第11話 情報屋の仕事1

 この日、朝早くから上野家に電話が鳴り響いた。



 まだ眠っていた智恵を起こしたのは、血相をかいた美園涼子だった。彼女の慌ただしい様子に智恵の眠気は吹き飛び、まずは彼女を落ち着かせてから話を聞く態勢に入った。



「智恵さん。その、なんといったら」

「昨日の涼子さんの問題発言に比べたら、どんな問題も大したことないよ」

「お気持ちを確かに持ってお聞きください。智恵さんのお友達の、鵜宮紗鳥さん。昨夜に亡くなりました」

「はい?」



 何を言ったのか寝起きの頭では理解できなかった。もしかすると聞き間違いだったのかも知れないと、「ごめんなさい。まだ眠くて、なんて言ったの?」視線を泳がせる涼子さんに聞き返す。



 一度口にして幾分か気持ちを落ち着かせることが出来たのか、「もう一度言います。昨夜、鵜宮紗鳥さんが亡くなられました。先ほど、落合刑事から連絡があり、夜明け前に鵜宮神社の本殿で亡くなっているのをご家族が見つけたと」状況も交えて智恵に説明した。



「そんな……。紗鳥がどうして」

「胸に花が挿してあったそうです。ハナズオウという花だと言っていました」

「花言葉はどういう意味?」

「もうしわけありません。落合刑事はそこまでは、私も花に関する知識は」



 私は何かをしようとしたわけでもなく、ほとんど無意識に立ち上がっていた。すぐに涼子さんが私を支えてくれるが、行き先も告げず、私自身もどうしたいのかわからないのでそのまま呆然と立っているだけだった。



「そうだ。智檡は? 彼女に連絡をしたいの」

「落合刑事が事件前日に会っていた智恵さんと智檡さんに話を伺うと。車でまず此方に向かわれるそうです」



――どうして紗鳥が殺されるの。



 頭も胸もごちゃごちゃと散乱して足の踏み場もないくらい、短い間だったけど確かに培った彼女との思い出でいっぱいになった。



「大人になっても私たちと付き合っていたいって言っていたのよ、紗鳥」



――どうして紗鳥を奪ったの。



 犯人に対する怒りが濁流の色で奔流して私の内側の思い出を流し去っていく。汚濁色の感情に沈んでいく私は息が苦しく周りが何も見えない。まるであの蔵の中のように忌避したいほどの暗さだ。深い場所に沈殿していく泥に足を付けた私は頭上を見上げて手を伸ばしていた。



 もがき手繰り寄せようとするように。


光の届かない場所から這い出ようとするように。



――どうして奪ったの。



――私が共感できる可能性のある人間を。



「智恵さん!」



 私の視界は汚濁の海底ではなく自室を映していた。力強く支えながら私の眼を覗き込む涼子さんに焦点を合わせて、「私はいま何をしていたの?」首を少し傾げた。



「何もしていませんでした。呼びかけにも反応をしめさなかったので」

「ごめんなさい。まだ現実を受け入れられないの。わかるでしょう?」

「ええ。大切な人を失ってしまったのですから無理もありません。落合刑事も電話であまり刺激しないように、と強く言われました」

「でも、もう大丈夫。落合刑事が来る前に着替えたい」



 涼子さんに手伝って貰いながら私服に着替え、「朝食はどうしますか?」その問いには首を振って答えた。



小野さんや松田さんが心配して顔を覗かせてくれたが、彼らもなんと声を掛けて良いのか判らない様子だったので、「大丈夫よ。今はちょっと一人になりたいの」とだけ言って好意を素直に嬉しく思いながら落合刑事を一人で待った。



 すぐに上野邸の門前で車が停車する気配があった。家内にインターフォンが鳴り、涼子さんが対応に出たようだった。三人分の足音が私の部屋で止まり、「朝早くからごめんね、智恵さん」塚本刑事が気遣わしい顔で入ってきて、シブさんが険しい表情をしながら続いた。手帳を睨んでいたシブさんは、「こんな状況で辛いことは承知していますが、こっちも犯人に繋がる些細な情報でも欲しいんですよ。協力してくれるね」刑事としての目で私を直視した。



「私に話せることならなんでも、惜しみなく」



 ベッドに腰掛ける私とテーブルを挟んで二人は座った。シブさんは手帳を取り出し、「まだ死亡推定時刻とかは判明していません。ですが、鵜宮紗鳥さん。昨日は千丈智檡さんと三人で過ごされていましたね。俺と塚本と別れた後のことを話してくれますか。おおよそでいいので、何時に何をしていたのかを」多少前傾姿勢をとった。



