第9話 千丈電子セキュリティー4

 送迎してもらって帰宅すると、玄関には見慣れてはいるけれど、今あるはずのない靴が二足揃えて並んでいた。



 帰宅に合わせて居間から小野さんが出迎える。私の視線に気付いた彼は、「先ほどお帰りになられて、直ぐに書斎に籠もられてますよ。少し機嫌が悪そうなんで、あまり近づきたくはないですけどね」ひそひそと教えてくれた。



――どうしてお父様が帰宅しているのかしら。



 本来、帰宅は三日後だったはず。お母様にも電話で帰宅するなんて言っていなかった。だからこそお母様は苛立っていたというのに、まったく都合の分からない話だった。嫌がる小野さんにお願いして二階にある書斎まで付き添ってもらうことにした。



 自宅の階段を上がるなんていつ以来のことだろう、と考えながら右手でしっかりと手摺りを掴み、左側で小野さんが私の身体を支えながら歩調を合わせて一段ずつ足を運んでくれている。父の書斎は裏庭に面していて、正面玄関側にある母の寝室とは対に位置し、涼子さんの部屋の真上となる。



 扉を二度ノックし、「お父様がお帰りになられているとお聞きしましたので」そこまで言うと扉が内側に開く。長身の父が私を見下ろして笑むと、「友達と遊んでいたようだね。楽しかったかい?」部屋へ招くように半身になって手を差し伸べた。



「小野さん、ありがとうございます。後は大丈夫なのでゆっくりと休んでください」



 お父様と私を交互に見てから深く一礼した小野さんはテキパキとした足運びで、退散するように階段を降りて行ってしまった。私はその動作が可笑しく頬を意識して持ち上げ、久しぶりのお父様の書斎へと足を踏み入れた。



 室内正面に大きなデスクと窓があり、夜でもしっかりと黒い蔵を認識できる。私があの蔵に対して忌避感を抱いている事情を知っているお父様はカーテンで遮った。ベッドに腰掛ける私に対してお父様もデスクの椅子を引いて向かい合うように座った。



「家を空けてばかりですまないな。まさか、ウチに遺体を捨てていくとは……。どうやって入ったんだろうな」



 事件の話題を早速持ち出す辺り親子としての会話の在庫数が知れる。だけどそれを顔に出さぬよう努め、「最近の中野区は物騒ですね。お父様の目指すより良い中野区が遠退いてしまうわ」お父様が関心を持つ政治家としての目標へと話を繋げた。重く長い溜息を吐くと憂鬱な顔で、「ああ……、そうだね。警察にはしっかりと仕事をしてもらわねば困る。防犯カメラには千丈電子セキュリティーの技術がふんだんに取り入れられているはずなんだがなぁ」ぼやいた。



「刑事さんに頼んで防犯カメラの映像を見たわ。でも、中野駅に遺棄された遺体……、まるでマジックのように突然に現れたの」

「マジックだから上野家の原始的な穴の無いセキュリティーを抜けられた、と? 面白い推理だな、智恵。だけどマジックというやつには知れば納得できるタネが仕込まれているんだよ」

「ええ。存じているわ。お父様のジョークかしら、今のは」

「私が何か可笑しなことを言ったかい」

「タネが仕込まれている。どうして遺体に花が挿されていたの? それとも、心臓から生えてきたのかしら」

「智恵……、あまりそういう不謹慎な発言は感心できないよ」

「ごめんなさい。でも、遺体にはそれぞれ花が挿されていて、それでいてすべて種類も違う……、きっと犯人の主張があるんだわ」

「かもしれないね。だがね、しかし花言葉なんて回りくどい。猟奇的な少女趣味だよ。まっとうな奴の犯行じゃない」

「私の家に遺棄された遺体に挿されていた花はね、お父様」



 私はお父様に顔をぐっと寄せて、「母子草。ずっと想っていますというらしいの。親が子に向けて想う花言葉」父の目をまっすぐと見つめると、あからさまに動揺をしめした。



「それだけじゃ犯人には繋がらない」

「私とお母様は似ているかしら?」

「何が、言いたい?」

「いいえ。お母様は直ぐ怒るのに、私はいつも穏やかよ。だから聞いてみたいの。お父様の口から。私はお母様のどこら辺が似ているの?」



 お父様は押し黙ったかと思うと大きな溜息をつきながら、「まあ……、色々なところかな」要領を得ない回答に今度は、「それで納得できるはずがないわ。議員さんならば、国民の声に真摯に向き合ってほしいのだけれど」溜息をつきながら返す。



