第12話 情報屋の仕事2

 智檡と喫茶店の片隅で向かい合って私は座っている。



 店内はとても狭く、刑事二人と紗鳥を交えて事件について話した、二日前に足を運んだ沼袋にある喫茶店。客の姿は私たちの他には無く、店員の三葉さんはカウンターの中で注文をしたケーキと紅茶の準備をしている。



「どうしよう……。どうして、紗鳥が殺されなきゃいけなかったのかな」

「犯人は上野家の一件を除いて女性を狙っているわね。刑事さんの話では接点もなければ、似通った容姿でもなかった。紗鳥はたまたま殺されたの?」

「ちゃんと家まで送り届ければ良かった……。ごめん、私が悪かったんだ。紗鳥が江古田公園まででいいっていうから、そこで降ろしちゃったんだ」

「智檡は悪くはないわ。悪いのは犯人」



 親友が殺されて智檡にいつもの元気は無く、そんな彼女にどう声を掛けて良いのか判らない私は、心の何処かで智檡を責めていた自分を自覚して自身に嫌悪した。



――どうして。



――どうして殺人犯が潜んでいる可能性があるのに降ろしてしまったの。



 だけれどそれは智檡だけの責任ではない。紗鳥も馬鹿じゃないのに、わざわざ自宅ではなくどうして江古田公園で降りたのだろうか。まさか自分が標的になるなんて思ってもいなかったのか。そうだとしたら慢心であり危機感が欠けすぎている。紗鳥らしくない失態が招いた不幸だ。



「犯人に一矢報いたいわ」

「大切な人を奪った憎しみをいつか、この手で下してやりたいよ」

「そこでなんだけど。智檡、千丈電子セキュリティーは全世界のネットセキュリティーだけではなく、全国の防犯カメラ映像を管理しているのよね。見せて、江古田地区の映像を」

「それは、うん、いいけど。昨日来た刑事さん二人にも見せたけどさ、何も映ってなかったよ」

「それでもいいの。お願い」

「じゃあ、この後うちに行こうか。ちょっと距離があるし車を手配するよ」



 智檡は携帯電話を取りだして、「板倉。沼袋にある喫茶店まで迎えに来てよ。え? 店名は」キョロキョロと店内に視線を巡らす智檡に、「喫茶海坊主うみぼうずよ」銀のスチール盆にケーキと紅茶を載せた三葉さんが答えた。



 店名が伝わり二、三短い会話をして通話を切った智檡はフォークでケーキを三等分に切り分け、「取り皿とフォークを一セットいいですか?」三葉に伝えた。快く承知した彼女は再びカウンターに入ると、棚から小皿とフォークを持って戻ってきた。



「ありがとうございます」

「二日前に海津原さんと言い争いをしたっていう、彼女の分よね」

「はい」

「中野区も物騒な世の中になってしまったものね。まだ若い子の命を、人の命を奪っていい道理も権利なんて誰にも無いのに」



 お盆を胸の前で抱えて悲しそうに視線を取り皿に向けた三葉さん。私は彼女の言葉と悲しみが本物であり、きっと彼女も大切な人を誰かに奪われたのかも知れないと予想した。



 店内に小音量で流れるジャズが唯一、重苦しい空気をある程度以下にならないようにしている。私がふと店の入口に視線を向けると、嵌めガラスドアに人影の黒いシルエットが映った。ドアベルがなると二人も音の方へと顔を向けた。



「やあ、三葉ちゃん。もうヘトヘトだよ僕は。いつものセットでお願い」



 入店してきた男は二日前にこの店で出会った情報屋という生業をしている、海津原という男性だった。この男性そのものに嫌悪感に似た感情を抱いてしまっているので、視線をテーブルのケーキに落としたけど、「あれ。そこにいるのは名家のお嬢様方じゃないか。ああ、この場に居ない一人についてはご愁傷様だったね。まあ、そういうこともあるさ」私たちの直ぐ近くのカウンター席に座ると私と智檡を順に見て、「千丈と上野か。これはなんとも可笑しな組み合わせだ」心底不愉快にさせる笑みを口元で作って言った。



「あの。失礼ですけど、どうしてそんな心無いことを平然と口に出来るのですか。人の命をなんだと」

「他人事。僕はね、いちいち他人の都合になんて興味を持てない人種なんだ。信じるのは信憑性のある情報、それに見合って支払われる対価のみ、だよ。人によっては他人が公にしたくはない情報を求めるし、僕は対価の為にその人を赤裸々に調べ上げる。その後の情報の使い方によって被った被害なんて、いちいち気にしていられない」

「人は対等だわ。お互いを認め合って、触れ合って、他人という存在を実感してこそ自分を実感できるの。人の尊厳を踏みにじっていい道理なんてないでしょう?」

「話にならないね。でも、そうだ。キミが正しい。僕がズレているだけなんだ。でもね、君が言うように他人との関係なんて簡単に崩れるものだよ。立場や比較によって簡単に人間関係なんて壊れてしまうんだ。いいだろう、簡単な例題をプレゼントしてやろうじゃないか」



 火を付けたタバコを咥えると天井に向かって主流煙を吐き出し、「上野典昭。彼は政界で最も国民から期待されている議員だ。しかし、それはどうしてだい。そう、これまでの自分の役割を忠実に演じた背景による信頼と、国民かれらに耳心地良く掲げた投票収集マニフェストの賜だろう。しかし政治家という生き物は全くの白ではいられない。限りなく白で在り続けるため方々に協力を仰がなければならない。キミの言う人の尊厳を奪ったりしてしまったことの隠蔽工作、とかね」フッと笑って私を見る。