「シブさんたちと別れてからは智檡の家に上がらせて貰ったの。確か午後3時前くらい。それから他愛ない会話やゲームをして過ごしました。たぶん4時間ほど。夜景を眺めながら夕飯を2時間くらい。時間が遅いというので智檡の専属の運転手に私たち二人は送ってもらいました。一番近い私が先に降りたので、その後のことは知りません」

「9時に解散された、と。ということは上野家まで車で五分少々、そこから鵜宮家まで十分くらいといったところか」

「いいえ。直ぐには帰りませんでした。別れるのが惜しいと智檡が駄々をこねたの。三人でもっと話がしたいって。運転手さんも渋々な様子でちょっとドライブをしてもらいました」

「それはどれくらいの時間を?」

「2、30分くらい。車内が賑やかで、楽しい時間はアッという間に過ぎてしまうでしょう。体感時間なんて宛てにならないから」

「ありがとうございます。では、智恵さん。帰宅されてから何をされましたか?」

「シブさん。それは捜査に関係のあること?」

「念のため、というやつですな。別に疑っているわけではありませんよ。ほら、刑事ドラマとかでもよく見るでしょう。アレと同じです」



 シブさんは眼を細めて笑みを作って見せたが、その細められた眼からは念のため、という意味合いでは取れない光を宿している。一見、関係ないのない箇所から繋がるものがあるのかもしれない。もちろん私としてもそんな事で犯人に繋がるのなら喜んで提供するつもりである。



 昨夜の出来事を思い返し、父との会話に関する詳細は伏せつつ順を追って話した。



「上野家の人達がお休みになられたのは何時くらいですか?」

「よく判りませんけど、帰宅してから、小野さんと涼子さん以外の給仕の方の姿は見ていません。お母様もたぶんお休みになられていたかと。だから起きていたのは、私とお父様、涼子さんと小野さんの四人。私も涼子さんと別れてから直ぐ就寝してしまったので、22時半以降のことは知りません」

「そうですか。ありがとうございます」



 姿勢を戻したシブさんは手帳の書き込みを止めて深く息をついた。



「私からも一ついいですか」

「ええ。何でもどうぞ」

「紗鳥には挿されていた花、ハナズオウの花言葉はなに?」



 手帳を捲った塚本刑事が、「裏切り、不信仰、高貴、目覚め、豊かな生涯というものがあります」肩を竦めた仕草から、これまでの花言葉と繋げても犯人の意図する主張もわからないでいる様子だ。



 一件目から五件目の花言葉を順番に並べてみたけれどやはりピンとくるものもない。ハナズオウに関して言えば紗鳥の信仰心からして妥当とはいえない。口が悪く尊大な態度の彼女でも、神様の存在だけは信じている言動をこれまでに何度も耳にしてきたからだ。



 不信仰だけでなく、裏切りや目覚めというのも当てはまらない。



――神社の家柄だから高貴とも違うし、豊かな人生は何を指して豊かにもよるわ。



 彼女は自分の家の貧乏を嘆いていた。しかし貧乏でも他の環境によっては豊かさを体感することはできる。たとえば友人だろうか。彼女は大人になっても私たちと一緒に過ごしたいと言っていた。未来を夢想するのは豊かな人生を切望している、ことにはならないだろうか。しかし誰だって豊かな人生を送りたいと願っているはず。そう考えると別に殺す相手は紗鳥じゃなくてもいいはずだ。被害者の選定基準がないと仮定した場合、どうしてこれまでの被害者は女性なのだろうかという疑問が浮上する。



 三者が黙り込んだタイミングで襖の向かい側から、「失礼します。お茶が入りました」ゆっくりと襖を開けて涼子さんが部屋に入り、テーブルにおしぼりとお茶を置くと、浅く一礼して背を見せると、「美園さんは智恵さんのお隣にお願いできますかな」落合刑事が湯飲みを手にして言った。



「智恵さんの話だと、昨夜起きていらっしゃったのは智恵さんを除いて、美園さんと小野さん、典昭氏のようですから、是非ともお話をお聞きかせ願いたいのですよ」

「なんなりとお聞きください」



 涼子さんは私の隣でベッドに腰掛けず、私の隣で床に正座をして刑事二人と対峙した。



「上野家の事情は存じませんが、給仕の方々は22時半には就寝されるのですか? 呼び出しなんかもあるでしょうし、少しばかり早すぎませんかね」

「奥様も就寝されていましたし、何かあったときは私一人が起きていれば事足りると判断して、他の方達には休むように伝えました。休めるときに休んでおかなければ身体が持ちませんから」