 昔からそうだった。親子関係の話題にはいつもお父様は口を閉ざしてしまう。かといってお母様に聞いてみても、「貴女は私が腹を痛めて生んだ娘なのよ!」耳が痛くなる声量で怒鳴られるだけ。



――かといってお父様に似ているところもなさそうなんだけど。



 私の期待に応えられない父は私の視線から逃れるように席を立つと、「お前は私たちの子供だ。病院も証明してくれる。いったい智恵、お前が何を心配しているのか判らないよ」デスクの固定電話を使い美園涼子を内線で呼んだ。



 この時間帯の涼子さんは自由時間を過ごしている。ちょうど真下にある彼女の部屋の扉が開閉する音がして、階段を上がってくる穏やかな足音を耳にしつつ、お父様がもう退室しろという訴えを察した私は、「遅い時間にごめんなさい」座ったまま頭を下げ、「次はもっと親子らしい会話をしましょう」努めて内心のわだかまりを表に出さないように取り繕った笑顔を作った。



「お呼びでしょうか、旦那様」



 涼子さんが恭しく一礼をして扉の敷居の外側から部屋を覗き込んだ。私と目が合うと自分が呼び出された理由を察したようだ。私の傍までやってくると、「さあ、智恵さん。私が部屋まで付き添いますね」彼女の香りを感じられる、身体を密着させて私をゆっくりと立たせた。



 片手に杖を突きながら体重を涼子さんに預けて書斎を出る。



 廊下まで見送りに出たお父様の視線が背中に感じられ、どうしてかそれが不愉快に思えて早く一階に降りてしまいたかった。



「珍しいですね。智恵さんが二階に上がられるなんて」

「ええ。敷地内であんな事があったのだから、子としても親に無事である報告はしたほうがいいかと」

「とても心配されていましたからね。きっと、元気な智恵さんを目にして安心されたはずですよ」

「むしろ顔を合わせなければ良かったかもしれないわ。だって、ちょっと互いにしこりを作ってしまったんですもの」

「しこり、ですか?」

「ええ。東京都を頭上から見下ろして高尾山くらいのしこり」

「それは大きい……、のですか?」

「ギネスに載っている山だもの。とても大きいはずよ」



 私を部屋まで送ってくれた涼子さんは、「おやすみなさい、智恵さん。今日は久しぶりにご友人と遊びに出掛けられてお疲れでしょう?」襖を閉めようとする彼女を呼び止めた。



「お母さん。少しだけ、いい?」

「もちろんよ。智恵」



 二人だけの秘め事。



 二人だけの時は本当の親子のように接する関係性。涼子さんとの関係を知ったらきっとお母様は激怒してしまうでしょう。だから注意は部屋の外側にも配らなければならない。そんな心配事を、「奥様はもうお休みになられていますよ」可笑しそうに、大好きな微笑みを見せて一蹴してくれた。



 ベッドに二人して腰掛けると、衝動に抗う事なんて出来ずに彼女の体温を、温もりを求めて、そっと彼女の手に自分の手を重ねた。



「聞きたいことがあるの。お父様ではダメ。お母様も予想してダメ。だから涼子さん……、お母さんに教えて欲しいの」

「旦那様や奥様でもダメな事を私が答えられるかしら。ええ、なんでも聞いて智恵」

「私はお母様のどこが似ているのかしら」

「それは……」



 涼子さんが口ごもる。



――どうして直ぐに答えてくれないの。



 違和感がある。お父様のあの態度もそう。似ていないならそれを口にすれば良い。涼子さんの動揺も明らかに不自然だ。



――私に言えない秘密でもあるの?