「父はそんなことはしません」

「何故言い切れる。キミは父の何を見てきた。食卓では父と今日何があって何をしたなんて会話をするのかい? キミが産まれる以前の典昭氏の経歴や交際関係、学生時代の所属部活動や委員会活動といったものを把握しているのかな?」

「それは……」

「まあ、彼が何していようが僕には関係ない。顧客でもない以上は一生関わることの無い他人だからね。それに、今のはあくまでも例外だ。もしかしたら白かもしれないし、もしかしたら黒かもしれない。依頼が来なければ調べようとも思わないね。僕の手に掛かればどんな隠し事も白昼に晒させる。それが情報屋というものだ。馬鹿な妹はそれが理解できていないから困りものだよ。まったく身内の恥だ」



 どうしてこの人は挑発的な言い方をして、相手を不愉快になる言葉を選んで口にするのだろうと思った。身内を馬鹿呼ばわりしてまで孤独を貫こうとする姿勢は、本当に不可解で不愉快だった。



――いや、違う……。この人は。



「いい加減にしてくれる? 面倒で小難しそうな話をしてさ、年下の女の子相手にマウントを取ってそんなに嬉しいんだ。私の智恵をこれ以上刺激しないでくれるかな」



 割って入る智檡の声には食って掛かろうとする意志が明確に含まれていた。この間は紗鳥がその役割を買って出てくれたが、その彼女も今はもういない。きっと代わりに自分が守らなければと勢い込んで張っているのだろう。



「待って、智檡」

「え、智恵?」



 私は身体を海津原さんに向けて、「何でも調べられる、そう言いましたね」聞く。



 彼は私の眼を何の価値も無い代物であるように見つめ返して、「ああ。そう言ったけど?」ニヤリと笑んで見せた。



「上野家について調べてください」

「漠然としている」

「お父様とお母様、それと美園涼子さんが私に隠している上野家の秘密を」

「お友達のことはいいのかい? 僕の情報網であれば犯人の特定も可能だ」

「それは、警察が調べます。それに私たちでも独自に調べるつもりですから」

「情報料は幾ら払える? 僕は引く手数多だ。国際的に活動しているから微々たる金銭のために、他のでかい仕事を差し支えさせるわけにはいかないよ」



 私に支払える対価なんてそうあるはずもない。しかし彼は私に支払えるモノがあるからあんな話をしたのだ。自分の手持ちのものを思いつくだけ頭に広げて俯瞰してみる。だけどどれも彼にとって有価値になりえそうなものは見当たらない。



「キミの自宅には大時計があるらしいね。明治期の資産家である文染家が管理する以前からその場所に建てられていた蔵の中の大時計。僕はそれを是非とも鑑賞してみたいんだけど、その権利と引き換えでどうだい? これくらいしかキミに支払えるモノが無いのも事実だ。首を縦に振るか話を白紙に戻すか、二択だよ」

「判りました。情報を提供した後であれば、給仕の方達には海津原さんのことを伝えておきます」

「いいや、先払いだ。キミがしっかりと約束を守れるかわからないからね」

「私が約束を破ると言っているように聞こえます」

「守らないじゃない。守れるかわからないと言ったんだ」



 タイミングを見計らった三葉さんがコーヒーとサンドイッチをカウンター席に置くと、「もう! いじわるですよ、海津原さん。女の子相手にみっともない。いいじゃないですか、後払いで」きつい視線で一瞥してから、「ちょっと倉庫に材料を取ってきますので、ゆっくりとくつろいでいってください。お題は各自テーブルの上にでも置いといてくださいね」一変して営業スマイルを向けて店の奥へと姿を消した。



「だけど、一つお節介を焼かせて貰うとしようか。キミは自分の意志で知りたいと願って、僕を使ってまで真実にたどり着くんだ。上野家が隠したがる秘密である以上、ほぼほぼ黒だと思っていいだろう。たとえどんな真実であったとしても目を背けずに、現実と向き合って、自分の考えに従って行動するべきだ。キミが考えて決めたことに他人の意見なんてそれこそ他人事だ」

「もう掴んでいるような言い方」

「上野典昭氏についての情報提供をもとめられて幾つかの候補は握っているからね。もしかしたらそのどれかに該当するかなと予想しただけだよ。まあほぼほぼアレだろうけど、裏取りが出来てない以上、信憑性がゼロであることと変わらないからね」



 コーヒーとサンドイッチを済ませた海津原さんは代金をカウンターに置いて溜息をつき、「また仕事の依頼か。僕の年間休日は50日もないよ、まったく」愚痴をこぼしながら入口まで歩き、「ああ、そうだ。初回サービスで良いことを教えてあげよう。中野区連続殺人事件の殺人者は特定の誰かを殺すために動いている。これまでの殺人は前座であり、特定の誰かに訴えるメッセージだ。これを落合刑事にも伝えておいてくれるかな。じゃあ、また」海津原さんは店を出ると自転車に跨がった。



「特定の誰かって誰だろう」

「きっと中野区にいる人なんだろうね。だって、わざわざ中野区で起こしているんだしさ。というよりさ、中野区ってどれだけの人が住んでるんだっけ?」

「さあ、何人かしら」



 智檡が突然、小さな鞄から小さなノートを取り出して開いて見せた。見開きページに書かれていたのは被害者の名前と年齢、それと住所、心臓に挿されていた花と花言葉だった。



「まるで刑事さんみたいね」

「あの塚本って刑事さんの手帳の中身を隠しカメラを操作して盗撮したんだ。隙だらけだよね、あの人って。たぶん落合刑事にはバレてたと思うけど、まあ、これってほとんどテレビで報道されてるしね、花の名前以外はさ」

「それもそうね」

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