第8話 千丈電子セキュリティー3

「にしても、だよ。あの人ちょっと格好良かったと思うんだけどさ、どう?」



 場所は変わって中野区全体をはるか高みから俯瞰できる場所。全面ガラス張りのフロアには大型テレビや艶々とした黒色のキッチン。一般家庭ではまず見ない高価な大型テレビや家電が置かれた部屋は千丈家の住居スペース。



 喫茶店を出てから二人の刑事と別れ、何度かお邪魔したことのある千丈家へと遊びに来ていた。



 三人でダーツやらテレビゲームといった娯楽で興じて時間を過ごした。中野駅に面した窓辺に設置されたテーブルには料理人が次々と料理を並べていく。実家が富豪として華やぐお母様の実家でも、ここまでの料理はそうそうお目にかかれない。



 格式張った料理には必ずマナーという邪魔な付属物がつきものだが、千丈家令嬢、千丈智檡はそんなことを気にした素振りも見せず、箸でつまんだ肉を大きく開けた口に押し込んでいた。



「智恵も紗鳥も遠慮しなくて良いんだよ。お腹いっぱいになるまで食べて良いんだし。なんなら、お土産持って行く?」

「お前は毎日毎日こんな美食絢爛の数々を胃袋に落としていたのかよ! 私が普通の一般家庭料理を食べてる間に!?」

「大丈夫よ紗鳥。私の家も一般家庭料理だよ」

「うるせぇよ! くそ、貧乏を見下しやがって。神職の家を敬えよ、上流家庭ども」



 本気で悔しがっている様子の紗鳥がつい可愛く、「今度、神戸牛を使った焼きそばを作ってあげるわ」励ましたつもりだったが、「神戸牛なら普通に食わせろよ。ソース一色で味と匂いが損なわれる!」本気でちょっと怖いくらいに睨まれてしまった。



「貧乏と共感してみろ。悲惨で心まで貧しくなってくるからな」

「それは置いといてさ、さっきの私の話題に戻しても良い?」

「ええ。えっと……、なんだったかしら」

「喫茶店に刀を取りに来た情報屋のお兄さんだよ」

「戻すなっ!」



 まあまあと宥めると、「あいつは気にくわないな。顔だけ良くて中身が腐ってる輩の典型だよ。頭の悪い言葉を並べやがって」紗鳥の意見に理由は異なれど賛同した私に、「いや……、私は顔のことを言っているんだけどな。性格なんてどうでもいいじゃない? 顔さえ良ければさ」智檡がグラスに注がれたリンゴジュースに口を付けてコロコロと笑う。



 どうしても彼の雰囲気や内に秘めた人間性を忌避してしてしまう。学校で登校拒否した人達はみんな、私を彼のように見ていたのかもしれない。そう考えると少し以上にへこんでしまう。少なくても彼は他人に興味を抱けていない様子だったけど、私は他人への興味が強い。その差違はとても大きいはず。



――あの刀を何に使うのかしら。



 刀の切っ先が頭に思い浮かぶ。中野区で連続している殺人事件の遺体の胸元には鋭利な刃物で深く突き刺された傷がある。その二点が自然と組み合わせてしまうのは人間の脳がそういう仕組みだからだろう。怪しいと思えたら怪しくなり、非現実なものを現実的に証明しようとする。そういった思考の回路は豊かな想像力を凝り固まらせる。



 ついには彼が女性たちを次々と殺していく想像まで膨らみ、あまりの馬鹿馬鹿しさに首を強く振って打ち消した。



「どうしたの、頭痛い?」

「違うの。ちょっと、変なことを考えてしまったから、振り払っただけ」

「いやらしいんだぁ」

「いやらしいのはそういう考えに至ったお前の方だぞ、智檡」



 強い指摘に智檡は口を尖らせた。私はなんでもない風を装って料理を口に運ぶと、「でもさ、刀って怪しいよね。あれ、本物だよね。あの人が犯人だったりしてね」なんてことを智檡は楽しそうに話す。



