第10話 千丈電子セキュリティー5

 鵜宮紗鳥が自宅に帰宅したのは22時近くだった。



 千丈家の高級車に乗せてもらい、つるつると尻が滑る革製のシートに座り心地悪さを感じながら、初めに上野智恵を送り届けてから江古田にある紗鳥の家へ向かった。車内で護衛件運転手の男、板倉平蔵という男は終始口を閉ざして運転に専念していた。代わりに千丈智檡がベラベラと喋り続けていた。



 江古田の森公園の近くで降ろしてもらうと、紗鳥は近くのコンビニまで足を運んで夜食とジュースを購入した。パソコンで動画でも見ながら一人二次会を開く用意である。



 自宅には江古田の森公園を抜けていくのが最短のルート。都心の夜空を眺めながらゆっくりと人気のない園内を歩いていると誰かの気配を感じて足を止めた。



 周囲を注意深く見渡してみても誰もいない。



「昼間は賑やかなんだけどな。夜もたまに迷惑な馬鹿共が騒いでたりするけど」



 声に出して言うのは自分が恐怖を紛らわそうとしている証明であり、あまりにも情けなくて肩を竦めてはまた歩き出す。



 今日に限って近所迷惑な馬鹿が騒いでいない。いつもは自宅にまで聞こえるのに、こういう時にだけ騒がないのは本当に良い迷惑だと苛立った。まったくもってこの言い分が身勝手なものであるのも重々承知している。初冬の寒さからか、この不気味な園内の雰囲気によるものか、鳥肌が立っているのもまた事実。紗鳥は早足になるが、確かに彼女の耳は自分以外の砂を踏みしめる音を聞いた。



「変態かよ」



 悪態をついたと同時に全力で走り出す。が、目の前の茂みから飛び出してきた何かに驚いて自分の足に躓いてしまった。転倒すると飛び出してきたものは対面の茂みに飛び込んで、それが猫だったことが恥ずかしくもあった。



「ふざけんなよ。タイミングが悪いだろ」



 袋の中のお菓子が散らばってしまったが、背後に渦巻いているような恐怖が先だって痛む足を無視して走り出そうとしたとき、後頭部に何かを叩き付けられた。



 前頭部にまで抜ける痛みが響いて耳鳴りがした。バランスを崩してそのまま再び倒れると誰かが紗鳥に馬乗りになるや、首に細い紐を巻き付けて両手でしっかりと引き絞る。すると二分もしないうちに頭がぼんやりとし、頭部の衝撃と酸欠によってまともな思考もできずに脱力して意識を失った。



 完全に意識を失ったことを確認してから、彼女の細い身体を茂みの中に引きずり込む。園内の外灯の明かりも届かず、なおかつ公道から離れて人目に付かない最適な場所だった。



 着込んでいるコートのポケットから薬液の入った小瓶と注射器を取り出し、ゆっくりと慣れた手つきで液体を注射器に吸わせていく。



 革の手袋で鵜宮紗鳥の首に手を当てて頸動脈を探し当てると、注射針をゆっくりとその首に刺して液体をすべて注ぎ込んだ。その間、周囲に注意を向けつつ彼女の様子を眺めていると、彼女の呼吸は浅くなっていき、数分もするとすべてを止めてしまった。



 鵜宮紗鳥の衣服の中に手を潜り込ませて胸の辺りに意識を集中すると、しっかりと鼓動も停止していることを確認した。



 人の死に触れる度に、自分がまるで高尚な存在であるような錯覚を覚えるようになった。初めは復讐の前座として始めた殺人行為だった。しかし今は死体に花を挿す行為に興奮を覚え始めていた。最期にはアイツの胸にも、という期待はクリスマスを指折り数えて待つ子供のように無邪気な笑みを目深に被った帽子の下で浮かべる。



 死体を大きな黒いゴミ袋に押し込んでいると、背後で二人の人物が無言で傍に寄って来て、何も言わずに作業を手伝った。



 一人が先に歩いて先導し、もう一人が遺体を担ぎ上げて歩く。



 園内の入口に止めたバンに素早く遺体を投げ入れて三人は即座に車内に乗り込んだ。前後の人の姿を確認するが運良くだれも通ってはいない。



 ゆっくりとバンを走らせると車内の雰囲気は幾分かやんわりとしたものとなった。



 助手席に座る手を下した人物は、窓硝子に映る自分の顔を見て、まるで恋という病魔に冒された患者のように夢見心地な笑みを浮かべていた。



 人を殺すたびにアイツに近づく。



 すべてを壊してやりたい。



 その想いが恋煩いの衝動となる原因であるならば、一層に恋い焦がれてその瞬間を待とう。



 ボンネットに投げられた植物の図鑑を手に取って、携帯電話の明かりを頼りにページを捲っていく。



 この女にはどんな花言葉を残してもらおうか。

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