「それは貴女も同じでしょう」

「ええ。いつもは日替わりですけど、昨夜は三人に体力を使わせてしまったというのもあります」

「なるほど、なるほど。わかりました。では、智恵さんが就寝されたあとは何をされていましたか?」

「余っている食材を確認して朝食の献立を考えていると、旦那様からお茶を持ってくるよう連絡が入ったので、書斎までお持ちした十分後くらいに旦那様も就寝されたようです。その後すべての戸締まりを確認してから私も眠りました」



 シブさんの視線に真っ向から柔和な視線を向ける涼子さんに違和感を覚えた。



――なにかしら。



 何かを伝えたいけど伝えられない遠慮のようなものがいつもの表情から微々に感じられた。シブさんもきっと彼女の様子に感づいている様子だが、彼女がこの場で話さない、もしくは話せないのなら無理に聞き出そうという意志はないようだった。



「このお茶は美味しいですな」



 空になった湯飲みを見せてニカッと笑んだシブさんにつられたように笑う涼子さんが、「おかわりをお持ちします。そちらの刑事さんもいかがしますか?」隣に座って難しい顔をしながら手帳と睨めっこをしている大きい身体の塚本にやんわりと聞く。



「あ、お願いします」



 お盆に空になった二つの湯飲みを乗せて部屋を出て行った。



「暑くはないんだけどなぁ」



 ぼそりと呟いたシブさんの言葉に引っかかって彼を見た。



 時間を空けて涼子さんが帰ってくると、湯気を立たせた湯飲みを二人の前に置いた。まだ時間も経っていないのに私の湯飲みには湯気は立ってはおらず、シブさんの言った意味を理解した。



――ぬるいけど美味しい。



お盆の上には急須が載っていて湯気が色濃く注ぎ口からあがっていた。



――涼子さんにしては珍しい手間をかけるのね。



 最初から急須を持ってきていればわざわざおかわりを取りに席を立つこともなかったはずだ。それにお盆の上には急須だけでなくカステラも三人分に切り分けられていた。



「甘いものはお好きですか? 余計な事かも知れませんが、糖分は頭の疲労回復に良いんですよ」



 塚本刑事は身を乗り出して嬉しそうに目の前に置かれたカステラに目を奪われていた。お腹が空いているのかもしれないと可笑しく、しかしどうしてかシブさんはカステラを一瞥してから、「お茶をもう一杯いただけますかな。より熱いお茶で頂きたいものですから」湯飲みを一気に傾けてまだ湯気が立つ茶を飲み干してしまった。



「え! あ、熱くないんですか?」

「これくらいまだぬるい内だ。昔は眠気覚ましに淹れ立ての熱いコーヒーを飲まされたもんだ」

「パワハラじゃないですか、飲まされたって」



 二人のやりとりに涼子さんは眼を細めて微笑ましそうに、先ほどより熱いと判る茶を淹れた。



「ありがとうございます。そういえば、こんな話を知っていますかな」



 唐突に事件と関係なさそうなやんわりとした雰囲気でシブさんが話し始める。



「石田三成という武将がいたのを」

「唐突にどうしたんですか、落合さん! 自分たちは事件の話を聞きに来たんですよ。そんな世間話をしている間に、犯人が次の被害者となる標的を見つけているかも知れないのに」



 さすがの塚本刑事もこれには声を荒げて抗議した。



「有名な偉人ですもの。関ヶ原の戦いで豊臣政権を守るべく、毛利家に代わり西軍の総大将として徳川家康と戦った武将ですよね」

「三献茶。彼が寺小姓だった頃、寺に立ち寄った秀吉に出した三杯の茶のことです。初めに飲みやすいぬるい茶で乾きを鎮め、後二杯を熱い茶で秀吉を楽しませた逸話です」

「落合刑事は歴史にお詳しいようですね」



 二人は視線を外さずに笑い合う。



「ですが残念ですな。石田三成は長く続いた豊臣政権を守ろうとして戦い、徳川に敗れ、次代を見届けること無く殺されてしまった」

「ええ。きっと恨めしかったことでしょう。守りたかったものを守れなかったのですから」

「小早川を初め、多くの西軍の将が裏切らなければ、どうなっていたのでしょうねぇ。さて、無用な話をしてしまいましたな。次は千丈のお嬢さんに話を聞きに行かなければなりませんので、失礼させていただきましょう」



 シブさんは塚本を連れて部屋を出ようとして、涼子さんが見送ろうと続くと、「見送りは結構です。貴女は智恵さんの傍にいてあげてください。それと、何かあれば連絡ください、いつでもお待ちしています。ああ、それと、ご馳走様でした」名刺を取り出して涼子に手渡すと二人はそのまま玄関へと向かっていった。



「お母さん。石田三成ってだれ?」

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