「あの男はそんなことはしないだろ。真剣を何度か見たことある。あれは新品だ」

「え、鍔周りしか見てないのに、なんで分かるのさ」

「ぱっと見だけど、柄巻……、わかりやすく言うと、そうだなぁ、持ち手部分に巻いてある紐みたいなのあるだろ。あれが褪せてもなかったし、ズレてもいなかった。もし仮に、あれが凶器として使われていたなら、血が付着してシミになっている可能性がある。そもそも、そんなものを他人に預けるとは考えられない」

「さすがは神社の娘。着眼点が違うんだねぇ。でもあの刀って反りが無かったよね」

「神社の娘は関係ない。お父さんが好きなんだよ、そういうの。それと、あれは直刀だ。明治時代の一部警官が帯刀していた……らしいけど、詳しくは知らん」



 ちょっと頬を膨らませてそっぽを見た紗鳥は夜景に興味が移った様子。私たちは揃って中野や新宿の夜景を楽しみながら食事を続ける。



 メインが下げられてからデザートが運ばれてくるまでの間、私たちは将来の夢に付いて語り始めていた。誰が最初に提供した話題かは覚えてはいないけれど、自然としばらく熟考の沈黙が続き、「将来の夢なんて、子供の頃に思い描いた自分と、実際に大人になった時の自分とではかけ離れすぎていることが多い。ほとんどの人間が該当しているはずだ」溜息をついた紗鳥はどこか鬱々とした顔で、妙な棘のある言い方をして私たちを睨み、「自由な将来なんてあるのか?」その言葉以上に彼女の眼は真摯に問いを投げていた。



「うちは結構自由だけど、私みたいなのが世間に出ても生産性なんてないし、たぶんパパの会社に就職してると思う」



 千丈智檡にしては珍しい回答。彼女はゆっくりともう一口グラスを傾けて窓の外を見ながら小さく笑う。



「ここだけの本心を晒すけどさ、私は人知れずひっそりと暮らしたいんだ。何も重荷も背負わないで、晴れ晴れとした気持ちで、パパとママと一生を静かに過ごしたかった」

「無人島にでも行けばいい話だろ、それ」

「無人島に行っても本当の静かな生活はないんだなぁ。だってこの世界中のどこに居ても監視されるんだし。それこそ、あの世とかじゃないかぎりね」

「智檡?」

「うん……。世界のほぼすべてを監視する会社の娘が言う言葉じゃないんだろうけど、ネットの中にまで入ってくんなって話。プライベートだって覗き放題なんだから」

「別に言ってもいいだろ。お前が思ってるならそれは声にして主張したほうがいいに決まってる。大人になって、働いて、その中で見つける小さくても自由を見つけられればいいんじゃないか? むしろ、いま自分が自由を謳歌している姿を見せつけてみればいい。きっと、誰一人として注視しないぞ」



 紗鳥なりの優しさだ。彼女はいま優しい眼をして智檡を見ている。無意識なのかもしれない。自分のいまの状態を伝えたらきっとまた顔を背けてしまうことだろう。だから私はこの嬉しさを傍目に将来の理想を口にする。



「好きな人と喜び、悲しみといった感情。考えや趣向といった人間形成の根っこまでを共感しあえる相手と巡り会いたいわ」

「いっつもそれだよね」

「お前はブレないな」

「ええ。私が生きる理由なのだから、そう簡単にブレないわ。そういう紗鳥はどうなの?」



 視線を受けた紗鳥は一瞬だけ気恥ずかしさを隠すように強がった笑みを見せる



 私も智檡も身を乗り出して彼女に意識を向けた。「馬鹿、近いよ……」気後れして弱々しい声音。しかし彼女は短い溜息を手元のグラスに吐きつけると空いた手で頬杖をついた。



「私は……、どうだろうな。基本的に私ってなんでもできるだろ。いや、正確にはただ要領が良いだけなんだ。自分で言って馬鹿みたいで顔が熱い。大人になったら馬鹿みたい騒いで、笑って、できればお前達二人とさ、おばあちゃんになるまで付き合えたらなって思ってる。私の本当の親友だから」



