことが嬉しい。
彼女の特別であれることが嬉しい。
だからこそ。
――大好きよ、お母さん。
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