第6話 千丈電子セキュリティー1

 こうしてまたこの二人と顔を合わせるとは思ってもいなかった。



 二人から何も告げずに去った私を前に、二人はあの時と変わらない温かな眼差しを向けている。



「久しぶりね。二人とも」



 小さな丸テーブルに三人分の茶が用意されている。頬杖をしながら片目を閉じ、もう片方の眼で私をチラリと見て、「お前が退学してから、ホントに学校が退屈な場所になったよ。どうしてくれるんだ、智恵」鵜宮うみや紗鳥さとりが意地悪に笑んだ。



「確かに退屈にはなったけどさぁ。何よりも寂しかったんだからね! 紗鳥はいつも冷たく私をあしらうんだよ、鞭ばかりで飴が無いのはしんどいよ。糖分の智恵がいて均衡を保っていたんだからね!」

「ごめんね、智檡、紗鳥。私も本当は二人ともっと一緒に居たかったんだけど」

「言わなくてもいいぞ、その先は。お前の余計なお節介の結果が招いたことくらい、私も智檡も知ってる。まったく、馬鹿なお節介を焼いてくれたよな」

「バレてたのね」



 二人して頷く。



「本当は家に突撃してやろうとも思ったんだけど、紗鳥がさぁ、言うんだよ。あいつの気持ちも尊重してやれって、だからこの会いたい気持ちを押し殺して、モンモンとしていたわけなの。何度も電話をしようと思ったけどさ、受話器を手にして、なんて声を掛けてあげればわからなくなって……、そもそも電話番号判らなかった」



 四人目の被害者が上野家の敷地内に遺棄されたことを知って二人は会う決意を固めたという。このタイミングで会えたのは私にとっても僥倖だった。何しろ共感したい相手がここ最近で増えたのだから。



 一人は例の連続殺人犯。



 彼の思想や理想はきっと誰にも理解されない自己完結的であるはずだ。しかし自分を主張するために遺体に細工をして、中野区の至る箇所に遺棄している。そんな彼の行動が自分の共感したいけど叶わない理想に一致した為であった。



 一人は落合刑事。



 初めて会ったときに初恋のような衝撃を受けた。これは理由が明確なわけではないが、直感というべきか、落合という人物なら、という期待が込み上げてきたのだ。彼との聴取を思い返すと、自分の内面を正確に捉えてくれそうという期待があったように思えた。



 一人は美園涼子。



 幼少期の頃から実の母親より母親らしく接してくれた給仕の女性。いつも親身になって傍に居てくれて、不安な時はいつも優しく抱きしめてくれる彼女の愛を母の愛のように感じて育ってきた。今の自分があるのは彼女の存在があってのもの。だからこそ誰よりも彼女を知りたいし知ってもらいたいと願い、共感しあえた際には一緒に理想橋を歩きたいと強く願っている。



 一人は千丈智檡。



 初めて学生という身分で得た友達。周囲とは異なる眼で私を見つめ、いつも元気に振り回しては、今まで経験のしたことのない楽しい時間を過ごさせてくれた少女。同性愛者だという噂も一部では囁かれているが、それは過度なスキンシップによるものだと思っている。もし仮にそういう趣味があっても彼女を受け入れるつもりであり、そういった関係を築くのもいいと思っている。涼子さんと並んで共感しあいたい相手だ。



一人は鵜宮紗鳥。



 人間の作り上げた常識を鼻で笑ってあしらう彼女にはいつも驚かされる。誰に対しても臆さず、ずかずかと物申す姿勢を貫き、友達ができないでいる私を馬鹿呼ばわりして、大切な人間は数人いればいいということを教えてくれた友人。口は悪いが友人を守る為であれば教師であろうと噛みついていく彼女に憧れを抱いた。紗鳥の強い部分に惹かれている自分を自覚したときは驚いた。



 いま考えられる私と共感できそうな人物はこの五名。此方も相手のことを知って共感しなければならない。受け入れるだけでなく、寄り添うように肯定をする。とても難しいからこそ、求めてしまう他人との繋がりは、一生ものの関係になると信じている。



「おい、話を聞いてるのかよ智恵」

「え……、なあに」

「これから何処に遊び行きたいかって聞いたんだ。せっかく友人二人がわざわざ足を運んでやったのに、ボーっとできる神経を疑いたくなるね。んで、何を考えてた?」



 空になった湯飲みをテーブルに置いた紗鳥が睨むように視線を向けてきた。私はまるであらかじめ用意してあったかのように、「哲学堂公園に行きたいな」反射的な回答で、「いったい何を考えていたのかしら、私は」自分でも曖昧な記憶だった。



――本当にただ、ボーッとしていたのかな。



「哲学堂かぁ。いいけどさ、智恵にとって近所だしあまり新鮮味がないんじゃない? まあ、智恵がいいならそこに行こうか。私が車椅子を学校の時みたいに押してあげるよ」



 二人が先に立ち上がって私の左右の腕を肩に回し、ゆっくりと立たせてくれた。背後から見れば連行されるような格好ではあるけど、歩調もあの時のように絶妙で歩きやすい。以前に松田さんと小野さんに同じように移動を手伝って貰ったことがあったけど、まるで三人の息が合わず、一人で歩いたほうが楽だったのを思い出した。しかしこの二人なら足に余計な負担をかけることなく、土間に置かれた車椅子に座ることが出来た。