 私の中での優先順位が中野連続殺人事件より上野家の謎が上回った瞬間だった。いつも穏やかな胸中に荒波がゆっくりと立ち始めているのを感覚していた。



 涼子さんは真っ直ぐに私の眼を臆せずに見つめ、「そうね……」観念したように、ふっと表情を和らげて微笑んだ。



「どちらかと言えば、私に似ているかもしれませんね。だって、奥様より私が智恵さんを育ててきたんですから」

「お母さんのどんなところかしら?」

「そうねぇ。穏やかなところ、かな」

「私とお母さんの一番の似ている箇所はね、美人なところよ」

「まあ!」


 二人して同時に吹き出して、声を上げて笑い合った。



――ああ。とても嬉しい。この瞬間が。とても尊い。この関係が。



 私をこんな気持ちにさせてくれる数少ない他人。至福の時間に差した一つの疑念がすべてを台無しにしてしまった。



――私は涼子さんの事、よく知らない。



 いつも優しく包み込んでくれる彼女のこれまでの人生。日常的に感じている感情の揺れ。彼女はいつも私に構ってくれるけれど、自分のことをあまり話そうとはしない。つい先ほどの質問にも答えてもらっていない。



 膨れ上がる欲求と同時に私の奥底から、上野家に対する疑心がふつふつと気泡のように浮上してくる。



――この家は何を隠しているの。



「何を考えているの、智恵」

「え……、ええ、何でもないの。ごめんなさい」



 小さく首を振ってから、彼女の肩に頭を預けてゆっくりと目を閉じた。



 いまはそんなことどうでもいいでしょ、と自分に言い聞かせ、涼子さんの体温と匂いを間近で感じながら何も考えないよう努めた。



「智恵に一つだけ言っておかなければならないことがあるの」



 しかしその安らぎも涼子さんの一声で崩れ去る。



「改まってどうしたの、お母さん」



 私は彼女の目を見てそれが良くない報告だということを察した。



「初めに謝らせて。なかなか言えなかったんだけど、この期に話しておこうと思うの」

「ちょっと待って。それを聞いてしまったら、もう引き返せない類いのもの?」



 口元を引き結んだ涼子さんは意を決したように小さく首肯した。恐る恐ると言った風に口を開けて、言葉を発しようと何度も小さく開閉を繰り返すが、彼女の何かがそれを押し止めているようであった。



「大丈夫よ。話して」



 全然大丈夫ではないはずなのに、私の表情筋は笑みを作ろうとしていた。



「実はね、しばらくお暇を頂くことになったの」

「それはいつまで? そのままさようならになんてならないよね」



 首を縦に振ったのか横に振ったのか判断に困る曖昧な反応をした。視線が自分の膝に落ちる。スカートの上で作っている私の握りこぶしは震えていた。



「その判断を下したのはお母様? それともお父様?」



 その問いの答えは沈黙。



――どうして、上野家の事にだけ口を閉ざしてしまうの。



「涼子さんを縛る上野家の何かを私が暴く。それが表沙汰にできないことなら、私はそれを世間に公表してでも、涼子さんを守る」

「そんなことをしてはダメ! お願い智恵さん、馬鹿なことをしないで」

「何も話してくれない涼子さんには、私を止める権利なんてないわ!」



 ここまで声を荒げてしまったのはいつ以来だったろうか。一番身近で私の成長を見てくれていて、一番大好きな人に対して私はその怒りの矛先を向けていた。



 胸が苦しい。動悸がする。普段ここまで血圧を上げないから身体が吃驚してしまっているのかもしれない。そうでなければ涙なんてこぼれるはずはないからだ。異常をきたしてしまった私は、私の意志で押さえつけることもできずに、抑圧を解放された感情に任せていた。



 もう自分ではどうしようもないくらいに混乱している私をそっと抱きしめてくれた涼子さんは、「本当にごめんなさい。私がいけなかったの。軽率な行動を取ってしまったから」声に悲しみを含ませた彼女は強く、これまでより強く抱きしめてくれた。



「軽率な行動って、何をしてしまったの」



 彼女の胸に顔を埋めたまま私は聞いた。



「すべてが終わってから話すわ。だから、お願い。いまは聞かないで」



――まただ。また話してくれない。



 そんな彼女の態度にも私はしっかりと頷いて、「ええ。待っているわ。絶対に涼子さんの都合が片付いたら話して」彼女を見上げた。彼女の腕に抱かれる私の眼を真摯に見つめて「本当の親子になりましょうね」涼子さんはそう確かに言った。

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