 グラスに注がれたリンゴジュースをゆっくりと小さな円を描くようにテーブルの上を滑らす。紗鳥はその様子をしばし見つめ、恐る恐るという様子で視線だけを持ち上げて私と智檡を順番に見た。



 智檡と私は首肯した。この三人の巡り合わせは偶然なんかじゃなくて必然だったと思えるくらいに、私はこの二人といる間は生きている実感が得られる。心から笑えて、本音を隠さずに言い合える間柄は一生の宝物。



――だから二人は好きよ。



 そんな親友だからこそ。



――共感しあえたらもっと素敵な間柄になれるわ。



 話題も区切りが付き、視線を千丈家のリビング全体を見渡すといつの間にか料理人がいなくなっていた。と思っていたがキッチンの下からひょっこりと姿を現し、お盆に載せたカップケーキを運んできた。「本日のデザート、すりおろしたりんごを混ぜた紅茶のシフォンケーキです」それぞれの目の前に置いた。



 カットされたケーキの上にはホイップクリームが立っていた。紅茶の香りの中にリンゴの甘酸っぱさが隠れている。



 私たちの驚きに満足した様子で、「ごゆっくり堪能ください」キッチンに戻って洗い物を始めた。



 それぞれが一口そのケーキの味で舌を充足していると、エレベーターの扉が開いた。「お嬢様。あまり時間が遅くなっても、ご友人方の親御さんが心配されます」真っ白く長い髪をすべて後ろに流した長身の壮年男性が足早に歩み寄って、私と紗鳥に一礼した。



「えぇ、もう少しだけいいじゃん。同じ中野区なんだし」

「凶悪犯罪者が身を潜める同じ中野区、の間違いであると訂正したほうがいいかと」



 長身の壮年男性はスーツをきっちりと着こなしており、袖口から除く腕は歳不相応に太い。胸を張っている姿勢だけでなく、衣服の下には隆起した胸板がシャツを左右に押し広げて皺を伸ばしていた。



「紹介するよ。彼が私の護衛兼運転手。今夜、二人を送り届けてくれる紳士ジェントルだ」

「恥ずかしい紹介をした智檡お嬢様の護衛と運転手として仕える、板倉いたくら平蔵へいぞうと申します」



 若々しい印象の板倉さんは軽く頭を下げた。



「上野議員……、上野典昭氏は何か言っておられましたか? 今回の事件について」



 お父様にとって中野連続事件は目の上の瘤でしかない。しかし家で父は仕事の話をしない。最低限の会話をしたら二階の書斎に籠もってしまう。お母様もお父様の素っ気ない態度には疑心めいた感情を抱き始めているに違いない。国民から期待されている議員である立場上、評価を落とす浅ましい考えは無いと思うけれど、母はその可能性を疑っている節があった。



 上野家で遺体が遺棄されたことに対して、「警察に任せていなさい」の一言を電話で告げたとお母様は苛立った様子で言っていた。



「お父様も早期解決を願っています。よりより中野の発展にこの事件は傍迷惑でしかないですから」



――家族を心配する一言さえ無かったお父様。



――自分のことばかりで癇癪を起こして周囲を困らせるお母様。



――二人の血が流れる私は。



「私が殺されれば、お父様もお母様も涙を流すかしら……」



 ボソリとつい口が滑ってしまい、急いで口をつぐむがすでに遅く、ジッと私を見た三人はなんと声を掛ければ良いのか分からない風な眼をしていた。



「ごめんなさい。何でもないの。そうね、板倉さんの言うとおり、そろそろ帰ろうかしら。涼子さんたち給仕の方達が心配するから」



 私の家族は親だけではない。四人の給仕がいる。家族より家族らしい温かな自分の居場所に帰るべく、私は車椅子の車輪に手を掛けると、私の手の上に隣に座る紗鳥が手を重ねた。



「私が、私たちが心配する。いいか、一人で解決できない困り事や悩みがあるなら遠慮しないで話せ。まあ、共感云々のあれは中々に難題だがな」

「そうそう。何でも相談してこその親友だもんね」



 紗鳥も智檡も笑う。



 同じように笑っている私の顔が夜景を映す窓硝子に反射していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る