 居間で休憩をしていた涼子さんと小野さんが見送りに玄関までやってきた。



「智恵さんをどうか、よろしくお願いしますね」

「遅くなるようでしたら、夜道は危ないですし、場所を言ってくれれば俺か松田が迎えに行きますんで」



 友人達とこれから外出をする高揚感に浮かれている私は、自分の頬が、口角が少し持ち上がっていたことに気付いた。そんな様子を隣で一瞥した智檡が、「お嬢様のお帰りは少し遅くなるかも知れないなぁ。久々の再会なわけだし、夕飯も三人で摂ろうと思うんですけど、ダメですか?」私は智檡の横顔を見て、次に涼子さんへと向けた。



「楽しんでいらっしゃい。奥様には私から伝えておくわ」

「ごめんなさい、涼子さん」



 きっとまたお母様の癇癪に触れてしまう。それでも彼女は慈しむ顔を向けて小さく手を振ってくれた。



 私も同じように手を振り返す。



「何時に、何処に迎えに行けばいいですかね」



 小野さんが肩を竦めて聞いた。



「それには及びませんって。専属の運転手兼護衛をしてくれる人に車を出してもらっちゃいますから」

「運転手兼護衛とは、世界の千丈家はそんなのも雇ってるんですね。給料が良さそうだ」

「小野君。ダメよ、そんなことを言っては」



 子供を窘めるような声音で、その様子を最後に見て車椅子はゆっくりと反転した。玄関から正門までの間、私の視線は庭の隅に立つ桜の樹へ。鑑識も去ってしまうと今まで日常と何一つ変わらない光景がある。視線を少しばかりずらして居間の少し上へ向けると、小さな丸窓からお母様と目が合った。とてもつまらなそうな顔をしている彼女に小さく頭を下げると、「ん。どうしたの、智恵」振り返って何でも無いことを告げ、もう一度視線を向けると、もうそこにはお母様の姿は無かった。



 上野家から哲学堂公園までは車椅子の移動でも十分と掛からない。自分の非力な腕力ではなく、他人の力によって車輪が回っている。背後と隣りから同年代の女の子たちの声を耳にし、聞くだけでなくて、その話の輪に自分の居場所があることを素直に喜べた。



 妙正寺川に沿って進んでいくと哲学堂公園前に出る。園内入口は狭いが車椅子でも通れるくらいの広さはある。入って直ぐに木橋をジグザグに掛けた菖蒲池。鯉が何匹も泳いでいて、子供達が座り込んで池を覗き込んでは笑っている。その橋を車椅子で渡るには幅が狭いので、池の外周をグルリと進み、「二人にお願いがあるの」私が二人の顔を見上げると、背後の智檡が車椅子を停めた。



 紗鳥は私の言葉を待つように口を挟まずにはいるが、智檡は頬を大きく持ち上げ、「トイレ? それとも、お腹空いた?」彼女の大きな声量には、紗鳥が大きな溜息をつき、「トイレなんてでかい声で言うなよ。智恵が恥ずかしい思いするんだぞ。つか、お前と友達と思われる私も恥ずかしいし」呆れた視線を遠慮の無い友人へと向けた。



「この先にある、鬼灯という石像を見たいの。それで、二人にはそれがどのように見えるか教えて欲しい」

「なんだ。そんなことなら、別に改まってお願いしなくても、そこに行きたいって言ってくれればいいのに。ね、紗鳥」

「全くだよ。でも、改まってお願いするくらいだから、智恵からすれば重要なんだろう」

「重要よ。とても、ね」



 公園の坂を登っていけば時空岡じくうこうと呼ばれる広場に哲学を体現させた建築物が幾つか建っている場所がある。この場所こそ哲学堂公園のメインとなる観光名所であり、理想とする共感を得た時に渡りたいと願う理想橋もその入口に掛かっている。



 鬼灯はその坂を登らずにそのまま妙正寺川に沿って進んだ場所で、ひっそりと立っている。



「寒くはないか?」



 紗鳥が横目で見て聞いてきた。彼女の心遣いに、「ええ、大丈夫。ありがとう。気を遣ってくれて」その言葉を口にすると、紗鳥は智檡に一度車椅子を停めさせると、車椅子の正面に回った。



「マフラーが緩んでる。隙間風で首が冷えて風邪を引く」



 自分の手に何度か息を吐きかけてから彼女は私の首へと手を伸ばし、紺色のマフラーを巻き直してくれた。その様子を背後から見ていた智檡も、「私からはこれをあげよう」頬に温かいモノが当てられ、それがカイロだと気付く前に、私の手にそれを紗鳥が握らせた。



「お前一人だけずっとこんな温かいものを使っていたのかよ」



 責めるような口調で、しかし本気で怒っているわけでないことくらい智檡も私も分かっていた。しかしお約束というものを弁えている様子で、「え……、いやぁ、二人とも持ってなかったんだ」トボけた様子で返した。



 責められるようなことでもない気はするものの、面白そうなので仲裁には入らず、自然の音を聞くようにジッと黙っていることにした。



「ほうら、早いところ、えっと……、何とかっていう石像に行こうよ。不毛な争いは何も生まないのは歴史が証明しているし」

「別に争うつもりはないけどな。智恵だけが何故かこの話から外れた時点で、馬鹿相手に馬鹿みたいじゃないか、私が。それに持ってこなかった私たちに問題があるわけだしな。ただ、ずっと一人で温い思いをしていたのにイラッとしただけだよ」

「あら。終わらせてしまうのね」

「その言い方だと、続いていて欲しいみたいじゃん。酷いんだ、仲裁に入るのが智恵の役目だというのに」



 ぶつくさと聞き慣れた彼女の不満を懐かしい音として聞きながら、車椅子の車輪がまたゆっくりと回り始めた。賑やかな休日の昼には多くの人が都内の自然に触れて過ごしている姿を横目に過ぎると、目的の鬼灯像が見えてきた。しかしその像の前には二人の先客がいる。園内の人々の中でも浮いてしまう二人の姿。



 スーツ姿で一人は体格がよく、大きな身体を曲げて隣に並び立つ、白黒斑髪をオールバックにした男性に話しかけている。



――シブさんと塚本刑事ね。



「こんにちは」



 車椅子が吃驚したように停車して、「智恵。知り合いなのか?」訝しむ顔をした紗鳥が、場に馴染めていない刑事ふたりへと支線を向ける。



 塚本刑事と落合刑事は背を伸ばして私たち三人を順々に見て、「こんな場所でお会いするとは奇遇というやつですな。お友達と散歩ですか」ニコりと落合刑事は表情を一変させた。年相応の目元の皺が深くなるが、何かしらを探るような細められた眼を真っ直ぐ見返した。



 純粋な好奇心。



 純粋な懐疑心。



 彼に見つめられるとすべてを曝け出してしまいたい欲求は恋心なのだろうか。「捜査ですか、シブさん」会話の一手としては妥当な投球。「聞いてくれますかね、智恵さん。塚本が哲学堂公園に来たことがないというもんですから、こうして面倒ですが、男二人で悲しい非番を過ごしているんですよ」大げさに肩を竦める仕草が妙に板に付いている。



「あれ……?」

「塚本。口を開くとまた無知を晒すぞ」

「ええ、はい。すいません」



――ダウト、かしら。



「私たちはその像を見に来たんです。二人にはこの像がどんな風に見えるのか、聞きたくて。あっ、よければお二人の感想も聞かせてください」

「どんな風に見えるか、ですか。塚本、初めて見た感想を言ってみろ。恥は晒すなよ」



 にやりと笑んだ落合刑事の期待に応えようと、「この鬼はどうして灯火を宿してしまったのか、という疑問を抱きました。彼もそれが不思議で、辛くて、でも捨てられない葛藤が顔に出ているように思えます」



「ほぉ」



 物珍しいモノでも見たように落合刑事は眼を見開いた。「まるで、塚本刑事がまともな感想を述べられないと確信していた様子ね」茶々を入れる私に、「まあ、正直そうですな。恥を晒してお嬢さん方三人に笑われる方に、ベッドしていましたから」上司のそんな評価に塚本刑事は顎を突き出して心外そうな顔をした。



「シブさんは、どう思いますか?」



 私は塚本刑事からシブさんに視線を向けて聞いた。



「正直言ってしまえば、よくわかりませんな。人間相手であれば色々と深く観察はできるのですが、相手が人畜無害な石像となりますと、なんとも興味が湧かんのですよ。でも、これを作った人はどうして、こんなものを作ろうとしたのかは興味がありますね」

「意外な回答でした。では、私を見てどう思いますか?」



 落合刑事を除く、三人が意味を理解しかねる顔で私を見てから、落合刑事へと視線を移す。



「正直に仰っていいの。それが悪い評価でも受け入れるわ。だって、気になる相手からの評価ですから」

「智恵っておじさんが」

「黙っとけ」



 口を開く智檡を紗鳥が遮る。



 深く考える素振りを見せてから、「あの聴取をした日からずっと、貴女の眼が頭の中から離れません。焼き付いた烙印のように目を閉じれば、夢の中にまでそれはずっと私を見ているんです。正直に言ってしまうと、興味深いですよ」興味の湧かないと言っていた鬼灯を一瞥してから私を見て笑った。



「二人は刑事さんなんでしょ。犯人は捕まりそうですか?」



 一般市民の疑問に鼻で息を漏らした落合刑事は神妙な顔になって、「いえ……、まだ掛かりそうです。ですが、必ず捕まえますから安心してください。被害者はみんな今回を除いて若い女性ですから、日が暮れてからは外出は控えていただきたいですな」なんとか作った笑顔には疲労が滲んでいた。



「自分はやっぱり花言葉が犯人に繋がると思います」

「花言葉、ですか?」



 塚本刑事の言葉に首を傾げた。

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